第20話 雨天、激闘 5
「やるねぇ、アキナ! 新人とは思えないよ!」
振るわれる前足を掻い潜りながら、まるでそれぞれが独立した生き物のように縦横無尽に両腕を振るうリタ。彼女の腕が振るわれるたびにドラゴンの鱗が少しずつ削られていき、今ではその身にまで傷が達している。
「それはどうも! それよりいつまで続けんのよ、これ!」
最初の攻撃で自分の剣が全く通らず、すれ違い様にリタから予備の短剣を受け取っていた晃奈が吠える。
初めのうちこそ多少ぎこちなかったその動きも、レインのフォローもあって、今ではリタと違和感のないレベルで連携が取れるようになっていた。
(でも。このままじゃ……!)
ジリ貧だ、と晃奈は感じていた。
確かに刃は肉に達しているが、とてもダメージを与えているような気がしない。セツナの魔法もドラゴンにしてみれば目が開けられない、鬱陶しいといった程度のレベルだろう。レインに至ってはドラゴンの攻撃を止める、いなすことに集中しており、ほとんど攻撃すらしていない。
今はまだドラゴンが地上に留まってくれているが、もし空中に逃げられたらこの均衡は一気に崩れる。そうでなくともこのまま続けていれば、こちらの体力の方が先に尽きるのは明白だ。
晃奈の顔に少しずつ焦燥の色が浮かんできた時、突然ドラゴンがビクリと体を震わせ、まるで錆び付いた機械のように動きが遅くなった。
「え? 何?」
攻撃の手は止めないまま、思わず驚きの声を上げる晃奈。それに答えたのは得意げな笑みを浮かべたリタだった。
「アタシとあんたが使っている短剣、パラライズマンティスの鎌から作られた特別製でね! ここまで時間がかかったのは初めてだけど、斬り付けた相手を麻痺状態にすることができるのさ! バール、今だよ!」
リタの叫びに応えるように、今まで一歩も動いていなかったバールが大剣を抜き放ち、正眼に構える。
非常に幅広な形状をしたその大剣からは黒い輝きが噴き出し、赤い光の管がまるで血管のように刀身上で脈打っている。
「来るぞ、二人とも離れろ!」
レインの叫びに晃奈とリタが弾かれたようにドラゴンから距離を取る。と同時にバールが駆け出した。
ドラゴンへと駆けるバールとすれ違い、後方で戦闘の様子を見守っていた家族の側に晃奈が移動すると、その横に立ったリタが口を開く。
「そしてあれがアタシらの、バールの切り札。魔剣グロリアス。普段は普通の剣なんだけどね。一定量魔力を注ぎ込むとああなるのさ」
バールがドラゴンの眼前で跳躍し、剣を上段に振りかぶる。噴き出した黒い輝きはバールの数倍もの大きさの刀身を形作り、剣を持つバール自身からも黒い輝きが溢れ出る。
吹き荒れる圧倒的な力の波動。
『グオオオオオオッ』
ドラゴンもその剣の脅威に気付いたのか何とかその剣を避けようとしているが、その身に回る麻痺毒のせいで思うように体が動かないようだ。
「ぜやあああああああああっ」
全員が固唾を呑んで見守る中、必死に身を捩ろうとするドラゴンの首めがけて、巨大な黒い大剣が振り下ろされた。
◆
「今何か聞こえなかったか?」
「あ? マジか?」
不意に何か音が聞こえた気がして、足を止めた。耳をすませると、遠くのほうから雨の音に混じって異質な音が聞こえる。
「こりゃ戦闘音だな。しかもかなりでかいやつが暴れまわってやがる」
モルトンにも聞こえたのか、目を閉じ音に集中すると、何の音なのかすぐに割り出した。
「十中八九、ドラゴンだ。誰かが足止めしてくれてるってんならありがてぇ。このままエンブラまで突っ切るぞ。おい、どうした?」
誰かが戦っている? あの怪物と?
(まさか姉貴達じゃ)
そう思った瞬間、俺の足は音の聞こえる方向に向かって駆け出していた。
「どこ行くつもりだ、馬鹿野郎!」
後ろからモルトンの叫び声が聞こえる。
ああ、言われなくたって分かってる。馬鹿野郎だ。
ニーラスとトリズの最後が脳裏に浮かぶ。ドラゴンの姿を思い出すだけで体が震える。
死にたくない。絶対に死にたくない。でも家族が死ぬのも絶対嫌だ!
それまでの疲労も忘れて、音のするほうに向かってひたすら走る。
もうすぐそこだ。音は目の前の崖の下から聞こえてくる。
走る勢いのまま崖から飛び降りようとさらに速度を速めた瞬間、何かに足を払われ盛大に地面に叩きつけられた。
「ぶへっ!?」
「本当の馬鹿野郎か、お前は? 少しは考えて行動しやがれ。手前が死にてぇんなら勝手だが、飛び降りるにしても様子くらい見てからにしろ」
一体いつの間に追いついたのか、足を払ったのはモルトンだった。苛立たしげに呟くと、そのまま倒れている俺に近寄ってくる。
「意外だな。俺のことなんかに構わず、逃げてるかと思ったのに」
こいつが俺に付き合う理由が分からない。
俺が訝しげな顔をすると、パンパンと頭を叩いてきた。
「手前も中々いい素材だからな。アキナには及ばないが、期待しているんだぜ?」
(何言ってるんだ? こいつ)
「何だ、その面は。それより見ろ、アキナだ。他の連中も一緒だな。一緒に戦ってるのは誰だ? とんでもねぇな、ドラゴンを押さえ込んでやがる」
腹ばいになったまま、モルトンと一緒に崖下を覗き込む。確かに皆いる。
そしてそこでは俺の到底及びもつかないレベルの攻防が繰り広げられていた。
ひっきりなしに撃ち込まれる氷の矢。あの巨体から繰り出される攻撃を危なげなく受け止める戦士、そして遠目に見てもとんでもないスピードで駆け動く二人。
あのまま飛び出していっていても、絶対に何も出来なかった。とても割って入るなんてできそうにない。
惹きこまれるようにその戦いを見ていると、不意にドラゴンが痙攣し、その動きが劇的に遅くなる。即座に距離を取る姉貴達と、禍々しい輝きを放つ大剣を携えて走り出す大男。
(あれ? あいつどこかで見たことがあるような……)
「魔剣っ……」
見覚えのある姿に記憶を探っていると、大男の持つ剣を見たモルトンが、呻くように呟いた。
「嘘だろ? マジかよ。発動状態の魔剣なんて、滅多に見れるもんじゃねぇぞ……」
モルトンがこんな風に驚くなんて意外だ。常に余裕しゃくしゃくといったイメージがあったのに。
「凄いのか? その魔剣って」
確かに見ただけでやばそうなのは分かる。まるでゲームのラスボスが持っているような剣だ。
「魔剣ってのはその存在自体もレアだが、ただ持ってるだけで使えるってわけじゃねぇんだ。剣に選ばれた者しかその全力を発動させることはできねぇ。そして発動させなきゃ、そこらにある普通の剣と変わらねぇんだが。まさかこんなド田舎で……」
俺達が固唾を呑んで見守る中、大男がドラゴンの目の前に跳び上がり、剣を振り上げる。
俺でも分かる。あのタイミングは絶対にかわせない!
「ぜやあああああああああっ」
大男のここにまで聞こえてくるほどの雄叫びが聞こえ。
――次の瞬間、一体何が起こったのか全く理解できなかった。
あの剣は確実にドラゴンの首目掛けて振り下ろされていたし、ドラゴンの方にもそれをかわせる余裕はなかったはずだ。
巨大な黒剣が振り下ろされたその瞬間、ドラゴンとの間で爆発が起こり、その爆風でドラゴンと男がそれぞれ反対側に吹き飛ばされた。
振り下ろされた剣は狙いを逸れ、ドラゴンの片翼を斬り飛ばし、胴体に大きな傷を与えている。しかし。
「駄目だ! まだ生きてる! 何が起こったんだ!?」
「野郎っ、強引にブレスを撃ちやがったんだ! 収束しきってない魔力を爆発させやがった! 自爆みてぇなもんだぞ、何てやつだ!」
モルトンの言葉通り、満身創痍ながらもゆっくりと立ち上がったドラゴンの頭部はボロボロだった。角と牙は折れ、口からはダラダラと血を流している。しかし、その瞳に映る戦意はまだ喪失していない。
ドラゴンは倒れ伏したまま動かない男を一瞥すると、姉貴達の方に向き直った。残った片方の翼を広げ、息を吸い込むように首をもたげる。即座に氷の矢が現れ、傷ついたドラゴンの頭部に降り注ぐが、気にも留めていない。
「おい、何考えてるんだ? 馬鹿な真似はよせっ」
気がつくと、俺は立ち上がっていた。
◆
バールが吹き飛ばされてドラゴンが起き上がるまで、晃奈達は誰一人として動けなかった。
一体何が起こったのか分からず、呆然としていたのだ。それは熟練の冒険者であるリタ達も同様であった。今のは確かに必殺の間合いだったはず。
ドラゴンが翼を広げ首をもたげた時、真っ先に我に返ったのはセツナだった。
即座に【アイスアロー】を発動。先ほどまでとは違い、傷ついた頭部に氷の矢が次々と突き刺さる。それでもドラゴンの動きは止まらない。
「駄目っ、無視!」
「セツナ! 彼女達と飛べ! バールの命令だ!」
焦ったように叫ぶセツナに、レインが大声で怒鳴った。
「っ、でも!」
「早くしろ!」
泣きそうな顔でセツナが地面に両手を当てると同時に、そこを中心に巨大な魔法陣が現れた。
「間に合わない!」
ドラゴンの口内が赤く輝く。
今まさにブレスを放たんとするドラゴンの姿を見て、セツナが絶望的な声を上げる。
「くそっ、【プロテクション】!」
レインが最前列で盾を構え、それを後ろから支えるようにしてリタが立つ。
加奈子が晃奈を守るように後ろに抱え込み、進士と斎蔵がさらにその前に立ち塞がる。
(最後に裕也に会いたかったな。あの子、ちゃんと一人で帰れるのかな?)
その場にいた全員が死を覚悟した瞬間、晃奈が考えていたことはそれだけだった。
このドラゴンはもう大丈夫だ。片翼も失い、既に満身創痍だ。裕也ならきっと逃げ切れる。
安心と心配の混じったような、しかし穏やかな気持ちでドラゴンの方を見つめる。
そしてドラゴンが口を開き、ブレスが放たれる寸前。
「こっち向け、この野郎ぉぉぉっ!」
上から降ってきた誰かの叫び声にドラゴンが顔を向け、声の主がその赤い輝きに飲み込まれるのが見えた。
「裕、也……?」
◆
体が自然に動いていた。勝算があったわけでも何でもない。
ただこのまま何もしなければ、皆が死ぬ。そう気付いた瞬間、俺の足は地を蹴り、宙に飛び出していた。
前にブレスを撃ったとき、ドラゴンはしばらくその場を動こうとしなかった。ブレスの反動のせいなのか、それともまだ子供だからなのかは分からないけれども、十分に逃げ出せる時間だ。
とにかくこの一発を外させる。注意を引かないといけない。
「こっち向け、この野郎ぉぉぉっ!」
今まで生きてきて、一番大きな声を出したと思った。そのかいもあって、ドラゴンがこっちを向く。
ドラゴンの口が真っ赤に光り、全身が信じられないほどの痛みを訴えた。
(俺、このまま死ぬのかな)
当然だ。馬車を吹き飛ばし、地面を溶かすような攻撃だ。むしろこんなことを考えられる余裕があるほうがおかしい。
(嫌だなぁ。皆と一緒に、帰りたかったなぁ)
後悔はある。それでもこれで他の皆が助かると思えば、奇妙な満足感があった。
視界が白く染まる。もしかしてお迎えがきたのだろうか。
(あの世ってのが本当にあるのなら、出来れば天国に行きたいな)
◆
「裕也ぁぁぁぁっ!!」
見間違うはずがない。ブレスの輝きによる逆光で分かり難いが、あれは絶対に裕也だという確信が晃奈にはあった。
自分を抱きしめる加奈子を振りほどき、前に飛び出す。
そこで気がついた。なぜこんなに余裕があるのだ? 以前見たドラゴンのブレスは、一瞬で前方を薙ぎ払っていなかったか?
「精霊……?」
呟いたのはセツナだった。
大量の白い光の粒が集まり、まるで繭のように裕也を包み込んでブレスを防いでいる。
ニーラスが纏っていたものとは輝きの規模が違う。少しずつ明るさを増すその光の繭は、今やドラゴンのブレスすら上回る輝きを放っていた。
やがてブレスが途切れ、全ての力を振り絞ったかのようにドラゴンの体から力が抜ける。
繭が消え、ゆっくりと、裕也がドラゴンの前に降り立つ。服は破れ、体のいたるところに火傷を負っているが、命に別状はなさそうだ。
皆が歓喜と驚きの声を上げ中、裕也はドラゴンを見据えたまま軽く腰を落とした。
たった今自分の身に何が起こったのか、裕也自身にも正確には分からなかった。ただ何かが自分を守ってくれたおかげで、ドラゴンのブレスを耐え切ることが出来た。それは理解できた。
そして気付く。ブレスを耐え切った直後、自分の身に決定的な変化が起こった事を。
誰かが自分の名前を叫んでいる。しかし、裕也はドラゴンから目を離さなかった。
まだ生きている。そして今しか好機はない。
腰を落とし、足を踏みしめる。大きく息を吸い込むように上体を逸らし、『それ』をイメージする。吐き出すのは息ではない。圧縮した魔力だ。
(そういや姉貴が言ってたな。使えて当然というような気持ちになる技のリスト、だっけ? これがそういうことか)
脳裏に浮かぶそのスキル名と全容。
突然のことだったが、それは昔から当たり前に出来ていたことのような、とても自然なことのように思えた。
【ドラゴンブレス】
吐き出された魔力の奔流は、ドラゴンの放っていたものと違い、白く眩い輝きを放っていた。




