二十八話 交易と絵本の話
縄文語には商人という単語がない。集落に品物を持ってやってきた人を私は交易人と呼んだ。でも本人にそんな意識はないし、そんな言葉もない。単純に「他の集落の人」と呼ぶ。
縄文時代は技術発展速度が穏やかだけど、無いわけじゃない。新しい技術は時々生まれ、廃れたり、広がったりする。その広げる方法が交易? だ。
ある集落で土器に複雑な模様を付ける技術が生まれたとしよう。するとその集落の人はできた土器を持って別の集落に行く。別の集落ではアシカ皮を上手く鞣す方法を見つけていた。すると土器とアシカ皮のトレードが成立する。土器の集落にアシカ皮を持ち帰り、それが便利なものであるという認識が広まると、もっと欲しがる。そして技術交換のために人材派遣が行われる。土器の作り方を教えるから、アシカ皮の鞣し方を教えてくれ、と、こういう訳だ。
縄文人は物を所有するという概念が希薄だが、集落間のやりとりはそこまでユルくない。簡単に貸し借りできないし。貴重なものは交換だ。交換してから家族や親類で普通に共有するから、やっぱり所有の概念はあやふやなんだけど。
また、黒曜石の産地から翡翠の産地に行き、黒曜石と翡翠を交換してきたり、大シケの海で見事漁を成功させた冒険譚や、集落の男衆総出で熊を狩った武勇伝を語り合う事で交換したり。技術的、物質的、文化的にと、「他の集落の人」は色々な交流の重要なキーパーソンになっている。
縄文人もそれを理解しているので、交易人が来るとまず間違いなく歓迎される。もっとも歓迎の理由は物品や目新しい物語目当てだけというわけでもない。この時代の旅が非常に危険である事にも由来する。
森に生きる縄文人でも、自分達の生活圏から外れれば狼や熊の縄張りに入ってしまい、殺される事がある。道に迷って遭難する事だってあるし、雨で動けなくなったり、旅の途中で病気にかかったり怪我をしたりして助けもなく野垂れ死にしたり。簡単な算数すらないので道中の食料配分を間違え、途中で食料がなくなり、採集にも失敗して餓死したり。アスファルトで舗装された道路を車で飛ばしてハイ隣町、というわけにはいかないのだ。この時代の旅は「大変」というレベルではない。「命がけ」だ。私の場合は命のチップが無限にあるからいくらでも賭けられるけど、普通はそうもいかない。
だからこそ交易人は尊敬と賞賛、歓迎を受ける。
南の集落から来たというその交易人は、ガッチリしたお兄さんだった。品物を詰め込んだ麻袋を背負い、砂浜を歩いてやってきた彼は、集落で一番大きな住居……というより集会所に逗留する事になった。集会所は基本的な造りこそ他の家と同じなものの大きさが五倍ぐらいあり、大人数での相談事やお祝い、または今回のような大切な客人の宿泊施設として使われる。
私も野次馬に行ってみた。集会所の一角に人だかりができている。たぶんあの中心に交易人がいる、はずだけど人垣のせいで近づけない。背が低いから背伸びどころかジャンプしても覗けない。割り込むのも無理。跳ね返される。ガッデム。
うろうろと突破法を探してみるも、熱気とガードの堅さが半端ではなく諦めるしかなかった。アレだね、蜜に群がる蟻みたい。いやもっと密度高いか。これはコミケで薄い本に群がる亡者だ。縄文人には勝てなかったよ……仕方ないので耳をそばだて声だけでも聞く。
「この土器いいね。どこの?」
「それはずっと南の方の集落の」
「わー、この石緑色してるっ!」
「きれー……」
「この鹿革あんまりよくないな。ウチのの方がいい」
「え? それは見てみたいな」
「ちくわ大明神」
「じゃあちょっくら持ってくるわ」
「その石とこの耳飾り交換しない?」
「誰だ今の」
「うーん、もうちょっといいモノとなら」
「これよりいいモノ? 何かあったかしら」
「かーさん真珠持ってたろ。あれ出せばどうだ」
「馬鹿っ、出せるわけないでしょ。あれは私の真珠よ。んー……そうだ、塩! 塩出しましょう」
「シオ?」
人垣からおばちゃんが一人離れていった。そっか塩か、確かにアレは交換に使えるなー、と考えながらすかさず空いた空間に体をねじ込ませる。うああ、人ごみの熱気と体洗ってないキツイ体臭が入り混じって最悪な空気が肺に! でも交易品には興味があるから行かざるを得ない。
腰元を押しのけるようにして人垣を抜けると、ずらりと並んだ交易品が出迎えた。火焔土器のはしり? のようなもの、二つ繋がったドングリ、大ぶりな黒曜石の破片がいくつか、何かの骨でできた器、桜色の貝殻でできた首飾り、白みがかった緑の石は翡翠だろうか。メノウっぽいものまである。
これは目移りする。現代の宝飾品や陶器を知る私にとっては原始的で拙いものばかりだけど、それがかえってアンティークな感じがしていい。あの綺麗な翡翠とか磨いたらインテリアに良さそう。いいなー。すごく欲しい。でも今持ってる、というか身に着けてるのは首にかけた宝飾と石器ナイフ、麻服ぐらい。石器ナイフは交換に出すレベルのものじゃないし、文字通り私の命の結晶な宝飾は価値が吊り合ってないし、麻服脱いだらただの痴女。
一度家まで何か取りに行こうか。でも目を離してる間に狙ってるもの全部交換済み! なんて事になったらヤダ。何か持ってこない事には話にならないから行かざるを得ないわけだけど……キープしといてもらうとかダメかな。
と、考えている内に続々と交換が成立していく。やっぱり塩の交換が多く、みんなかなり良いレートで交換している。茶碗一杯ぐらいの塩でハマグリぐらいの大きさの黒曜石二つは破格だ。現代で考えるとビー玉でステンレス製の包丁手に入れるようなものだろうか。希少価値は大きい。塩田広めてよかった……!
これなら私も塩を持ってくれば―――――
「俺も塩持ってきたぞー! その石斧と交換でいいか?」
「あ、シオはもうたくさんあるから別のがいいかな」
「えー」
アカン、モタモタ悩んでる内に既に供給過多や。私だけの技術にしておけばこんな事には。塩田なんて広めるんじゃなかった……!
どうしよう、もうあんまりいいの残ってないけど、あの小さ目の翡翠ぐらいは欲しい。でも塩は駄目。さっき耳飾りも駄目って言ってたよね。耳飾りより良いモノなんて宝珠シリーズぐらいしか持ってない。釣り針じゃ低すぎるだろうし、宝珠シリーズじゃ高すぎるし。うぬぬ。
品物を見回しながらどうしたものか悩んでいると、端っこの方に見覚えのあるモノを見つけた。木製の独楽だ。あっれぇー!? なんでこれがここにあるの? まさか!?
「ちょっとちょっとお兄さん。これ誰から手に入れたの?」
「ん、その置物? 洪水の三日ぐらい後だったかな、河原に落ちてたのを拾ったんだよ」
「あ、なんだ、そうなんだ」
置物じゃないんだけどね。そうか、最初の集落の人が別の集落に避難した先で……と思ったけど勘違いだった。避難の途中で落としたのかね。あの人達も無事でやってると良いんだけど、確かめる術は無い。生存を祈っておこう。何に祈ればいいのか分からなかったので、私をこの体にしてこの時代に送った何者かに祈っておいた。下手な神に祈るよりも聞き届けて貰えそうな気がする。会った事すらないけど!
ちょっと貸してと一言断り、独楽を手に取って平らな面に置き、回す。独楽はフラフラしながらもしっかりと立って回った。交易人のギャラリーがどよめく。
「お、おおお!?」
「立った! 木の置物が立った!」
「なんでアレで立つんだ? ルルメノお前、これをこうやるって知ってたのか?」
「ちょっとね。お兄さん、これで翡翠一個譲ってくれたりしない?」
「え、なんで?」
「ですよねー。言ってみただけ」
情報と物を交換するって概念が無いもんね。仕方ないね。
まー山葵でも持って来てみよう。保存が効かないからレート悪そうだし、探すとこ探せばあるからそんなに珍しくもないけど。そう決めて一度人垣から抜け出そうとした時、背後のおばさんがにゅっと手を出し、交易人に手の中のものを見せた。
「もうこうなったらこの真珠だすわ。これで、それと、それと、それでどう?」
「おっ、真珠かー。いいね。でもそれとこれ全部は多いかなぁ」
「何言ってるの、こんな良い真珠めったに無いわ。傷もないし、大きいし、見て、光にかざすとちょっと赤みがかって見えるでしょう?」
「おお……うーん、じゃあそれでいいかな」
「じゃあ交換ね」
「ぎゃー!」
思わず叫んでしまった。残ってた翡翠全部取られた! いつの間にかメノウも売り切れてるし!
いや! 落ち着け私! まだ慌てる時間じゃない。品物自体が無くなったわけじゃない。交換したものを更に交換すればいいんだ。満足そうに帰っていくおばさんを急いで追いかけて声をかける。
「おーい、そこの、えーと、メハイ! 待ってメハイ!」
「ん? なあに、アマテラス。ああそうそう、塩の事だけど、あなたがアレの作り方を教えてくれてとっても助かったわ。おかげでとっても素敵な土器が手に入っちゃった。結局真珠は手放す事になったけど」
「それは良かった。ところでものは相談なんだけど、その翡翠なにかと交換してくれない? どうしても欲しくて」
「えー? んん、小さめの真珠一個と翡翠一個なら交換してもいいわ」
「えええ……割に合わないにもほどがある。それに真珠なんて持ってるわけないよ」
真珠は牡蠣から稀にとれる。真珠は真珠層をつくる貝からならなんでもとれるけど、この集落では牡蠣産の真珠しかない。
真珠は貝が石の欠片などの不純物を取り込み、その時に一緒にナントカカントカとかいう貝殻成分を分泌する細胞? が体内に入る事で生成される。人工的に量産する事もできる。けど、凄く難しい技術だという事はフワッと覚えてる。TVのドキュメンタリーで見たけど、針でなんかゴチャゴチャやる安定した真珠養殖技術が確立されたのは明治か大正ぐらいだったと思う。当然、縄文時代では再現できない。真珠の入手は天然モノに頼るしかなく、天然モノの真珠はとんでもなく貴重だ。たぶんこの集落でも持ってる人は二、三人じゃないだろうか。キズ入りの小さいやつ含めて。
「でもわざわざ交換しなくても、一つぐらいならいつでも使っていいわよ?」
「やだよ、そんな事したら私の物も勝手に使うんでしょ」
「そうだけど?」
「それじゃだめなんだよ」
「…………? 何が?」
素で不思議そうな顔をするメハイ。ため息がでる。
交換という形ではっきり私に帰属させておかないとこうなる。私のものは集落のもの、集落のものは私のもの、とか冗談じゃない。共産主義にとっては夢のような環境かも知れないけど、私は資本主義だから。
今の所、私は別の場所で暮らしているおかげか、半ば別の集落に住んでいるような扱いを受けている。だからこの集落の人達は私の物を勝手に使ったり持って行ったりはしない。私も集落の物を勝手にどうこうする事はない。しかし一度その垣根を崩してしまったら最後、勝手に私の家に出入りしたり物を持って行ったりされる光景が目に浮かぶようだ。この価値観の違いさえ無ければなー。
結局メハイとの交渉は成立しなかった。宝シリーズか真珠となら交換してもらえそうだったが、宝シリーズは出せないし、真珠が手に入ったら交換せずにとっておく。
交易人は一週間ほど滞在して、他の集落に旅立っていった。私は特に何も交換せず(できず)、せいぜい物語を交換したぐらいか。浦島太郎は好評でした。
度々思う事だけど、集落の人達の体臭がキツい。香水の類も使ってないから酷いものだ。特に夏場は酷い。何気なく体を掻くだけでフケとか垢とかオロボロ落ちるし。是非とも入浴か水浴びをすすめたい所だけど、必要性を理解してくれそうにない。わざわざ水に濡れに行くとか、薪を消費して大量に湯を沸かしてその中に浸かるとか、ねえ? 私も前世が日本人じゃなかったら気にしなかったと思う。
秋口にはその風呂が完成した。山の麓のワサビ田の近くで、地面に穴を掘って石を敷き、砂利で隙間を埋め、粘土を挟んで砂利、石とサンドイッチ。そこにワサビ田から水を引き込む。後はそこに焼いた石を投げ込めばいい。屋根も完備で、雨の日でも安心。
久しぶりの風呂は気持ちよかった。一緒に入ったタマモもご満悦で、水に浮かべた笹舟を前脚でつついて遊んでいる。かわいい。
そんなかわいいタマモのために絵本を作ろうかと最近考えている。遊戯普及作戦の再開の準備だ。
生活が安定してくると暇な時間が増える。ぶっちゃけもっと遊びたい。木の実集め競争とか、駆けっことか、そういうのはけっこうです。もっとこう、TVゲームとまで贅沢は言わないから、TRPGぐらいはね? やりたいわけさ。でもみんな文字が分からないからやりようがなかった。前の集落で広めようとしたけど洪水でパーになったから、今度は成功させたい。前回とはちょっと計画を変更する。
手順としては、まず絵本を作ってタマモに読み聞かせる。タマモも言葉は喋れても文字は読めないから、良いサンプルになる。子狐だけど感性は人間寄りだし、タマモにウケる絵本が作れたら縄文人も興味を持ってくれると思う。
絵本を数種類作って、数年かけて文字の存在と基本的な単語を広めたら、だんだん絵本の絵を減らして文字を増やしつつ、サイコロや五目並べ、石取りゲームを広める。これで一桁の数字と、小さなものに規則をつけて使って遊ぶという事に馴染んでもらう。これにも数年かける。体ではなく頭を使って遊ぶという事自体が新鮮だろうから、しっかり根付くまでに数年ではなく十数年かかるかも知れない。
それからチェスを広める。役割を持つ駒で遊ぶ事で、ロールプレイングの基礎概念を理解してもらう。将棋だと取った駒を使える部分が複雑そうなのでチェスだ。チェスも駒の数と特殊な動きは減らしてもいいかも知れない。キャスリングとかアンパッサンを消して、ナイトもクビ。それでかなり簡単になる。
それから双六を挟んで、ようやくTRPGだ。超簡単なルールブックを作って遊んで、少しずつ複雑にしていく。最初の数年は私がずっとゲームマスターだろうけど、いずれ他の人に任せられるようになる。
数年か十数年すれば独自のルールブックを作る人も出てくるに違いない。ああ、今から楽しみでしかたない。全部で五十年ぐらいかかるだろうけど。
秋の食材集めはもう慣れたもので、手早く済ませて絵本の作成にかかった。荒い紙に炭で絵と文字を描き、それを動物の毛の紐で閉じる。
最初の絵本は秋の終わりにできた。タイトルは「狼と三匹の子狐」。子豚じゃないのは豚がいないから。猪はいるけど狐の方が親しみやすいかと思った。家の中で囲炉裏に当たりながら、膝にタマモを乗せて早速読み聞かせる。
「ある日、大きな悪いオオカミが、最初の子狐の扉を叩いて言いました。
『子狐くん子狐くん、おれを中に入れておくれ』
子狐は答えて言いました。
『いやだ、いやだよ、入れてやらない。ぼくのほっぺのひげにかけて、中にいれてやるもんか』」
「くぉん。こぎつね、えらい。おおかみなんかに、ぜったいまけない」
「『そうかい』
オオカミは言いました。
『それならおれは腹を立て、ぷーぷー息を吹きつけて、おまえの家を吹き飛ばす』
そしてオオカミは腹を立て、ぷーぷー息を吹きつけて、子狐の家を吹きとばし、子狐を食べてしまいました」
「くぁん!? たべられちゃった! きゅーん、きゅーん、おおかみ、こわい」
タマモは尻尾を丸めてぶるぶる震えた。純粋だなー。ちょっと悪戯心が湧いて意地悪してみたくなる。次のページを捲って怖い怖い狼の絵をタマモの目の前に突き付け、ぴくぴく落ち着かない様子でせわしなく動いている耳のすぐそばで叫んだ。
「がおーっ!」
「きゃいん!」
「痛ーっ!?」
タマモは私の膝に爪を立てて飛び上がり、一目散に家の隅に逃げていった。頭を鹿の毛皮の下に突っ込み、ガタガタ震える。あらら、怖がらせ過ぎた。反省。
「ごめんごめん、今のは私が意地悪だった」
「うー……!」
「ほら、大丈夫だからこっちにおいで」
「だいじょうぶ? おおかみ、いない?」
「いない、いない」
「おおかみ、ぷーぷーしない?」
「されても平気だよ。この家はこのお話の子狐の家よりずっとしっかりしてるから」
「ほんと?」
「ほんと」
優しく言い聞かせると、タマモはびくびくしながら恐る恐る戻ってきて、膝にぽすんと収まった。いつもは心地よいと重みが辛い、なんだかズキズキと痛む。おかしいと思って見てみるとタマモの爪が食い込んだ場所が裂け、血が出ていた。うわぁ、タマモの爪ってこんなに鋭かったのか。これはタマモ一匹で狼ぐらいズタズタにできるかも分からんね。
私がズタズタにされても困るので、傷口に宝珠を当てながら続きを読む。
しかしこれだけ感情移入して聞いてくれれば描き手冥利に尽きる。明日にでもさっそく集落に持っていってみよう。




