十九話 復讐(TATARI)
祟るー祟るー おれーたーちー
翌朝、私とタマモは干し肉と木の実を煮込んだ贅沢な朝食をとった。もちろん干し肉も木の実もすべてかっぱらってきたお供え物だ。木の実のうち幾つかは私が見たことが無いもので、川の上流と中流の植生の違いを感じさせた。干し肉は鹿のようだったが、知っているものよりも苦味があった。干し方か燻し方が違うのかも知れない。
お供え物のおかげで手札は一気に増えた。小型の槍や石包丁は武器や調理に使える。麻布を麻紐で縛って簡単な服を着る事ができたし、鹿のものらしい毛皮を敷いて快適に眠る事ができた。煮炊きや保存用に使える土器に、お供え物なだけあって美味しくて貴重な食料の数々。タダ飯美味しいです。
さらにはお供え物の中には宝器と宝珠も混ざっていて、図らずもあっという間に奪還する事ができてしまった。連中はよほど世界樹に期待をかけているのだろう。ますます切り倒したくなってくる。
朝食後、正式な拠点を探すために森をうろつく。縄文人達はしばらく私達を探す余裕はない。安心して動く事ができる。
集落から離れながら手頃な場所は無いものかと探していると、大量の木が山のように積み重なっている場所に行き当たった。木の下には濁った沢の水が勢いよく流れている。台風で増水した沢の水に流された木が引っかかって溜まったようだ。集落から二時間は離れた場所だし、ちょうどいい。
私は早速拠点化を始めた。タマモと一緒に倒木を押したり転がしたりして、外からは分からないように内部に空間を作る。タマモに食べさせた左腕はまだ生えてきていなかったので、片腕を上手く使うのはなかなか大変だった。崩れてこないように、不安定な木はそれとなく補強して、数時間で拠点というか巣というか、秘密基地というか、そんなものが完成した。
一見して自然にできた倒木の山かがけ崩れの跡にしか見えない。しかし屈みこまないと分からない隙間に潜り込むと中に入れるようになっている。内部は一畳程度で、中腰にならないと頭をぶつける高さしかないが、毛皮が敷いてあるので居心地は良く、沢の流れが通っているので水の確保も簡単だ(ただし今は濁っている)。拠点としては申し分ない。ジメジメしているのだけがマイナスだった。もうちょっと風通しを良くしてもいいかも知れない。
拠点ができたら、いよいよ嫌がらせの下準備に入る。
私は朝食の後の糞尿を土器にためた。何に使うのかというと、もちろん嫌がらせに使うのだ。糞尿まみれになって嬉しい奴はいない。品の無い復讐。だがそれがいい。上品な復讐なんて糞くらえ、だ。タマモのトイレも土器の中にさせる。
イヤな臭いを漂わせるそれに石で蓋をして、拠点の外に置いておく。
次に石器を使って手頃な木の板を刻み、大きなささくれをびっしりとつけた。これは設置型トラップに使う。本当ならトゲの形にしたいところだが、ささくれでもいい。縄文人の靴は夏だという事もあって薄手だ。踏めばさぞ痛い事だろう。
もし踏まなくても大量にしかければ嫌がらせにはなる。歩く際に過剰な警戒を強要して、神経をすり減らしてやるのだ。
夕方までせっせとトラップを量産して、日が落ちる前にタマモと一緒に集落に仕掛けに行く。途中で触ると痒みを起こす植物を見つけたので、その汁をたっぷり罠に塗り付けておいた。
集落は正反対の場所に森へ続く小道があり、縄文人はだいたいこれを通って森と集落を行き来する。特に頻繁に行き来する経路は獣道のようになっていて、ちょっと森に慣れれば簡単に見分けがつく。その獣道にトラップをしかけて回る。
「タマモ、誰か近づいて来たら教えて」
「くぉん」
タマモに警戒を任せ、罠設置に集中する。まず、集落から森に入ってすぐのあたりにできる限り丁寧に偽装したトラップを仕掛ける。次にそこから離れた道の先に点々と比較的分かりやすいように罠を設置していき、罠を仕掛けていないところにも不自然な盛り上がりを作ったり石を詰んだりする。分かりやすく設置した罠に丁寧に偽装した罠を混ぜれば、完了だ。片腕しか使えないので思ったよりもてこずったが、なんとか日の光が完全に消えて手元が見えなくなる前に全て設置できた。
最初のトラップはもちろん本気で縄文人を引っかける為のものだが、呼び水にすぎない。これに引っかかっても引っかからなくても、罠に警戒するようになる。警戒すると他のトラップは容易に見つかるだろう。用心して避けて歩くはずだし、怪しい盛り上がりや石も警戒して避けるだろう。そして割とあからさまな罠にばかり目が行き、慣れてきたところで丁寧に偽装した罠が牙を剥く。
この罠に縄文人が引っかかるのは最初の一日だけか、長くても三日ぐらいだろう。彼らは私よりもずっと森に詳しく、不自然な点を見つけるのも上手い。本気で警戒すれば、私がどれほど注意を払って仕掛けた罠でも間違いなく見破られる。でも罠は毎日仕掛けて回る。
森を普通に歩くのと、明らかな敵意によって仕掛けられた罠を警戒して歩くのとでは疲労感が段違いだ。引っかかるかどうかは問題ではない。警戒させ、緊張させ、行動を鈍らせるのが目的なのだ。森中に罠があると思えば、獲物を追いかける時も迂闊に走れない。歩くペースは落ち、遠出しにくくなる。地の利を封じる事になるから、私達を森から狩り出すのも難しくなるだろう。
靴を厚くするなどして対策をとり始めたら、その時は別のトラップを仕掛けるまでだ。方法はいくらでもある。ワイヤートラップを仕掛けてもいいし、掘り返した地面に水をぶちまけてぬかるみを作ってもいい。
貴様らが殺した化け物のTATARIに怯え慄くがいい。
人間以外の動物も引っかかるだろうけど、致命的なトラップは無い。森の動物の皆さんにご迷惑をおかけする事になって心苦しいが、ご容赦願いたい。
罠を仕掛けたついでに集落の偵察も行う。昨日は二人見張りがいたが、今日は集落の真ん中あたりに小さな篝火が焚かれ、ダルそうな見張りが一人いるだけだった。たぶん何事も無く一晩が過ぎて警戒が薄れ……いや待て。昨日お供え物盗んだのに警戒が薄れるなんて何事? 罠か? 私を誘い込む罠か?
心臓がバクバク音を立て、どっと冷や汗が噴き出した。まずい。縄文人を過小評価していたらしい。
さっと後ろを振り返る。私の後ろについてきているタマモがきょとんとして首を傾げ、その更に後ろには無限の夜の暗闇が不気味に広がっている。
急に暗闇への恐怖が湧き上がった。今この瞬間にも、篝火の見張りを囮にした包囲網が完成しようとしているかも知れない。
そうとも。犯人は現場に戻ってくる。私がもう一度やってくるのを予測していても不自然はない。
焦燥に駆られながらじりじりと後ろに下がる。お供え物を盗ったのは迂闊だった。警戒を強めてくれと言っているようなものだ。
もう一度集落の様子を確認してみれば、住居の入り口には侵入者対策か見るからに急造の板がドア代わりに立てかけてあり、五メートルぐらいの高さに育った世界樹の根元に新しいお供え物が……
…………?
あれ? またお供え物がある。盗んでくれと言わんばかりに堂々と置いてある。
え? 何なの? 馬鹿なの? ツンデレなの? こ、このお供えものはあんたのためじゃないんだからね? それともこれも私を釣り上げるエサ?
……いや、違う。多分これ、世界樹がお供え物を受け取ったとかなんとか、そういう勘違いが起きてる。罠にしては見張りに緊張感が無さ過ぎる。あれが緊張していない演技だとしたらアカデミー賞ものだ。
つまり世界樹がお供え物を受け取った、お供え物が無くなったのは泥棒のせいではない、と。
全身の緊張が抜けた。焦って損した。縄文人を過大評価していたらしい。奴らは馬鹿です。
篝火と見張りが減ったのは燃料・人員節約のためだろう。怪我人と看病人で労働人口が減っているから、少しでも燃料と食べ物を節約し、休める時は休みたいはずだ。
冷静に考えてみればなんて事はなかった。弱気になっていただけだ。
ちょっと大胆になり、物陰に隠れながら中腰で世界樹に近づく。見張りは気付いた様子はない。本日のお供え物は麻袋に詰められた食料らしきもので、昨日の三分の一ぐらいの量しかない。まああれだけの量を毎回用意するのも大変だろう。今回これだけ用意できたのも、相当無理して集めたに違いない。いやあ、すまないねぇ私のためにハハハ。
私はまたお供え物を根こそぎかき集めて抱え込み、さっさと撤収した。
翌日、朝食を煮ながら左腕をチェックする。腕の傷口は完全に治り、新しい皮膚ができていた。順調に治っている。宝飾の効果は首にかけているだけで全身に及ぶらしく、傷口に当てなくていいのは大変助かる。その代わり宝珠よりも効果は低いようだが。
日中は主に周辺の探索をして過ごした。万が一縄文人達に発見された時に逃げられるようにしておかないといけない。山や森を移動する時は、しっかりした足場を瞬時に判別できる縄文人となんとなくしか分からない私では体力の消耗に雲泥の差があるし、走る速さにも差がでる。下調べをしなければいざ逃げようとしても絶対に逃げられない。
さらに彼らは糞や足跡はもちろん、折れた小枝や倒れた草からも動物を特定・追跡できる。足跡の歩幅と深さから身長と体重、リラックスしているか緊張しているかを予測したり、折れた小枝の太さ、角度、糞の臭いや形や色ばかりではなく場所からも情報を得る。痕跡を残さないように探索をするのはかなり大変だ。
ちなみに痕跡を残さないのと気配を消すのは全く別物で、まだ私は気配を消す事ができない。気配を消すと言っても不可思議な力でもなんでもなく、要は呼吸を深くゆっくりとするようにしたり、リラックスして緊張や急激な運動に伴って発散される微量物質を抑えたり、場合によっては風下に立ったり、そういった複合的な要素によって動物の注意を向けられにくくするものだ。前の集落の熟練した狩人ハンガラは、完全に気配を消して森に溶け込む事ができていた。日光浴しているハンガラの足を二匹のリスがじゃれあいながら飛び越えていった事もあるという。いつか私もその域にまで達したいものだ。
ざっと周辺を見て回り、十ヶ所に食料と水を隠しておいた。現在の拠点を追われた時のための保険だ。隠してもネズミやリスに盗られる可能性が高いが、十ヶ所の内一ヶ所でも使えれば儲けもの。
復讐で頭をフットーさせて足元をすくわれるようなベタな真似はしない。保身を欠かさず、冷静に、陰湿に、心を病ませてやる。
探索中に触るとカブレる木を見つけたので数枚葉をとっておき、カメムシが数匹群がっているのを見つけたのでこれもとって小型の土器に蓋をして閉じ込めておく。
日が傾いて来たら罠を幾つか増産し、作りたての罠と貯め込んだ糞尿入りの土器、ウルシの葉、カメムシ入り土器を持って拠点から少し遠回りをして集落に向かった。毎回同じ方向から訪ねていたら拠点の位置を特定され易くなる。用心しておいて損はない。
集落に到着した時にはまだ太陽の残光があり、手元が見える内にと周辺に仕掛けて回った。前日に罠を仕掛けた場所をチェックすると、二ヶ所が派手に荒らされていて、三ヶ所の罠が除去され、残りは手つかずだった。かかったのは一ヶ所か二ヶ所と見える。上出来だ。
手早く罠を増設し、木の陰に隠れてコソコソと集落の様子を伺う。今日は篝火は無く、見張りもいなかった。世界樹のお供えもない。
流石に貢ぐ余裕がなくなったか。お供え物をしてもご利益があるどころかトラップで怪我を負ったのだから、お供え物の効果に疑問を抱いたのか。
罠を仕掛けるのをもう少し後にすれば、もっとお供え物を巻き上げられたかも知れない。惜しい事をした。
耳を澄ませると虫の音と柔らかなふくろうの鳴き声が聞こえ、それに混ざって声が聞こえた。声がした家ににじり寄り、耳を寄せる。
「くそっ、まだ痒い」
「もう一度水で洗う?」
「×××、やめておく」
「そう。それなら我慢するしかないよ」
「ぬぐぅ」
思わず笑みがこぼれた。上手くかかったらしい。いい気味だ。私の苦しみの千分の一でも味わうといい。
他に声が聞こえる家はあるにはあったが、声が小さくて聞き取れなかった。あまり家のすぐそばにいると物音か何かで勘付かれそうだったので、一度距離を置いて世界樹を見に行った。世界樹は集落の端の広場にあり、偵察し易い。既に日の光は消えて完全に真っ暗になっていたが、世界樹はぼんやりと光っているので見やす……あれ、ぼんやりと光っている? ……まあいいか。ぼんやりと光っているので見やすい。宝珠や宝器が光るんだから、世界樹が光るのも道理だ。光り方もよく似ている。
世界樹は八か九メートルまで育っていて、森の木々と比べても見劣りしない。異常成長した割には幹も枝もどっしりしていて、大地震が起きても大丈夫そうだ。
何かに使えるかも知れないので、木の皮を剥いでみる事にする。世界樹に近づき、腰にくくりつけておいた石器を木肌に当てて剥ごうとすると、タマモが私のくるぶしを前脚でたしたしと叩いてきた。
「?」
声に出さず視線だけ向けて尋ねると、鼻先で私の頭上の枝を指す。そちらに目線を移せば、手のひらサイズの小人が枝に腰かけ、悲しそうに私を見ていた。
ちっさ! なにこれ。木の精?
小人は私達の目線に気付き、木に吸い込まれるようにして消えた。すぐに私の目の前の幹から上半身だけにょっきりと出てきて、私の石器に手を伸ばしてはたき落そうとする。しかし小人の手は空しく石器をすり抜けるばかり。チラチラと私を見てくるので、石器を引っ込めると、小人は嬉しそうに頷いた。木を傷つけるのはNGらしい。ごめんなさい。
急成長だけじゃなくて木の精霊? まで生まれたか。相変わらず遺灰の不思議効果には恐れ入る。
これまで散々な目に遭ってきただけあり、木の精を見ても特に動揺はしなかった。今の私なら『奴の前で階段を登っていたと思ったら いつのまにか降りていた』状態になっても慌てる事はないだろう。重要な確認だけする事にする。つまり知能はどの程度か? 敵か味方か? 敵だったら無理を押して今すぐ放火して燃やす。
小人の見た目は黒髪碧眼のがっしりした精悍な青年で、縄文人とよく似た麻の服を着ている。腰には石包丁が下がっていた。それ以外に特に特徴はない。服を着ている以上、それなりの知性はあると見て良さそうだが、言葉は通じるだろうか。
寝ている縄文人達を起こさないように小声で訪ねる。
「君の名前は?」
私の声に反応した小人はささっと周囲を見回し、片手で口元を隠して内緒話をするようにちょいちょいと手招きをした。耳を寄せる。
すると小人は辛うじて空気を震わせるか細い声で言った。
「……ナイ」
「ナイ? ナイって名前?」
首を横にふられる。
「名前を持ってない?」
今度は縦にふった。
名前は無いらしい。でも名前という概念は理解しているみたいだし、日本語で質問したのに日本語で返ってきた。知識ベースは私か? 会話ができるという事は縄文人への現代知識流出の可能性も……
まあそれはそれとして、処遇を決める前にとりあえず名前をつけよう。なんだかんだでネーミングの時はワクワクする。タマモとか宝器とか、いかにも「それらしい」名前をつけるのは存外楽しいものだ。
木霊……は、もののけな姫のせいで骸骨っぽい印象がある。完全に人間なコイツのイメージには合わない。キジムナー……もダメだ。こっちは妖怪レーダーの人のせいで丸っこい印象がある。やっぱりイメージが合わない。コロポックルは……コロポックルでいいか。
「よし。今日から君の名前はコロポックルだ」
「……ころぽっくる」
コロポックルは嬉しそうに何度も頷いた。気に入って貰えたようで私も嬉しい。
質問を考えていると、私の胸元をじっと見ていたコロポックルがもにゃもにゃと胸の前で両手をこねくり回しはじめた。すると宝飾とそっくりな半透明のミニチュア首飾りが現れた。それを嬉しそうに自分の首にかけ、ドヤ顔する。
「似合ってる、似合ってる。カッコイイよ」
「!」
褒めてみるとまんざらでもなさそうな顔をした。服装に関しては自在に変えられるっぽい。
コロポックルの声は小さくて聞き取りにくかったが、意志疎通は問題なくできた。それによるとコロポックルは世界樹の化身のようなもので、複数体いるらしい。ただし世界樹がまだ未熟なため、表に出てこられるのは今の所彼だけとのこと。日本語や私が齧った縄文語、計算などのごく基礎的な知識は頭にインプットされているが、物理化学や漫画、雑学の類の知識はほとんどすっぽり抜け落ちている。具体的には私が転生してから活用した知識は覚えていて、活用しなかった知識は覚えていなかった。これなら放置していても無問題。
また、コロポックルは恥ずかしがりやで、特に人間に対しては羞恥心や警戒心が強いらしい。でもアマテラスは大丈夫、との事。
話していて手ごたえを感じたので試しに復讐云々について話して幾つかお願いすると、快く手伝いを引き受けてくれた。コロポックルはあまり物理的に干渉できないが、世界樹を通してなら色々とできるそうだった。
そうして思わぬ協力者に感謝しながら細かい連携について話していたのに。
話している間ずっとそわそわしていたタマモが突然跳躍して、コロポックルに襲い掛かった。前脚でコロポックルを捕まえようとして、すり抜けて失敗。着地したタマモは再度跳びかかる。コロポックルはびっくりして木の中に引っ込んでしまった。
ちょっ、タマモさん何してはるん!?
縄文人の住居の近くで怒鳴るわけにもいかなかったので、ぴょんぴょん跳んで木肌を引っかいているタマモを捕まえて茂みに引っ張り込み、声を潜めて叱る。
「こら! なんてことするんだお前は!」
「!? た、たまも、ごはん、つかまえる。あまてらす、おこってる、どうして? たまも、わるくない」
タマモはびくびくと尻尾を丸めながらも、不満そうに抗議してきた。
ああ、そう、ごはん。動物の本能か。狩りやすいサイズの生き物? とタマモの目の前で長時間話し込んでいたのも悪かったかも知れない。話に入ってこないなーと思っていたが、単に狩りのタイミングを見計らっていただけだった。
このタマモの行動のせいでコロポックルが縄文人に寝返ったらどうしてくれようか。ギロリと睨むと、タマモはビクッとしておどおどと尻尾を力なく揺らした。
何が悪かったのか分かっていないようだ。しかし精神年齢的にはまだまだ子供だし、灰の不思議パワーで進化しても分別がつくわけでもない。頭ごなしに叱るのも悪影響だろう。教育の基本は九褒めて一叱る。
「はぁ……仕方ない、か……タマモ、あれはごはんじゃない。捕まえちゃダメ」
「ごはん、ちがう?」
「そう、ごはん違う」
「きゅーん。わかった」
「よし、良い子」
物わかりのいいタマモの頭を撫で、ついでに背中も撫で、おまけに尻尾をもふり、追撃に柔らかいお腹をたっぷりわしゃわしゃしてハッと我に返る。愛でている場合じゃなかった。嫌がらせをしに来たんだ。
なんだかんだで日が暮れてからそれなりに時間が経ち、縄文人達は全員寝ている。この時代は基本的に日が落ちたら早々に寝る。夜に火をつけ、燃料を消費してまで活動するメリットはない。
嫌がらせセットを持ち、足音を忍ばせて寝静まった集落に侵入する。
まずは一件。家の入り口付近をタマモと一緒に音を立てずに掘り返し、家の脇に置いてあった水がめを倒して水をそこに注ぐ。朝起きて外に出る時にドロドロのぬかるみで爽やかな朝をご提供するのだ。空になった水がめは道端に転がしておく。
次の一件は柱にカメムシを潰した汁を塗りたくる。鼻のいいタマモはすぐさま押し殺した悲鳴を上げてさっと距離をとった。私からの香水のプレゼント。家の中は当分の間集落でオンリーワンのユニークな香りに包まれる。
全部の家に塗ってあげたいところだが、量が足りないし、最後の家に塗る頃には最初の家に臭いが充満して寝ている人が起きてしまう。一件だけ塗って次に行く。
三件目は少しだけ家の中に入り、入り口近くに置いてあった木の実入りの土器にウルシの葉をこすりつけておく。何も知らずに触った手が愉快な事になるだろう。飲み水にウルシの葉の汁を垂らすのも考えたが、喉がカブレたら多分窒息死するのでやめておいた。やさしい流石私やさしい。
最後の四件目は直接的に行く。タマモといっしょに息を殺して忍び込んだ。
心臓が十メートル先まで聞こえるのではというぐらい煩く音を立てる。脇の下を垂れる嫌な汗が鬱陶しい。気付かれませんように、気付かれませんように。
背後から世界樹の微かな明かりが入ってきているので、辛うじて人影が判別できた。寝ているのは男が一人、女が二人。好都合にも身を寄せ合っている。
私は大きく息を吸い込み、糞尿を三人の頭あたりにぶちまけ、空になった土器を投げつけて全速力で逃げ出した。一瞬遅れて女の足を一噛みしたタマモが追従する。
「ほぁああああああああああああ!?」
「え? えっ!? くさっ! くっさ! くっさおげえええええ……」
「くぁwせdrftgyふじこl!?」
転がしておいた水がめを蹴飛ばして叩き割り、背後の心地よい悲鳴をBGMに急いで森の中へ。堪えきれずに爆笑しながら走ったが、大混乱の集落からは誰も追手は来なかった。
それから数日、私は思いつく限りの嫌がらせで縄文人達を攻め続けた。夜中にタマモと一緒に集落の周りをうろつき、吠えたり指笛を吹き鳴らしたりして安眠妨害したり、安眠妨害に怒って追ってきた縄文人を汚物入り落とし穴にハメたり。コロポックルも夜中に木を揺らしたり不気味な風の音を出したりして嫌がらせに協力してくれた。
ウルシの汁をたっぷり塗った麻紐を集落の周辺に張り巡らせ、出かける時に神経をすり減らしてあげたり。ミツバチの巣を見つけたので煙で燻して動きを鈍らせてから集落に運び、動きが戻る頃に投げ込んでプレゼントしたり(カメムシとウルシの汁を擦り込んだのでハチミツは食べれたもんじゃない)。
縄文人達のストレスが溜まり、気が短くなり、言い争いと喧嘩が増え、やつれて殺気だっていくのが手に取るようにわかった。
初日の大怪我。眠れない夜。罠だらけの森。減っていく食料。壊される土器。強烈に臭う住居。カブレる肌。そして追い詰められる精神。
やっている私もここまでハマるとは思わなかった。
恐らく、縄文人は人間同士の陰湿な集団戦を経験した事がない、というのが大きいのだと思う。
彼らが知っているのは動物との戦い方、あるいは正面切った喧嘩ぐらいで、人間が人間に対してネチネチと仕掛ける攻撃に対しては無防備だ。単純なブービートラップでも、対応できるようになるまでにびっくりするほど時間がかかる。
面白いほど無様を晒す縄文人達を見て、かなりスッキリした私は七日目に復讐を終了する事にした。
最初に怪我をした縄文人達が動ける程度に治り始めていたし、集落の空気が暴発寸前になってきた。まだ続けたい気もしたが、なりふり構わない逆襲を喰らう前にとっとと退散するに限る。やるだけやってやり逃げ。最高。
念の為に用意しておいたセーフティーも使わずに済み、ぱーふぇくとな復讐だったと言えるだろう。
縄文人達は世界樹が自分達の味方をしてくれないどころか敵だと最初の三、四日で気付いたようだが、その時にはもう容易に切り倒せない高さに育っていた。それでもなんとか切り倒そうと昼に斧を振るも、幹が堅いため日中だけでは三分の一ぐらいまでしか伐れず。その三分の一も夜の間に自動修復され、翌朝には無傷に戻っていた。今では森の中でも群を抜く巨木に育ち、縄文人も諦めたようだった。
七日目の夜、最後の総仕上げとしてタマモが大声で鳴きながら派手に集落を走り回った。案の定血走った目で家の中から飛び出し、松明や槍を持ち怒声と罵声をあげながらタマモを追いかけはじめる老若男女。タマモがおちょくるようにチョロチョロと走り回って少しずつ森の中に誘導していくと、全員それに釣られて森に入って行った。
いやあ、頭が悪くてとても助かる。自分達が動物を狩る時は動物に対して囮を使うのに、自分達が狩られる時に囮を使われるという発想ができないのだろうか。そんな発想ができるほどの冷静さが無くなっているのかも知れないけど。
私は空っぽになった集落に忍び足で入っていく。一応護身用に沢で見つけたワサビの粉末を持ってきているから、数人ぐらいなら残っていても目つぶしを喰らわせて逃げられる。
明らかに人の気配がする家は避け(足を怪我していてタマモを追えなかったらしい)、空の家を漁って備蓄されていた干し肉や燻製魚、木の実を麻袋に詰めていく。これから川を下って海まで行き、塩作りをするつもりなので、その旅に必要な食料を頂戴するのだ。
たっぷりと食料を盗ったら、最後にお別れを言うために世界樹を訪ねた。私が近づくと、一番地面に近い枝の上にスゥッとコロポックルが現れる。青年のコロポックルだけではない。タマモの真似をしたのか尻尾を三本生やした女の子のコロポックルや、白髪のおっちゃんコロポックル、狐耳のおばあちゃんコロポックル、槍を持ったとーちゃんコロポックル、薬草籠を抱えたカーチャンコロポックルなどなど、枝にズラリと鈴なりになってお出迎えしてくれた。誰もがニコニコして私を見ている。
「今まで手伝ってくれてありがとう。私はここを離れるけど、できれば嫌がらせは続けてほしい。無理しない範囲でね」
私の言葉にコロポックル達はひそひそ話し合う。すぐに話がまとまったのか、その中の一人が手招きをした。背伸びしてそのコロポックルがいる枝に耳を寄せる。コロポックルはぽそぽそと言った。
「……ずっと嫌がらせするのは、たいへん。ニンゲン、ココから追い払う。それでイイ?」
「おお。願ったりかなったり。ありがとう」
心身ともに疲れ果てて住み慣れた土地を追われるなら、復讐としては上出来だろう。
私はちょうど縄文人をまいて戻ってきたタマモと合流し、清々しい気分でコロポックル達に手を振って集落に別れを告げた。




