三十三話 大神の群れ
四死分の灰を宝器に入れて、予備の麻服に着替え、私は巣に戻る狼の群れの後についていった。特に急ぐ理由もなく、のんびりと移動する。いくら餓えていても狼の群れに襲い掛かる獣はいない。近寄ってくる気配すらなかった。これだけでも軍門に下った甲斐はある。私が約束を守る限り、白狼も約束を守って(食べないで)くれると信じてる。
タマモは無邪気にじゃれてくる子白狼に、牙を剥き出しにして尻尾を逆立て邪険に追い返していた。あららー。
「タマモ、あんまり虐めないようにね。仲良くしようよ」
「うー。おおかみ、わたしたち、いじめた。どうしてなかよくするの?」
「まあそうなんだけどね。えーと、喧嘩してもどうせ勝てないでしょ? ラブ&ピースでいこう。話し合おう、助け合おう」
「……わかった」
「よし、良い子」
しぶしぶ頷いたタマモを抱き上げて、ご褒美に撫でまわす。すると子白狼が私の隣にくっついて歩きながら期待顔で見上げてきた。えっ?
困惑して前を見ると、先の方を歩いていた雌白狼が視線に気づいて振り返り、わふんと鳴いた。「抱いてあげて」と言っているっぽい。
では僭越ながら……
「ほら、おいで」
「やだ。ここはタマモの。あっちいって!」
タマモさーん!? ラブ&ピースはどこいっちゃった? 愛と平和ですよ!
そっぽを向いて私の胸にしがみついて、てこでも離れない。子白狼は抱っこしてもらえないと知ると、寂しそうに耳を垂れて離れていった。ちょっと心が痛む。
ああ、これで白狼のヘイト上がったりしないよね? 『群れの一員』なんて言われはしたけど、新参者は肩身が狭い。タマモの嫉妬は嬉しいけど、あんまり波風立てるのはね。
気まずい思いをしながら小一時間も歩くと、狼達の巣穴についた。崖下に開いた亀裂を巣として使っているらしく、亀裂の中に白狼達がぞろぞろと入って行く。亀裂の入り口は私がギリギリ入れるかどうかの大きさで、中を覗くと、枯草のベッドに狼達が思い思いに寝そべってくつろいでいた。内部は天井こそ低いもののけっこう広い。
ふと視線に気づいて振り返ると、四尾が入り口と私を見比べていた。
「な、なんでしょうか」
「この巨体では入れぬ」
「えっ? ああそっか、じゃあ入り口削って広げてみたらどうですか? 牙か爪で」
四尾は言われるがまま爪で入り口を削り始める。尻尾が増えて強固になった爪は岩よりも硬度が高くなっているらしく、ぽろぽろと細かく岩は削れていく。
が、すぐに爪をおろし、ぼそりと呟いた。
「爪が痛い」
……ああ、はい。そうですよね。豆腐のように切り裂くとまではいかないみたいだし、無茶な使い方をすれば痛くもなる。それに入り口を広げたところで内部の天井が低いから、入ってもぎゅうぎゅう詰めになるのがオチ。
「他の方法は?」
「崖に寄せて小屋を作る感じなら、まあなんとか」
「ふむ?」
興味を示した四尾に、地面に枝で図を描いて説明する。崖に入った亀裂を塞ぐようにして小屋をくっつけて建て、小屋に入り口と裏口を作る。裏口と亀裂を繋げれば、普通の白狼は入り口→裏口→亀裂の中の巣、と移動できるし、四尾は小屋の中で雨風を凌げる。要するに巣を手前側に広げればいい。
説明が終わると、四尾は尻尾をわっさわっさ振って賛成した。
「なるほど、巣の拡張ではなく増設か。そうしよう」
「木を伐って集めるので何日かかかりますけど」
「む。岩で代用はできないのか?」
「岩を積み上げるのもアリだと思いますけど、運ぶの大変ですよ?」
「そうでもない」
四尾は崖下に落ちている自分と同じぐらいの大きさの岩に前脚を当てて、ぐっと踏ん張った。しかし動かない。いくら四尾でも無理かぁ、と思って別の方法を提案しようと思ったら、四尾の尻尾が一本光り、黒ずんだ。同時に四尾の筋肉が一回り膨れ上がる。
「がぁ!」
唸り声を上げて前脚を突きだすと、岩はゴロンと転がった。わーおパワフル。
なるほど、白狼は尻尾消費でパワーアップするのね。進化経路がファイター系なのかな。
感心している私が見ている前で、四尾は次々と回りに転がっている岩を転がしてきて、前脚や頭、尻尾を器用に使って巣の入り口の前に積みあげた。重機いらず。
あっと言う間に巣の前に張り出した岩屋ができる。尻尾強化が切れて萎んだ四尾が満足そうに前脚で完成した岩屋をたしたし叩いていると、巣の中から子白狼が出てきて岩屋に登ったり隙間に顔を突っ込んだりし始める。タマモもうずうずそわそわしていたので放してやると、子白狼に混じって岩屋の周りをうろちょろした。前世、旅行先の宿屋にチェックインした時、親戚の小さい子が真っ先に部屋の冷蔵庫や箪笥の中や机の引き出しを漁っていたのを思い出す。それと雰囲気がそっくりだった。ちょっとした探検気分らしい。
一緒に探検してる間に仲良くなってくれればいいんだけどなー、と思う私の目の前で、早速岩屋の頂上に登ったタマモが下から登ってきた子白狼を蹴り落としていた。仲良くしようよお願いだからさ。
一緒に暮らしていると名前がないと不便なので、四尾は『オオガミ』と命名させていただいた。他の狼は『右耳』とか『遠吠え』とか『あったか』とか、体の特徴や特技をそのまま名前として使っている。これは素狼時代に呼びあっていたという名前を、そのまま日本語にしただけ。言われてみると確かに右耳が左耳より大きかったり、遠吠えがやたらと響いたり、体温が高くて暖かかったりする。一口に狼といっても、ちゃんと特徴や個性がある。当たり前だけど。
ちなみにオオガミの旧名は日本語訳すると『リーダー』とか『長』とか、そんな意味になる。名前というよりも称号だったので、ちゃんとした名前をつけた。
普通、狼は基本的に大型動物を群れで狩る。中型を狩ると、狩りに使う労力と得られる肉や内臓の補給量が大体つり合い、そこに狩りに失敗する可能性もいれると、ちょっと割に合っていない。小型の狩りは労力の方が大きく、狩りをすればするほど痩せていくので、小型を狩るぐらいならむしろ狩らない方が良い。と、いうニュアンスの事をオオガミからレクチャーされた。
もっとも、白狼は素狼と比べて燃費が良くなり、それでいて身体能力も上がっている。オオガミの配下の白狼達は群れではなく単体で狩りに出かけ、兎や鹿、猪などを狩り、その場で食べ、あるいは子白狼やその世話をする雌白狼のために持ち帰ってきた。それでも生活していけるように体が作り変えられたのだ。ちなみに私とタマモも雌扱いされているようで、狩りへの同行はしなくてもいいらしい。私は群れに加わってしばらくの間は、専ら持ち運ばれる獲物から皮を剥いで、敷物などに加工する作業に従事した。
知能が上がったからか、それとも野生の本能として知っていたのか、白狼達は狩りの効率が上がったからといって獲物を狩りすぎるような真似はしなかった。限定された地域で同じ獲物を狩り続けると、獲物が枯渇するという事を十分に分かっていて、縄張りを広く持ち、その範囲の中でまんべんなく、必要なだけの獲物を獲ってきた。ちょっと力をつけてきた途端に動物を絶滅させまくった人間とは大違いだ。特に今年は飢饉だから、ただでさえ餓えた動物達に頂点捕食者と化した白狼の群れが本気で襲い掛かれば、近郊の生態系に今後何十年にも渡る深刻な被害が出たと思う。白狼が奥ゆかしくて本当に良かった。
白狼達から分けてもらった肉や新鮮な内臓を、私は火を使って焼いたり煮たりして食べた。プロメテウスの賜物を白狼達は最初こそ恐慌状態になって逃げ散るほど恐れていたものの、すぐに過度には恐れなくなった。火を恐れない肉食獣……白狼の凶悪化を後押ししてしまった気がしないでもない。
ただ、過度には恐れないだけで、私が近くにいない限り決して火に近寄ろうとしなかったし、例え私が近くにいても、「熱い」と思うような距離までは近寄らなかった。あっさり火に順応して煙に飛びついたり火傷しそうになったりしていたタマモとは警戒度が違う。
火そのものは警戒しても、火で炙った肉や熱を通した内臓は白狼の間で大変な人気を博した。塩を振った焼肉の厚い一枚などは子白狼から雄白狼まで混ざった取り合いになるほどだった。火を扱って肉を焼けるのは私だけなので、毛皮作成の他にも肉焼き係としての役柄も獲得した。これには安心した。白狼に見放されたら酷い事になるから、立場はしっかり固めておきたかった。予防線は多ければ多いほど良い。
白狼達の群れの一員になって一ヵ月も経つと、お互いに変な警戒や好奇心は薄れ、普通に一緒に過ごすようになってくる。タマモもつんけんした態度を軟化させて矛を収め、お姉さん顔で子白狼をあしらうようになっていた。
巣の周辺の地理も散策を繰り返して大体把握した。ちょっと離れたところに沢があったので、とりあえずそこに宝器と山葵の苗を設置しておいてある。
あとは塩田の作成、養蜂、家の建築、窯造り、粘土探し、貯蔵用土器作りをクリアして生活レベルを前と同じ程度まで上げたいところだけど、生憎そろそろ寒さが厳しくなってきた。霜が降り、雪が振り、出歩けば寒さが身に染みる。春までは狭い巣穴に籠って我慢する事にした。どうせ全部整えようと思ったら二年はかかるだろうし、焦っても無駄に疲れるだけ。
巣穴の中は外と段違いに暖かかった。敷き詰めた毛皮と狼の体温でぬくぬくと温まる。ただ獣臭いのだけが難点で、桂の落ち葉を集めてきて近くに置いて誤魔化している。焼いたカラメルのような甘い匂いが獣臭さを上手く中和してくれた。
巣の中では基本暇なので、寝るか服を編むかタマモやオオガミとお喋りするかして過ごしている。服を編むための糸は、白狼の抜け落ちた毛と一死分の灰と混ぜる事で作った。なんとなくできるかな~、とフィーリングでやってみたらできてしまったのでちょっと驚いた。大量に集めて灰と混ぜた抜け毛は一体どういう原理なのか一本の長い糸に纏まった。それを木を削って作った編み棒で編んでいる。灰混ざってるし、どんな性能になるかは分からないけどけっこういい服になるんじゃないかと期待は高い。
厳冬の季節、私は白狼達が狩ってきた肉を恵んでもらいながらだらだらと過ごす。ほとんど何もしなくても喰っちゃ寝していればいいというのは凄く気楽で、堕落してしまいそうだった。巣の入り口に張り出したつららを意味も無く折って時間を潰している自分に気付いた時は軽く死にたくなった。春になったら働こうと決意を固める。
だらだらしている間に一つ発見があった。タマモや白狼が消費? した尻尾は、一本あたり約一ヵ月で回復するらしい。日が経つにつれて変色した尻尾が根元からじわじわ元の色に戻っていっていた。
オオガミの方はどうでもいいけど、タマモの尻尾が回復したのには心底安心した。全回復状態からなら三回までは連続で死んでも生き返る事になる。もし消費した尻尾が自然回復しないなら、事故死防止用に命のストックを増やすためにまた私を食べさせようかと悩んでいた。何度死んでも死ぬ事には慣れない。死なずに済むならそっちの方が絶対に良い。三回もストックがあれば、ちょっとやそっとの災害に見舞われたぐらいなら切り抜けられる。大量絶滅クラスは流石に無理だろうけど。
そうして、光陰矢の如し。桂の葉の臭い消しの効果が消えていくのに反比例して獣臭さに鼻が慣れ、雪解けが始まる頃にはすっかり体に狼の臭いが染みついていた。越冬前には執拗に自分の毛皮を舐めて臭いを取ろうとしていたタマモも諦め顔。
雪が融けて地面が出てくると、そこにフキノトウが顔を出し、木々は萌え、それを食べようと草食動物が顔を出し、更にそれを狙って肉食動物も動き出す。命の連鎖、生命の季節。今年も春がきた。
灰を混ぜた白狼の抜け毛糸で織った服はちょうど出来上がっていた。純白の半袖ワンピースで、表現が難しい、しかし不快ではない不思議な質感。すごく薄くて比喩ではなく羽のように軽いのに、黒曜石のナイフを思いっきり突き立てたぐらいだとびくともしなし、火に投げ込んでも燃えない。オオガミが尻尾消費で爪を振るってやっと裂けた。更に汚れや臭いがつきにくく、常に清潔で真新しい。裂けた部分も数日で勝手に直る。トドメに温度調節機能もあるらしく、着ていると寒さをカットしてくれる。
私はこの高性能な服を「宝衣」と名付け、常に身に着ける事にした。織ってる時は、着ているだけで腕力UP! とかあると嬉しいなーなんて思ってたけど、この性能でそこまで望んだらバチが当たる。現代の服でもこんなにハイスペックな服はない。超薄くて着てる気がしないほど軽いとか、ナイフで裂けないとか、温度調節とか、汚れないとか、一個一個で見ればあったけど、全部合わせたものは無かった。
雪が消えると地面が剥き出しになり、何かと動きやすくなる。冬の間巣に籠っていた子白狼達は大人の白狼に付き添われ、狩りの練習に励む。大人が疲れさせたり弱らせたりした獲物で練習したり、じっと観察したり。子白狼達は大人よりも警戒心が弱い代わりに、好奇心旺盛で、なんでも挑戦して、失敗したり、成功したりしながら思慮深さや分別を身に着けていく。
そんな子白狼だからか、一匹の仔が火の恐怖を克服して、肉焼きを覚えた。発火こそできないものの、既に点いてる火を保たせる事はでき、爪で器用に肉を裂いて石に乗せ、口に加えた木の棒で火加減を調節しながら肉を石焼きにする。その子はたちまち名前が変わり、『やきにく』と呼ばれるようになった。火を使う生物が人間だけではなくなった、歴史的事件だった。
ああ、ずば抜けた身体能力だけではなく火すら手に入れた白狼はこの先どうなってしまうのか。もしかしたら人間との熾烈な生存競争を繰り広げる事になるのかも知れない……なんて事よりも私を悩ませるものがある。
白狼が肉を焼く事を覚えた。毛皮のお仕事は終わって、肉焼きも私だけの仕事じゃなくなった。って事は、私お役御免ですか!? ヤダー!
戦々恐々と斬首を待つ罪人の心境で沙汰を待つ。ところが何週間経っても扱いは変わらなかった。今まで通り、別に何をしなくても毎日2、3食狩ってきた肉を食べさせてくれる。太らせて食べる気? と訝しむも、そんな手間をかけなくても何度も喰い殺した方が遥かに手っ取り早いよねと思い直す。
釈然としないまま、春は過ぎて梅雨の季節になる。雨の間の晴れ間に沢の山葵の様子を見に行くと、『右耳』がついてきた。逃げ出さないように監視かな、と緊張しながら、増水した沢に入り、泥水を被った山葵の葉を洗っていく。
屈みこんで丁寧に洗っている途中で、うっかり苔むした岩を踏んでしまい、体がぐらりと傾いた。
ひ、と悲鳴が漏れる。バランスを戻せない。頭から沢に突っ込むその刹那、『右耳』がさっと体を寄せてきて、転ぶのを防いでくれた。
「え? あ、ありがとう」
「わふん」
お礼を言うと、いいってことよ! という顔で『右耳』が鳴く。リラックスして鼻先で足元の山葵の苗をいじり始めた『右耳』をまじまじと見て、私は唐突に気付いた。
私は、甘やかされている。
今の生活を冷静に考えなおしてみると、完全に庇護対象扱いだった。
何かをやれとコキ使われた事はないし、虐められた事もない。黙ってゴロゴロしていても一日三食昼寝付。外敵から守ってくれるし、遊び相手にもなってくれる。まさに至れり尽くせり。偏見を取り払ってみれば、この時代で一番贅沢をしている人間よりももっと贅沢している。最初の毛皮以外は全部私が自発的にやっているだけ。『右耳』も監視じゃなくて護衛。
巣に帰り、突っかかって来るタマモをあしらっていたオオガミに聞いてみた。
「オオガミさん、私、こんなに扱いが良くて良いんでしょうか?」
「む? ……ああ、最初はもしや何か謀略を巡らしてはいないかと多少の警戒はしていたが、食を共にする内に悪逆の徒ではないと分かった。最早我らの群れにアマテラスに反感を抱く者はおらぬ。今年の冬は一等厳しかった。ともすると、アマテラスの毛皮がなければ凍死する者が出たやも知れぬ。何度も喰い殺し恐怖と苦痛を味あわせた負い目もある。それに焼き肉、あれは良い物だ。何やらずっと気を張っているようだが、我々はアマテラスもタマモもこの先永遠に決して害する事はない。恩は返す」
オオガミは私を見つめて真摯に言った。タマモもオオガミに掴みかかるのをやめて尻尾を垂れさせている。
私は胸を打たれ、湧き上がる感情でいっぱいになってしばらく言葉が出なかった。
縄文時代に来てからこの方、甘やかされた事なんて一度もなかった。怖がられたり、殺されたり、憐れまれたり、尊敬されたりはあったけど、甘やかした事こそあれ甘やかされた事はない。
集団に属している、という盤石の安定感と安心感が私を満たす。タマモとの支え合う関係とは違う、寄りかかれる相手。不覚にもケモノ相手にときめきそうになった。流石にそこまで業の深い道には堕ちなかったけども。
相手が狼なら、ある意味人間よりも信じられる。私はこの日、心からこの群れの一員になった。




