二十九話 縄文グルメ
縄文生活七年目、春。現代と縄文の差に驚く事より、現代を懐かしく思い出す事の方が増えてきた今日この頃。
ここ数ヶ月はほとんど毎日集落に絵本の読み聞かせに出向いていた。最初の数冊の絵本は物珍しさからかいくら読みか聞かせても飽きられなかったけど、最近では二十回(二十日)ぐらいでだいたい皆飽きてしまうようになった……というか次の絵本を催促されるようになった。
主に昔話や童話を縄文人でも理解できるように改変しつつ、順調に作戦は進んでいる。
一番の心配は文字の概念そのものを理解してもらえない事だったけど、そこは問題なく、既に五十単語(浦島太郎で頻出した『かめ』『さかな』、狼と三匹の子狐で頻出した『おおかみ』『きつね』など)以上を読み取ってもらえるようになっている。考えてみれば、動物だって木に傷をつけて目印を作るものがいる。記号に意味を持たせるという概念自体は理解できて当然。ただし書くのはまだ誰もできない。絵本を模倣しようとする人もまだ出てきていない。
一度読み聞かせの後に絵本を集落に置いていったら、次の日には1ページずつバラバラ惨殺死体にされて飾られていて泣いた事がある。まだ絵本や文字に対する興味はあまり持たれていないらしい。なんというか、変わった絵と模様(文字)に興味を持たれている感がある。絵本という一つのまとまったモノだという認識は薄い。
私には強制的に文字を学ばせたり本を破るなと命令したりする力も権威もないから、このあたりはゆっくり認識が変わるのを待つしかない。無理やり教えると嫌がられる。正直もーちょっと学ぶ意欲を持って欲しいけど、私も小学生の頃は勉強嫌いだったし人の事は言えない。
絵本は品質が悪く作りが脆いので、すぐにボロボロになる。湿気に弱く、ただでさえ滲みがちな文字もこすれてすぐに読みにくくなる。そう考えると、二十回で次の絵本、というのは悪くない。ちょうどそれぐらいで絵本が使えなくなりはじめるから。
最近は絵本を持っていくと老若男女が寄って来て期待顔で包囲される程度には馴染まれている。毛皮を敷いた席が用意してあったり、読み聞かせの途中で喉を潤すために冷たい水を用意してくれていたり。こうやってチヤホヤされるのはなんだかんだで嬉しい。早く次の絵本次の絵本ってつつかれるのはイライラするけど。そんなに新しい絵本が読みたいなら自分が供給元になれよっていうね。
ちなみに古い絵本は全部とってある。一生懸命作った絵本は読めなくなっても捨てるのは勿体ないというかかわいそうというか。
絵本についてのアレコレはそんな感じ。
さて、数ヶ月間何度も何度も絵本を作っていると慣れてきて、別の事をする余裕ができる。やりたい事やれそうな事は色々あるけど、養蜂を始めてみる事にした。
縄文時代の不満ワーストテンに入るものとして、甘い物がほとんどないが挙げられる。
甘い木の実もあると言えばあるけど、品種改良されていないから苦味や渋みが強いし食べにくいし小さいし量が少ないし収穫が安定しないし甘みも弱い。いくら食べても全然満足できない。
甘味でもお菓子でもスイーツでも呼び方はなんでもいい。甘いものが食べたい! と、いう事で養蜂にチャレンジ。
縄文時代に来てから食べたモノの中で一番甘くて思い出に残っているのは、なんといっても蜂蜜。お菓子に使って良し、そのまま舐めて良し、蜂蜜酒にして良し。こんなに便利なものはなかなかない。サトウダイコンとかサトウキビはね。この時代はね、日本にないからね。実質蜂蜜以外に選択肢がないだけなんだけど。
さて、まずは覚えている養蜂知識を纏めてみよう。
蜂蜜はミツバチが花の蜜を集めて作る。蜂蜜はミツバチの保存食。ミツバチは花の蜜を受け渡しながら発酵? させて蜂蜜に変える。蜜を集める花の種類によって蜂蜜の味が変わる。毒草の蜜が混ざると蜂蜜に毒が混ざってしまう。蜂には女王蜂が一匹だけいて、女王蜂が働き蜂を生む。蜂の幼虫がロイヤルゼリーを食べるかどうかで女王蜂になるか働き蜂になるかが決まる。ミツバチの天敵はスズメバチ。蜂の巣からは蜜蝋も取れる。蜜蝋は甘い香りがするらしい。木の巣箱を設置して女王蜂を入れて繁殖させ、蜂蜜を作らせる。巣箱には蜂が巣を作り易い様に枠を作っておく。できた蜂蜜は遠心分離で取り出す。春はミツバチが蜜を作る季節だった気がする。ミツバチは毒が強くないので刺されても致命傷にはならない。ミツバチのお尻の針は卵管なので、一回刺すと抜く時に卵管と一緒に内臓がまろび出て自分が死ぬ。
以上。
まとめてみると以外と知識が多かった。案外いけそうな気がしてくる。
まず自宅の山の近くの毒草を片っ端から引っこ抜いて焼き払い、枝払いをして日当たりを良くして、木を何本か伐り倒して広場を作る。そこに花を集めてきて植えた。それが昼間の作業で、夜は石製のハンマーやノミを使ってせっせと木を加工して巣箱と遠心分離機を作る。これだけであっという間に一年が経った。木を伐り倒す時に集落の人達に手伝ってもらわなかったら三年はかかったと思う(伐った木は集落のタテ穴住居建て替えに使うらしい)。
巣箱は長方形の箱に仕切り板を何枚か入れた。確かこんな構造だった……はず?
遠心分離機は木製の八角柱二重構造で、取っ手を回すと内側の八角柱が回転して、内外の間の空間に蜂蜜やらなにやらが溜まる仕組みになってる……といいな! 動く事は動くんだけど、実際試してみないと上手く蜂蜜が採れるか分からない。うん、駄目そうな気がしてきたね。
縄文生活八年目、蜂の巣をタマモと手分けして探しだし、女王蜂を巣箱に入れて様子見。
するとたちまち女王蜂は働き蜂をわんさと産んで、巣箱からは毎日ひっきりなしに蜂が出入りするようになった。用意しておいた花畑をぶんぶんと飛び回っては蜂蜜を集めている。あっさり成功しそうな予感に狂喜乱舞した三日後、私は思った。
どのタイミングで蜂蜜を採ればいいのか分からない。
小まめに遠心分離機にかけて蜂蜜をとればいいのか。一年に一回だけ採るのか。季節に一回なのか。頻繁に巣を弄るとストレスになってミツバチが早死にしそう。蜂蜜はミツバチが保存食として作る(?)ものだから、越冬前に取ったら餓死しそうだとは思うけど。
迷った末、毎日巣箱の前に張り込んでミツバチの出入りを観察して、蜂の出入りが少なくなってきたら採る事にした。たぶん花の開花時期が一番忙しい、はず、だから、小康状態になったら蜜を集め終わった、はず? それとも一年中いろんな花からとっかえひっかえ蜜を集めてるとか? ああ分からない。ちなみに縄文人達は蜂蜜といったら巣を壊して採るもの、としか考えていなかったので、養蜂のアドバイスはもらえなかったガッデム。
絵本の読み聞かせを休止して様子見をしていたら、花が咲き終わる頃にミツバチの出入りが急に少なくなった。考えてみれば当たり前。張り付いて観察する必要なかったね。余計な苦労した。
とにかく準備が整ったので、巣箱を燻して蜂の動きを鈍らせ、板を取り出してみる。板にはびっしりと蜂の巣ができて、白くて丸々とした気持ち悪い蜂の子やらノロノロと元気なく動く蜂やらがいた。黄金色のハチミツもばっちりできている。
わくわくしながら巣箱から出した板を遠心分離機にセットしてぐるぐる回す私の足元では、さっきまで花畑でチョウチョを追いかけ回していたタマモがいつのまにかお座りして期待顔で見上げている。相変わらず調子がいい。いやタマモがいても特にやる事なかったしいいんだけど。
そうして蜂蜜を巣から分離して、巣箱を再セット。蜂が動きを取り戻して巣箱に戻っていくのを確かめてから、小壺になみなみと溜まった蜂蜜をタマモと分け合って舐めた。ああ、久しぶりの甘味!
「……あれ?」
「……くぁん?」
と思ったけど、なんかこう……微妙。あんまり甘くない。確かに甘いけど、期待したほどは甘くない。私とタマモは揃って首を傾げる。
「いける!」と思ったら実は駄目だったパターンは何度も経験してるから、ガッカリ感はあんまりない。純粋にどうして甘くないのか分からない。ミツバチの種類? 花の種類? 季節? 個体差? 期待で甘さの要求ハードルが上がっていただけ?
その答えはしばらくして分かった。
大切に食べようととっておいた蜂蜜が、一週間ぐらいするとだんだん発酵してきた。酸味が出てきて、アルコール臭がして、すっぱくなってくる。
普通、蜂蜜は放置していても発酵しない。水を混ぜて薄めると蜂蜜酒にはなるけど、そのままなら発酵はしない。でも発酵した。なぜか?
私は蜜が蜂蜜になりきっていなかったからだと考えた。花の蜜はそれだけでも甘いけど、糖度は低い。それがあっまーい蜂蜜になるのは、ミツバチが酵素やらなにやらでモニャモニャして精製しているから。
今回、蜂の蜜集めが終わってからすぐに採蜜した。つまり最後のあたりで蜂が集めた蜜はまだ精製が中途半端で、蜂蜜になっていない。だから糖度が低い。
簡単に言えば蜂蜜の熟成が足りなかった。
やってしまったものは仕方ないので、諦めて最初のハチミツは全部水で薄めて更に発酵を進めて蜂蜜酒にして、集落に振る舞った。大人だけにあげようとしたら子供に文句を言われ、大人も平然と子供に飲ませてしまったのでちょっと罪悪感。アルコール依存症なんて知らないし伝えにくいから……まあ好感度はかなり上がったみたいだしいいのかな、うん。
集落には酒が存在しなかったので、ずいぶん喜ばれた。一部の物好きはわざと果実を食べ残して発酵させて酸っぱくして食べる、というのをやっているけど、アルコール発酵はさせていない。アルコール発酵は糖を利用した嫌気的反応で、酸素が多いと起こらないから、貴重な甘い物を密封して放置しておかないといけない。アルコール発酵せずにカビたり腐ったりする危険もあるし、普通はそんな事をしようとは思わない。私だって知識がなかったら絶対やらなかった。すごいね、現代知識。
基本的に蜂は花さえあれば寒くて動けなくなる冬以外蜂蜜を作り続けるようで、私は季節が変わる毎に花のある場所に巣箱を移動させては蜜を集めさせ、熟成するまで待って、蜂蜜を集めた。おかげで食卓は一気に華やかになった。
ドングリクッキーに蜂蜜を混ぜるだけでまるで別モノの美味しさになるし、夏は水で薄めて川の水で冷やし飲むと汗も疲れも吹き飛ぶ。
味を占めた私はいっそ集落にも蜂蜜を手土産に養蜂を勧めてみようかな、とも考えたけど、やめた。集落単位で養蜂を始めたら、絶対近場の花が足りなくなる。まだ人工花畑の規模もそんなに大きくないし。集落に養蜂を委託するのはもうちょっと花畑を広げてからにしよう。
冬は蜂が動かないので、養蜂作業は暇になる。私は養蜂に夢中でサボりがちだった絵本の読み聞かせを再開した。夜は遠心分離機の修理や改良型巣箱作成に費やす。
私がアレコレやっているのは集落ではもう有名な話で、養蜂でハチと戯れていても「またアマテラスが変な事やってる」としか思われていない。これが「何かするんですか!? 手伝いますよアマテラスさん!」「きゃールルメノさん今度はどんな素晴らしい発明をするんですか? 私、気になります!」とかそんな展開になるのは一体いつなんだろうね。
翌年、縄文生活九年目の春。ミツバチは越冬に失敗して全滅していた。ショックで涙も出なかった。巣箱に風よけとか雪よけとか作っておけばよかった……あと日蔭に置いたのも不味かった気がする。ごめんミツバチ。
それから数年はひたすら養蜂と絵本だった。
スズメバチの襲撃でミツバチが全滅して絶望の底に突き落とされたり、遠心分離機を回している途中で遠心力に耐えきれずに壊れてハチミツを地面にぶちまけてしまったり、女王蜂を世代交代させるテクニックを学習したり、巣箱の改良を進めたり、花畑の選別と拡張をしたり。
養蜂三年目でようやく蜜蝋も作れるようになった。蝋が巣に溜まっているものだと思い込んでいて、「あれ? 蝋が無いな、どこにもないな、なんでだろう」と思っていた私は馬鹿だった。蜂蜜は本来蜂の保存食。蜂蜜は人間のごはんじゃない。ちゃんと意味があって作られている。蜜蝋も同じで、人間のために分かりやすく「ハイ蜜蝋つくっておきました、お納め下さい」なんてやってくれる訳がない。
私はよ~く観察して、巣の中の構造物がちょっとテカテカしている事に気付いた。つまり、巣そのものに蜜蝋の成分が含まれていて、それを精製した物が蜜蝋。蝋は高温で溶けるから、蜂蜜を採る時に巣も取ってしまい、それを煮込んで溶かし、冷やして水を捨てて底に沈殿したものを集める。それを布で越して不純物をとれば蜜蝋の完成。
ミツバチが巣箱の中に巣を作りながら蜂蜜を貯める→蜂蜜と巣を頂戴する。蜂蜜は食べて、巣は蜜蝋にする→巣も蜂蜜も奪われたミツバチは、また一生懸命巣を作り直し、蜂蜜を貯める→以下ループ。こんな流れになる。ミツバチ憐れ。悲しいけどこれ養蜂なのよね。
数年の間春夏秋と集落に蜂蜜を差し入れ続けた事で、流石の縄文人達も私が蜂蜜の安定供給元を持っていると気付いたらしい。「虫の宝」というぐらいだから、縄文人も蜂蜜を珍重している事は今更言うまでもない。私が種明かしをして養蜂の技術を教えると、数人が手伝ってくれるようになった。
絵本も子供を中心に拙い模倣が始まって、土器に模様代わりに文字を刻んだり、魔除けのつもりなのか住居の柱に文字を書いたりするようにもなった。まだ文字というよりも「変わった模様の一種」という雰囲気だけど、良い傾向には違いない。このままどんどん浸透して欲しい。
養蜂のお手伝いさんができた事で、また私の時間に余裕ができてきた。
縄文生活十三年目、鰹節作りに着手する。蜂蜜は言わばデザート。順番が逆になったけど、主食を豊かにするのも大切だ。それでなんで鰹節かと言えば、日本食で再現できそうなものがそれしかなかったから。稲と醤油と味噌に必要な大豆はまだ日本に伝来していない。昆布はあるけど、私は昆布の良さが良くわからない。これは鰹節を作るしかあるまいて。鰹節で出汁を取った肉と山菜のスープは想像しただけで涎が出る。
集落の男衆が海に出て獲ってきた初鰹を譲ってもらい、いざ挑戦。
縄文生活で身に着けた解体スキルを発動してささっと捌き、骨や皮や内臓はタマモにあげて身だけにする。鰹節の作り方は簡単。水分を飛ばし、カビの力を借りて旨みを増やして凝縮させ、更に乾燥させる。
カビを使うというのは知識で知ってはいてもあんまり良い気はしない。でも、実のところ、毒性のあるカビというのはほとんどない。むしろカビが生える事によって本来雑菌の繁殖に使われるニッチを奪い、有害な菌の繁殖が抑えられる。……と、本で読んだ事がある。もっとも、カビと一緒にカビが生えずに雑菌が繁殖した部分も一緒に食べれば結局お腹は壊すわけだから、カビが生えていれば安全というのは間違っている。
まず、捌いた鰹を、自宅の山に作った土器用の登り窯を流用して水を飛ばす。
料理では強火だとすぐに表面が焦げて中まで火が通らない。弱火だと中まで火が通る代わりに時間がかかって水分が飛んで、油断しているとパッサパサになる。私は鰹をパッサパサにしたいので、弱火でじっくりがベスト。
温度計がないこの時代、温度を正確に知りたければ肌で感じるのが良い。だからと言って火を入れた窯に手を突っ込めば大火傷確実……なんだけど、私は火耐性があるので、例え火の中に飛び込んでも、「熱い」とは感じてもそれが「苦しい」とか「痛い」とか「辛い」とは感じない。遠慮なく登り窯に手を入れて温度をみて、60~70℃程度でじっくり鰹から水分を飛ばした。
で、ここからが重要。カビを使う。
一口にカビといっても種類は眩暈がするほど多い。鰹節作りでは特定のカビを鰹節に生やす事で、カビが成長する時に鰹節の水分を奪って更に乾燥促進。同時に鰹節の栄養を吸って旨み成分に変換。これによって鰹節の品質が大きく上がる……と、昔お中元で貰った高級鰹節についてきた冊子に書いてあった。コウジカビとか割と有名だし、別に不思議な事でもない。
重要なのは、どのカビをどこで手に入れてどう使えばいいのかさっぱり分からないという事……!
私は鰹節作りの専門家でも、カビの専門家でもない。登り窯で乾燥させただけで鰹節作りは終了した。やるせない。
まあタマモが試作鰹節を大層気に入って、鰹節を咥えてぴょんぴょん飛び回る愛らしい姿を見れたので良しとしようか。




