第1話 ギルドと教会 1
ボコリ、ボコリと、見るからに粘性の高い沼が泡立っている。
直径三メートル程のその沼の中では様々な色が交じり合い、次々と色が変わっていっていた。そしてその表面がボコリと泡立つ度に、半透明の粘液で構成された魔物――スライムが湧き出している。
【スライムの泉】。
延々とスライムを生み出し続けるこの泉は下位冒険者からは恐れられ、上位の冒険者からは絶好の狩場として認識されている。
アルラドの町近郊で発見される泉は、大概がグリーンスライムのみを生み出す緑色をしているのだが、これは違う。レッドスライムやブルースライムなど、低ランク冒険者が相手をするには危険なスライムをも生み出す、マーブル色だ。
俺と姉貴が二人で受けたクエストはこの泉の完全消去。ギルドが定めたクエストランクはC。つまりEランク以下の冒険者は単独で受けることすら出来ないほどの難易度、というわけだ。
まだ陽の光も昇りきっていない早朝から、目撃証言のあった町の北側に広がる森の中を探し続け、ようやく見つけた。
そして今俺の目の前では、そこから様々な色のスライムが次々と生み出され……姉貴に瞬殺されている。
「なぁ姉貴、これいつまで続けるんだ? もういい加減終わりにしようぜ」
ジュクジュクと地面に溶けていくスライムの残骸から魔石を拾い上げ、マジックバッグに放り込む。俺がこの作業を始めてから、かなりの時間が経過していた。
「何? もう飽きてきたの?」
飛びかかってくるスライムを無造作に斬り飛ばしながら、首だけをこっちに向けた姉貴が呆れたような声を上げる。
俺だって最初は労せずしてお金が手に入る、と喜々としていた。けれども流石にこんな単純作業、延々と続けていれば飽きがくる。
「まあ確かにそろそろいい時間かもね。午後からはギルドに呼び出されてるし」
ギルドからの呼び出し。
あの日ドラゴンを倒し俺が倒れてから一週間が経っている。ギルドへの大まかな事情説明はバール達がしてくれていたらしく、その間俺たちはゆっくりと休養を取ることが出来た。今日呼び出されたのは、ギルド側もようやく事後処理等が終わったらしく、改めて報酬の話などをしたいかららしい。
簡単な事情説明くらいは求められるかもしれないけれど、面倒事は嫌なのでさっさと報酬だけ渡してほしいところだけど。
(そうもいかないだろうなあ)
何より俺自身がいくつか聞きたいことがある。
「じゃあ姉貴、よろしく」
ギルドカードのかけられている胸のあたりを抑えながら返事をすると、姉貴は剣を鞘に収めた。同時に頭上に炎の矢が生み出される。
【ファイアアロー】。
ドラゴンとの戦いの中、バールの仲間のセツナという魔法使いが【アイスアロー】という氷の矢を放つスキルを使っていた。それを真似ようと以前から使えていた【ファイア】を脳内で弄くっていたら、ある日突然使えるようになったらしい。
(スキルってそんなに簡単に覚えれるもんなのか?)
その話を聞いた時は思わず突っ込んだのだけれども、姉貴は不思議そうな顔をするだけだった。相変わらず規格外だ。
今回生み出された炎の矢は三本。その全てが姉貴が前方を指差すとともに泉に殺到し、今まさに生まれ出ようとしていたスライムを焼きつくす。
一瞬で蒸発したスライムから魔石だけがこぼれ落ち、泉の中にポチャンと落ちた。
「まだまだ駄目ね。一人でもドラゴンを倒せるくらいにならないと……」
(ドラゴンを一人でって……。どこかと戦争でもするつもりですか?)
仮にもCランク難易度のクエストで問答無用のジェノサイドっぷりを見せ付けても、この姉上殿はご不満のようだ。若干不機嫌そうに溜息までついている。
「全力の【ファイア】なら吹き飛ばせるだろうけど。裕也、泉はあんたがやってみなさい。あれから少しはまともに使えるようになったんでしょ?」
そう言われ、思わず魔石を拾う手を止めた。姉貴が何のことを言っているのかはすぐに分かったけれど、それでも動揺は隠せない。
【ドラゴンブレス】。
一週間前ドラゴンと遭遇し、それを打ち破った際に俺が放ったスキルだ。どうしてこんな凄いスキルが急に使えるようになったのかは、未だに分かっていない。しかもその時は全ての魔力を使い果たしてしまい、魔力欠乏症で倒れてしまった。
実はあれから何度も練習して、かなり威力を落とし、使った後に少しふらつく程度にできるようになっている。
それにしてもこの練習は一人で隠れてやっていたはずのに、どうしてバレているんだろう。
「確かにもう倒れはしないけどさ。出来ればあまり使いたくないんだよ。疲れるし」
「いいからやりなさい」
姉貴にそう言われたらやるしかない。逆らったらやるまで殴られそうだし。
腰から提げられたマジックバッグの口をしっかりと縛り直し、泉の前に立つ。続いて頭の中に浮かぶ【ドラゴンブレス】の名前を選択。両足を踏みしめ、大きく息を吸い込むような動作を行いながら、口の中で体内の魔力を圧縮させていく。
この一連の動作はスキルを選んだ時、自然と頭の中に流れてくるイメージに沿って行っている。かなり漠然としたイメージなので大部分を自分で補完しないといけないけれど、一度でも出来れば後は簡単だ。次からはそれを反復すればいい。
魔力が密度を高め、口の中からチカチカと白い光が漏れ出す。
これ以上は必要ない。あまり魔力を込めすぎるとまた倒れてしまうし、このサイズの泉を吹き飛ばすだけならこれで十分だろう。
危険を察知したのか、泉がまるでそれ自身が意思を持っているかのように急に激しく泡立ち始めた。次々とスライムが排出され、まるで群体のように見える。けれども。
(遅い!)
このスキルは溜め始めてから放つまでにある程度時間がかかってしまうのが難点だけれども、ここまできたら関係ない。
必死にこの場から離れようとするスライムの群れをめがけて、一気に口の中の魔力を吐き出す。
瞬間、ゴウッ、と白色の閃光が前方を薙ぎ払い、泉はおろか後方の木々までをもまとめて吹き飛ばした。
「……ふぅ。やっぱり疲れる」
かなり威力は抑えたつもりだけれど、それでも急激に魔力が失われるのはつらい。地球にいた頃には味わったことのない、体力的な問題とはまた別の疲労を感じる。両膝に手をついた姿勢で思わずふらつくと、横から姉貴が肩に手を置いて支えてくれた。
「やっぱり色以外はあのドラゴンのブレスと同じ感じね。あの時ドラゴンがブレスを撃った後少しの間動かなかったのは、裕也と同じで魔力不足による疲労を感じてたからなんだわ」
「かもな。それよりこれでクエストもクリアしたし、さっさと町に帰ろうぜ」
姉貴に密着されているという状況に恐怖しか感じなかった俺は、慌ててマジックバッグから魔力回復用のポーションを取り出し、一気に飲み干す。効果はすぐに現れ疲労も消えたので、うんうんと頷いている姉貴の手をやんわりと外すと急いで距離を取った。
「それにしても裕也はなんで急にこの技を? 職業【学生】……何が条件……?」
「あー、俺腹減ったなあ! そうだ! 魔石を換金したらこの前親父が言ってたレストランに行こうぜ! 今なら十分余裕もあるしな!」
ぶつぶつと呟く姉貴から不穏な気配を感じ、華麗な話題転換を試みる。
だが俺の奮闘も虚しく、姉貴は何かいいことを思いついたかのような顔をすると、怪しい目つきで俺の方を振り向いた。
「あ、姉貴?」
ゆっくりとこっちに向かって歩いてくる姉貴。全くもって理由は不明だけれども、その左手にはポーションが握られ、右手の上には小さな火球が浮かんでいる。
「これで覚えたら決まりね。安心しなさい。ちゃんと威力は抑えてあるから」
「ちょっと待って意味が分からない理由を教えてください俺が何をした!」
次の瞬間、森の中でチュドンッ、と何かが爆発する音が響いた。
◇
「意味が分からねえ! 一体何の理由があってあんなことしたんだ!?」
アルラドの町。冒険者ギルドのあるメインストリートから二本隣の小さな路地。お酒が置いていないからか、冒険者のような荒くれ者ではなく家族連れの姿の方が多く見られるレストランの隅で、俺は姉貴に詰め寄っていた。
このレストランだけではなく、このエリア一体がそういう風潮なのだろう。正面入口側の壁はなく、穏やかな雰囲気で談笑するグループが通りを歩いているのが見える。
そこに突如響いた俺の怒声。皆が何事かとこっちを注目した。
「ゆ、裕也、声が大きいよ。あっ、申し訳ありません。お騒がせしまして」
周囲に向かってペコペコと頭を下げた親父が非難がましい目で見てくるけれど、今は引く気はない。
謂れのない暴力なんて今まで何度も受けてきたけれど、いくらなんでも今回のは度が過ぎている。
普通、いきなり人に向かって火の玉なんて飛ばすか?
「いや、その、ごめん。てっきり裕也の能力が、食らった技を覚えるっていうものなのかな、と……」
流石に悪いことをしたという自覚はあるのか、珍しく、本当に珍しく姉貴は素直に頭を下げてきた。運ばれてきた料理にも手を付けていないのを見ると、どうやら本当に反省しているみたいだ。
俯いて小さくなっている姿に少しは溜飲が下がったけれど、結局何がしたかったのかさっぱり分からない。食らった技を覚えるって何のことだ?
「あらあら。なるほど、ラーニングね」
親父と爺ちゃんも含め男連中が訝しげな顔をしている中、母さんだけが合点がいったというような声をあげる。
「ラーニング?」
聞き慣れない単語に親父が疑問の声を上げると、母さんは頬に手をあて、うーんと考えこんだ。
「本来は学習、という意味なんですけれど。ファンタジーな創作物の中では、技を見たり受けたりするだけで覚えることのできる技術や特性のことを指しますわね」
母さんの説明にようやく俺も納得した。そういえばそんな技が使えるゲームをやったことがある。そして確かに俺が【ドラゴンブレス】を使えるようになったのは、ドラゴンのブレスを受けた直後だ。
「で、どう? 覚えれた?」
俺たちが理解の色を示したのが分かった途端、ついさっきまで俯いていたはずの姉貴が勢い良く顔を近づけてくる。
「そんなわけないだろ。大体それで覚えれるなら、とっくに母さんの【ヒール】を覚えてるんじゃないか?」
それもそっかー、と両手を頭の後ろで組み背もたれにもたれかかる姉貴。さっきちらっと見せた反省の態度は、最早欠片も見当たらない。
「そのらーにんぐというのは、本当にただ技を受けただけで自分のものとすることが出来るのかの? 便利なものじゃのう」
この世界に箸という文化がなかったので、木から削りだしたマイ箸で魚料理をつつきながら、爺ちゃんが呟く。それに姉貴は残念そうに首をふった。
「裕也のはちょっと違うみたいだし、そんなに簡単なものじゃないみたいだけどね」
まぁ確かに無条件にスキルが増やせるなんてチートはありえないわね、とフォークを手に取る姉貴。
(姉貴、さっき使ってた【ファイアアロー】、どうやって覚えたか思い出してみ? そっちの方が十分おかしいだろ)
「ブレスを受けた後に同じ技が使えるようになった。何か因果関係があるのは間違いないのよ。何か他に条件があるのかしら?」
食べ終わったら色々と試してみましょうと笑顔でのたまう悪魔に向かって、親父がおずおずと声をかける。
「でも晃奈。この後はギルドの用事があるから、そんな時間はないんじゃあないかな……?」
「そう言えばそうだった。じゃあそれはまた今度ね」
親父の言葉は問題を先送りにしただけだった。
ギルドからはチーム《ファミリー》全員が呼び出されている。その理由が単なる報酬の受け渡しだけではないはずだ。
(どうかその内容が姉貴のこの件に関する記憶を吹き飛ばすくらい衝撃的かつ、難解複雑なものでありますように)
俺はついさっきまでとは全く逆のことを考えながら、湯気を立てているスープを口に運んだ。




