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第17話 雨天、激闘 2

 体の震えが止まらない。

 あいつが何なのかは知っている。日本でも何度も見たことがある。テレビやゲーム、漫画の中で。

 でもあれは創作上の生物だったんじゃないのか? この世界はここまでファンタジーなのかよ。


「ドラゴン……!」


 西洋風と言えばいいのだろうか? 太い胴体に長い首と尻尾。大地を踏みしめる四肢に、大きく広げられた翼は、圧倒的な存在感を放っていた。

 どんな攻撃も通りそうにない、赤く巨大な鱗。触れるだけで引き裂かれそうな鋭い爪と牙。口元から血と涎を滴らせ、縦に裂けた瞳孔で次の得物を捜し求めている。

 俺が震えている間に二頭の馬を食べ終えたドラゴンは、今度はヨイセンとセリネを抱えたまま倒れているダルノに目をつけた。


(まずいっ!)


 震える体を叱咤して、何とか飛び出そうとする。だがそれよりも早く、ドラゴンの後ろから走り寄ったアクスがその右足に斧を叩き込んでいた。


「ダルノ、生きてるか!? 依頼人を最優先で逃がせ! 他のやつらも少し時間を稼いだら全員バラバラに逃げろ! 森の中に身を隠せ!」


 アクスの大声で目を覚ましたのか、顔を振りながら起き上がったダルノは二人を抱えたまま森に向かって駆け出した。

 一方ドラゴンは逃げるダルノ達に目もくれず、ゆっくりとアクスの方に首を向ける。

 全くダメージを負っているようには見えないが、それでも苛立ちは感じたのかもしれない。


「裕也、父さんの姿が見えないわ。崩れた馬車の中にいるのかもしれない。早く助けて逃げるわよ。御者さんもさっさと逃げなさい。前の御者さんは、とっくに逃げてるみたいね」


 横にいる姉貴が小声で喋る。

 生まれて初めてだ。姉貴の口から逃げるという言葉を聞いたのは。

 この瞬間俺は悟った。どう逆立ちしてもあの怪物には勝てない。

 後ろにいた御者が慌てて森の方に駆けて行くのを感じながら、崩れた馬車のほうに目を向ける。

 姉貴の言うとおり、親父の姿が見えない。母さんと爺ちゃんは馬車の残骸を掘り起こそうとしているみたいだ。


「分かった」


 俺は未だに震えている体を誤魔化しながら、姉貴と一緒に前に駆け出した。




   ◆




「アクス、やるのね? 教会が黙っていないわよ」


 問いかけながら剣を構えるミロナ。長年の付き合いでアクスがどう答えるかは分かっていた。


「ふざけんな。自分の命が最優先だ。大体俺は信者じゃねぇし、こいつを殺せるとも思ってねぇよ」


 予想どおりの答えに苦笑すると、二人並んで目の前の怪物を睨みつける。

 ドラゴン。Aランクの魔物だ。Bランクの冒険者がチームを組んで初めて、戦ってもよいとされるランクである。

 そう。戦ってもいいだけだ。普通何人で組もうが、上のランクの魔物に挑みはしない。モルトンが言ったようにランクの壁とは絶対なのだ。ましてや全員がCランクの【ハチェット】に万に一つの勝ち目もなかった。


「ある程度時間を稼いだら逃げる。死ぬのは御免だ」


「了解」


 そこまで話した瞬間、ドラゴンが前足を振り下ろしてきた。受けるという選択肢は存在しない。その巨体に見合わぬ速さに、二人とも慌てて後方に跳躍する。

 援護するように後方からヴィラルの矢が放たれるが、鱗に弾かれ傷一つ負わせられていない。

 叩きつけられた前足は地面に深い亀裂を生み、巻き上げられた小石がアクスの頬を打つ。


(おいおい、一発でも貰ったらアウトだぞ)


 何とか前足の攻撃をかわしたアクスが次の行動を模索するよりも早く、ドラゴンはぐるりと体を回転させ、今度は尾を振ってきた。


(くそが!)


 無理な跳躍で崩れた姿勢を戻す間もなく、再度後方に跳躍。何とか尾の範囲外に逃れることに成功する。しかし、未だ最初の回避行動中であるミロナは、その攻撃を避ける術がなかった。


「ミロナ!」


 叫んでもどうしようもない。ミロナも覚悟を決めたのか、宙で防御体制を取る。


「【プロテクション】!」


 その時、スキル名を叫びながら、迫りくる尾とミロナの間に淡い輝きを纏ったルードが飛び込んできた。両腕でその身の丈よりも巨大な盾を構えている。


「ナイスタイミングだ、俺!」


 ルードが守り、ヴィラルが射る。これがこの二人の基本的な戦闘スタイルだ。

 ルードは自身の防御力に絶対的な自信を持っていた。今まで後衛のヴィラルまで敵の攻撃を通したことはない。例え上位のランクの魔物の攻撃であろうと、耐えることだけならばできると思っていた。


(これ防いだら逃げる! ヴィラルの弓が効かない時点で俺たちじゃ絶対勝てねぇ!)


 飛び込んできた勢いのまま、盾の下部についているスパイクをぬかるみ始めた地面に突き立てる。


(全く。ドラゴンなんて、ついてな――)


 直後に振り払われた尾が叩き込まれ、その威力に驚愕する間もなく、ルードの意識は途切れた。


「ルード!」


 焦りと驚きが混じった声で、ヴィラルが叫ぶ。

 ヴィラルもまた、ルードの防御力に絶対的な信頼をよせていた。【プロテクション】をかけたルードの大盾で防げぬものなどないと信じていた。

 しかし今ヴィラルの目の前で、大盾を砕かれ、胸を潰され、両腕をありえぬ方向に捻じ曲げたルードが、ミロナを巻き込みながら宙を舞っている。


「ルード!」


 ベチャリ。湿った音と共に地面に叩きつけられ、ピクリとも動こうとしない友に再度声をかけるが、返事は返ってこない。アクスもルードと絡まるように倒れているミロナに声をかけているが、そちらも同様だ。


「あ、あああああああっ!」


 目の前が赤く染まる。噛み締めた唇から血が滴り落ちる。

 倒れたルード達にゆっくりと向き直るドラゴンを、ヴィラルは激しく睨めつけた。


「……【サクリファイス】」


 ヴィラルの全身から赤黒い輝きが溢れ出し、手にした矢に纏わりつく。

 思えばいつも二人で過ごしてきた。

 《弓と盾》。村を出て冒険者として活動を始めたあの日、そんな何の捻りもないチーム名をつけたルードを笑ったのを今でも覚えている。

 口では馬鹿にしつつも、嬉しかった。極度の人見知りである自分を気遣って、今後このチームが増員することはないと言ってくれたルードに感謝した。

 いつ以来だろう、これ程の怒りを感じたのは。いつ以来だろう、これ程明確な殺意を持ったのは。

 見る者を不安にさせる輝きが強まるにつれ、元々生気のないヴィラルの顔色が更に悪くなり、土気色に染まっていく。やがて全ての光が矢に収束し、禍々しい輝きを放ち始めると、ヴィラルはそれを弓に番えた。


『ゴアアアアアァッ』


 その輝きに危険を感じたのか、ドラゴンが標的をヴィラルに変えた。進行方向にいたアクスを前足で横に払い飛ばしながら、突進してくる。


「……くたばれ」


 目の前に巨大な口が迫っても、ヴィラルは一切怯むことなく狙いを定め、矢を放った。

 放たれた矢は赤黒い軌跡を残し、その口内に吸い込まれる。それを見届け、口角を吊り上げた次の瞬間、ヴィラルはその上半身を食いちぎられた。


『グウウウウッ』


 足を止めたドラゴンは口の中に撃ち込まれた矢に不快感を覚えたのか、不機嫌そうな声を上げると後方を振り返った。

 まだ餌がいる。全部は食いきれないが、残りは憂さ晴らしに殺すとしよう。目を細め、そんな考えが伝わってくるような怒りの表情を浮かべると再び咆哮をあげた。


『グオオオオオオオオオッ』




   ◆




「早く馬車どけろ! 姉貴、もう構わないからぶっ壊せ!」


 親父は半壊した馬車の残骸に、腰から下を挟まれて動けなくなっていた。

 俺と爺ちゃん、ニーラスの三人は馬車が下手に崩れて親父が潰されないように、親父の上に乗っている残骸を支え、姉貴と母さん、そしてトリズが必死で上の荷を剥がしている。


「くっ! 無駄に頑丈なのよ、これ!」


 姉貴が毒づく。ただ単純に壊すだけだったなら、もう少し簡単だ。でもこの下には下半身を挟まれた親父だけじゃなく、全身が埋もれてしまっているスキーフもいるのだ。


「スキーフ! もう少しだからね!」


 必死に呼びかけるトリズ。スキーフは馬車が吹き飛ばされる瞬間、トリズを掴んで外に放り投げたらしい。おかげで自身の脱出が間に合わず、馬車の奥に取り残される形になってしまっていた。


「大丈夫だよトリズ。それより危なくなったらすぐ逃げるんだ」


 残骸の奥の方から聞こえてきた声を意図的に無視して、鬼気迫る表情で作業を続けるトリズ。

 雨は益々激しさを増し、全員手に血がにじんでいる。

 さっきから聞こえる戦闘音と怒声が気になる。馬車の陰に隠れて見えないが、先頭馬車の方はどうなってるんだ?

 そこにダルノに付いていたはずのスフィが戻ってきた。


「ヨイセンさん達は無事離れたよ。僕達ももう逃げよう!」


「分かってる! 見りゃ分かるだろ! 親父とスキーフがまだ挟まれてるんだ! 見てないで手伝ってくれ!」


 思わず苛立ち紛れに怒鳴りつけてしまう。

 その時、不意にさっきまで響いていた戦闘音がやんだ。続いて空気を震わせる咆哮。


「アクス……ミロナ?」


 前方の様子を見ていたスフィが呆然とした声を上げ、ぎりっと歯を食いしばる。


「もう諦めろ! 全員殺されるぞ!」


「そうだ、もういい! 加奈子さん、父さん! 晃奈たちを連れて逃げろ!」


「トリズ、君もだ!」


 スフィの悲鳴なような声に、親父とスキーフも周囲の状況を悟ったらしい。外にいる俺たちよりも必死な声で叫び始める。


「うるせぇ黙ってろ!」


 その声が無性に腹立たしくて、三人の声を遮るようにして叫んだ。

 俺だって本音を言えば、今すぐにだって逃げ出したい。けれども。


(ふざけるな、家族全員で帰るんだ。こんなところで見捨てられるわけがないだろ!)


「こんちくしょうっ!」


 姉貴が大声を上げると足元を思いっきり蹴り飛ばした。轟音と共におびただしい量の木材が吹き飛ばされる。


「むっ」


 その衝撃で一瞬、馬車の残骸全体が大きく揺れた。それを見逃さず、爺ちゃんが親父の手を掴み、一気に外まで引きずり出すことに成功する。


「抜けた!」


 姉貴が快哉の声を上げた。あとはスキーフだけだ。


「分かったよ! 早くしろ、こっちに来るよ!」


 誰一人として逃げようとしない俺たちの様子を見て、スフィは自棄になったように声を上げた。同時に馬車から離れ、ドラゴンの注意を俺たちから逸らすために矢を放ち始める。ニーラスが援護のためか、スフィの傍についた。


「スキーフ、あと少しよ! 頑張って!」


 上の三人は引き続き荷を剥がし、俺と爺ちゃん、親父はついさっきまで親父が挟まっていた隙間を中心に穴を広げていく。

 ここまで来たら時間との勝負だ。




   ◆




 ニーラスの周囲に薄く緑に輝く光の粒が立ち昇ると、スフィの弓の速度が目に見えて早くなった。


(援護スキル? ありがたいけど!)


 刺さらない。足止めどころか、注意を引くことすらできそうにない。


(接近戦は無理だ。アクスとミロナが適わなかったのに僕なんかが……!)


 矢を気にも止めず、ドラゴンが馬車にむかって駆け出そうとしているのが見える。

 もう無理だ。彼らには悪いが、自分だけでも逃げるか? という考えがスフィの頭をよぎった瞬間、ニーラスを覆っていた光の粒が青色に変わった。


『ガアアアアアッ』


 ドラゴンがこちらに駆け出そうと前足を踏み出す。と、その一歩を滑らせ盛大に転倒した。


『ゴアアッ?』


 即座に立ち上がり再び前へ進もうとして、またもや一歩目を滑らせる。


『グウウウッ』


(ニーラスのスキル? 何をやってるのか分からないけど、これなら時間を稼げる!)


 自分の弓は役に立たない。足止めはニーラスに任せて、自分も馬車の方を手伝うべきか? スフィがそう考えていると、ドラゴンが翼を広げた。


「っ、飛ぶ気!?」


 まずい。それはそうだ。歩けないなら飛ぶに決まっている。

 意味はないと知りながらも、翼に向かって弓を放つ。だが、ドラゴンのとった行動はスフィの想像よりも更に悪かった。

 翼を広げ、大地を四肢で踏みしめ、大きく息を吸うように首をもたげる。閉じられた口の隙間から、チカチカと赤い光が漏れ出していた。


「まさかブレス!?」


 ブレス。噂に聞く、ドラゴンが放つ最強の攻撃。ドラゴンの種類によってその特性も様々だが、その威力は一度放たれれば一軍をも壊滅させるとすら言われている。


「ブレスがくるぞ! 避けろ!」


 馬車に向かって叫ぶと同時に、自身も横に飛ぶ。視界の端に青から赤へと変わった光の粒を纏いながら、馬車の方に駆け出すニーラスが見えた。

 次の瞬間ゴウッという空気を切り裂くような音と共に、ドラゴンの口から赤い閃光が放たれ、馬車を包み込んだ。




   ◆




 視界が赤く染まる。

 スフィの警告が聞こえたと思ったら、次の瞬間宙に吹き飛ばされていた。

 天地がぐるぐると入れ替わり、地面に叩きつけられる。

 何が起こったのか分からない。ただ自分がうつ伏せに倒れていることだけは理解できた。


「畜生、何なんだよ……」


 大丈夫だ。まだ動ける。全身が焼けるように痛むけれど、それだけだ。

 痛みを堪えて顔を上げると、目の前にニーラスが倒れている。


「おい、大丈夫か?」


 慌てて体を揺すると「うう……」とうめき声をあげた。


(よかった、生きてる。他の皆は?)


 土煙が晴れ、周囲の様子が鮮明になっていく。

 最初に目に入ったのは、さっきまで俺が立っていた場所。そこにあったはずの馬車は陰も形もなくなって、代わりに何かに抉られたような跡が残っている。めくれ上がった地面の一部が溶けて、硝子のようになっていた。


(今ので吹き飛ばされたのか!? じゃあスキーフはもう……)


 ほんの数日とはいえ、一緒に過ごした仲間の死に悲しむ間もなく、まだ漂っている土煙の奥から『グウウウウッ』とドラゴンの唸り声が聞こえてきた。


(そうだ、あいつはまだ近くにいるんだ。すぐに逃げないと)


 ぐるりと周りを見渡すと、姉貴を肩に担ぎ、顔を血で真っ赤に染めた爺ちゃんと目が合った。


(姉貴がやられた? 嘘だろ)


『動けるの? 逃げるぞ』


 目と口の動きでそう伝えると、爺ちゃんは姉貴を担いだままゆっくりと歩き出す。離れたところで親父が母さんを担いでいるのが見えた。幸いドラゴンは何故か動こうとしていない。

 震える体を叱咤し、俺も逃げようと足を踏み出したとき、それが目に映った。

 半分炭化した片足を引き摺りながらゆっくりと歩く影。鞘に収まった剣を杖代わりにしながらドラゴンの方へ向かっている。

 回復スキルを使っているのか、手から青い光が溢れているが、あの怪我の前では焼け石に水だ。


「お前、お前がぁっ!」


 そのままドラゴンの足元まで辿り着くと、叫び剣を抜き放つ。残った片足と杖代わりの鞘を器用に使い、血走った目のトリズがドラゴンに飛び掛かった。


「やめろトリズさん!」


「裕也構うな! 逃げるんじゃ!」


 爺ちゃんと親父はトリズに目もくれずに走り出していた。俺もそうすべきだと分かっているのに、体が動かない。

 トリズの振り下ろした剣は鱗に弾かれ、かすり傷を負わせることも出来なかった。

 全ての力を使い果たしたのか、その場に呆然と座り込むトリズの上にドラゴンが圧し掛かる。


「あ……」


 ズゥン、と地面が揺れる。

 呆然とその光景を見ていると、ドラゴンはやがて億劫そうに身を起こした。その胸部には赤黒い何かが張りついている。


『ゴアアアアアッ』


「うわああああっ」


 咆哮。

 次の瞬間、俺は弾かれたように後ろに向かって駆け出していた。途中足元に倒れていたニーラスを反射的に抱え上げる。

 森の中に入る。方向も何も考えていなかった。ただあいつから少しでも離れたくて、全力で走った。

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