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第15話 護衛クエスト 4

 初めに飛来してきたのは矢だった。


 威力も数も大したことはない。このクエストに同行している冒険者の実力ならば、苦もなく対処できるレベルだ。唯一問題があるとすれば。


(荷台は構わねぇが、馬に当てられるとやべぇな)


 当然のことだが、当たり所が悪ければ死んでしまうし、運良く怪我で済んだとしても問題はある。軽症を負っただけならば回復魔法でどうにかなるが、怪我をした馬が矢の飛来音に怯えるようになってしまう可能性があるからだ。


 アクスは飛んでくる矢の群れを斧で払いながら、馬車のほうに注意を向けた。

 現状先頭馬車はミロナとルードが馬を守り、ヴィラルが荷台の影に隠れながら応射している状態だ。


「モルトン! てめぇ、いつまで中にいるつもりだ! 少しは働きやがれ!」


 この状況になって尚、馬車から出てこようとしないモルトンに向かってアクスが怒鳴る。しかしモルトンは、荷台の中で涼しげに応じるのみだった。


「そう慌てなさんなって、リーダーさんよぉ。連中だって馬鹿じゃねえ。矢で効果がないと分かりゃ、次は突撃してくる。そうしたら俺の出番だ。ちゃあんと、皆殺しにしてやるからよ」


「てめぇ……!」


 アクスが更に怒声を重ねようとしたが、その前に盗賊側が動いた。


『うぉぉぉぉっ!』


 モルトンの言うとおり、弓では決定打を与えられないと判断したのだろう。左右の茂みから自分の位置を隠す気もなく、次々と飛び出してくる。


 盗品をそのまま使用しているのか、鎧の種類はバラバラ。持っている武器も多種多様だ。一見ちぐはぐな集団に見えるが、全員が最低限の武装はしている。


「ちぃっ!」


 アクスは舌打ちをすると、先陣を切って飛び出してきた盗賊に向かって一瞬で肉薄。自身の得物である大斧を軽々と振り上げると、大上段から振り下ろした。


 豪快な風切り音と共に迫る刃に、盗賊は慌てて剣を盾にして身を守ろうとしたが、そんなものはアクスの一撃の前では無意味に等しい。

 剣を砕き、鎧を食い破り、胴体をズタズタに切り裂く。

 無謀にも先陣を切った盗賊は、苦悶の表情を浮かべたまま即死した。


「……あん?」


 一方、一撃で相手を絶命させたアクスはその結果に疑問を持った。

 本来ならばこの程度の男、剣を構える余裕すら与えずに真っ二つにできるはずである。しかし実際に男は剣を構え、肉体もかろうじて繋がっている。


 ほんの一瞬の思考であったが、その間にも次から次へと茂みから盗賊たちが飛び出し、そのうちの一人が、斧を振り下ろした姿勢のままのアクスに向かって走ってくる。そのスピードはとても一山いくらの盗賊風情のものではなかった。


 突き出された細剣を斧の背で受けながら、不審に思ったアクスが目を凝らす。

 刺突を受け止められて一歩下がる盗賊に、入れ替わるようにして突撃してくる別の盗賊。その二人だけではない。視界に映る盗賊たち全員の体を、薄いオレンジ色の輝きが覆っている。


「まさかバフ(強化魔法)か!? 敵に魔法使いが混じってるぞ! 見つけ次第最優先で殺せ!」


 叫ぶと同時に飛び掛ってきた相手を切り上げようとするが、アクスの刃が届く前に、その男は急に不自然な姿勢に体を曲げると、そのまま横に吹っ飛んでいった。


「いいぞ、いいぞぉ。だが足りねぇな、この程度じゃあ何人来ても俺は殺せねぇ」


「モルトン!」


 いつの間に馬車から出たのか。その細い目を爛々と輝かせ、アクスのすぐ側にモルトンが立っている。


「ここはあんたらに任せるぜ。最後尾の方がやべぇんだろ? 俺が行ってきてやるよ」


「死ねやぁっ!」


 まるで平常時のように落ち着いた口調で話しながらも、モルトンはアクスの目ですら追いきれない速度で腕を振るい、襲ってきた盗賊を一瞬で絶命させる。その余りの早業に、周囲を警戒しながらもアクスは息を呑んだ。


「……ああ、頼む。こっちが片付いたら追いかける」


 いらねぇよ、と笑いながらモルトンは足取りも軽く、後方へ向かって歩いていった。




「はっ!」


「やっ!」


 中央の馬車右方。スキーフとトリズが背中合わせになりながら、舞うように戦っていた。

 決して付かず離れず、互いに位置を入れ替えながら敵に剣戟を叩き込む。たまらず距離を取ればスキーフが炎の矢を放ち、なんとか傷を負わせてもすぐにトリズが癒してしまう。


「ねぇ、トリズ」


「なに? スキーフ」


「彼ら、どうやらバフがかかっているみたいだけれど」


「そうね。でもそれは今私達の考えることじゃないわ」


「そうだね。さぁ、もっと踊ろうトリズ!」


「ええ、スキーフ!」


 チーム《ダンサーズ》。

 死を運ぶその舞踊は、競演相手がいなくなるまで終わらない。




 一方、左方ではダルノが猫のようなしなやかさと瞬発力で、盗賊達を翻弄していた。


「なんだコイツ!」


「俺達より速ぇ!?」


 強化魔法によって素早さも常人より遥かに高くなっているはずの盗賊たちが、ダルノのスピードについていけず防戦一方となっている。


(ここまではいいんだが、俺は本来斥候なんだよな)


 決して相手に触れさせず、じわじわと傷を負わせてはいるが、決定打には至らない。


(厄介なバフだな。アクス辺りがさっさと駆けつけてくれりゃいいんだが)


 先頭の馬車との距離は少しずつ詰まってきているが、後方の様子も気になる。


(まぁアキナってのがBランク相当なら、問題ないか)


 アクスの見立てが正しければ、その戦力は《ハチェット》全員を合わせたよりも上の可能性が高い。

 不謹慎だとは思いつつも、若干の開放感を感じながら、ダルノは動き続けた。




「おら、出て来い! お前らは人質だ!」


 スキーフ達ととダルノの攻撃範囲に入らぬよう、慎重に荷台に接近した盗賊の一人が幌に手をかける。

 正面きってやりあうのは不利だと判断し、中にいるはずの非戦闘員を人質にとろうとしたのだ。


 下卑た笑みを浮かべながら幌をめくった盗賊は、次の瞬間内側からのメイスの一振りによって、その頭部を打ち砕かれた。


「ごめんなさい。でもこの奥にはセリネちゃんがいるし、後ろの馬車ではアキちゃんと裕也が戦っているの。私も早くこの辺りを片付けて助けに行きたいんです」


 荷台の中の依頼主を守る、最後の壁。

 頭を潰されて崩れ落ちる盗賊に向かって、血の滴るメイスを携えた加奈子が頭を下げる。普段と異なり、その顔には不安そうな表情が浮かんでいた。


 出来れば今すぐにでも子供達のところに駆けつけたい。そう思う加奈子だったが、それは進士によって止められる。


「加奈子さん、落ち着いて。あの子達なら大丈夫だよ。それにあそこには今、お父さんもいるんだ。対人戦なら、あの人は無敵だよ」


 自信を持って告げられた言葉に、そうですね、と加奈子も破顔した。釣られて笑みを浮かべる進士だったが、次の瞬間その手からナイフが投擲される。

 その一閃は、背後から加奈子に忍び寄っていた盗賊の額を正確に撃ち抜いた。


「だからまずは、ここを守ろう」




「畜生、もう一度弓だ、弓! 早くしろ!」


「さっきから撃ってるだろ! 最初の時と同じだ、あの馬車の上のやつが何かやってやがるんだ!」


 後方から矢を撃ち続けている盗賊が、仲間の怒声に悲鳴に近い声で返す。


 矢が標的に届かない。放たれた矢が途中で突然失速し、地に落ちる。そうかと思えば明後日の方向に飛んでいく。明らかに異常な現象だ。


 怒鳴った盗賊が馬車の荷台、幌の上を見る。そこには悠然と盗賊たちを睥睨するニーラスの姿があった。何らかのスキルによるものか、その体は薄く緑に輝く光の粒に包まれている。


「何だありゃ、魔法か?」


 自分たちにかけられている強化魔法とは違う。今までに見たことのないタイプのスキルに、盗賊は疑問の声を上げる。


 その言葉が聞こえたのか、ピクリと不快気に目じりを震わせると、ニーラスは発言した盗賊の方を指さした。


「愚かな。これは精霊魔術。母なる大樹より生まれし偉大なる精霊の力を借りる御業。魔法などと同列に並べるな」


 次の瞬間、他の盗賊が放った矢が急激な弧を描き、指さされた盗賊のこめかみに突き刺る。

 思わぬ方向からの攻撃に、盗賊が為す術もなく倒れこむのを見届けると、ニーラスは僅かに眉を歪めた。


「あのような者の言葉に心惑わされるか。私もまだまだ修行が足りない。……む?」


 何かに気付き、弓を構えたまま動きを止めた盗賊たちを無視して、周囲に視線をめぐらせる。


 道の端、中央馬車での戦闘にギリギリ巻き込まれない距離に、後方へと向かうモルトンの姿があった。周囲には尚も多くの盗賊がいるというのに、そちらを振り向こうともしない。


「彼もまた、求道者か」





「バラバラに行くんじゃねぇ! 三人以上で固まれ! トッド、もっとバフをかけろ!」


 後方馬車、さらにその後方。

 そこにはこの盗賊たちの本隊があり、彼らの中でも手練の者たちが揃っていた。

 その後ろから声を張り上げているのは、一味の頭目である一人の巨漢。金属製の鎧に兜、日の光を反射する刃こぼれ一つない長剣。その体躯も合わさって、明らかに他の盗賊たちとは格が違うように見える。


「無茶を言うなガロウ。俺の【フィジカルアップ】は重ね掛けしても意味がないんだ。それに魔力も、もう残り少ない。残念だが、ここは撤退すべきだ」


 頭目の怒鳴り声に、横に立っていたローブ姿の魔法使いが冷静に返す。


「ここまでされて引けってのか!?」


 口から唾を飛ばし、ガロウと呼ばれた男は怒りで顔を赤く染めていたが、周囲の部下達は明らかに腰が引けていた。


 この本隊は最初の弓の一斉斉射に合わせて最後尾の馬車を後方から襲撃したのだが、突如飛び出してきた裕也、晃奈、斎蔵によって瞬く間に先頭の数人が斬り殺されていた。ガロウの号令によって側面に回り込もうとした数名もスフィの弓に射抜かれ、一人残らず倒れている。

 残った盗賊たちはその余りの早業に足を止め、今はただ裕也たちを睨みつけているだけだ。


「ふむ、何らかの方法で無理やり身体能力を上げておるようじゃが、使いこなせぬようでは意味がないのぅ。こんな老いぼれにすら遅れをとる」


 しばらく睨み合いを続けていた双方の中で、斎蔵が言うや否や、集団の中で僅かに突出していた盗賊の一人の前に飛び込み、その喉を貫く。


「ひぃぃ!」


 ほとんど何の抵抗も出来ないままに首に大穴を開けられた仲間を見て、他の盗賊たちが慌てて更に後方に下がる。結果として後ろから指揮を取っていたはずのガロウとトッドが、前面に押し出される形となった。


「ニュフ、アキナが強いのはさっきので何となく分かっていたけど、サイゾーも凄いね」


 緊迫した空気の中で、のほほんとした調子でスフィが裕也に話しかけるが、裕也はそれには答えず、自分の殺した相手を見下ろしていた。


(やっぱり何も感じないな。人一人殺してるっていうのに)


 盗賊の――人間の肉を裂き、骨を断ち切る感触。

 手に残っているその感触は気分のいいものではなかったが、裕也は落ち着いた様子で剣を構えなおせた。


(……悪いな。だけど俺も死ぬわけにはいかないんだ)


 迷いも後悔もない。家族を守ると決めた。これが自分の選んだ道だ。


 油断なく武器を構える裕也たちと、半分戦意を喪失しかかっている手下たち。それを見て、ガロウは大きく溜息を吐くと、剣を抜きながら一歩前に踏み出した。


「……トッド、【フィジカルオーバー】だ。俺が皆殺しにする」


「いいのか? 数日は起き上がれんぞ?」


「構わねぇよ」


 頷いたトッドが両腕をガロウに向かって突き出すと同時に、ガロウの体が光に包まれる。


 光は黄色からオレンジ、やがて赤色へと変色していき、それに伴ってガロウの肉体が変質していく。

 元々日に焼けていた肌の色は更に濃くなり、筋肉がメキメキと音を立てながら肥大する。膨張した筋肉による内側からの力に耐え切れず、鎧を構成していた板金がいくつか弾け飛ぶ。信じられないことに、身長までもが僅かに伸びていた。


 やがてスキルをかけ終えたのか、満足気に頷いたトッドが手を下に下ろす。

 そこに立っていたのは身長二メートルにも上る、赤黒い肌をした大男だった。


「カハアァァ……始める前に聞いてやる。お前ら、冒険者ランクはいくつだ?」


 その変貌ぶりに斎蔵も表情を引き締め武器を構えなおすが、ガロウはそれを気にすることもなく、獣じみた呼吸音を轟かせながら前進を開始する。


「今この場におるのは全員CとDじゃ」


 ガロウはそれを聞くとニタリと笑みを浮かべた。


「やはりそんなもんだろうな。一ついいことを教えてやる。俺も昔は冒険者だった。最強のCランクと呼ばれていたよ。素行の悪さが問題視されて、最後までBには上がれなかったがな。そんな俺が今こうして強化スキルを受けている。この意味が分かるか?」


 余程の自信があるのか、直に斎蔵の攻撃範囲に入ろうというのに、剣を持った腕をダランと下げたまま歩みを止める様子がない。


「さあのぅ。少し大きくなっただけじゃないかのぅ!」


 先手必勝。

 射程に入った瞬間、斎蔵が前の盗賊にしたのと同じように、ガロウの喉に向かって突きを繰り出す。しかしガロウはその突きを、笑みを崩さないまま軽く体を逸らすだけで避けた。


(この距離で避けた、じゃと?)


「大きくなっただけじゃねぇ」


 内心で驚愕しながらも、斎蔵は突き出した槍を迅速に引き戻そうとする。だがそれよりも早く、ガロウはその巨体に似合わぬ素早い動きで、伸びきった槍を掴もうと腕を伸ばした。


「【三連切り】!」


 確実に掴まれる。誰もがそう思えるタイミングで握られた手は、しかし空を切った。


「あん?」


 不思議そうな声をあげるガロウ。同時にその腕と胸、腹の三ヵ所が一瞬の内に斬りつけられ、宙に血の線が走る。


【三連切り】。

 斎蔵のスキルの一つ。余りの速度で繰り出されるその三連撃は、まるで同時に繰り出されたかのように見える。だが。


「やるじゃねえかジジイ」


「ふむ。結構本気じゃったんじゃがのう」


 強化され、生半可な鎧より強靭で分厚くなった筋肉。加えて武器の質の低さもあり、傷はあまり深くなさそうだった。

 ガロウは切りつけられた場所を軽く一撫ですると、一歩後ずさる斎蔵にお返しとばかりに剣を振るう。


「相手が悪かったなぁ。基礎ステータスが違うんだよ。これが最強の【三連切り】だ!」


 叫び、斎蔵と同じスキルを繰り出すガロウ。

 同時に、同じスキルを持つ斎蔵の目ですら追いきれぬほどのスピードの三連撃が迫り来る。


 常人の目には一瞬にしか映らない間の中、再び斎蔵が繰り出した【三連切り】がその刃を迎え撃つが。


(三撃目が間に合わん……!)


 己よりも早い三連撃。その最後の一撃がいなし切れない。斎蔵は咄嗟に体を強引に捻り、首を目掛けて振るわれた三撃目を、何とか頬を浅く切りつけられるだけに留める。


(成程成程。力も速度も負けておるか。胴には刃が通らんようじゃし。目、耳、指先……。さて、どこから行くかのう)


 血が騒ぐ。

 こんな状況下だというのに、己より格上かもしれない相手を前にして、斎蔵は獰猛な笑みを浮かべていた。


「はい、お爺ちゃん交代。こいつはあたしがやるわ」


 口元に垂れてきた血をペロリと舐め、斎蔵が一歩を踏み出そうとした瞬間、背後から伸ばされた晃奈の手がその襟首を掴む。


「晃奈!」


 そのまま強引に後ろに引っ張られ、体勢を崩した斎蔵が非難するように叫んだ。


 だが晃奈はそれを無視すると、ガロウが斎蔵にそうしたように、無防備な姿勢でその眼前に向かって歩いていく。


「姉貴、全員でかかった方がよくないか? そいつがリーダーなんだろ?」


 全く緊張感もなく、警戒心の欠片も感じられない姉の後姿に裕也も思わず声をかける。

 姉の強さを誰よりも信じている裕也だったが、流石に今の攻防を見て一抹の不安を覚えていた。


「このくらいなら大丈夫よ。さて、裕也の言う通り、あんたがこいつらの親玉なのよね?」


 圧倒的な体格差。自身より遥かに高い身長のガロウを見上げながら、晃奈が問いかける。

 その光景に、さっきまで怯えていた盗賊たちも元気を取り戻したかのように騒ぎ出した。


「その通りだ。姉ちゃん中々上玉だなぁ。降参するなら命だけは助けてやるぞ?」


 臆すことなく対峙してくる晃奈を見下ろし、背後の手下たちと同じように犬歯をむき出しにして笑うガロウ。


 互いに剣が届く距離。

 そんな状況でお互いがお互いを値踏みするかのように、睨めつけ合う。


「冗談。じゃあ、あんたを殺したら逃げだす部下を追いかけなきゃいけないわね。めんどくさ」


 強がりではない。本当に心底面倒くさそうに呟く晃奈を見て、ガロウは愉快そうに笑い声をあげた。


「ハハハハハ! さっきの俺の動きを見てなかったのか? 俺の実力はBランク相当だ。いや、今なら並のBランクよりも遥かに上だぞ? 面白い奴だ。やっぱりお前は生かしておいてやるよ。腕くらいなくなっても、十分楽しめるしな! 【三連切り】!」


 叫びとともに斎蔵ですら完全に捌ききれなかった、高速の三連撃が晃奈を襲う。


 狙いは両腕と片足。

 一瞬後、無様に地面に這い蹲る晃奈を幻視して、ガロウは笑みを浮かべた。


「姉貴!」「晃奈!」


 ガロウがスキルを繰り出しているにも関わらず、いつまで経っても動こうとしない晃奈に向かって、裕也と斎蔵が悲鳴のような声を上げる。




 そして――その瞬間を目で追いきれたものはいなかった。




 ガロウの腕が、剣を持ったまま宙を舞っている。

 ドサリ、という音に目を向けると、もう片方の腕も肘から先が地に落ちていた。


「……はあ?」


 まだ痛みが脳にまで伝わっていないのだろう。宙にある己の腕を見て、ガロウが間の抜けた声を上げる。


「腕がなくなっても楽しめる? よかったわね。じゃあそのまま楽しんで」


 いつの間にか抜いていた剣を鞘に戻し、軽く腰を落とす晃奈。そのまま右腕を振りかぶると、呆然としたままのガロウの腹に拳を突き込む。


「ゴハァッ!?」


 分厚い腹筋を貫かれ、体をくの字に曲げ、口から血を撒き散らしながら、ガロウは後方に吹き飛ばされた。


 体格差を見れば考えられない。まるでそれ自体が魔法のような光景。


 吹き飛ばされたガロウは、後ろで成り行きを見守っていた子分たちを何人も巻き込みながら地面に落ちる。


「ゴボ、ガハッ。な、何で……?」


 口から血の泡を吹き出しながら、ガロウが疑問の声をあげた。


 殴られた腹部は、赤黒い肌の上からでもはっきりと分かるほどドス黒く染まり、斬られた両腕からは絶え間なく血が流れ出ている。誰が見ても致命傷だ。少なくとも、もう戦えない。


「ガ、ガロウの親分が……」


「トッド、逃げよう! あの女、化け物だ!」


 先程まで晃奈を囃し立てていた盗賊たちが、リーダーであり最大の戦力であるガロウの敗北を見て騒ぎ始める。


「っ、そうだな。今から霧で視界を塞ぐ、全員バラバラの方向に―――」


 ガロウは駄目だ。助からない。


 そう判断したトッドが魔法を発動させようと手を前に突き出した瞬間、その頭上に影が射した。トッドがそれに気付くよりも早く、影の主がトッドの頭部を掴み、地面に叩きつける。


 グシャリ、と嫌な音と共にトッドの頭部が砕け散り、その傍に人影が降り立った。


「ハッハァ! 何を勘違いしてるんだ? この雑魚は」


 突然の事態にその場にいた全員が動きを止める中、むくりと立ち上がったモルトンの声が響き渡る。


「実力はBランク相当だった? 素行が悪くてBに上がれなかった? 違うな。本当に実力があるのならどんな悪党にだって、ギルドはそれに見合ったランクを与える! Bだろうが、Aだろうが!」


 愉快そうに笑うと、倒れているガロウを見下ろし、唖然とする盗賊達を見渡し、そして最後に更に笑みを深めて晃奈に視線を向けると、モルトンは大仰に手を広げた。


「勘違いしている馬鹿が多くて困る! ランクの差は絶対的な壁だ! 一つ違えばそこには天と地ほどの差があるのさ! 鍛えてもランクが上がらねぇやつは諦めな! そこがテメェの限界だ! 凄いスピードでランクを上げてる輩がいる? それはただ本来あるべきランクに向かっているだけさ! ランク上げには段階を踏まないといけないなんていうギルドの体面さえなければ、登録したての新人が次の日にAランクになっていてもおかしくはないのさ!」


「ゴボッ……」


 モルトンに告げられた内容に対してか、それとも死への恐怖に対してか。ヒュー、ヒューと、か細い呼吸音を響かせているガロウの目が、絶望に染まっていく。


「この女は正真正銘Bランククラスの実力者だ。同じBである俺が言うんだ、間違いねぇ。Bランクが二人もいる一行に喧嘩を売るなんざ、無謀だったんだよ。【サイクロンエッジ】」


 モルトンがスキル名を呟くと、残っていた盗賊達の首がパックリと裂け、周囲に血煙が舞った。そのまま一言も発する間もなく、全員が崩れ落ちる。


「残念だったな、最強のCランクさんよぉ」


 モルトンが口元を歪ませながら呟いたが、既にガロウの呼吸音は止まっていた。




   ◆




「おい! 全員無事か!?」


 戦いが終わり、俺達が盗賊達の遺体を茂みの奥に運んでいると、息せき切ったアクスが駆け寄ってきた。


 俺たちの命を狙ってきた敵とは言え、人間であることに変わりない。

 本当なら埋葬したかったのだけれども、中途半端に埋めても魔物に掘り返されるので、持ち帰る気がなければ街道から外れた位置に放置するのが常識なのだそうだ。


「おぉ、リーダー。たった今終わった所だ。親玉もアキナが片付けた。そこに倒れてるやつだ」


 こっちを手伝おうともせずに、近くに腰掛けてナイフを研いでいたモルトンが片手を挙げて応じる。心なしか、機嫌がよさそうだ。


「そうか。こっちも全部片付いた。他の連中には一応周囲を警戒してもらっている。お前らもそれが終わったら集まってくれ。念のために全員の状態を確認したい」


 それを一瞥すると、アクスは中央の馬車の方に駆けて行く。多分依頼主であるヨイセンに色々と報告に行くんだろう。


 その後は特に問題が起こることもなく、俺が初めて人殺しを経験したこの戦いは幕を下ろした。

 アクスによれば、攻めてきた盗賊の規模や実力から考えても、今回の依頼中にこれ以上の厄介ごとは起きないだろうとのことだ。


(あぁ、風呂に入りたいなあ)


 人を殺すなんてとんでもない経験をしたのに、夜に荷台で眠りにつく前に俺が考えていたのは、そんなことだった。

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