第6話 憧憬 2
「僕達は《ブレイブエッジ》っていう四人組のチームなんです。全員同じ村で育った幼馴染で、冒険者になって一旗揚げようと思って、一年前に皆でこの町に来たんですよ」
「へぇ、何だかうちと似てるな」
時々後ろを振り返りながら前を歩くトポスの話によれば、魔光草の群生地は町の南門から出た先にある森の奥にあるらしい。
ちょうど時間が空いているので案内してくれるという彼の申し出を俺はありがたく受け入れ、今は二人で森の中を歩いているところだ。
「はい! ですから《ファミリー》の皆さんは僕達の憧れなんです。僕たちは一年かけてようやく全員がEランク。《ファミリー》の皆さんは家族で冒険者になってからたった一ヶ月足らずで全員がDランクに。いえ、噂じゃ先日のドラゴン退治の功績から、Cランクに上がったって聞きました!」
純粋な憧れの気持ちからか、若干頬を上気させているトポス。話を続けながらも邪魔な茂みをかき分ける手つきには淀みがない。
冒険者になってから一年も経っているからか、その動きには慣れが感じられる。
(俺と姉貴はBランクなんだけどな)
トポスの発言には一部事実と異なる点もあったけれど、別にわざわざ訂正する必要もない。黙っていよう。
「それより本当にいいのか? 夜の魔光草には魔物も寄ってくるし、危険なんだろ?」
「はい。ですから今回の道案内の見返りは、僕の護衛ということでお願いします。ユーヤさんの戦いぶり、しっかりと拝見させていただきます!」
この申し出を受ける時にもした話だけれども、トポスが俺を魔光草の生えている場所まで案内してくれるのは、何も無償の善意からくる行動じゃない。
魔光草に惹き寄せられる魔物の群れ。俺がそれを討伐する様子を間近で見たいという見返りを要求してきていた。
熟練者の動きというのは、見るだけでも参考になることが多い。それは冒険者にも言えることらしいのだが、生憎とトポスはランクが低い。中々高ランク冒険者と一緒になることがないので、今回はいい機会だということだろう。
ちなみに本来ギルドを通さずに冒険者に依頼をすることは、あまり褒められた行為じゃない。依頼人と冒険者の仲介料もギルドの立派な収益の一部だからだ。
けれども今回のように冒険者同士でのやり取りはよくあることだし、ギルドでも黙認している。
現場の状況によっては、偶々鉢合わせた冒険者同士でも臨機応変に助け合わないとどうしようもない場面が多々あるし、そんな時に一々報酬やらギルドの取り分やらを考えていたら命がいくらあっても足りないからだ。
(あ、そう言えばセリーのことは黙っていないといけないな)
俺が魔光草を探しているのはセリーに頼まれたからで、ギルドを通した依頼じゃない。もしトポスが真面目な性格だったら、気を悪くしてしまうかもしれない。
「それにしてもユーヤさんは凄いですね。《ファミリー》はドラゴンすら倒した強豪なのに、魔光草を利用して更に強くなろうだなんて。その常に高みを目指す姿勢が大事なのかもしれませんね!」
(何か知らないけど、勝手に勘違いしてるな……)
トポスの中で俺は一体どんな評価を受けているのだろう。そんな面倒なことするわけがない。
俺なんかより、こんな夜に町の外に出てまで他の人の戦いを見て勉強しようというトポスの方が、よっぽど熱心だと思う。
(まあこれも訂正する必要ないし、別にいいか)
俺は曖昧に頷くと、トポスの後について歩き続けた。
森に入ってから約一時間。
日は完全に沈み、周囲は完全に闇に包まれている。
頭上で輝いているはずの星の輝きも、鬱蒼と生い茂る木々の葉に阻まれて地面にまで届いてこない。
おかげで数歩先の地面すら満足に見えない状況だ。
歩いても歩いても代わり映えのしない景色にいい加減うんざりし始めていると、前を行くトポスが足を止めた。
「そろそろ魔光草の群生地です。もし魔物がいたら僕ではどうしようもないレベルかもしれないので、先頭をお願いします」
「ああ、分かった」
俺が了承すると茂みをかき分けるのに使っていた剣を鞘に戻しながら、神妙な顔つきで下がってくる。それと入れ替わるように前に出ると、トポスは不思議そうな顔をした。
「ユーヤさん、もう陽も落ちました。そろそろ灯りを用意したほうが……」
「灯り?」
言いながらトポスが肩から提げている鞄の中から、小さなカンテラを取り出す。上部に取り付けられているつまみを回すと、中に入っている小さな魔石が光を発し始めた。
「ピグーなんかから取れる、極小の魔石を使った安物です」
じっと見ていると安物というのが恥ずかしいのか、トポスは顔を赤らめる。
駆け出しの頃から使い続けているというそれを見ながら、俺は内心で冷や汗をかいていた。
俺や他の家族は基本的に日中しか町の外に出ない。夜になっても外にいたことなんて、護衛クエストをした時くらいだ。
そのせいでと言うべきか、夜間用の装備なんて何一つ持っていない。そもそもそんな発想すらなかった。
(言えない。灯りを持ってくるのを忘れたなんて絶対に言えない)
これまでの言動から、トポスが俺たち《ファミリー》にとても強い憧れの感情を持っているのは十分に理解できた。まだ短い付き合いだけれども、年下の子供の純粋な気持ちを壊すようなことはしたくない。
「まあ、まだ灯りが必要なほどじゃないな。不用意に目立つと余計な魔物をおびき寄せてしまうかもしれないし」
「なるほど! あくまで目的は魔光草で興奮した魔物のみだというわけですね! すみません、僕も消しますね」
「いや、別に消す必要はないぞ!? 足元が見えなくて転んだりしたら危ないからな」
俺の言うことを何一つ疑わず、早速灯りを消そうとするのを慌てて止める。
いくら憧れの人物の言葉でも、やり過ぎじゃないだろうか。
「トポスの分に寄ってくる魔物くらいすぐに倒してやる。ほら、そこにも大きな石が落ちてるぞ。気をつけ――」
「ユ、ユーヤさん。それ……!」
トポスの持つランタンに照らしだされた大きな影。
気付かずに歩いていたら躓いてしまそうなサイズのそれを指差しながら注意を促そうとすると、トポスは上ずったような声をあげた。
「ん?」
震えながらそれを指差す様子に疑問を憶えて、目を凝らす。どうやら石じゃないみたいだ。
「生き物みたいだけど……もしかしてドラドラコか?」
ドラドラコ。全身を覆う鱗に四肢から伸びた鋭い爪。巨大なトカゲのようにも見える体躯から繰り出されるその一撃は、重く鋭い。
アルラド周辺ではかなり上位の魔物で、ギルドが定めたランクは単体でD。そんな魔物が目の前で横たわっている。トポスが怯えるのも無理はない。
「寝ているのか?」
警戒しながら近づいてみても身動ぎ一つしようとしない。仮に寝ているとしても、野生に生きる動物がこんなに警戒心が低いだなんて妙だ。
「だ、大丈夫なんですか?」
詳しく調べようと傍にしゃがみ込むと、トポスがおっかなびっくりといった様子で近づいてくる。そしてその手に持っているランタンが、横たわるドラドラコの様子を鮮明に照らし出した。
「死んで……いますね」
トポスの言うとおり、灯りに照らされたダラドラコの首は大きく切り裂かれ、胸には穴が空いている。
この状態で生きていられる生物なんて早々いないだろう
「まだ血が乾ききっていない……。他にも魔光草周辺で狩りをしている人がいるのかもしれません。お互い邪魔にならないように気をつけましょう」
勘違いを続けているトポスが変な心配をする中、俺は妙な違和感を感じていた。
なんで魔石だけを抜き取っている? 確かドラドラコは肉を除いたほぼ全ての部位が売れたはずだ。皮は持ち運びが面倒だったとしても、爪くらいならそんなに嵩張らない。
「ちょっと勿体無いですけど、他の人の獲物をはぎ取るのはマナー違反ですしね。もしかしたら魔石だけ抜いておいて、他の部位は後から取りに来るのかもしれませんし」
なるほど。確かに素材の剥ぎ取りは面倒くさい。スライムの魔石を拾い集め続けるだけでも嫌になってくるほどだ。なら死体はこのまま放置しておこう。
けれどもこれで少なくともドラドラコクラスの魔物が出現することが判明した。魔光草の群生地はもう近いらしいし、気を引き締め直さないといけない。
ところがそれから数分も歩かないうちに、俺たちは再び足を止めることになった。
周囲に漂う血生臭い臭い。トポスがカンテラを頭上に掲げると、そこら中に魔物の死体が転がっているのが見て取れる。
そしてその全ての胸部には、魔石を抜き取った穴が開いていた。確かにこの数の魔物から都度素材を剥ぎ取る気にはなれない。
「凄い……。でもちょっとまずいですね。ただでさえ魔光草には魔物を惹き寄せる効果があるのに、この血の匂いに惹かれてくるやつもいるかもしれません」
一体ずつの力は弱くても数が揃うと厄介だ。特にトポスを守りながらとなると、面倒なことになるかもしれない。
(少し急ぐか)
警戒するように周囲を見渡すトポスに向かって、手で合図して更に先に進む。
暗いし足場も悪いけれど、怯えたトポスがすぐ近くにいるお陰で何とか視界は確保できた。
そのまま生きている魔物には遭遇することなく木々の間を進み続け、やがて開けた場所にたどり着く。
乱立する木々に囲まれるように広がる小さな草原。星明かりを遮る木々もなく、そこだけが全く別の空間であるかのようにとても明るかった。
「あ、ユーヤさん。あれです」
トポスに言われるまでもない。
その草原の中心部で幻想的な輝きを放つ花群。あれが魔光草に違いない。
頭上から降り注ぐ星明かりと相まって、まるで絵画の一シーンのようだ。ただ、
「うへえ、死体だらけだ」
やっぱりこの魔光草の近くで狩りをしていた冒険者がいたんだろう。青白く輝く花群の周囲には、足の踏み場もないほど大量の魔物の死体が転がっていた。
もう死体には大分慣れたけれど、流石にこれは勘弁してほしい。
「ユーヤさん、どうしますか? このままここでやりますか?」
相変わらず狩りをしに来たと思っているトポスに首を横に振って答え、魔光草の方へ向かう。
靴の裏から伝わる感触を極力気にしないようにしながら魔光草の元にまで辿り着くと、適当に数本を引き抜く。
セリーに何本必要なのか聞くのを忘れていたけれど、これだけあれば十分なはずだ。
「今日はやめておこう。花もここを利用している人がいるのなら、このままにしておいた方がいいな」
抜いた花をマジックバッグに収納しながら、周囲を警戒しているトポスに声をかけると、トポスは明らかにホッとしたような表情を見せた。
「分かりました。それじゃあアルラドに帰りましょう」
「悪いな。俺の戦いぶりなら、また次の機会にってことで」
いつドラドラコ級の魔物が襲ってくるか分からないこの状況は、トポスにとって心臓に悪かったようだ。当初の目的はもういいのか、一も二もなく頷いている。
とは言えここまで案内してもらって何もなしというのは悪いので、約束は別の機会に果たすことにしよう。
異論はないようだし、そうと決まればこんな所に用はない。さっさと町に戻ろうと後ろを振り返ると、トポスが慌てたようにこっちに駆け寄り、剣を抜き放った。
「ユ、ユーヤさん!」
怯えたような声を上げるトポスに俺も漸く事態を悟る。
「やっぱりそう簡単にはいかないか」
『グルルルル……!』
魔光草か、もしくは辺りに立ち込める血の匂いに釣られてか。無数の魔物が草原を取り囲み始めていた。
◆
「護衛クエスト、やっぱり今日もなかったかー。しっかし裕也のやつ、どこで油売ってるのかしら」
午後から自分がギルドに向かうということは裕也に伝えてある。裕也の方も午後特に予定がないのは確認済みだ。ならばギルドに裕也が来るのは必然の出来事だ、そう晃奈は考えていた。
護衛クエストが見つからなければ、その後の二人の予定は空くことになる。そうなれば暇つぶしに別のクエストを受けてもいいし、久しぶりに露店巡りをしてもいい。とにかく二人でどこかに遊びに行こう。
ところがいつまで待っても裕也が来る気配はない。
やがて夕方を過ぎて夜になり、食事の時間も近づいてきたので、晃奈はしぶしぶとギルドを出ることにした。
「まあまあ。クエストの確認だけならそんなに人数も必要ないし、裕也だって偶には一人で羽を伸ばしたい時もあるんだよ」
ギルドから《銀の稲穂亭》までの道を歩きながら、夕方頃に晃奈と合流していた進士が苦笑する。
ホールでただ一人椅子に座っていた時から不機嫌そうだったが、今はそれに輪をかけてひどい。原因には何となく察しがついていたが、今この状態の晃奈と裕也が出会っても逆効果だ。
息子の身を守るために進士は何とか晃奈を宥めようとするが、一向に機嫌が直る様子はない。
「それにしても結構遅くなっちゃったね。早く帰らないと皆晩御飯を食べるのを待っているかもしれない」
日本にいた頃から帯刀家では朝食と昼食はバラバラに食べることが多かったが、特に理由がなければ夕食だけは全員で一緒に食べるという暗黙の了解があった。厳密に決められたことではないが、誰が言うともなく一家の習慣となっている。
帰宅が遅れる家族がいれば他の家族は出来るだけ食事を始めるのを待つし、待たせている方も帰宅を急ぐ。
(まあ、僕や裕也が遅れるだけなら無視される時もあるけど……)
今は晃奈も一緒なので皆待っているだろう、と進士が考えていると、宿の前に人影が立っているのに気がついた。
「あれはセリーちゃんかな? こんな時間にどうしたんだろう」
いつも元気いっぱいで人懐っこい看板娘が、《銀の稲穂亭》の前でキョロキョロと周囲を見渡している。
その珍しい光景に、ついさっきまで不機嫌そうだった晃奈も疑問を憶えた。
「本当ね。いつもだったら食堂の手伝いでもしてる時間なのに」
おーい、と晃奈が手を振ると、向こうもこちらに気付いたのか手を降り返してくる。
「皆さんおかえりなさい。ユーヤさんは一緒じゃないんですか?」
晃奈達が宿の前にたどり着くと、挨拶もそこそこに裕也の姿を探すセリー。それを聞いて晃奈の表情が再び不機嫌そうに歪む。
「何? 何か裕也に用なの?」
「晃奈、落ち着いて」
セリーは晃奈どころか裕也よりも年下だ。
そんな小さな子に露骨に敵意を見せる晃奈に、顔をひきつらせた進士が声をかける。が、晃奈がそれを聞き入れるよりも早く、何故か顔を赤らめたセリーが少し自慢気に口を開いた。
「実は今日ユーヤさんにお願いごとをしまして……」
◇
「全くあいつ、女の子の頼みは断らないのね!」
「まあまあ、偶にはいいじゃないか」
進士の知る限り、裕也はホイホイと女性の頼みごとを聞くような子ではない。
それでも晃奈は自分を放ってセリーの頼みごとを聞き、あまつさえこんな時間に一人で町の外に出た裕也に腹を立てているようだった。
(相変わらず弟離れが出来ていないなあ)
ズンズンと足音も荒く南門に向かって歩く晃奈を慌てて追いかけながら、進士は内心で溜息を吐いた。
事情を聞いた斎蔵と加奈子はまあ大丈夫だろう、と言って部屋に戻ってしまっている。万が一の時には自分がブレーキにならないといけない、と進士は責任感を感じていた。
(さっきからこればっかりだな、僕)
こっちの世界に来てからも、裕也と自分が女性陣に振り回されるという生活は変わらない。
再び内心で溜息をつきながら、進士は晃奈を宥めるべく言葉を続ける。
「それに魔光草? だったっけ。今の裕也なら大丈夫だよ。この辺りで手強い魔物と言っても精々ゴブリンやドラドラコだろう?」
ドラドラコは滅多に群れを作らないDランクの魔物、ゴブリンは群れを作って漸くCランクに分類される魔物だ。
どちらが出てきても、ドラゴンを倒してBランクに昇格した裕也が不覚を取るとは考えにくかった。
「父さんは甘い! 裕也はここぞ、っていう時に抜けてるのよ。それに前みたいにドラゴンが出てきたらどうするの!」
言われて進士の脳裏に、圧倒的な力で自分たちを蹂躙した巨大な魔物の姿が過ぎる。
確かに晃奈の心配も最もだ。しかしあんな出来事はこの世界でも非常に珍しいことらしいし、早々起こらないだろうとも思う。ただし今それを口にすると、怒りの矛先が自分に向きかねないので口にはしなかったが。
怒れる晃奈を前に何か他の話題はないかと周囲を見渡す進士。するとその視界に妙な人だかりが映った。
「あれ? あんな所に人だかりが。あれは一体なんだろう」
「?」
棒読みの口調から露骨な話題転換だと、頭に血の上った状態の晃奈でもすぐに分かったが、確かに妙に騒がしい。
既に日は落ち、辺りは暗闇に包まれようとしている。
文明の発達していないこの世界では、大通りにわずかに設置された街灯以外は、店や民家から漏れ出る光だけが唯一の光源だ。
普段なら足元が見えなくなる前に、家へと急ぐ人たちの姿が多く見られる時間帯。にも関わらず何かを囲むように大通りの一角に人が集まっている。
「ほ、ほら。ちょっと行ってみよう? もしかしたら有名人が来ているのかも」
「この世界の有名人って誰よ。凄腕の冒険者?」
裕也のことは心配だが、確かにあの人だかりは気になる。
ぶつぶつと文句を言いながらも、晃奈は進行方向を変更した。
「はいはい、どいてどいてー。って……」
人混みを無造作に掻き分ける晃奈に苦笑しながら続く進士だったが、前を進んでいた晃奈が急に絶句して立ち止まったことに疑問を覚え、何があったのかと顔を覗き込ませる。
「どうしたんだい、晃奈? ひっ。し、死体……?」
人混みの中心部。ぽっかりと空いた空間に転がっていたのは、首を切り裂かれ、自らの血だまりに倒れ伏している男の姿だった。




