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第21話 帰還

 開け放たれたままの窓から風が入り込み、ふわりとカーテンが舞い上がる。

 そよそよと心地いい風が部屋の中の空気をかき混ぜ、頬を撫でるその感触に目が冷めた。


(だるい……)


 体がとても重く感じる。できればこのままもう一度眠りたいくらいだ。

 そのまましばらくまどろんでいると、目元に陽の光が射した。詳しい時間は分からないけれど、もう昼近くなのかもしれない。

 布団をかぶり直すのも億劫だったので、仕方なく目を開いた。

 ぼやけた視界が次第に焦点を合わせていき、木製の天井が目に映る。

 何でこんな所にいるんだろう。確か俺は雨の中延々と森を歩き回って、最後には崖からドラゴン目掛けて飛び降りて……ドラゴン?


「ふあっ!?」


 全てを思い出して、意識が一気に覚醒する。俺は勢い良く上半身を起こし、周囲を確認した。


(あれからどうなったんだ!? ドラゴンは? って言うか、ここどこだ!?)


 三つ並んだベッド、壁にかけられた時計、枕元のランプ。

 どれも見覚えがある。俺の考えが正しければ、ここはこの世界に来て一番長くお世話になっていた部屋だ。

 あれから何があったのかは分からないけれど、ここが予想通りの場所だとしたら、さっぱり意味が分からない。距離でいえば、エンブラのほうが圧倒的に近かったはずだ。

 混乱した頭で考えていると、もぞもぞと足元で何かが動く気配がして、誰かが俺に飛び掛ってきた。


「裕也、よかった! 目が覚めたのね!」


「姉貴?」


 近くで見張りでもしてくれていたのか、飛び掛ってきた姉貴にそのまま抱きつかれ、肋骨がギシギシと悲鳴をあげる。

 喜んでくれるのは嬉しいけど、出来れば今すぐ離してほしい。姉貴のステータスを見たことはないが、絶対腕力のランクはおかしいことになってるはずだ。


「ちょ、苦し……」


 ギブアップの意味を込めて何度もタップしたのだが、何を勘違いしたのかますます強く抱きしめてくる。やばい、折れるって。

 身の危険を感じて強引にでも引き剥がそうと決意すると、姉貴の大声に気付いたのか、廊下からドタドタと複数人の足音が聞こえてきた。足音は一直線に部屋の前にまで近づくと、そのままノックもなしにドアが開き、一斉に人がなだれ込んで来る。

 未だに離れない姉貴の上から母さんが抱きつき、親父がワシャワシャと頭を撫でてきた。爺ちゃんは思いっきり背中を叩いてくるし、セリーは隣で喚いている。


「って、セリー?」


「そうですよ! もー、急にユーヤさんが運び込まれてきた時はびっくりしましたよ! だって日数的にはそろそろエンブラについた頃かなー、って思ってた時にですよ!? 一体何があったのかと……」


 尚も喋り続けるセリーは置いておくとして、やっぱりここは《銀の稲穂亭》のようだ。何で態々アルラドまで戻ったのだろう?


「で、あの後何があったんだ? ドラゴンは?」


 俺は一向に状況が掴めていないというのに、誰も説明してくれる様子がない。仕方がないのでこっちから聞いてみたのだけど、誰かが答えてくれる前にまた新たな来客が現れた。


「おお、目が覚めたか。まあ初めての魔力欠乏症だったみたいだし、しばらくは無理しない方がいいぞ」


 開けっ放しのドアから入ってきた四人組。その先頭にいた男が俺の方に向かって手をあげる。

 確かドラゴンを相手に魔剣を振るっていた人だ。あの時も思ったが、見覚えがある。ええと、確か。


「もしかしてバールさん、でしたっけ?」


「覚えててくれたか」


 よかった、合ってた。それにしても、何であんなところにいたんだ?


「色々と聞きたいこともあるだろう? 全部説明しよう」


 そう言って近くの椅子を引き寄せ、腰をかける。バールが近づいてきたので、姉貴たちも俺から離れてくれた。助かった。


「お願いします」


 頷き、説明を始めるバール。ドラゴンの以前からの目撃情報のことや、俺たちと初めて会ったときはそれを調査している最中だったこと。全滅した騎士団に討伐隊の結成、姉貴たちとの再会、そしてドラゴンとの戦い。

 そして俺が最後に放ったスキルでドラゴンを倒し、力を使い果たしたかのように倒れたこと。それから二日経っているということも。

 全く記憶にないが、あの技でドラゴンの頭部はほぼ消し飛んだらしい。


「君が倒れたのは急性の魔力欠乏症によるものだ。人は誰しも大なり小なり魔力を持っている。これが急速に失われると体調を崩し、ひどい場合には君のように倒れてしまうわけだ。まぁ、あんな大技を使ってはな。すぐにポーションを飲ませたし後遺症が残るようなことはないだろうが、魔力が全快しても少しの間は倦怠感が残るだろう。しばらくはゆっくりと休んだほうがいい」


 どおりで体がだるいわけだ。このまま寝てれば治るのだろうか? それにしても。


「あれから二日しか経っていないと仰いましたがここ、アルラドですよね? そんなに早く移動できるものなんですか?」


「それはうちのセツナの転移スキルを使ったからだ。君が倒れた後すぐに外傷は治して、全員を順番にアルラドまで転移させたんだよ」


 転移スキル? スフィの話じゃかなりレアなスキルって聞いたけど。


「でも何でアルラドへ? 距離で言えば、エンブラの方が近かったんじゃ?」


 そう尋ねるとバールはたはは、と困ったように頭を掻いた。


「君たちはエンブラに向かっていたんだって? 俺も出来ればそうしたかったんだが、それがこのスキルの不便な所でな。飛べる場所には制限があって、しかもその場所を設定するのにやたらと手間がかかる。仲間のもとに飛ぶ分には問題ないんだけどな。俺達がいつまでもアルラドを拠点とし続けている理由がそれだ。危険な目にあって離脱しようとしたり、今回のような緊急時にはどうしてもこのスキルに頼ることになる。そうなるとアルラドに戻ってしまうんだ。やっぱりいい加減再設定すべきだよなぁ。どうだ、セツナ?」


 そこで話題を振られたセツナは、無言で立ったまま舟を漕いでいるだけだった。


「ああ、うん……。話はこれで以上だ。そうそう、ヨイセンさんは無事エンブラに辿り着いたと、向こうの冒険者ギルドから連絡があった。それとドラゴン討伐に関する報酬やら事情聴取やらも纏めてギルドから連絡があると思う。ドラゴンを倒した技、俺は見れなかったんだが、凄かったみたいだな。こいつらも初めて見たと言っていたし、職業固有のスキルか? 機会があったら見せてくれよ」


 そう言ってバールは立ち上がった。


「最後になって悪いが礼を言わせてくれ。俺達全員お前に命を助けられた。君たちなら必要ないかもしれんが、何か困ったことがあったら指名依頼してくれ。格安で請け負うよ」


 手を振ってバール達が去った後、セリーも宿の仕事があるからと出て行き、残ったのは家族の皆だけになった。

 まだ体はだるいし、本当なら今すぐ寝たいところだけど、これだけは言っておくべきだよな。


「ええと、心配かけてごめん」


 即座に降り注ぐ四つの拳骨。


「痛ぇ……!」


「ま、これで許してやろうかの。実際わし等も助けられたわけじゃしの」


「まったく、もしまた同じようなことしたら殺すから」


 俺ももうあんな無茶はしたくない。と言うか姉貴、それ無茶苦茶だぞ。


「ちゃんと反省していますか? とりあえず私がいいと言うまで一切の外出を禁止しますからね」


 表情はいつも通りの笑顔だけど、目が全然笑ってない。

 そしてそれは具体的にいつ頃までですか、母さん。


「そうだ! 最後に裕也が使った技、あれ何? あんたいつの間にあんなことできるようになったのよ?」


 俺が母さんの剣幕に押されて首を上下に振っていると、姉貴がまた詰め寄ってきた。

 なるほど。それが早く聞きたくて、すぐ傍でスタンバっていたのか。悪いけど、俺もよく分かってないんだ。


「まあまあ、後でいいじゃないか。裕也もまだ疲れているだろうし。今後のこともギルドからの連絡があってからってことで、今日はもう休ませてあげよう」


 親父の言葉に渋々と離れる姉貴。

 ナイスだ親父。


「ちぇっ、じゃあさっさと治すのよ。今回だけ特別に、食事も部屋まで運んでもらるよう手配したから」


 それはありがたい。ついでに言うと、姉貴は治るまで部屋に入らないでくれるとなおありがたい。

 それから全員が二言三言言葉を交わし出て行き、ようやく部屋が静かになる。


「……振り出しに戻った気分だ」


 あんなに苦労したのに、またアルラドに戻ってきてしまった。エンブラに行くためにはもう一度あの道を行かないといけないのかと思うと、憂鬱な気分になる。


(まぁ、それでも)


 ――皆無事でよかった。

 一歩間違えれば全滅していてもおかしくはなかった。

 でもこうしてまた皆と一緒に冒険が出来る。一緒に家に帰れる。



 確かな満足感を胸に、俺は目を閉じた。





   ◆





 裕也の眠るベッドサイドテーブル。

 その上にはボロボロになった服の他に、裕也のギルドカードが置かれていた。

 あれ程の戦いに巻き込まれたにも関わらず、その表面には傷一つない。

 眠る裕也以外誰もいないはずの部屋の中で、表面に刻まれた文字がじわりと変わっていく。




 名前:帯刀裕也  冒険者ランク:D

 職業:学生  職業レベル:一九

 称号:ドラゴンスレイヤー

    精霊に見守られし者

『学び、生きよ。そして――』




 変化が終わると、最後の一文だけが赤く輝き、溶けるように消えていった。




   ◆




「おいおいおい、マジかよマジかよ!」


 興奮で顔を赤く染め、モルトンは走り続けていた。既にエンブラなど遥か後方である。


「マジでやりやがったよ! たかがDランクが!」


 裕也がドラゴンを倒したのを崖の上から見届けたモルトンは、それからほとんど休息も取らずに走り続けていた。


「間違いねぇ! ありゃ【ドラゴンブレス】だった! 止めを刺したってことは、称号も得ているはずだ!」


 裕也の口から放たれた輝きを思い出す。今まで何度も間近で見たことがあるのだ。間違いない。

 人の身であれを使える人間など、モルトンは他に一人しか知らなかった。


「アキナもよかったが、あいつはそれ以上だ! 仲間になってくれねぇかなぁ! いや、無理だったらそれでもいい! それでもいいんだ!」


 脳裏に浮かぶのは己が最も尊敬し、信仰している人物。

 志を同じくするメンバーで結成した【チーム】、そしてその集合体である【ファミリー】の纏め役。


「リーダー、これ聞いたらどんな反応するかなぁ! あいつに会ったらどうするかなぁ!?」


『クギャアアア!?』


 偶々進行上にいた不運な魔物を一瞬で肉塊に変え、心の底からの笑みを浮かべながら、モルトンは走り続けた。

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