二十二話 ~秋
今ある容器は五つで、全部用途が決まっていて予備がない。今は初夏だからなんとかなっているけど、秋になれば冬ごもりのために木の実を入れる容器が必要になる。そうじゃなくても水甕が一つだけというのは容量的に心もとないし、割れた時のために予備も欲しい。保存容器は多いに越した事は無い。
という事で煮炊き用の土器を籠代わりに持ち、粘土の探索に出かける。川沿いを遡って歩きながら、粘土層がありはしないかと目を光らせる。
洪水の爪痕はまだまだ残っていて、川が奇妙に蛇行していたり上流から流れてきた大岩が転がっていたりする。見上げるような大きさの岩を押し流すのだから洪水というものは恐ろしい。そんなものに巻き込まれて私もよく生きてたなー。いや死んだけどね。
流れが淀んで流木が積み重なっている場所に鳥の巣が作られていたのを見つけ、卵をまるごと頂戴する。食べられる野草や、浅瀬に居たエビも獲って土器に入れておく。これで粘土が見つからなくても無駄足にはならない。
「あわっ!?」
数時間ほど歩いていると、なんだかぐにっとしたモノを踏んで転んだ。咄嗟に土器が割れないように庇って、頭から地面に突っ込んだ。河原の堅い石に頭をぶつけてクラクラする。なんだなんだバナナかスライムか。
額を押さえながら足元を見ると、くっきりと私の足型がついた粘土の塊があった。見回すとあたり一帯に同じような色の粘土塊がゴロゴロ転がっている。
おー。洪水でどこかの粘土層が崩れて流されてきたらしい。これが運が良い。洪水も悪い事ばかりじゃないね。エジプトの農耕もナイル川の氾濫のおかげで肥沃な土が運ばれてきて栄えた云々とか聞いた覚えがあるし。
これ幸いと粘土塊を拾い集めてくっつけて一つの大きな塊にし、小脇に抱える。そして場所を覚えてさっさと帰還。まだまだ沢山転がっていたし大きな塊も残っているから、当分粘土には困らなさそう。
家に戻ると、留守番していたタマモがアシカの群れを追いかけ回していた。右往左往するアシカ達はばっしゃばっしゃと波打ち際に入り、そのまま沖の方へ逃げていく。
何度か追い返してる内に学習して寄り付かなくなれば定置網漁もできそうなものだけど、逆に開き直って居座るようになるかも知れない。まあそこまで定置網漁に拘ってるわけじゃないから別に居てもいいんだけど、アシカがうろつくと魚っぽい生臭さが臭って来るからできればどこかに行って欲しい。
採ってきた粘土はとりあえず家の隅の方に置いて、ご飯にする。メニューはエビと野草と卵の鍋。もしかしたら今世になってから卵を食べるのは初めてかも知れない。wktkが止まらぬ。
まずはエビを茹で、赤くなったら野草を投入。塩を一つまみ入れて味を調え、仕上げに卵を落として――――
「う"!」
卵を割って鍋に落としたら、黄身と白身ではなくデロデロした雛になりかけのグロい物体がぼてんと出てきた。
ちょ、ま、これ、う、
「お"ぇえええええ」
不意打ちのグロは卑怯。ゲロ不可避。
忘れてた。そうだね、そりゃ受精卵だよね。飼育された鶏の無精卵とは違うもんね。
ちくしょう……ちくしょおおおおお!
吐いた後の口の酸っぱさを水で流し、げっそりして台無しになった鍋を見る。鍋の中は発生途中の雛の内臓やら粘液やら肉片やらで汚らしい赤茶色に染まっていた。こ れ は 食 べ ら れ な い。
よしんば美味しそうな見た目になっていても吐いた後にすぐ食べるのは無理。
「あまてらす、だいじょうぶ?」
「だいじょばない。タマモ食べたければ食べていいよ、というか食べてもったいないから」
心配そうに鼻をすり寄せてきたタマモに言うと嬉しそうに顔を輝かせた。タマモにはグロという概念自体が通用するか怪しい。見習うべきかな。
一週間かけてせっせと河原から石を運び、砂浜と森の境界線付近に登り窯を作る。それと並行して土器作りも進めておく。
アシカの皮鞣しは失敗した。何が悪かったのか皮が縮んでガチガチのボロボロになり、使い物になりそうもない。唾液でタンパク質を分解できなかった? 唾液じゃダメ? 単なる記憶違いなのか何か見落としがあっただけなのか判別がつかない。こういう時にネットが無いと本当に困る。調べればすぐに大体の事が分かる世界に住んでいたから、知識の歯抜けが多い事多い事。ネットが普及していなくても皮鞣しの知識を身に着けていたか怪しいもんだけど。
まあ知識の欠落は今に始まった事ではないので場当たり的に片っ端から試してみる事にする。
タマモに毎日の日課になっているアシカ追いのついでにアシカを一頭狩ってきてもらい、解体の練習ついでに皮を剥ぐ。骨は小物の加工用にとっておき、内臓はタマモの餌に。肉は焼いて油を絞りとり、絞りかすは堆肥にするためにゴミ捨て場に埋めておく。
肝心の皮は縮まないように木に縛り付けた上で灰と草木汁と水と唾液を混ぜた混合液に漬けた。これで駄目だったらもうどうすればいいのか分からない。最初の集落に居た時に鞣し方を習っておけばと思わずにはいられない。冬までに毛皮一枚ぐらいは欲しいんだけどなぁ……駄目そうかなぁ……凍死はしたくないなぁ……
今までも毛皮無しでなんとかなってたから大丈夫だとは思いたいけど、今年の冬は集落の皆の助けを借りずに越さないといけない。雪の重みや吹雪で家が潰れたら、他の家にお邪魔させてもらうという手が使えない。カマクラで凌ぐぐらいしか手はない。冬までには頑丈な家を作ってたっぷり薪と食料を集めておかないと。
アシカ二頭分から採れた油はけっこうな量になっていたので、素揚げを試してみる事にする。魚のワタを抜いて香りの良い草を詰め、熱した油に投入。油に残ったアシカ臭さと魚の臭い、草の香りが混ざったなんともいえないにおいが立ち上る。
温度計が無いので油の温度はよくわからない。前世でも揚げ物は面倒くさくてやらなかった。キツネ色にこんがりと焼けたあたりで適当に上げ、がぶりと頭から食べてみる。
「ふむう……」
パリパリの皮に柔らかな肉。しっかり閉じ込められた魚の旨み、と、臭み。臭みとて時間差で鼻に届く草の香り。
なんで共存した? 打ち消せよ。そのための草なのに。
この世界に来てから味わった食べ物の中では三指に入るほど美味しいだけに残念で仕方ない。ぬぬぬ。これはどの食材とどの食材が調和するか真剣に実験するべきか。
イマイチな料理で妥協していたら、この先何十年もイマイチな料理を食べ続ける事になりかねない。早めに料理スキルは高めておいた方がいい。貴重な食材を手に入れた時に拙い調理技術で台無しにしたら悔やんでも悔やみきれないしね! 具体的にはハチミツとかハチミツとかハチミツとか。ああホットケーキ、ハチミツトースト、レモンのハチミツ漬け……
麻を採ってきて織ったり、土器を焼いたり、家の建て替えをしたりしている内に秋になった。ここ数週間アシカの群れは見ていない。とうとうタマモの襲撃に根負けしてねぐらを変えたのか、季節が変わって移動しただけか。来年になればはっきりする。
皮鞣しは成功して、防水性の高い革になった。すぐに木を削ってつくった骨組に張って傘を作る。開閉できない上に重いしバランスが悪いけど一応使える。これで雨の日にできる行動が増えた。ちなみに合羽を作るには革面積が足りなかった。蓑も作ってあるから別にいいけど。
油の方は臭いが厄介過ぎて料理への使用は断念した。揚げ物でも炒め物でもどう工夫しても食材に臭いが移ってしまうし、料理中のたちこめる臭いも酷い。タマモはどちらでもよさそうだったので、賛成1棄権1でアシカ油の料理使用は廃止になった。結論、植物油は偉大。なんといっても匂いがいい。
とはいえ捨てるのも勿体ないので石鹸にしてみようとアルカリ性の灰液と混ぜてみるも、ドロドロした白濁液から固形化が進まず、断念。多分phが低すぎたんだと思う。弱アルカリじゃ駄目っぽい。
川に仕掛けた定置網を何かの獣に破られたり、木から足を滑らせて骨を折り、宝飾込みで全治三日の怪我をしたり、色々問題はあったものの、全部タマモと力を合わせて解決するなり回避するなりしてきた。案外集落の庇護がなくてもなんとかなる。ちょっと寂しいけど。
で、今一番の問題は、秋が近づくにつれて見えるようになってきたアレ。
「タマモ、見える?」
「みえる。おっきなき、はっぱわさわさ。すごくおっきくて、すごくふとくて、とってもすごい!」
波打ち際に立って両手でタマモを掲げ持ち、川の上流方向を見せる。タマモは拙い言葉で可愛らしくすごさを伝えてくれた。良かった、タマモにも見えるんだね。幻覚じゃなかった。
遠く森の向こうに、ものっすごいでっかい木があった。周囲の森の木々なんて目じゃない。ビル群の中の東京タワーのように目立っている。実際東京タワーぐらいの高さはあるかも知れない。ある日なーんか森に頭一つ大きな木があるなーと気付いてからというもの、毎日見るたびにぐんぐん成長して今ではあの有様。
心当たりはある。例の世界樹だ。それしかない。育つ育つとは思ってたけど育ち過ぎじゃないですかねぇ……中に迷宮とかできてないよね。
世界樹の木はブナの木。ブナの実は小さいけど栄養価が高くて、集落でも越冬用の食糧として集めていた。普通のブナの木のン十倍ある世界樹なら、文字通り山のような実を実らせてる可能性も。
一回世界樹まで遠征に行くだけで越冬用の食糧集めが終わるかも知れない。
……いや、でも、「あの」集落の人間がまだ居るかも知れない。コロポックル達は追い払うと言ってくれたけど、いつまでに追い払うとも言ってなかったし、その気になればたぶん無理やり居座る事もできる。ブナの実目当てにノコノコ出ていったら今度こそ「詰み」にされるかも。世界樹の根元からは追い出されても、その近くに集落を再建していたら、移動中にカチ遭う危険もある。
君子危うきに近寄らず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
この場合どっちだろう。諺って反対の意味のものがあるから困る。
んんん、襲われてもタマモがいれば追っ払える、かな? 微妙。三尾タマモより四尾の方が確実だけど、また腕をムシャムシャして貰うのは嫌だ。あれは物凄く痛いし、片腕生活は不便で仕方ない。
いや、そもそも襲われないようにしてみたらどうだろう。タマモに斥候に出て貰って、隠れながら進む。見つかったら逃げの一手。世界樹が近ければ逃げ込むのもアリ。コロポックルならきっと私を護ってくれる。
道中はタマモ、世界樹ではコロポックルに守って貰う。これならいけそう。すごく他力本願だけど。いや、でも、タマモも世界樹も私の娘みたいなものだし……! タマモは私が育てた。
ほとんど秋の間中食料集めに駆けずり回るより、往復一週間ぐらいのちょっと危ない旅で一気に終わらせてしまった方がいい。そう思った私はすぐに用意をして、その日の内にタマモと一緒に世界樹を目指した。
思い立ったが吉日、兵は拙速を貴ぶのだ。急がば回れとも言うけど。巧遅は拙速に如かずとも言うし。急いては事を仕損じるとも……あれっ、よくわかんなくなってきた。
……まあいいか。きっとなんとかなる。




