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九話 スニーキングミッション


 数日おきに降る雨が上がるたびに気温も上がり、夏が近づく。日差しは強くなり、雨と太陽をたっぷり浴びて、河原の草や森の木々は瞬く間にもっさーと生い茂っていった。

 幸い大雨が続く事はなく、洪水にはならなかった。石室水没とか浸水とか、そういった悲劇に見舞われる事もなく、至って平和に梅雨開けを迎える。


 梅雨の間は縄文人を見かけなかったが、動物はチラホラ見かけた。

 森に入って食材を探している時にリスや野ウサギを見つけたり(すぐ逃げられた)、夕方にムササビかモモンガらしき影がサッと木を飛び移るのを見たり。遠目にイノシシを見つけた時はそっと逃げた。あんな巨体に突き飛ばされたら潰れるというか千切れて死ぬ。イノシシこわい。

 逆に小鹿を見つけた時はあわよくば狩って肉と毛皮にしてやろうと思ったが、石器を背中に隠して近づいたら普通に逃げられた。殺気などという大層なものを出した覚えはないけど、食い気ぐらいは出てたかも分からぬ。まあ例え初撃を当てられたとしても、小鹿とはいえ手負いの獣と取っ組み合いになって勝てるかは怪しいんだけど。後脚の一撃で内臓破裂とか普通にありそう。


 タマモは鼠や小鳥を時々狩ってきて食べるが絶対に分けてくれないので、転生してから一度も肉を食べていない。最近は動物性タンパク質ならカエルぐらいいけるかなと思わなくもない。鶏肉に近いとかなんとか聞いたような気がするし、しっかり焼いてスープに入れて目を瞑って食べれば……いやいや。無理。

 肉が欲しいなんて贅沢な欲望で、肉食動物に襲われてこっちが肉にされていないだけマシだともいえる。


 縄張りから外れているのかお目にかかった事が無いが、何度か夜中に特徴的な遠吠えを聞いたからニホンオカミがいるのは間違いない。

 ニホンオオカミといえば送り狼の由来の話が有名だ。ニホンオオカミが自分達の縄張りに入った人間の後ろを着いて来る(縄張りの外まで送り届ける=監視する)というもので、イノシシや熊が狼を恐れて寄ってこないため安全に帰る事ができたという。それを信じるなら襲われそうに無いが、大人の人間と子供の人間では襲いやすさが違うし、餓えた狼、という表現があるように時と場合によっては普通に襲ってくる。できれば遭いたくない。


 梅雨の合間に一度熊に遭遇した時はミンチにされるかと思った。

 ある日、水嵩の下がった川に入って水浴びをしながら、あわよくば川エビか魚でも捕まえようと企んでいた私は、大きな岩の後ろに回ったら魚獲り中の熊さんにバッタリ遭った。

 あ、死んだ、と思った。逃げようとか死んだフリをしようとか、そんな発想は沸かず、頭が真っ白になって凍り付いた。蛇に睨まれた蛙と同じ気持ちをたっぷり味わった。


 運よく熊さんはお腹いっぱいだったらしく、私に無関心だったので、再起動後にじりじりと後ずさって撤退。九死に一生を得る。

 どの死因も恐ろしいが、喰い殺されるのは経験上一番痛い。クマの剛腕から繰り出されるパンチなら一発で私の頭ぐらい簡単に吹き飛ぶ。ベアーパンチ、相手は死ぬ。

 しかし今冷静に考えてみると熊は基本草食よりで、積極的に動物を狩る事はない。時々死骸を食べたり魚を獲ったりするが。九死に一生というほどのピンチでもなかったかも知れない。九死に四生ぐらいか。


 ただしヒトの味を覚えた熊は積極的にヒトを狩るようになるので恐ろしい。食い殺され、熊のステータスがUPし、復活した私をまた喰い殺しというループに嵌ったらタマモでも助けられない。死因耐性を獲得しても熊さんの進化ペースが耐性上昇よりも早かったら意味がない。

 私の肉で味を占め、スペックを上げた人喰い熊を解き放ったら近場の縄文人の集落ぐらい簡単に消滅する。普通の熊でさえ銃を持った猟師が殺されるのに、縄文人に熊グレートに勝てというのは無謀だ。


 君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし。自分のためにも縄文人のためにも、猛獣には近づかないに限る。
















 梅雨が明けたという事は川の増水が止まり流れが穏やかになったという事で、縄文人が漁に来る可能性が高い。一応石室の周りを流木と草で念入りにカモフラージュしておいた。

 長雨と川の増水でちょいちょいこのあたりの風景は変わっているから、違和感はもたれないだろう。遠目には分かるまい。

 山間の川辺の日陰は夏でも涼しい。石室の中で膝を抱えて水辺で楽しそうにぱちゃぱちゃやっているタマモをぼんやり眺めていると、急に動きを止め、上流の方を見てこちらに戻ってきた。


「どうしタマモ?」

「くぉん、わ"ーん」


 タマモは鳴きながら走ってきて私の膝に飛び込み、警戒した様子で川上を見る。その視線の先を追うと、ちょうど縄文人が四人、槍を持って森の中から出てくるところだった。梅雨明け早々、さっそく来た。

 タマモと一緒に息を潜め、カモフラージュ用の流木の隙間から覗き見る。

 相変わらず縄文人達は濃い顔をしていて、粗末な麻服で、槍装備だった。ただ、梅雨前よりも心なしかやつれている。縄文人達も梅雨で動けなかったのか、それともカビたものでも食べてお腹を壊したのか。

 縄文人達は前回見た時と同じ場所で漁をはじめた。恐らくあの場所は漁に都合が良いのだろう。下流に降りて来る事はなく、私達に気付きもしない。


 しばらく観察していたが、長い事待ち望んでいた割に面白味の欠片もなかった。彼らはじっと槍を構えてひたすら水面を睨み、時折突き込むだけ。遊びではない、原始的・野性的な狩猟。

 正直見ていてじれったい。網使えよ、と叫びたくて仕方ない。タマモはすぐに飽きて、私の膝の上で丸くなってウトウトしていた。


 一時間ほどで縄文人達は一人二、三匹ゲットし、水から上がった。やっとか。集落に帰るに違いない。

 涎を垂らして寝ているタマモを膝からそっと降ろし、立ち上がる。タマモはハッと目を覚まし、寝ぼけ眼で私を見上げた。


「くぁん?」

「タマモはここで待ってて。私はお出かけしてくるから」

「……きゅーん」


 タマモは私の言葉を聞くとその場にお座りをして、悲しそうに耳を項垂れさせた。タマモはほとんど日本語が通じるので、「待て」も「伏せ」もいらない。物わかりのいい狐で大変助かっている。

 私はタマモの柔らかな毛皮を撫で、追跡を開始した。


 石室から川べりに向かい、それとなく配置しておいた岩や茂み、流木に隠れながら四つん這いになってカサカサ進む。

 縄文人達は対岸に怪しい人間(?)がいる事に気付きもせず、木に串刺しにした魚を縄にひっかけている。私が天狗の葉っぱを頭に乗っけて川に口元まで入ると、彼らは縄にくくった魚を背負って森に入っていくところだった。もし今振り返っても、川に葉っぱが浮いているようにしか見えまい。ちょっと水面から浮遊して見えるかも知れないけど、アホみたいに目立つ白髪をそのまま晒すよりはマシだ。


 反対岸までそろそろ移動し、岸部に河童のように潜む。縄文人達が木立に入っていき、振り返っても分からないぐらい離れたと確信した所で水から上がってカサカサッと素早く河原を這い、木の陰に隠れた。水を含んで重くなった髪を絞りながら縄文人達を覗き見ると、ほとんど警戒した様子もなくサクサクと歩いて遠ざかっていっていた。ドキドキする。見つかってないよねこれ。実は気付いていて、森の奥に誘い込む作戦とかそういうのはないよね。


 あまりじっとして考え込んでいると見失う。私は急いで手近な枝を折り、雑草を引っこ抜いてそれに巻きつけた。そうして作った偽装用の枝を前に掲げ持ちながら、姿勢を低くして縄文人を追う。

 そこにいると知っていれば見つけられるが、知らなければ気付けない。そんな距離を保ちながら尾行する。尾行しながら髪の毛にも落ち葉をまぶして絡めさせ、少しでも目立たないようにする。長くて湿った髪は重かったが、よく葉っぱが絡みついた。


 よく漫画で木の枝を持って隠れるシーンがあるが、ちゃんと距離をとって真面目にやればあれはあれで有効なカモフラージュになる。あちらは尾行者がいるなんて思っていないというのが一番大きい。そうと知っていれば割と簡単に見つかる偽装だけど、気付かれなければよかろうなのだァー。


 縄文人達は寄り道せずまっすぐ歩いて行った。方角は大体東。ちょうど石室から正反対に遠ざかっていく形になっている。

 一度河に浸かったせいでぐちゃぐちゃに濡れた体に冷や汗が流れ、初夏の少し生ぬるいそよ風が時折肌を舐めていく。ぐちゃぐちゃした気持ちの悪い葉っぱ服を脱ぎ捨てたかったが、枯れかけて色褪せた服もカモフラージュに役立っているので脱ぐわけにはいかない。

 緊張と苛立ちで時間の感覚が変になっていたが、たぶん二、三十分ほどで縄文人は集落に到着した。少し離れた位置に生えている特に葉の茂った木に登り、集落全体を観察する。


 集落には歴史の教科書やドキュメンタリーで見たようなタテ穴住居が全部で十四件建っていた。出入り口は全て集落を二つに割る小道に面している。

 ある住居の軒下に木の実をすりつぶす女がいた。平らな石を二つ使ってゴリゴリと潰し、殻と実を別々の土器に入れている。この彼女も麻服だ。

 集落の端には貝塚というかゴミが積まれた山があり、子供が二人木の枝で山をほじって遊んでいた。他に人の姿は見えない。いくつかの住居の屋根から煙が漏れている所から察するに食事の時間なのだろう。先ほどとった魚を焼いているに違いない。


 警戒しながら三回ほど場所を変えて集落周辺を見渡したが、田は確認できなかった。稲作は伝わっていないらしい。

 小規模な集落、貝塚、装飾の少ない縄文土器、槍を使った原始的漁、粗末な麻の服。紀元前七千年頃と推測される。

 食事時が過ぎると三々五々人が若木で作ったカゴを片手に住居から出て森に散っていった。私が潜む木の下を歩いていった時は心臓が1km先まで聞こえそうなぐらいの激しいビートを刻んでいたが、気づかれなかった。人間は上方向への警戒心が薄いのだ。


 住人は全員黒髪黒目。全体的に薄汚れていて、特に男は毛深く、もじゃっとしていた。女も多少処理はされているようだが現代とは比べるべくもない。

 顔立ちは眉が太く彫りの深い者ばかりで、はっきりいって不細工だらけ。大人はニキビの痕が残った顔も多い。数人しか確認できなかったが、歯は驚くほど黄色い。

 当たり前の話だが、生きるのに精一杯で美容に気を使う余裕も知識もないのだ。これで身綺麗なイケメンや美少女がいたら何者かの作為を感じる。

 しかし不細工ではあるが、なんというかワイルドな不細工で、ブサかっこよさを感じた。現代の温室不細工とは格が違う。縄文時代、あなどれん。


 顔の話はこれぐらいにして。コミュニケーションで最も重要な言語、これは絶望的だった。

 耳をそばだてて幾つかの会話を拾った限り、言葉は普通に喋っていた。ウッホッホとかウッキーとか、鳴き声うなり声の延長ではなく、明確な言語体系が感じ取れる。

 しかし全く理解できない。現代日本語とアクセントが違うとか、訛っているとか、そんなレベルではない。単語も文法も何一つとして理解できない。私の知る日本語とは共通点が全く見あたらないほどの違った言語だった。縄文語と言ってもいい。

 これはもうボディランゲージか拳で語るしかないな。彼らに異文化交流の経験は勿論ないだろうから、分かり易い行動で分かり易い関係を築く。これが鉄板だ。複雑な事をしようとすれば絶対失敗する。


 夕日が沈む前に縄文人達はばらばらと帰ってきた。数えてみたところ、この集落の人口は五十人ほどのようだ。住居から出ていない者がいるとするともう少し多いかも知れない。

 私はもう森から帰還する者がいないのを確かめ、夕闇に紛れてタマモの下に帰った。


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