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二十五話 三番目の集落

「はうあっ!?」


 間近で私の顔を見ていた縄文人に驚いて思わず飛び上がった。横でタマモもわきゃんと鳴いて飛びあがる。

 出たああああ! 縄文人! どうしようどうしよう何も準備してない考えてない!

 おおお落ち着け、まだあわてあわあわてる時間じゃなななないやほんとに落ち着け……『素数』を数えて落ち着くんだ…『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……私に勇気を与えてくれる……2…3…5…7…11…13…17…19…23…29……


 ……ふむう、数えている内に気付いたけどこれは本当に落ち着く。というかきっと混乱している頭を一度計算で埋める事で意味があるんだ。素数かどうか判断するのには数字が大きくなるほど頭を使わないといけない。数えている内に計算量が増えて、余計な事を考えず計算に集中するようになる。計算で頭がいっぱいになる頃には混乱は収まっているという寸法だ。流石神父様、人の心をよく分かっていらっしゃる。


 植物のように静かな心で落ち着いて観察してみると、目の前にいるのは二十代後半ぐらいの女性の縄文人だった。この時代でこの年齢だとお姉さんどころかおばちゃん、というよりおばあちゃんに近い。潮風のせいか艶の無い萎びた感じの髪はショートカットで、耳には大きな骨製の丸いイヤリングが目立つ。麻服にはぐねぐねした模様が描かれていて、アシカ皮の靴を履いていた。海草の入った木の籠を抱えて、おっかなびっくりといった様子で私を見ている。その視線で私はトラウマを呼び起こされ、体が震え……は、しなかった。あれ? なんともない。

 なんだろう、最初に驚きすぎたからか。それとも前世からの通算で同年齢ぐらいの同性別だからか。別に怖くもなんともない。

 想像の中で恐怖だけが膨れ上がっていたらしい。実際に会ってみると何てことなかった。あるよねこういう事。必死に一夜漬けで試験勉強して当日ヤバイヤバイと思ってたら問題が簡単で余裕だったとか。


「で、何か私に用でも?」


 仕切り直して尋ねると、彼女は一瞬眉根を寄せて答えた。


「ねえ、×××、ここで一人で暮らして×××?」


 分からない単語があったものの、大体意味は分かるので肯定しておく。


「そうだけど」

「ちがう。たまもも、いる」

「あ、ごめん」

「? 今のは? まだ誰か×××のかな」


 彼女が不思議そうに辺りを見回す。するとタマモは彼女を見上げ、シュタッと前脚を上げて言った。


「たまもがいる。ここにいる」

「ひえっ!? シャベッタァアアアア!」


 彼女は驚いてひっくり返った。タマモを震える手で指さして口をぱくぱくさせている。大げさだなもう。いや大げさか? 私も縄文時代に来る前に喋る三尾の子狐に遭遇したら腰抜かした気がする。別に大げさじゃなかった。


「こほん。えー、では、気をとりなおして。ドーモ、はじめまして。アマテラスです。この子はタマモ。あなたのお名前は?」

「×××が喋って、喋って、タマ……? ええ? ×××?」


 自己紹介をしてみたが、縄文人は混乱している。アイサツを返さないのはスゴイ=シツレイにあたると親から教わらなかったのか。まったくけしからん。

 しかしこのままでは話にならないので、事態の収拾を図る事にした。タマモを抱え上げ、口をぐにぐにしながら言う。


「キツネが喋ったって? いやぁ、気のせいじゃないですかねー、キツネが喋るなんてあるわけない。ほらほら、こんな事してもウンともスンとも言わない。コンぐらいは言うかも知れいけど」

「こん。あまてらす、ひどい。たまも、ちゃんとおしゃべりできる」

「ちょっとタマモさん空気読んでください。……いや、まあいいか。そういうわけでこの可愛い可愛いキツネは喋ります。文句があるならとっとと失せろ」


 話の流れを読めないタマモに誤魔化し作戦を粉砕され、開き直って中指を突き上げ威嚇した。

 タマモと私は家族も同然。タマモが喋って何が悪い。別に隠す理由もない。

 しかしハンドサインの意味は通じず、言葉も通じなかったらしい。彼女は去りもせず謝りもせず、困惑した様子で私とタマモを見ている。


 さっきから一部彼女の話している言葉が分からない。私が向こうの言葉を一部理解できていないという事は、多分向こうもこちらの言葉を理解できていない。体感で30%ぐらいは違う。二番目の集落は15%ぐらいよく分からない言葉があったから、だいたい一つ集落が離れると15%違うと思えばいいか。

 私がしっかり縄文語を習得していればイントネーションの違いや多少の訛りぐらいは聞き取れたと思うが、いかんせん縄文語を学んで数年。方言(?)を使われると途端に分からなくなる。あちらからしてみれば私はきっと相当日本語訛りが出た縄文語に違いない。


 追い払おうにも言葉がイマイチ伝わらないので、言葉を選んでなんとかかんとか会話してみる。ちらちらタマモを気にする縄文人と一時間ほどかけて話をして、大雑把にお互いの状況を把握する。

 彼女の名前はヌイノ。以前タマモが偵察して見つけた集落に住んでいて、浜に打ち上げられた海草を拾っている内にこのあたりまでやってきたらしい。何故か家が一軒だけぽつんと建っているのを見つけ、興味を惹かれて様子を見に寄ってきた。そして白髪翠眼の少女と喋る三尾子狐を見つけて腰を抜かした、と。

 私は洪水で川上の集落から流されてきて、タマモと一緒に暮らしている、とだけ伝えておいた。込み入った事情を伝えるには語彙も理解力も足りないし、会ったばかりの他人に教える話でもない。そもそも私自身未だになぜ転生(?)したのか分かっていないから、説明しろと言われてもね。


 洪水で流されてきた、という話を伝えると、気の毒そうな顔をして抱きしめられた。幼くして家族と引き離された可愛そうな子だとでも思ったのか、頭を撫でてぎゅっとされる。

 ……大変申し訳ないが、人肌の暖かさがどうのとか子供扱いされて恥ずかしいとか勘違いされて居たたまれないとか以前に、体臭が酷かった。海辺に住んでいても体を洗う習慣は無いらしい。体を押し付けるんじゃない、臭うから。


 鼻が曲がりそうだったので渾身の力で押しのけ、ホールドから脱出。すると今度は私の家の子にならないか? と誘われた。

 もちろん答えはNO。正直ありがた迷惑。

 いや、ヌイノが善意で言っているというのは分かっている。人を一人育てるのはいつの時代でも大変だ。同情が理由だとしても、すんなりと「私の子になれ」という言葉が出てくるこの人は相当のお人よしだと思う。

 でも私の家族はタマモだけでいい。会っていきなり私の子になれって言われても、ねえ? はっきり言って引く。

 それに縄文人とは価値観が違うから、友人付き合いだけならとにかく家族の一員になると絶対にすれ違いも軋轢も酷くなる。適度な距離をとって付き合うのがお互いのためだ。最初の集落でもそうしていたし、それで上手く行っていた。

 キッパリと固辞してもヌイノは余計なお節介を発揮してしつこく誘ってきたが、私を取られると思ったのか機嫌を悪くしたタマモに牙を剥き出して威嚇されるとびくっとして引き下がった。


「そういう訳なので、お帰り下さい」

「×××な子だねえ。いいけどさ。そうだ、私の子にならなくていいから集落においでな」

「集落に……?」

「そう、同い年ぐらいの子も×××。きっと仲良くなれる」

「んー」


 外見年齢が同じ子供と仲良くなれる気はしないけど、ここで顔を繋いでおくのも悪くないか。

 せっかく好意的に接触できたんだから、このツテを生かさない手はない。彼女を仲介にして集落と接触すれば悪いようには扱われないだろう。

 このお誘いを断って、後になってヌイノと同じ集落に住んでいる別の縄文人と接触したら、また同じようなやり取りを繰り返す事になる。それは面倒臭い。

 私は打算100%で付いていく事にした。












 ヌイノの後ろについて、タマモと一緒に砂浜を西に向かう。始めは熱心に話しかけてきたヌイノも、私が心に壁を作っているのを感じたのか、すぐに喋らなくなった。縄文人への恐怖はもうほとんど消えたけど、愛想を振りまく気にもなれなかった。ここで好感度稼いでおいた方がいいとは思うんだけどね。なんか嫌だ。こっちから距離を詰めるとグイグイ来そうな感じのおばちゃんだし。


 三時間ほど黙々と歩いていると、集落が見えた。砂浜と森の境、草地になったあたりにタテ穴集落がずらーっと並んでいた。向こうに見えるのは川と……湖? 川が湖に注ぎ込み、湖の端が海と繋がっている。たぶん湖。伊勢湾ではないと思うけど、伊勢湾と天竜川の間に湖があったかどうかちょっと記憶にない。

 それにしてもこの集落、大きい。タマモの言っていた通りすごく大きい。最初の集落は全部で十四軒だった。二番目の集落もそれぐらい。しかしこの集落は四十軒はある。約三倍だ。


 ヌイノについて集落に入っていくと、わらわらと人が集まってきた。ヌイノは誰彼構わず捕まえてはペラペラと「洪水で流されて来た子」だの「狐と一緒に一人で暮らしていたたくましい子」だの喋りだす。不憫に思われたようで、あるおじさんには魚の干物を貰い、あるおばさんには貝殻でできたブレスレットを貰った。タマモも子供から何かの骨を貰って嬉しそうにしている。


 ヌイノに見世物のように集落中を引っ張り回され、好奇の視線は感じたが、悪意的なものは全然感じなかった。ヌイノさんの「かわいそうなアマテラス」のお話が効いたのか。あからさまに同情した目で見られるのは嫌だったが、敵意を向けられるよりはずっと良かった。

 ヌイノが喋らないと死ぬ病気に罹ったように私のすぐそばでぺちゃくちゃと喋り続けたので、集落を一周する頃には耳が慣れて訛りの一部がなんとなく分かるようになった。おかげで話の内容もちょっと深く分かるようになる。ヌイノが私が話した内容にかなり尾ひれをつけて悲劇的に話しているのも、分かるようになる。

 訂正しようとしたが、まるで聞く耳を持たれなかった。どうも話の真偽より、新鮮な話題を広める事の方が重要らしい。激おこ。これだから非情報化社会は。


 引っ張り回されながら集落を観察していると、漁業中心の集落だという事が分かった。広場に作りかけの丸木舟が置いてあったり、釣竿を担いだ男衆がうろついていたり。軒先に物干し台が建てられて魚が干されていたり、地面に魚の鱗が落ちていたり。

 貝塚に大量の貝殻に混ざってマグロのお頭が捨てられているのを見つけた時は思わず二度見した。マグロって外洋の魚じゃなかったっけ? 外洋まで乗り出してマグロを獲ってくるとは……縄文人のくせになまいきだ。私もマグロ食べたい! 寿司は米が無いから無理だけど、漬け丼、も、米がないのか。でも刺身ならだいじょう、ぶじゃない。ワサビがあっても醤油が無い。い、いや、マグロは醤油なくても美味しいし……とにかくマグロ食べたい。


 集落を回り終わった頃には、空が茜色になっていた。今から帰宅すると途中で夜になってしまう。

 タマモは主に集落の子供達から魚のお頭や肉の切れ端を山ほど貰ってお腹を膨らませ、骨っこを口に加えて眠そうにしていた。早く帰って寝かせないと。月明かりとそれを反射した海面を見ながら砂浜を歩けば、まさか迷う事もないだろう。一本道だし。

 そう思ってお暇させていただこうとしたら、一斉に引き留められた。


「もう日が落ちるじゃないか」

「泊まってけ、泊まってけ」

「そうだ、そうだ」

「俺の家は広いぞ、入れてやろう」

「なんの、俺の家には×××の肉があるぞ。喰わせてやろう」

「いやいや、俺の家に来い。×××の皮を敷いて寝かせてやろう」


 なにこの親切さ怖い。二番目の集落と足して二で割って欲しかった。

 断っても無駄っぽいので、足を怪我したおばさんの家にお邪魔する事にした。このおばさんなら何かが間違って襲われても対処しやすい。杞憂だとは思うけど、もし今夜あたりに災害が起きたり誰かが病気で倒れたりしたら私のせいにされるかも知れない。ある程度信頼関係を築くまでは用心に越したことはない。


 おばさん――――ソーコンテの家にお邪魔すると、旦那らしきおじさんと十歳ぐらいの娘、そしてその娘に抱かれた赤ん坊が食事を用意して待っていた。家の中央にある囲炉裏と呼ぶのにもはばかられるただの窪みに、三角コーンをひっくり返したような土器を地面に刺して固定。その周りで薪を燃やし、土器の中身を煮たたせている。白く立ちのぼる蒸気と一緒に充満した磯の香りと、確かに「料理」された海鮮鍋の匂いが広がっていた。ソーコンテに促されて鍋を囲む家族達の輪の中に入って座る。

 さあ、縄文海鮮料理のお手並み拝け……


「え?」


 えっ、なにこれ、薪の周りに牡蠣があるんだけど。30cmぐらいある、異様に大きくて、ぱっくり口を開けて美味しそうな、ぷるっぷるの牡蠣がいくつもあるんだけど。ちょっ、ええええ? なにこれ。現代では絶滅した品種?


 勧められて牡蠣を一個もらい、Uの字に木の枝を曲げたこの時代式の箸で牡蠣の身をつつく。物珍しくはあるけど、あんまり美味しそうじゃない。

 不自然に大きく育ってしまった食材は大味と相場が決まっている。本来小さく凝縮されるはずだった旨みが薄まってしまうから。所詮品種改良されていない縄文時代の牡蠣、美味しいわけがない。と思いながらがっつり一口。なんだかんだでお腹空いてた。

 汁気タップリの牡蠣の身を口に含み、咀嚼し、舌で転がし――――


「いやぁああああああ!!! はふっはふっ! にゃああああああああん!! あちっ! はふはふっ! ぎゃああああああああ!! はふあっ! 美味しい! 美味しい!! 美 味 し い !!!」


 私は悲鳴を上げ、泣きながら一心不乱に牡蠣を貪った。

 予想外な事に鼻をつく磯臭さが全くない。身はしっかりと弾力があるのに柔らかく、濃厚かつまろやか! アクセントになっているこれは潮! 海の潮の味! 天然の調味料が牡蠣の旨みを一層引き立てる! こんなに焼き牡蠣が旨いのならば、レモンなど要らぬ! ふおおおおおお! 貝柱も旨い! 身よりも更に凝縮されたエキスが詰まっていて、噛めば噛むほどどっしりした美味しさが滲み出る!! そして貝殻に溜まった汁! これもたまらない! 身とは違い微かに残った磯の香りがかえって新鮮に感じる! うああああああ! 天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!


 ほとんど狂乱状態のまま行儀悪く貝殻についた汁の一滴まで舐めとって、ハッと我に返る。

 その場にいる全員が呆気に取られて私を見ていた。やってしまった。さあっと全身の血が降りて、その後恥ずかしさで頭に血が昇る。俯いて、空の貝殻に目を落とす。恥ずかし過ぎて彼らの顔が見れない。にゃああああんって何さ。


「よっぽどお腹空いてたんだねぇ」


 フォローのつもりか呟いたソーコンテの言葉が身に染みた。そういうわけじゃないんだけど、そういう事にしておいて下さいお願いします……


 流石に信じがたいほど美味しかったのは牡蠣だけで、海鮮鍋の方は「適当にぶちこんでみました」だった。具材は魚の切り身に、貝の身、海草が少々。塩味はついてたけど妙に苦味があった。焦げてはいなかったみたいだから原因は分からない。

 不覚にも特大の隙を見せてしまったせいか、ソーコンテ一家との団欒は弾んだ、とは言い難かったものの和やかに進んだ。あれが美味しい、これが美味しいというのは口に出すだけで良いものだ。自分の採ってきた食材、調理した料理を美味しいと言われて嬉しくない者はいない。


 食べ終わったらその場に毛皮を敷いてごろんと転がり、ぽつぽつ寝物語を話しながら眠りに入る。私も毛皮を貸してもらい、出口近くで寝転がった。すぐにタマモがいそいそと私の懐に潜り込んでくる。縄文人は夜になるとすぐ寝る。灯りをつけていると薪を消費するから。

 ソーコンテが娘に聞かせている寝物語は、どうやら月と熊の話らしい。内容は分からなかったが、同じ節の繰り返しと、穏やかな声に誘われて、私はいつの間にか眠っていた。


30cmの牡蠣は縄文の貝塚から実際に出土したそうです。超食べたい。

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