第19話 雨天、激闘 4
「あの洞窟の中だね。奥に六人、手前の方に一人いる」
茂みを抜けた先に見える洞窟。岩肌の亀裂のように見えるその入り口を見ながら、茂みから顔だけ出した進士が小声で呟く。
「手前の一人は見張りじゃろうの。外から姿は見えんが」
「やっぱり盗賊かしら」
「仮に盗賊でも人数も分かってるし、何も問題ないわ」
他の三人も同じく茂みの中に身を隠しながら会話をしていたが、晃奈が足元の石を拾い上げたところで全員が口をつぐんだ。
「……晃奈?」
「だとしたら態々狭い洞窟内で戦う必要もないわね。これで出てくるでしょ」
言うや否や洞窟に向かって投げつける。
入り口に投げ込まれた石は、内側の壁に当たり結構大きな音を響かせた。固唾を呑んで見守る全員の前で、背負った大剣に手を添え、周囲を警戒しながら一人の男が出てくる。
「あら? あの人は確か」
「はっはっは! いや、まさか全員で冒険者になっているとは。とんでもない一家だな!」
大きな声で笑いながら、男は心底愉快そうに自分の膝を叩いた。
洞窟から出てきたのは、晃奈達がこの世界に来て初めて出合った人物。バールだった。
案内されるままに洞窟の奥に向かうと、そこには彼のチームメンバーと、泥だらけの姿になってはいたが元気そうなダルノとヨイセン、セリナの姿もある。
バールと入れ替わりに見張りに立ったリタと進士を除いた一行は洞窟の最奥部で、灯りを発する魔道具を中心に車座になって座り、情報の交換をすることになった。
「しかし冒険者になって約一ヶ月で、こんな辺境の地でドラゴンと遭遇か。命があるとはいえ、運がいいのか悪いのか」
大仰に頷いてみせるバールだったが、そんな彼の態度は実際にその脅威を目の当たりにしてきた晃奈達にとって、危機感が足りないように感じられた。
「何呑気なこと言ってるの? そのドラゴンはまだ近くにいるのよ。少し休んだらすぐにエンブラに逃げないと」
ヨイセンやセリネが無事だったことは素直に嬉しいが、肝心の裕也がまだ見つかっていない。その苛立ちもあって晃奈は辛辣な口調でバールに詰め寄ったが、彼の返答は晃奈の予想とは全く異なっていた。
「そうはいかないな。我々は討伐隊が到着するまで、そのドラゴンの足止めをする為にここにきたんだ」
「は?」
晃奈だけではなく斎蔵や加奈子も呆気に取られた顔をする。先に合流していたダルノ達は既に聞いていたのか、特に驚いた様子はなく気難しげな顔をしているだけだ。
「実は以前からこの周辺で大型の生物の目撃報告が相次いでいてな。俺たち冒険者だけではなく騎士団でも調査が進められていたんだが、つい先日功を焦ったアルラドの騎士団がそれに襲われて全滅した。唯一の生き残りの報告でそれの正体がドラゴンだと分かり、滅多にないことだが正式に騎士団との共同戦線が張られることになったんだ。教会からの許可も出たし、今頃エンブラでは討伐隊が組まれている頃だろう。我々はその討伐隊の準備が整うまでの間にドラゴンが他の地域に移動したり町を襲ったりしないように時間稼ぎ。まぁ、要するに手傷を負わせよって内容の指名クエストを受けたんだ」
一通り話し終えると、バールは足元においてあった灯りを発する魔道具を手に取る。
「たった四人でその大任を? あれはそんな生ぬるいものではなかったぞ」
斎蔵の目から見ても、この護衛クエストに参加していた冒険者たちのレベルは決して低くはなかった。そんな一行を、たった一体で一方的に蹂躙した存在。
バール達の実力は分からないが、僅か四人の人間で相手できるとは思えなかった。
斎蔵の懸念にも、バールは特に気負う様子もなく魔道具をいじりながら答える。
「報告にあったサイズ、鱗の色、行動パターンから、ギルドは対象を炎龍の幼体と判断した。そこのダルノ君からの話で間違いないと確信したがね。それならば我々だけで十分可能な難易度だ。万が一でも最低限逃げ切ること程度なら――」
そこで何か重要なことに気付いたように「あ」と、声をあげ手を止める。口を開けたままぐるりと全員を見回し、最後にセツナの方を向く。
「あー、しかし君達がいるとなると話は別だな。確かにちょっと困ったかもしれん。セツナ、どうだ?」
困ったような顔でバールがセツナに話しかけると、時折舟を漕いでいたセツナは眠そうな半眼のまま答えた。
「無理。変わっていない。私を含めて五人が限度。遭遇時には即時撤退させるべき」
「だよなあ」
淡々と告げられた内容にバールはガシガシと頭をかき、しばらく黙考する。やがていい案が思いついたのか、やおら立ち上がるとその場にいる全員に告げた。
「よし、もう少ししたら我々はやつの相手をしてくる。君たちは真っ直ぐにエンブラを目指せ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 君たちだけで戦うのは勝手だが、もし君たちが負けたりすれ違いになって、我々が襲われたらどうするんだ!? 今度こそ本当に全滅だ!」
バールの決定に、それまで黙っていたヨイセンが悲鳴のような声を上げた。
これまでどの冒険者たちより信頼していた《ハチェット》のメンバーは、ダルノを除いて生死不明。ドラゴンは今もその辺りをうろついていると聞いて、彼の精神は限界ギリギリの状態だった。
「ヨイセンさんだったか? 安心しろ。なるべく派手に引きつけるし、そう簡単に負けるつもりもない」
「しかしだね!」
「……ちょっと勘違いしていないか?」
勢いよく立ち上がり尚も食い下がろうとするヨイセンだったが、バールが発した鋭い眼光に射すくめられ、「ひっ」と声を上げると後ずさる。
「我々は我々のクエストを遂行している最中だ。優先されるのはそのクエストの達成と己の命。確かに君達のことは気の毒だと思うが、優先順位は下なんだ。冒険者は慈善事業ではない」
「うう……」
話は終わったとばかりに、バールはヨイセンから視線を逸らす。その時、震えながらヨイセンのズボンの裾を握るセリネに気付いた。
「うわ、しまった! もしかして怯えさせてしまったかな? すまんな、お嬢ちゃん」
先ほどまでの威容が嘘のように慌て始めるバール。それを見て苦笑するレインに、相変わらず船を漕ぎ続けているセツナ。どこまでもマイペースの一行の様子を見て、一同の間に弛緩した空気が流れる。
が、それも束の間。突如、ダルノが愕然とした表情で立ち上がるのと同時に、洞窟内に甲高い音が鳴り響いた。それに反応してバールたちも一斉に臨戦態勢をとる。
「リタの警告音だ。味方にしか聞こえない特殊な音を出すスキルなんだが、まさか見つかったのか?」
レインが入り口のほうを見据えながら呟く。
「ここがそう簡単に見つかるとは思えないんだが」
ふーむ、不思議そうな顔で一同を見渡したバールが、はっとした表情でまじまじと晃奈達の姿を見つめ始めた。
「あー君達。あんまり汚れてないなとは思っていたが、もしかして匂いを消してなかったりするか?」
「匂い?」
ポカンとした表情の晃奈と加奈子の横で、斎蔵が痛恨の表情を浮かべた。それを見てバールの表情も曇る。
「すぐに外に出よう。このままここが崩されたら終わりだ」
言うなり外に向かって駆け出したバール達の後を、他の皆も慌てて追う。
バール達の姿はあっという間に見えなくなり、遅れて晃奈達が通路を抜け外に出ると、武器を構えたバール達と進士の姿があった。
「シンシが言うには一直線に向かってきてるってさ。っと、言ってる間に」
親指で進士を指さしながら喋るリタが、何かに気付いたように振り返る。
「やれやれ、お出ましか」
首に手を当て、コキコキと音を鳴らしながら、バールがため息をつく。
「雨が降ってるというのに、とんでもない嗅覚だな。それとも野生の勘かな? 幼くてもドラゴンというわけだ。予定とは少し違うが仕方ない。レイン、リタ、注意を引け。翼を狙う」
応、と二人が頷いた瞬間、巨大な影が一同の頭上に射しかかった。
『グオオオオオッ』
周囲に突風を吹き荒らしながら、ドラゴンがゆっくりと舞い降りてくる。
咆哮による威圧を受けても、バールの余裕ある態度は変わらなかった。
「で、他の皆さんにはその間に逃げてもらおう。ここにいたら安全を保障できないんでね」
『グルルルル……』
地響きと共に着陸し、一同を睥睨するドラゴン。今まで相手にしてきた連中とは違うと気付いたのか、警戒するかのように身を低く構え、すぐには襲ってこない。
その隙にとダルナが再びヨイセンとセリネを担ぎ上げ、晃奈達も逃げ出すタイミングを見計らっていると。
「……【アイスアロー】」
最後尾にいたセツナの呟きとともにドラゴンの頭上に大量の氷の矢が現れ、その頭部に向かって殺到した。
『ゴアアアアッ!?』
「ちょっとセツナ! いつも言ってるけど、いきなり始めんじゃないよ!」
ドラゴンが頭部に撃ち込まれる矢の群れを振り払うように目を瞑ったまま頭を振りまわし、文句を言いつつもリタがその足元に向かって駆け出す。
「バール、これ通らなかったらアタシは逃げるからね!」
叫びながら腰から引き抜いた二本の短刀で後ろ足を数度斬りつけると、そのままドラゴンの後方に駆け抜けた。
「やっぱ硬いなぁっ、ほとんど斬れない」
言う通りほとんど刃は通っておらず、鱗に薄い線が走っているだけだ。しかしそれを見たリタは、満足げな笑みを浮かべた。
「ま、こんだけ通るなら十分だ」
呟くと再び構えなおし、ドラゴンに向かって駆ける。
『ゴアアアアッ』
ひっきりなしに頭部に撃ち込まれる氷の矢に視界を塞がれ、足元を跳ね回る小さな存在にチクチクと斬りつけられる。業を煮やしたドラゴンは、諸共周囲をなぎ払おうと体を回転させ、尾を振りかぶった。
「暴れるな」
しかし先の戦闘でルードとミロナを一撃で屠った凶悪な一撃は、盾を構えたレインによりしっかりと受け止められ、ドラゴンは自身に返ってきた予想外の衝撃で体勢を崩した。
――あのドラゴンと互角の戦いをしている。
全員が呆けたようにその戦闘を見つめていたが、再び攻撃を受け止められたドラゴンが体勢を崩した瞬間、その時に生じた轟音にダルノが我に返った。
「すまん、先に行く!」
そのままヨイセン達を抱えたまま走り出す。
「アキちゃん、私達も行くわよ」
それを見届けた加奈子が晃奈の肩に手を置いたが、晃奈はその場から動こうとしなかった。
「アキちゃん?」
「これ、私達も協力したら勝てるんじゃない? その後ゆっくり裕也を探せばいいわ」
目の前で繰り広げられる激闘。余人には遥か上のレベルの戦いに見えたが、晃奈は決して介入できないレベルではないと思った。
「晃奈、落ち着くのじゃ。そう見えるのは彼奴らの力が尋常ではないからじゃ。前の戦闘のことを思い出せ」
「その通りだお嬢ちゃん。あんたならぎりぎり付いてこれるかもしれんが、ご家族の方は無理だ。さっさと立ち去ってくれないと、こっちも困る」
絶え間ない攻防が続けられる中、唯一不動であったバールが晃奈達の会話に割り込んできた。
「結構いい感じに見えるけど、あんた達でも無理なの? っていうかあんたは何で戦ってないのよ」
「今回俺は大技を出す役目なんでね。それとここまで善戦できているのは正直予想外だ。奴さん、不調なのかね」
不動ではあるが決して戦闘から目を離さず、背にした大剣の柄に手を添えたまま答える。
実際この攻防がここまで優勢になるとはバールも思っていなかった。当初の予定では他の三人に軽く注意を引いてもらい、隙を見て翼膜でも切り裂いたら即時撤退するはずだったのだが、こうなると欲が出てしまう。
いかんいかん、希望的観測で物事を見るなとバールが内心で思っていると、横でアイスアローを放ち続けていたセツナが何かに気付いたように呟いた。
「頭部、何らかのデバフ(弱体)効果。……呪い?」
その言葉につられて全員がドラゴンの頭部を注視する。
「なるほど、確かに呪いくさいな。それもかなりえげつないやつだ。命でも対価にしたか?」
その場でそれが見えたのは口にしたセツナ、そしてバールと晃奈だけだった。彼らが注意して見ると、確かに薄らと何か黒い靄がドラゴンの頭部からにじみ出ているのが分かる。
バール達が知る由もないが、それは先の戦いでヴィラルが己の命を犠牲に放ったスキル【サクリファイス】によるものだった。使用者の命を糧に放たれたそれは対象を内側から蝕み、死に至らせる。ドラゴンという種の強靭な抵抗力によって本来の効果が発揮されてはいないが、それでも影響は大きい。
周囲の地形、仲間達の調子、ドラゴンの戦闘力、そして謎のデバフ効果。全てを計算してバールは決断した。
「アキナ、といったなお嬢ちゃん。前言撤回で悪いが協力してくれ。他の三人と一緒に注意を引いてくれるだけでいい。俺が仕留める」
逡巡はなかった。言われるやいなや晃奈は剣を抜き、バールの横に並ぶ。
「……その大技ってやつ、信じてもいいのね?」
「俺にそんなことを言うやつは久しぶりだ。こう見えてもアルラド最強の冒険者さんだぜ?」
「自称は信じないことにしてるの。ついこの前も最強のCランクさんに会ったところなのよ」
軽口を叩きながら、リタたちの連携を観察し、突入のタイミングを測る。
「アキちゃん、何を言ってるの!? さっきあいつに何人殺されたか見ていたでしょう! 逃げるのよ!」
駆け出しそうとした晃奈を止めたのは、加奈子の一喝だった。
「私達の受けたお仕事はヨイセンさん達を無事に送り届ること。あんな怪物、あなたが相手にする必要なんかない。バールさん、あなたも私達を巻き込まないで!」
「か、加奈子さん落ち着いて……」
自らも晃奈を止めようとしていた進士だったが、滅多に見ない加奈子の激昂ぶりにオドオドとしている。
だがそんな加奈子に、晃奈はとても静かな声で語りかけた。
「母さん。正直、私はヨイセンさんとかどうでもいいの。もっと言うと、ここでバールさん達が負けて殺されても別にどうでもいい」
「え」
その言葉に流石のバールも驚いたように晃奈の方を見たが、努めて平静にドラゴンの方に向き直る。
「ここでドラゴンに手傷を負わせられようが無理だろうがどうでもいい。でもその後こいつが裕也に遭遇したら? 裕也が逃げ切れなかったら? そうならない為に、ここで仕留められる可能性があるのなら、全力で協力する。母さんにだって邪魔はさせない」
晃奈の瞳に剣呑な色が浮かびかけたとき、斎蔵がそっと加奈子の肩に手を置いた。
「ならば止めはせん。じゃが、わしらも逃げん。そして無理じゃと判断したら今度こそ強引にでも連れて行くぞ」
「構わないわ」
その言葉を最後に、晃奈はドラゴンの方に向かって駆け出した。
「安心してくれ。無理なお願いをしたのはこちらだ。何があっても絶対にあなた達を最優先に逃がすと約束する。セツナ、いいな?」
その場を取り繕うようにバールが声を上げる。
「……リーダーの決定に従う」
バールの言葉に、氷の矢を放ち続けるセツナが伏し目がちに答えた。




