二十四話 スキルアップ2
砂浜の家まで戻ったら、さっそくブナの実を食べてみる。他の木の実の粉末と一緒にスープに入れて雑穀粥っぽくしてみたり、すり潰した魚やエビの身と一緒に練って団子にして煮たり。けっこう美味しかった。
増やしておいた土器の半数近くはブナの実でいっぱいになっていた。これだけあればちょっと贅沢に食べても余裕で春までもつ。塩もあるし、干し魚も少し作ってある。夏に洪水で無茶苦茶になった割に今年の越冬は心配が少なさそうだ。
食料集めが早々に済んでしまったので、空いた時間はススキや薪集めに回した。石包丁と石斧も予備を増やしておく。タマモも精力的に働いて、リスやウサギを獲って来て食卓に彩を添えてくれた。肉も嬉しかったが、毛皮も嬉しい。ウサギの毛皮は靴下にした。リスの毛皮は加工できるほどの大きさが無かったので、敷物にする。冬に地面に座るとお尻が冷えて仕方ないんだ。二番目の集落で手に入れた鹿の毛皮もあるし、隙間風が入らないように家の補強も済ませて、寒さ対策もOK。
万全の準備をして冬に挑む。さあ来い厳冬の季節! 雪なんて怖くないぞ!
と、身構えていたが、気温が下がっても雪は降らなかった。このあたりは積雪が少ないらしい。一番目と二番目の集落は川の上流、つまり山の方にあったので標高が高かった。その分気温は下がるし、雪も降る。
私が今いるのは海が見える方角からして太平洋側の海岸。富士山が見える方角からして、たぶん静岡県の天竜川の河口の西側の砂浜だと思う。静岡県は日本で二番目か三番目に年間積雪量が少ない県だから、雪が降らないのも頷ける。そもそも日本の降雪は大体日本海側から吹いてきた湿気を帯びた風が中央の山脈に当たって降るので、太平洋側に吹くのは雪を降らせて水分の抜けた風になる。中学の地理で習った。我ながらよく覚えてたなこんな事……
とにかく雪が降らないのは嬉しい。降らないからといって外で遊び回るわけではないけど。やっぱり寒いし。
外を出歩くのが辛くなってきてからは、専ら紙作りと日記復元に精を出した。洪水で流されてしまったから作り直さないといけない。紙作りはやり方のコツが掴めてきたおかげで粗悪な藁半紙ぐらいのクオリティになっている。毎日毎日ばんばん作って、寒さにかじかむ手を囲炉裏の火で温めながら文字を書き込んでいく。
そうして何事もなく冬は過ぎていった。
春になり、木々に新芽が出始めた頃、日記の復元が終わった。紙束を麻紐で縛ってまとめて甕にしまい、アシカの油を使った油紙と木蓋でキッチリ封をして地面に埋めておく。これで火事が起きても大丈夫。地上がちょっとぐらい水浸しになっても耐えてくれるだろう。
さて、拠点もできて、生活基盤が整ったので、これからの目標を設定する。
また縄文人を探して接触して集落にお邪魔させてもらう……のは、まだ怖い。人に会おうと考えると体が震える。二番目の集落は大変なものを残していきました。私のトラウマです。
頭ではちゃんと身なりを整えて、手土産の一つでも持って、明るい陽射しの下で会いに行けば大丈夫だとは理解していても、体が言う事を聞いてくれない。復讐でハイになってる時は平気だったのに。
しかしまあ無理して人に会いに行く必要もないので、縄文人探しは当分保留。大丈夫、タマモがいるから寂しくない。
そうするとやっぱり全体的な生活環境の向上かなー。
ワサビをもう一度手に入れて栽培したいし、料理の研究もしたい。定置網漁の実現に向けて頑張ってみるのもよし。服に凝ってみるのもいい。もう慣れてしまったけど、やっぱり下着はあった方がいいし。家の周りにドングリやトチ、クリを植樹して簡単に木の実を集められるように環境を整えてみるのも良さそう。他にも現代知識を振り絞って皮鞣しを試行錯誤してみたり、塩田を改良したり、炭焼きに挑戦してみたり。対ネズミの用心棒・タマモ先生がいるとはいえ、高床式の住居に建て替えるのもアリだ。いつもタマモと私が家にいるわけじゃないから、留守の間に食い荒らされたりしたら困る。
やってみたい事は多い。時間はいくらでもあるんだから、やりたい事をやりたいようにやっていく事にしよう。
私の縄文生活はまだまだこれからだ。不思議生物生活記、完!
とはもちろんいかず。
冬ごもり体制を解除して数日後、砂浜で縄文人を発見した。
「当分縄文人には会わない(キリッ!)」なんて決意して一週間も経たない内にこれだよ。私の決意は薄い本より薄い。向こうから来ちゃったんだから決意もなにもないんだけどね。
潮干狩りを一休みして砂浜に空いたカニの巣穴を埋め立てて遊んでいたところ、波打ち際で海草と戯れていたタマモが警戒の鳴き声を上げた。見れば遠くの砂浜に人影が。急いでタマモと一緒に家の中に駆けこみ、様子を伺う。
遠すぎてはっきりとは分からなかったが、どうやら海草を拾い集めているっぽかった。緑色のヒラヒラしたものを拾っては土器っぽいシルエットの入れ物に詰め込んでいる。しばらく息を潜めて観察していると、人影はこちらに近づく事なく、遠ざかって消えていった。数分待って戻ってこない事を確かめ、ほっと息を吐く。緊張で全身がガチガチになっていた。
縄文人は西の海岸線からやってきた。そういえば東と北は偵察したけど、西の偵察はすっかり忘れてた。ちなみに南は海。
遠くの集落の縄文人が偶然このあたりまで足をのばして来たのか、それとも意外と近くに集落があったりするのか。もしかしたら今年になって近くに引っ越してきたのかもしれない。
どうしようどうしよう。正直逃げ出したい。もし夜に私の家にやってきて寝込みを襲われでもしたら。留守の間に家を荒らされたりしたら。あ! も、もしかして、あれは世界樹の集落の生き残りだったり……? あわわわわわ。インガオホー、今度は私が復讐される番?
「くおん。あまてらす、まっさお」
「た、たまも?」
「あまてらす、よしよし。たまもがついてる」
「……ありがとう」
タマモに前脚で頭を撫でられ、心に刺さった棘が少しだけ溶けて抜けた気がした。
そう、私にはタマモがいる。何を怖がる事があるのか。まずは冷静に、情報を集める所から始めよう。
あの縄文人はどこから来た何者なのか。まずはそこから。
「タマモ、今からお仕事頼める?」
「くぁん。たまも、おしごとする」
「おっけー、じゃあさっきの縄文人がどこから来たのか調べてきて。危ないと思ったら逃げていいから、見つからないように、コッソリね」
「わかった。がんばる」
タマモは私の頬をぺろりと舐めると、さっと家から出て、縄文人が消えた方へ小走りに駆けていった。これで情報収集は大丈夫。タマモに任せれば間違いはない。
「さて、と」
タマモが帰ってくるまでの間に荷造りをしないと。最悪の場合に備えて逃走準備だ。麻袋に道具と水を詰めていく。
頑張って建てた家を一年も住まない内に放棄するなんて、できればしたくない。でも命には代えられない。無限にあるからといって命の価値が暴落するわけではない。半額ぐらいだ。元が超高価だから半額でも十分高い。投げ売りなんてもっての外。
越冬用の食料の余りと、砂出しをしていた貝を袋に詰め、出発準備完了。タマモが帰ってきた時に労うためにとっておきのウサギの塩漬け肉を焼いておく。
昼前に偵察に出かけたタマモは日没ギリギリに戻ってきた。冷めてしまった肉を温めなおして労い、膝の上に乗せて毛繕いをしながら報告を聞く。
「すなはま、どんどんどんどん、つづいてた。たまも、あしあと、におい、おいかけた。ずーっとおいかけて、にんげんみつけた。たまも、こそこそついてった。そしたら、にんげん、たくさんいた。おうち、たくさんあった。しゅーらく。おっきい。さいしょのとこより、あまてらすいじめたとこより、もっとおっきい。にんげん、きにのって、うみにでかけた。ほそくてながーいの、うみにいれて、さかなとってた。おさかないっぱい。おしまい」
ふむ。
大規模な集落なのか。木に乗って海に出かけたのは……丸木舟? 大木をくり抜いて造る丸木舟なら、縄文人が使っていてもおかしくない。細くて長ーいのを海に入れて魚をとってた、というのは……
「タマモ、細くて長いのって槍の事?」
「やり、ちがう。もっとほそい。う"ー……くものいとより、ちょっとふとい?」
「蜘蛛の糸より? あ、わかった。釣りの事かな」
何も銛で突くか網を使うかだけが漁じゃない。釣りがある。私は釣り針が作れなくてやった事ないけど。
しかしそうか、丸木舟に乗って海に乗り出したり、釣りをしたりする集落か。海草も集めてたみたいだし、漁村かな。
規模が大きな集落なら、二番目の集落の縄文人が私を追ってきたという可能性はない。元からある集落だろう。よかった、最悪の事態は避けられた。去年の夏から今までで縄文人を見たのは一回だけだし、たぶん偶々海草を探してこっちの方まで来ただけなんだろうな。荷造りして損した。
これなら心配なさそう。砂浜の西の方はちょっと警戒するとして、後はのんびりこれまで通りでいい。
春先に数匹砂浜に恐る恐る上陸してきたアシカはタマモに追い散らされて撤退。以後は寄り付く事もなく、定置網の設置に踏み切る。今度は壊される事はなかったものの、網の固定が甘かったらしく、仕掛けた次の日には流されて消えていた。もう網は戻ってこないと悟った時は一周回って爆笑した。雪解けから一ヵ月丸々使って編んだ網がパーになった。もう笑うしかない。
去年の夏に採った麻は使い切ってしまったので、新しく作るにはまた夏まで待たないといけない。定置網はまたしばらく保留。
夏までの時間は植樹に使った。夏に草木が勢いよく伸びる前に家の近くの木を切り倒し、ドングリやトチ、クリの木を植える。種から育つのを待つのは時間がかかるので、森に入って十数センチまで育った苗を探してきて植えた。全部で十本ほど。これでよし。後は時々水やりをするぐらいで大丈夫だろう。
植え替えた直後はくたびれてしおしおしていた苗も、数日で新しい環境に慣れて根を張り、すっくと背筋を伸ばした。春の日の光をたっぷり浴びてすくすく育ち――――葉っぱを何者かに全てむしり取られた。
一夜にして全滅した苗を見た私は愕然とした。なにが起きた。
ショックから立ち直った後、原因究明のために無残な姿になった苗を調べると、木の皮には真新しい歯型がついていて、唾液のような液体が付着していた。
タマモ曰く、鹿の臭いがぷんぷんする。
奴らめ、やりおったわ。
前世では鹿の食害というものがあった。ニホンオオカミが絶滅し、天敵がいなくなった鹿は大繁殖。人間が山に若木を植樹すると、「おっwwww人間が旨そうで食べやすい若木持ってきてくれたwwwwあざーすwwww」とばかりによってたかって全部貪り喰って枯らしてしまう。大きく育った木ならちょっとぐらい皮を剥がれたり葉っぱを食べられたぐらいならなんとかなるが、若木の場合背が低く食べやすい位置にあるという事もあり、まるっと美味しく頂かれてジ・エンド。このせいで山の植樹がなかなか進まず、何百万という損害を出しているという。
縄文時代はニホンオオカミがいるから現代よりも鹿の数は少ないだろうけど、いないわけじゃない。たまたまなのか周回ルートに入っていたのか、やってきた鹿に喰われてしまったのだ。
定置網は失敗、植樹も失敗。今年は失敗ばっかりだ。泣きそう。
数日ふて寝したが、いつまでも休んでいられないのでやる気を奮い起こして麻の伐採をする。一人では麻の伐採も運搬も大変だったけど、なんとか頑張った。新しい服に新しい網、掛布団も作るとなるとかなりの量になる。絶対これはか弱い少女が一人でやる労働量じゃない。麻を伐採して繊維をとっている間の食糧調達はタマモに任せきりだった。
繊維をどっさりとって家に運び込んだら、夏の強い日差しがある内に塩田を改良して試してみる。例の場所から粘土を拾ってきて、砂浜に埋め込む。こうすると撒いた海水が下まで染み込まず粘土層で止まり、効率的に塩分を濃縮できる……とかなんとか。
半信半疑でやってみた改良塩田は効果を発揮して、従来の1.3か1.4倍ぐらいは効率が上がった。成功して良かった、本当に良かった。これも失敗したら心が折れた。
改良塩田で作った塩をたっぷり土器にためこむと、いつのまにやら秋になっていた。世界樹にブナの実を貰いに行き、すぐに戻る。取引現場を見られないように注意して、カツラの葉の甘い匂いでブナの実の匂いを誤魔化したら案外簡単に往復できた。これからもこれで行こうと思う。
落葉と共に乾燥した木が大量に手に入ったので、炭焼きに挑戦する事にした。
まずは知っている情報をまとめる。
えーと、備長炭の原木はウバメガシ。ウバメガシの見分け方は不明。
炭焼きは窯で蒸し焼きにする。窯から出る煙が薄くなったらOK。
……うん、なんというザル知識。細かい工程が全然分からない。じゃあここから科学の知識で補おう。
備長炭の材料はウバメガシだけど、ウバメガシじゃないと炭を作れないなんて事はないはず。使う原木はなんでもいい。たぶん。
完成品の炭は炭素成分が多いはず。じゃないと燃えないし高温にもならない。つまり炭をつくる=原木の炭素の純度を上げる。
完全燃焼して炭素が二酸化炭素になったものが灰だから、木材は完全燃焼させてはいけない。不完全燃焼、つまり酸素不足にして一酸化炭素を出さないといけない。COがOと結合してCO2になる時に酸素を奪う事で還元が進むとかそんなんだったような……あれ、木を還元するって言うのか。よく覚えてない。まあいいや、とりあえず空気があまり入らないように焚口は狭くしておこう。
窯から出る煙が薄くなったらOKという事は、最初は濃い煙が出るという事。不完全燃焼だと煙は沢山でる。前世でおばあちゃんに焼き芋焼く時に教えてもらったから覚えてる。あと生木もよく煙が出た。不完全燃焼で煙を出すのか、生木で煙を出すのか……とりあえず両方いっとこう。生木を不完全燃焼させる、と。
土器焼き用に作った登り窯を流用して、炭焼きを開始。雑多な種類の木を窯に入れて、火をつける。火がしっかりついたら焚口を狭くした。
途端に火の勢いが弱まり、排煙口からもうもうと煙が出てくる。
昼前から始めて数時間。全然煙の色は薄くならない。どれぐらいで煙の色が薄くなるか分からないからずっと見張っていないといけないのが苦しい。精神的にも物理的にも。煙いから。
タマモは煙を嫌がってとっとと逃げてしまったので、ひとり寂しく番をする。昼食を挟んでひたすらじーっとゆらゆら揺れる煙を見つめて――――
はっと目を覚ましてよだれをぬぐうと、空には満点の星空。目の前にはすっかり煙が消えた登り窯。おーまいがー。眠ってる間に煙が消えた。
恐る恐る窯を開くと熱気がぶわりと出てきた。風を通して熱が冷めるのを待ち、一縷の望みに縋って覗きこむ。が、そこには真っ白に燃え尽きた灰しかなかった。私も燃え尽きた。技術的な失敗じゃなくて精神的な失敗をしたというところがまた凹む。木の枝でかき回してみても、底のほうまで全部灰と、スカスカになってとても使えない炭の欠片。大失敗だった。
しかし失敗は成功の母という。私は諦めない。今度はたっぷり睡眠をとってリトライ。夜寝る前に窯の準備をして、朝起きてからすぐに火を入れる。
眠くならないように麻で網を編みつつ、チラチラと煙を観察する。最初灰色がかって重たげに横に揺れていた濃い煙は、段々白く軽そうに立ちのぼるようになった。これか。これなのか。これが薄くなったって事か。
色は変わったけど薄くは、ない、と、思う、けど……どうなんだろう。分からない。一度窯を開けて様子を見てみようか? いやいや。実はまだ途中だったりしたら空気が一気に入って台無しになる。もうしばらく様子を見て……いや、いっそ今回は捨石と考えよう。最初から最後まで煙がどう変化するのか観察しよう。二回目はじっくり観察して、三回目で成功すればいい。
失敗してもいいさ、と逆に考えると気が楽になった。リラックスして網を編む。
昼になり、日が落ちて、夜になる。まだまだ煙は白いまま。不完全燃焼で炭化が遅いからか、土器の焼成よりもかなりながく時間がかかっている。木の量も多いし予想はしてたけど、本当に長い。まさか五十時間も六十時間もかからないよね。二徹はキツイぞ。
辺りが暗くなって煙の色がよく分からないので、窯とは別にたき火を作って見張りを続ける。夕食もとって、普段ならもう寝ている時間になった。これは長丁場になるなと思って夜食を用意しようと考え始めた頃、煙が変化した。
煙が薄くなっている。濃い白煙から、かすれたような青みがかった白に。
これか? これが煙の変化か? いった? いったよね? 煙薄くなったよね? ……うん、薄くなってる。確実に薄くなってる。湯気みたいだ。
よしOK! 完成!
コングラッチュレーション私!
思わず喜びの舞を舞い、しかしすぐに止まる。
……完成?
えーと、完成したけどどうすればいいんだろう。このままだとどんどん燃焼が進んで灰になるから、熱を下げないといけない。自然に下がるのを待つ? いやいや。待ってる間にも燃焼が進む。いや、空気を入れなければ大丈夫か。土器も自然に熱が下がるのを待つし、同じ焼き物(?)なんだから炭も一緒だと思いたい。
排煙口と焚口を完全に閉じて、煙が漏れていないか全体をチェック。窯の密封を確認してから、家に入って眠った。果報は寝て待つ。明日の朝が楽しみだ。
翌朝、窯を開ける前に囁いて祈って詠唱して念じる。神様仏様タマモ様。どうか成功していますように。
そっと窯を開けると、そこにあったのはまたしても真っ白な灰だった。Oh……また※おおっと※か。まあ煙の変化の過程が把握できたから学ぶ事はあった。意味のある失敗だ。
灰になったという事は、空気が多すぎたという事。焚口をもっと狭めてみよう。排煙口も小さくした方がいいか。
二回失敗したので木がなくなった。越冬用の薪に手を出すわけにはいかないので、また集めないといけない。植樹した時に切り倒した木の枝を払ったものは二回で使ってしまった。
煙を出している間どこかに行っていたタマモはひょっこり戻ってきたが、私の体に染みついた煙の臭いを嗅ぎ、さらに私がまだ炭焼きを続けると宣言すると、げんなりした顔で家に入り、毛皮を被って丸くなった。すまんねタマモ。炭ができたら炭焼きで肉を食べよう。
家の周りの森から手頃な生木をかき集めると、三回分の量になった。これを全部失敗したら次はかなり遠くまで木をとりにいかないといけない。できれば成功させたいところだ。
三回目は半分成功。窯を開けると半分は灰になっていたが、もう半分は割れたり欠けたりしたものの炭になっていた。重さは軽めで、中身が詰まっているとはいえない。前世、バーベキューで使った炭はもっと重かった。でも火をつけてみると白熱して熱を出した。すぐに灰になって持続時間は短かったが、ちゃんと使える。希望が見えてきた。
炭に灰が被さるように積もっていたので、上の方の原木が灰になって下の原木に落ちた結果空気が上手い具合に通りにくくなり、炭ができたのだと推測。排煙口と焚口だけではなく、窯の中の空気の通り道も考えてみよう。原木を窯にギチギチに詰めて、隙間を枯草と落ち葉で埋めてみる。
四回目は空気の通りが悪すぎたらしく、今度は周辺が炭になって中心が生木のままだった。灰はほとんど出ていない。アイデア自体は悪くなかったらしい。
次はもうちょっと原木に隙間を作ってみよう。空け過ぎず、詰め過ぎず。
五回目にして全部炭になった。三回目や四回目よりも若干重みを増して、色も良い。気がする。
今度こそ完成だ。
作った炭を家に運び込んでいると、タマモが戻ってきた。私にすり寄ろうとしてぴたりと止まり、鼻をすんすん鳴らすと逃げていった。タマモは煙が苦手だもんね、仕方ないね。でもちょっと傷つく。
冷たい水で沐浴して煙の臭いを落とした私だが、次の日に風邪をひいた。ただでさえ体力が心もとないのに、連日炭焼きで疲れ果て、トドメに冷水を浴びた。常人より治癒力が高いこの体も限界だったらしい。咳が止まらず、頭痛がして、毛皮に包まって暖かくしていても嫌な汗が出る。
とはいえ宝珠も宝飾もあるので、風邪自体はものの三時間で完治した。いやあ、風邪は強敵でしたね。
ただし宝珠・宝飾では体力は戻らないので数日は安静にしておいた。これからはあまり無理はしないようにしよう。
冬の間は麻を編んだり、紙に記録をつけたりして過ごした。日記にして毎日の記録をつけるとかさばって仕方ない。保管用の甕がいくつあっても足りなくなるし、特に代わり映えのしなかった日まで記録してもあんまり意味はない。これからは重要な事だけ、冬の間に纏めて書く事にした。
今年の冬の暖は早速炭をつかってとった。炭は煙を出さないのでタマモにも好評だった。
炭は木よりも保管に場所をとらず、高い熱が出て、長持ちする。作るのに手間はかかるけど優秀な燃料だ。製鉄にも使えるし。鉄鉱石ないけど。
縄文人も炭を持っていけば喜ぶだろう。貴重な宝器や宝珠をあげなくても、塩や炭をあげればきっと仲良くなれる。
明けて春。縄文生活五年目。去年植樹のために伐採した木をつかって丸木舟の製作にチャレンジする。
なあに、丸太の中をくり抜いて乗れるようにするだけ。複雑な仕組みもないしチョロイチョロイ! と思って始めた。
……まあ、チョロいといえばチョロかった。何も複雑な事はない。ひたすら、削って、削って、削って、削って、削るだけ。しかしこれがまた物凄く時間がかかる。
現代と違って鉄製品がないので、無駄に重くて切れ味の悪いお手製の石ノミで少しずつ加工していくしかない。使っている石の材質が悪いのか、すぐに刃こぼれしたり割れて使えなくなったり。そのたびに作業は中断。全然進まない。錆びたカッターで彫ってる気分だった。
あまりにも進まない作業にイライラして力任せにノミを打ち付けたら、木に大きく亀裂が入ってやり直し。
今度は慎重に、と丁寧に作業してみたら、一ヵ月かけてやっとお尻が入るぐらいしか彫れない。
だんだんやる気がなくなって、夏に入る時には飽きた。別に必要なものでもないしいいかなって。試しにその作りかけの丸木舟で海に乗り出してみたら、一瞬でくるっと回って転覆したし。
浜辺に引き上げて放置した丸木舟(偽)はタマモが日蔭を昼寝に使うのに活用されている。風通しが良くて気持ちいいらしい。
私も時々アシカ皮の傘をパラソル代わりにして、丸木舟を背もたれにタマモと一緒に昼寝をする。波の音が子守唄みたいで、すぐに眠れるところがいい。
その日も私はタマモと一緒に昼寝をしていた。昼食をお腹いっぱい食べて、天気は薄曇り。潮風は弱すぎず、強すぎず、爽やかに頬を撫でていく。絶好の昼寝日和だった。
タマモはぐっすりと寝て、鼻提灯をつくり。私も夢も見ない深い眠りに落ちていた。
だから気付くのが遅れた。
すぐ近くで聞こえた足音にはっと目を覚ますと――――隣に縄文人が立って、私の顔を覗き込んでいた。




