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第7話 憧憬 3

「ユーヤさん、外です! もうすぐ森を抜けれますよ!」


「先に行け! こいつらで最後だ!」


 走り続けるにつれ、周囲を囲む木々の密度が少しずつ薄くなっていく。

 前を行くトポスに向かって叫び、ふと頭上を見上げれば、生い茂る葉の隙間から星空が見えた。

 トポスの言うとおり、出口が近いようだ。けれどもその前に。


『コアァァッ!』


「っと」


 見上げていた空に影がさし、鳴き声とともに頭上から魔物が飛びかかってきた。


 ブラックレイブン。その名の通りカラスに近い姿の魔物だ。

 翼を広げたサイズは一メートル近くあり、その性格は極めて凶暴。目についたもの全てに襲いかかる厄介者だけれども、実はそこまで強くはない。確かにこのサイズの鳥の嘴や爪で攻撃されたら危ないけれど、逆に言えばそれだけの、ただのでかい鳥だ。

 こいつの討伐クエストは、対象が群れでもEランク相当。空からの奇襲にさえ気をつければ、何ていうことはない。


 顔めがけて繰り出された爪を走りながら剣で受け、強引に横に受け流す。


『クアッ!?』


 体勢を崩し、樹の幹に叩きつけられるブラックレイブン。けれどもそれに止めを刺す暇はない。


 地面に落ちたブラックレイブンが立ち上がってくるのかを確認する間もなく、俺は視線を前に向けると、横薙ぎに剣を振るった。同時に何か柔らかいものを切り裂く感触が伝わってくる。

 一拍遅れて背後から聞こえてきたベチャリ、という音に振り向くと、真っ二つに切り裂かれたグリーンスライムが地面に落下していた。


(いい加減終わりにしてくれよ)


 祈るような気持ちでジュクジュクと地面に溶けていく残骸を横目で見ながら、周囲を警戒する。

 そのまま数秒待つが、どうやら他に魔物はいないようだ。さっきのブラックレイブンも打ちどころが悪かったのか、起き上がってくる様子はない。


「ふぅ」


 剣を収め小走りで森を抜けると、先に出て待っていたトポスが興奮したように口を開いた。


「凄かったです! さすがユーヤさん! あんなに沢山の魔物を全部倒してしまうなんて!」


「あんまり強いのがいなくて助かったよ。それより早く戻ろう。俺たちについてる血の匂いに惹かれて、また魔物が来るかもしれない」


「はい!」


 魔光草の群生していた広間から森を抜けるまでの間、俺たちはひっきりなしに魔物から襲撃を受けていた。


 魔光草には確かに魔物を興奮させる作用があるらしく、どの魔物も目を血走らせ、酷いのになると涎を振り撒きながら飛びかかってきた。

 不幸中の幸いというべきか、襲いかかってきた魔物のランクが総じて低めだったので何とか全部撃退できたが、あれにCランク以上の魔物の群れが混じっていたらと思うとゾッとする。


「それにしても僕達、ひどい格好ですね」


 自分の袖の臭いを嗅いで、うへえと呻くトポスに言われて、改めて自分の格好を見なおした。


 血、血、血。


 全身が赤いペンキでも被ったみたいに、返り血で真っ赤に染まっている。

 ほとんど俺の後ろに隠れていたはずのトポスでさえも、かなり汚れているのだ。矢面に立っていた俺の惨状は推して知るべし、である。


「町に帰ったら真っ先に水浴びだな」


「ですね」


 街道に入ればほぼ安全地帯だ。

 俺たちはお互いの格好を笑い合ったり、魔物と対峙した時の立ち回りなんかを話しながらのんびりと歩を進めた。


「ユーヤさん、今日は本当にありがとうございました。色々と勉強になりました」


「いや、俺の方こそ助かったよ。ありがとうな」


 やがてアルラドの町に入る門の前に到着すると、足を止めたトポスが頭を下げる。


「まだまだ全然ユーヤさんには追いつけそうにないですけれど、いつか僕も一人前の冒険者になってみせます。……そうしたら、今度は一緒にクエストを受けてくれませんか?」


「勿論だ。いつでも待ってるぜ」


 はっきり言ってトポスが俺と一緒に戦えるレベルになるのは、かなり先な気がした。

 俺自身もまだ強くなっていっている自覚があるし、そもそももし明日にでも地球に帰る方法が見つかれば、この約束が果たされることは絶対にないだろう。それでもここで無碍な返答をするほど俺は酷い人間じゃないつもりだし、何より彼には親しみを感じていた。


 たった数時間一緒にいただけだけれども、放っておけないというか、先輩を頼ってくる新入部員みたいな可愛さを感じる。実際には冒険者歴で言えば、向こうのほうが長いんだけれども。


(うん。先輩としては、後輩には優しく接してあげないといけないよな)


「それでは僕はここで失礼します。チームの皆も心配してたらいけないですし」


「ああ、またな」


 血まみれの姿と臭いに嫌な顔をする門番にギルドカードを提示して、俺は笑顔で手を降ってトポスと別れた。




   ◆




「裕也!」


 幅三メートル程の細い道に、大声が響き渡った。


 血まみれだった上着はマジックバッグにしまい込んだが、立ち上る臭いを隠すことはできない。このままだと不審者扱いされかねないと思い、路地裏を通って《銀の稲穂亭》を目指していた裕也だったが、突如かけられた声に思わず足を止める。


「姉貴?」


 灯りも殆ど無い暗がりにも関わらず、晃奈は正確に裕也の姿を認識しているようだ。そのまま無言で近づいてくると、有無を言わせず裕也の腕を握りしめる。


 表通りの方から僅かに漏れる逆光のせいで分かりにくいが、後ろには進士の姿も見えた。


「一体どうしたんだ?」


 暗くて表情はよく見えないが、何やら鬼気迫る雰囲気だ。


 思わず掴まれた腕を振りほどきそうになりながら、裕也は内心戦々恐々としていた。

 実は夕方ギルドの資料室に行った際、晃奈がホールにいることには気がついていたのだ。しかしもし見つかれば絶対に止められるか付いてくると思い、声もかけず人の影に隠れながら移動していたのだが。


(もしかしてバレた?)


 あるいは連絡もなしに、こんな時間まで町の外にいた件か。

 いずれにしても、物理的なお説教は避けられそうにない。


「いいから早く帰るわよ」


 頭の中であらゆる言い訳と謝罪の言葉を考えていた裕也だったが、予想に反して晃奈はそれ以上何も言わず、腕を掴んだまま反転するとさっさと歩き始めた。


「おかえり、裕也」


「あ、ああ。ただいま」


 半ば引き摺られるようにしてその後に続いていると、すれ違いざまに進士が声をかけてくる。いつもと変わらない挨拶だが、明かりに照らされたその表情は、いつもと違い厳しかった。


「……何かあったのか?」


 足早に道を行く人。慌てた様子で駆けて行く町の警備兵。

 無言のまま表通り近くにまで連れ出された裕也も、様子がおかしいのが二人だけではないことに気がついた。


「殺人だよ。もう何人も殺されているみたいだ。僕達もついさっき遺体を見た」


「まじかよ」


 ドラゴン討伐に失敗したせいで、アルラドの町に在駐している騎士団の数は激減している。そのせいで近隣地域の治安が悪化していたのは裕也も感じていた。

 街道近くの魔物の駆除など、ギルドも出来る限り騎士団の抜けた穴を埋めようとしていたが、それでもやはり限界がある。


(そういやスライムの泉も、本当なら騎士団の仕事だって言ってたな)


 裕也は数日前にクエストを受けた時のことを思い浮かべながら、ふと晃奈がまだ自分の腕を握ったままなのに気がついた。


「姉貴、もういい加減に離してくれよ。ちゃんと付いて――」


 小さい頃ならいざ知らず、この歳で姉弟で手を繋いだまま歩くなんて恥ずかしい。

 そう思い、今度こそ腕を振り払おうとした裕也だったが、突然目の前で起こった現象に思わず口を閉じる。


「裕也?」


 何かを言いかけて急に足を止めた裕也に、前を向いたままの晃奈が問いかける。

 返事が返ってこないので腕を引く力を強めたが、再び歩き始める気配もない。二人の後ろについて来ているはずの進士も無言のままだ。


「?」


 流石に困惑の気持ちが勝り、後ろを振り返る。

 そして後ろの二人と同様、『それ』を目にして唖然とした表情が浮かべた。


「精霊……?」


 ポカンと口を開いたままの裕也と、思わず握っていた手を離す晃奈。二人の視線の間で白く輝く光の塊が浮かんでいる。


 あの日、ドラゴンの放ったブレスから裕也を守った光の繭。そしてそれを構成していた無数の輝き。その時一緒にいたBランク冒険者、バールの仲間の一人であるセツナは、それが精霊だと言っていた。


 あの時と同じ輝きを放つ、ピンポン球程度のサイズの小さな光が、二人の間でまるで焦ったように飛び回っている。


(何だ?)


 食い入るようにそれを見つめていた三人の中で、いち早く我に返ったのは裕也だった。精霊の見せる動きに妙な胸騒ぎを憶え、剣の柄に手を当てて身構える。

 目の前で飛び回っていた精霊がその視線を誘導するかのようにふわりと上昇し、裕也がそれを追って顔を上げようとした瞬間、進士が大声をあげた。


「裕也、上だ!」


「っ!?」


 その警告に従い裕也が咄嗟にその場を離れるよりも早く、再びその腕を掴んだ晃奈が思いっきり裕也を引き寄せる。


「おわあっ!?」


 建物の壁に叩きつけられそうなほどの勢いで裕也が道の端にやられ、そこに入れ替わるように飛び込んだ晃奈が剣を抜き放った。


 ギインッ、と周囲に金属同士のぶつかる音が響き、慌てて体勢を立て直した裕也が振り返る。

 そこには宙で剣を振りかぶる人物と、それを受け止めた晃奈が斬り結んでいた。


「何だこいつ!?」


 突如現れた謎の襲撃犯は全身をボロボロの外套で包み、性別すら分からない。

 ただ暗闇の中、外套に隠された頭部の奥で、その瞳だけが爛々と赤く輝いているのが見える。


「分からない! 急に上から降ってきた!」


 【危険察知】。進士は死体を見つけてからずっとこのスキルを発動させていた。

 身近に迫る危険の位置と数を正確に伝えてくれる便利なスキルだが、相手の素性までもが分かるわけではない。


 裕也の疑問に叫び返しながら、進士は懐に手を忍ばせる。


「でやああああっ!」


 一方、宙にいる襲撃犯とそれを迎え撃つ晃奈。拮抗しているかのように見えた二人の鍔迫り合いは、晃奈の雄叫びと共にそのバランスを崩した。


 襲撃犯自身の体重と上空からの落下による衝撃。それらを合わせても尚、晃奈の腕力のほうが上だったようだ。叫ぶと同時に力任せに剣を振りぬいた晃奈に吹き飛ばされ、襲撃犯が再び宙に浮き上がる。


「そこだ!」


 吹き飛ばされつつも空中で体制を整えようとした襲撃犯に向かって、進士が懐から取り出したナイフを投げつける。

 崩れた姿勢のままの襲撃犯に向かって三本のナイフが飛び、その全てが胴体に命中した。


「ぐうっ!」


 ナイフを体に受けたまま地面に倒れこんだ襲撃犯が、思わずといった風に声を上げる。苦悶に満ちたその声は低く、ひび割れたような男の声だった。


「まだまだいくわよ」


 呟きとともに晃奈の頭上に炎の矢が生成される。

 次々と生み出される炎の矢が五本を超え、右手を掲げた晃奈がそれを放とうとした瞬間、倒れ伏していた男は四肢を使って跳ね起きると、そのまま近くの建物の上に跳び上がった。


「なっ!」


 二階建ての家屋の屋根上。ナイフを身に受けている状態でとんでもない身体能力だ。


 思わず動きを止めた三人を見下ろしながら、男は悔しそうに、そしてどこか嬉しそうに口を開いた。


「まだ、早かったか。もっと、もっと力がいる」


「っ、裕也っ!」


 さっと踵を返した男を見て、晃奈は炎を消すと裕也に向かって走りだした。


「了解」


 瞬時に姉の思惑を悟った裕也は腰を落とし、バレーのレシーブの構えを取る。構えた手の上に晃奈が片足を乗せたと同時にアイコンタクト、思い切り上に放り投げた。


「逃がすか!」


 空中で器用に一回転すると、晃奈は男が立っていたのと同じ屋根の上に着地することに成功する。しかし男はとうに逃げ出してしまった後らしく、視界のどこにもそれらしき影はない。


「父さん!」


「ごめん、見失った。逃げ出されたら僕のスキルじゃ無理だ」


 屋根の上からの晃奈の問いに、進士は悔しそうに首を振って答える。

 全く戦意のない相手には進士の【危険察知】は反応しない。今の敵は完全に逃走することを選んだようだ。


 それを聞いて舌打ちをすると、晃奈は屋根から飛び降りた。


「多分今のが犯人ね。町中でいきなり人を襲うようなやつが何人もいるとは考えたくないわ。不本意だけど、今日は全員同じ部屋で寝ることにしましょ。ギルドには明日報告。いいわね?」


 ふうー、と一度大きく深呼吸すると、晃奈はテキパキと指示を出し始める。

 殺人犯かもしれない人物に襲われた直後だというのに、恐ろしいほど冷静なその様子に裕也と進士はおぉー、と感嘆の声を上げる。


「はぁ、しっかりしてよね? それと裕也、あんた食事の前にその臭いをどうにかしときなさいよ」


 言われて裕也は自分の格好を思い出した。剣を持ち、町中で血の臭いを強く漂わせる男。犯人と間違われて通報されても、文句は言えない。


 言われた通り、宿についたらすぐに水浴びをしようと裕也が心の中で決めていると、突然進士があっ、と大声を出した。


(何だ? 奴が戻ってきたのか!?)


 即座に周囲を警戒して身構える裕也と晃奈。しかしそのまま数秒間じっと待っていても、何も起こる気配はない。訝しげな目で三人を見つめる通行人が一人通っただけだ。


 警戒を解かないまま疑問の目で見つめてくる二人に向かって、進士は申し訳無さそうな声で呟いた。


「今のやつに、ナイフ持っていかれた……」

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