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第18話 雨天、激闘 3

 駆ける。駆ける。森の中を遮二無二走り続ける。

 脇腹はキリキリと痛み、息はいくら吸っても足りないくらいだ。喉の奥が嫌な感じに乾燥し、油断すると吐いてしまいそうになる。途中で他の皆と逸れているのに気がついたが、それでも足は止めなかった。

 一体どれだけ走り続けたのか、不意に木の根に躓き、裕也は勢いよく転んでしまった。


「ハァ、ハァ。痛ぇ。あ、大丈夫か!?」


 転んだ際に抱えていた人物を放り投げてしまったことに気付き、慌てて駆け寄る。


「何、気にすることはない。私ももう長くはないだろう。丁度いい、ここに置いていくといい」


 そう言って投げ出されたニーラスは、木の幹に背を預けて座り込む。


「馬鹿言うな。ドラゴンからも大分離れたはずだし、あんた一人担いで行くくらい平気だ。それより何か回復系のスキルを持ってないのか? 魔力が足りないのなら、ポーションもあるぞ?」


 ゴソゴソと、腰にくくりつけていたマジックバッグから各種ポーションを取り出す。

 そこで初めて裕也はニーラスの容態に気付いた。

 お腹の辺りの肉が、内臓も含めてごっそりと削げ落ちている。傷口が炭化しているせいで出血がなく、今まで気がつかなかったのだ。


「ポーションでは無理だ。精霊魔術もそこまで万能ではない。あれはただ、その場にいる彼らの力を少し貸してもらっているだけに過ぎん」


 素人目に見ても分かる。もう助からない。

 裕也はせめて最後に話し相手になろうと、ニーラスの側に腰を下ろした。


「時々言ってるその彼らっていうのは、精霊のことなのか? ニーラスにはそいつらが見えるのか?」


 裕也が尋ねると、ニーラスは震える手でフードを脱いだ。

 中から現れたのは、長い金髪に緑色の瞳。そして特に目を引いたのが、人間とは明らかに形の違う、その尖った耳だった。


「……もしかして、エルフ?」


 裕也が軽い驚きを表すと、ニーラスはクックと力なく笑う。


「やはり君は面白いな。いや、君達か。思えばアルラドで《ハチェット》の面々を見た時も、ただ驚きと好奇心の目で見つめていたな」


 ひとしきり笑い、フーっと息を吐き出すとニーラスは真剣な目で裕也を見つめた。


「正確にはハイエルフだ。故あって郷の外に出ている。ユーヤ、精霊達が興味を示す者よ。君に頼みがある」


 そう言うと自身の耳につけていたイヤリングを外し、裕也に握らせる。


「これを私に所縁ある者に渡してほしい。心配するな、君ならば自分から探さなくとも、向こうが気付いてくれるはずだ」


「……分かった。他に何かあるか?」


 託されたイヤリングを懐に大事にしまいながら尋ねる。


「そうだな。もう少し話し相手になってくれないか。先ほどの質問にもまだ答えていない」


 口元を隠していた布も取り払い、ニーラスは楽しそうに裕也のほうを向く。


「精霊は世界の遍く所に存在している。ただそれを見ることが出来るのは、エルフの中でも限られた一部の者だけなのだ。そしてそれが出来るものだけが、精霊魔術を使える。実のところ、精霊魔術というのはスキルではないのだ」


「スキルじゃない? どういうことだ?」


 ニーラスの声から少しずつ力が失われていく。それでもニーラスは話すことをやめようとはしなかった。


「精霊魔術というのは、その場にいる精霊に呼びかけ、その力を借りることで発動する。自身の力ではない。故に精霊に好かれていれば威力は上がり、逆に嫌われていれば何も起きない」


 そこでゴホゴホと咳き込むニーラス。裕也が慌てて背中を擦ると、ニーラスは続きを話し始める。


「先ほどのブレス、撃たれる前に赤い光が見えた。火属性の攻撃だと思い、火の精霊に呼びかけ防いでもらおうと思ったのだが」


「違ったのか?」


「ああ。属性は固体毎による付加効果だ。あの技は単純に桁外れの魔力を圧縮し、口から放っているだけだった」


(体内の魔力を圧縮し、放つ。それだけであの威力か)


 抉れた地面を思い出し、裕也は改めて体を震わせる。


「実は私はそこまで精霊に好かれていなくてな。だがそれでも多少威力は軽減できたようだ。本来ならば全滅していてもおかしくはなかった」


「そうだったのか。ありがとう」


 馬車を吹き飛ばすほどの攻撃を受けて裕也たちが無事だったのは、ニーラスのお陰だったのだ。裕也は改めて礼を言う。

 礼を言われたニーラスはフッと笑うと、再び裕也の手を取った。


「……?」


「最後に君にスキルをかけさせてくれ。古の盟約により、精霊は人間を助けることを許されていない。例外を除いてな。このスキルは君をその例外へと変化させるスキルだ。【精霊の加護】」


 その言葉と同時に、ニーラスの体が白く輝き始める。得体の知れないスキルをかけられようとしている裕也だったが、振りほどく気にはならなかった。

 ほんの少しの間しか話していないが、彼が悪い奴には思えなかったからだ。

 それを見てニーラスは嬉しそうに、ますます笑みを深めた。


「あのドラゴンは成体ではない。ランクで表すならばAとBの中間と言っていいだろう。もしあの時我々が万全の状態で全員一斉に挑んでいれば、ああも一方的な展開にはならなかったはずだ」


 輝きがますます強くなっていく。


「最後に、彼らの姿を見ることは出来なくても、君になら進んで力を貸してくれるはずだ。ただし、彼らの力は強力だが、万能ではない。決して過信するな。」


 ニーラスを包む輝きがゆっくりと裕也に移っていき、目も開けられないほどの眩い輝きを放つ。


「長い旅路の果て、求める道を究められなかったのは残念だが、最後が森の中というのは救われる。母なる大樹に感謝を。――リーネ、最後に君に……」


 その言葉を最後に光が消え、ニーラスの体から力が抜ける。


「ニーラス? おいニーラス!」


 裕也はニーラスを慌てて抱え、声をかけながら脈を取ったが、反応がない。


「畜生っ!」


 次々と人が死んでいく。

 今朝までは何の問題もない旅路だったのに。

 退屈でしょうがなくていい、あの時間に戻りたい。

 裕也はニーラスを抱えたまましばらくそうしていたが、横の茂みからガサガサと音が聞こえると咄嗟に剣を構えた。


(魔物か? 来るなら来やがれ。ぶっ殺してやる)


 八つ当たりのような感情を発しながら音の鳴った方向を睨んでいると、その方向から知っている声が上がる。


「ンーン、いい殺気だ。だが剣は降ろしてくれよ、敵じゃねぇ」


「モルトン?」


 茂みを掻き分けて出てきたのは、先頭馬車にいたはずのモルトンだった。所々服が汚れてはいるが、特に外傷は見当たらない。


「生きてたのか」


「そいつぁ、こっちの台詞だぜ。お互い上手く逃げおおせたみてぇだな。そいつはニーラスか? 耳長族だったのかよ。アキナや他の連中はどうした?」


「うちのチームは皆生きてるよ。俺だけ逸れちゃったけどな。後は誰が生きてて、死んでるのかよく分からない。それより丁度いい、手伝ってくれ」


 そう言うと裕也は腰に差していた鞘を使って、地面を掘り始めた。


「何やってんだ?」


「埋葬するんだ。エルフの葬送方法なんて知らないけど、このまま野ざらしになんてしておけない。俺達の流儀で悪いけど、きちんと弔ってやりたい」


「酔狂だねぇ。悪いが俺は手伝わねぇぞ。亜人を弔う気なんかサラサラないんでね」


「っ、……そうか」


 衝動的に殴りかかりそうになる自分を抑え、作業を続ける。

 ここは日本でも、地球でもない。文化、宗教、倫理。あらゆるものが違うのだ。同調する気は全くないが、ムキになってその考え方も否定するのも違う気がする。所詮自分たちは余所者なのだ。


(帰りたい……)


 今まで何度も思った。だが、この時ほど強く思ったことはない。

 側で見つめるモルトンを無視して、裕也は穴を掘り続けた。

 雨は、まだ止まない。






「母さん、まだ見つからない?」


 先頭を行く晃奈が後ろを振り返る。晃奈が加奈子に向ける声音としてはとても珍しいことに、その声には苛立たしげな響きが含まれていた。


「うん。まだ範囲内にはいないみたい。ごめんなさい」


「そんな、加奈子さんは悪くないよ」


 裕也が斎蔵と進士を追って森に入ったところまでは確認している。ただその後雨による視界不良、ブレスの余波のダメージなど、いくつもの条件が合わさって早々に逸れてしまっていた。

 今は目を覚ました晃奈を先頭に、進士が加奈子に肩を貸し、斎蔵が後方を警戒しながら一列になって歩いている。


「手持ちのぽーしょんがほとんど馬車と一緒に吹き飛んでしもうたのが痛いのう。裕也はあの不思議な袋で、ある程度持ち運んでおるじゃろうが」


 最後尾を歩く斎蔵の顔にも疲労の色が浮かんでいるが、加奈子はそれ以上だった。目が覚めてすぐに【ヒール】で全員の治療を行い、その後定期的に【念話】の範囲内に裕也がいないかどうか確認しているうちに、魔力も底をつきかけている。

 魔力切れ。魔力欠乏症とも呼ばれるその症状は人によって微妙に異なるが、多くは極度の疲労感と倦怠感に襲われ、ひどくなると意識を失うこともある。魔力は一定時間が経てば少しずつ回復するが、加奈子は【念話】が発動できるまで回復する度にまた魔力が空になるまでスキルを使うので、ますます顔色が悪くなってきていた。


「加奈子さん、少し休もう。その調子だと、裕也が見つかる前に加奈子さんが倒れてしまうよ」


 進士が加奈子を気遣う声を背中で聞きながら、晃奈はギリっと奥歯をかみ締めた。

 ドラゴンの口が光ってからの記憶はなく、気がつけば斎蔵に背負われていた。裕也の姿がどこにも見えず、内心酷く取り乱したのがとても前のことのように感じる。


(雨のせいで時間が分かりにくい。あれから何時間経った? 裕也、怪我してないよね?)


 焦燥と苛立ちの混ざった心境で黙々と前を進む。

 目指す方向はエンブラだ。ここから一番近い町だし、裕也もそこを目指しているはずだ。詳しい場所は知らないが、大体の方向は馬車でスフィから聞いていた。ここからなら見過ごして通り過ぎるということもないだろう。


「皆一旦止まって。【念話】の範囲内に誰かいます!」


「裕也!?」


 それからどれだけ経ったのか、待ち望んでいた加奈子の言葉に晃奈が真っ先に反応する。


「いえ、【念話】に反応がないので、裕也じゃないみたい」


「僕の【危険察知】にも引っかかったよ。全部で七人、この先でじっと固まってる」


 残念そうに告げられた加奈子の言葉を、前方を見据えた進士が補足した。


「七人?」


 その情報に斎蔵が眉をしかめる。

 スキーフとトリズ、少なくともこの二人は目の前で死んだ。裕也がいないということは、抱えられていたニーラスもいないはずだ。

 もしその七人が一行のメンバーだとしたら、残りのほぼ全員が揃っていることになる。そこまで生存率が高いとは思えない。


「もしかしてこの辺りに住んでる盗賊、とかじゃないですよね……?」


 進士も同じ考えに至り、困ったような声をあげる。


「問題ないわ。万が一盗賊でもポーションか何かを持ってるかもしれない。皆殺しにしてでも奪い取るわよ」


 『皆殺しにする』。比喩ではない晃奈の本気のその言葉に、ピタリと動きを止める他の三人。

 そうしなければいけないことは分かっている。それでも自分の子供が、孫がそんな言葉を口にして、躊躇なくそれを実行しようとしていることには何ともいえない不安を感じる。


「心配しないで」


 足を止め、心配げに自分を見つめる三人の方に振り返って晃奈は呟いた。


「自分でもこの世界にあてられてるって、分かってる、でも改めるつもりはない。帰るまではね」


 少しの間見詰め合っていた四人だが、最初に口を開いたのは斎蔵だった。


「大丈夫そうじゃの」


 それだけを言うと歩き出す。


「アキちゃん、無理はしないでね」


「晃奈。その、うん。無理しないで」


 同じようなことを言って歩き出す加奈子と進士。


「うん。心配しすぎよ」


 苦笑してそれを追いかけ始める晃奈。

 四人の足取りは先ほどよりも軽くなっていた。




   ◆




「伏せろ!」


「げはっ!?」


 ニーラスを埋葬した後、俺とモルトンは一緒にエンブラを目指して歩いていた。

 姉貴たちなら絶対にエンブラに向かっているはずだ。町にさえ着けばギルドで待っていればいい。もしかしたら途中で母さんの【念話】に繋がるかもしれない。

 俺よりも道に詳しいというモルトンについて歩き始めてしばらく経つ。エンブラまであとどのくらいだろう考えていると、突然襟首を掴まれ地面に引きずり倒された。


「急に何すんだ!」


 口の中に入った泥を吐き出しながら文句を言う。

 モルトンは自分の口元に人差し指を当てると、鋭く睨みつけてきた。


「静かにしろ。少しでいい、息も止めてろ」


「?」


 言われたとおりに息を止める。そのまま身じろぎもせず数秒間じっとしていると、ザァッと頭上を大きな影が通り過ぎた。


「ドラゴン……」


「ありゃあまずいな。最初に見たときより、かなり速度を落として飛んでやがる。俺達を探してるのかもしれねぇ。ちょいと急ぐとしようかね。上の連中だって馬鹿じゃねぇ。流石にあんなのがいるなら情報の一つや二つ掴んでるだろ。エンブラの町に行きゃ、討伐隊くらい組まれてるかもしれねぇ。上手くいきゃ、こっちに向かってるそいつらと合流できるかもな」


 ドラゴンが飛び去ってさらに数分後、周囲の安全を確認してから立ち上がる。俺たちは無言で、そしてさっきよりも警戒しながら足を速めた。

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