十四話 一年
縄文人の春は雪解けと共に始まる。
積もった雪の隙間から顔を出したフキノトウを摘み、煮込んで食べるのが春の味覚だとかなんとか。転生前後合わせてはじめて食べるフキノトウはひたすら苦く、越冬して古くなった手製魚の燻製よりも不味いというイジメのような味だった。春になったら美味しい山菜三昧だと信じてほとんど魚と自然薯だけで乗り切ったのに。ガッカリだよ。
冬開けのフキノトウは、ビタミン補給のためにも食べないわけにはいかない。栄養学の欠片もないこの時代、冬の間は新鮮な野菜・果物と無縁の生活を送るので、春が近づく頃には壊血病の兆候が見られる。鈍痛や古傷の疼きを訴える者が増えたり、歯ぐきから血が出やすくなったり、貧血気味の者が増えたり。根本的な栄養不足は宝珠でも解決できない。好き嫌いしてフキノトウを敬遠した結果壊血病で苦しむのはアホ過ぎる。
雪解け水が作る沢に沿って探せばフキノトウは簡単に見つかるが、縄文人は全部採り尽くさず、一ヶ所につき何株か残していた。全部採ると来年採れなくなるからだという。縄文人というと狩猟採集民族で、実りが悪くなったら別の土地に移動、というイメージがあったが、だからといって土地を喰い荒らしながら移動しているわけでもないらしい。
それはそうだ。新しい住みやすい土地を探すのも、住居を立て直すのも、物凄く労力がかかる。縄文人だって定住できるものならしたいのだ。
三週間ほどでフキノトウの花が開いて旬が過ぎると、今度はワサビの季節になった。フキノトウの自生地とは別の沢でフキに似た葉っぱの植物を引っこ抜くと、独特のでこぼこした根っこが出てくる。最初何か分からなかったが、葉っぱ、茎、根っこを全部丸ごと刻んで煮た豪快なスープを飲んですぐに分かった。なにしろ辛い。すごく辛い。警戒せずに口いっぱいに頬張って涙目でむせたぐらいには辛かった。苦味攻めの次は辛味攻め。初春の山菜はロクなもんじゃない。
しかしワサビは主食ではなく香辛料と考えるとなかなか使える。日本原産の香辛料なんてワサビぐらいしかない。ワサビ以外の香辛料を手に入れようと思ったら海を渡らないといけない。比較的手軽な調味料としえ塩は欲しいけど、海に出るまで川を下るのも面倒だなと思っていたので、ワサビ発見は渡りに船だった。ワサビの自生地は集落から遠かったので、持ち帰って栽培する事にする。
ワサビは綺麗な水でしか生育せず、現代でも栽培は難しいとされているのは知っている。ここで現代で難しいなら縄文時代で栽培できるわけがない、と考えるのは一般人。幸い私はズルができる。
具体的には宝器を使う。ほのかに光るだけのインテリアと化していた宝器にもそろそろ別の使い道を見つけたい。
灰シリーズに生命関連のパワーがあるなら、宝器を鉢植え代わりにすればワサビの栽培ができる可能性もある。今まで色々使い道を探ってきて全部失敗に終わっているから、期待はしていない。まあ成功すれば儲けものぐらいの気持ちで。
ワサビの季節も過ぎ、残雪を見かけなくなって本格的に春になると、途端に採れる山菜類はバリエーションを増す。
見覚えはあるけど名前が分からない山菜、料理番組で見た事があるワッフルみたいな模様のキノコ、セリ、シダ植物(ワラビかゼンマイかそのあたりだと思う)などなど。川に入って魚や蟹を獲ったりもする。
川での漁は冬の間に作った網を使うのだが、仕掛け網をかけて一晩放置した所、魚と一緒にカワウソがかかっていた事があった。でっかいオコジョのような体躯、つぶらな瞳、艶やかな毛皮。現代では絶滅したニホンカワウソだった。
カワウソは一晩網に絡まったまま暴れていたらしく、随分衰弱していて、縄文人達が近づいてもほとんど反応を示さなかった。ハンガラ他数名が網を引き揚げたので、随行していた私は哀れなカワウソを放してやろうと近づき――――ハンガラの槍で胸を一突きされて絶命するカワウソを間近で見る事になった。
彼らにしてみれば魚を獲るつもりだったのに毛皮と肉が手に入ってエビで鯛を釣った気分だったんだろうけど、私は引いた。縄文人マジ容赦ない。可愛らしいとか可愛そうとか、全然考えた気配が無かった。価値観の違いが恐ろしい。
でもカワウソ鍋は割と美味しかった。ごっつぁん。
カワウソ鍋を堪能した翌日の昼、自宅で木を削って独楽を作っていると、外がにわかに騒がしくなった。
なんだなんだと独楽を置いて野次馬にいく。タマモもついてきた。
木を担いで慌ただしく何かの準備をしているテキワセ(ハンガラの次に狩りが上手い男)を捕まえて聞く。
「なにこれ」
「うむ? ハンガラが虫の宝を見つけてな、みんなでとりに行くんだよ」
「虫の宝?」
なにそれ。
「うむ。たくさんとれたらアマテラスにも分けよう。楽しみにまっていろ」
「んー、私もついて行って良い?」
「うむ? ……うむ。なら木を持ってこい。宝珠も」
「宝珠も? 怪我する予定あるの?」
「うむ。奴らは刺すからな」
「刺す?」
「刺す」
刺すらしい。虫の宝、刺す。刺す。サソリ狩り? いやいや。蚊……はまだ季節的に早すぎるか。よくわからない。
経験上ここで問答をしても要領を得ない答えが返ってくるだけと分かっているので、ついていって見学する事にする。縄文人達はイノシシを直訳で「たくましい牙」と呼んだり、熊を「森の王者」と呼んだりするので多分虫の宝も何かを別の呼び方をしているだけだと思うが。宝を貯め込む虫なんていただろうか。カラスは光物を集めたりするけど、虫?
考えながら言われた通り木と宝珠を持って狩人組に合流する。ハンガラとテキワセを含めた五人の内三人が槍と木を担いでいて、残り二人はそれぞれ一抱えもある大きな土器を持っている。五人は私が合流すると意気揚々と森に踏み入っていった。
周囲を警戒しながら三十分ほど獣道を進むと、前方から蜂が飛んできてすれ違った。何気なくそれを目で追って、ハッと気付く。
「ねぇ、虫の宝って太陽の色の水っぽいやつ?」
「うむ? うむ。そうだ。太陽の色。うまいこと言うな」
なるほど、つまりハチミツか。確かに宝と言えなくもない。察するに木で燻して蜂を不活発化し、その隙に獲ろうという作戦だろう。壺を何に使うのかは知らないけど。
集落に来てから一度も甘味は見かけなかった。それだけ貴重なのだ。ハチミツ採りで騒ぎになるのも納得だった。もう長い事食べていないハチミツの味を思い出してつばが出てくる。テンション上がってきた。
「きゅーん……」
しかし私と反比例してタマモは落ち着きを無くし、不安そうに足元にくっついてきた。近くに蜂が来るたびにびくっとして尻尾を丸める。刺されるのが怖いんですね、分かります。怯えるタマモもかわいい。
「タマモ、戻って待っててもいいよ」
「くぁん」
優しく言うとタマモはぶんぶん首を横に振った。ワンピースの端を前脚で叩いて催促してきたので、片手で抱き上げる。すると私の腕の中で小さく丸くなってぷるぷる震えた。怖いけど私と離れるのも嫌らしい。いじらしい。
やがて蜂が集中して行き来している場所を見つけ、ヴヴヴヴヴ、という唸り声のような羽音がはっきり聞こえるようになった。遠目にも楕円形の巣にびっしりと蜂が張り付いて出入りしているのが分かる。私達は巣を遠巻きにして、ハンガラの先導でコソコソと風上に移動した。
蜂が警戒しないギリギリの位置まで近づき、下草を引っこ抜いて作った空間に持ってきた木を積む。そしてその木に火をつけると、もくもくと出た煙が風下の巣に向かって流れていった。全員で地面に這いつくばり、木に息を吹きかけて空気を送る。時々ハンガラが中腰になって巣の様子を伺った。
しばらくすると羽音が聞こえなくなり、煙の中を飛び交う虫の影もなくなった。ハンガラの合図で壺持ち一人が持っていた壺の水を燃えている木にかけて消火し、もう一人の壺持ちとテキワセがおっかなびっくり巣に近づいていく。
壺持ちが壺の中から麻袋を取り出し、口を広げて巣の下で待機。そしてテキワセが槍の石突で巣を数度つつくと、巣はぽろりと落ちて麻袋の中にすっぽり納まった。麻袋の口を閉じて壺に入れ、テキワセがハンガラに頷いた。
「そら逃げろ逃げろ!」
巣の外にも蜂はたくさんいる。煙の効果が切れる前に全員で脱兎のごとく撤収した。
五分ほど走って逃げ、河原に出たところで立ち止まる。縄文人組は汗一つかいていなかったが、タマモを抱えて走った上に体格差がある私はぜぇはぁと息を荒げていた。
「……それで、」
息が整ってきたところで壺を覗き込む。麻袋はまだ静かなものだったが、時々微妙にぴくぴく動いている。早くしないと蜂が目覚めてしまいそうだ。
「これをどうするって?」
「こうするんだ」
河原から自分の二の腕ぐらいの太さの流木を拾ってきたハンガラは、それを杵代わりにして壺の中の麻袋を突きはじめた。ばりばりめしゃめしゃと音をたて、巣が壊れ蜂が潰れていく。乱暴な方法だ。これだと女王蜂も死んでしまう。遠心分離にかけてハチミツだけ採った方が……無理か。現代では巣を遠心分離にかけて採るという事は知っていても、細かい仕組みは知らない。
ハンガラが十数回も麻袋を突くと、トロリとした琥珀色の液体が流れ出てきた。あたりに甘い香りが漂う。タマモは震えるのを止め、ふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎはじめた。
巣と蜂が粉々になるまで突き崩したら、袋を徹底的に絞り、最後の一滴まで壺に落としてから中身を横に捨てた。途端に私の腕からタマモが飛び出し、嬉々として巣とハチの残骸を貪りはじめる。泥と蜂が混ざった絞りかすを食べるタマモを縄文人達は奇異の目で見たが、すぐに壺に群がり、手を突っ込んで舐めはじめた。私もご相伴に与る。指先につけて一ペロ。
「!」
ウンまああ~いっ! と叫びそうになったが叫ぶ間が惜しい。ふおおおおお……! 巣材や蜂の細かい残骸が混ざっているせいかちょっとザリザリしていて雑味が多いのに、不思議と今まで食べたどんなハチミツより美味しく感じる。味のIT革命、とまではいかないが産業革命ぐらいはある。こんなものを百円ぐらいでたっぷり食べる事ができた現代日本は一体どれほど食に恵まれていたんだ。とても過去と未来とは思えない。もはや異世界。そう、例えるならグルメ界と人間界……!
「そこまでだ、アマテラス」
「あっ」
無心で舐めていたら食べ過ぎたらしい。ハンガラに壺を取り上げられる。思わずがっかりした声が出て手を伸ばしてしまい、微笑ましい目で見られた。
……なんだか無性に恥ずかしい。そんな目で見るな。「大人顔負けの賢さだけどやっぱり子供だな」という感情が透けて見える。
いや確かに普段は大人ぶった子供みたいに見えてたかも知れませんがね、大人ぶってるんじゃなくて精神年齢的にはあれが素だから。
「ぬぐぅ」
「けふー」
ここで反応したら負けた気がするので唸っていると、たらふく蜂の巣の滓を食べたタマモがこれ見よがしに息を吐き、ご満悦で私の腕に飛び込んできた。タマモさんマジマイペース。こういう所は見習いたい。
それからハチミツ壺を持って集落へ凱旋する間中ずっと縄文人達にニヤニヤと見られ、恥ずかしいを通り越して鬱陶しいの域に達したが、それから彼らの私への対応が心持ち暖かくなったので結果オーライだろう。
宝器に土と水を入れて育てたワサビは、梅雨が過ぎても元気に青々と育っていた。殆ど植えっぱなしで世話をしていないのに、枯れたり弱ったりする様子は微塵もない。対照実験として普通の土器で育てたワサビは一週間で枯れたので、宝器の効果と見て間違いない。
一年越しに明らかになる事実。つまり宝器は万能鉢植えだったんだよ(AA略)!
というのは半分冗談として、多分水の浄化とか健康の維持とか、そんな感じの効果と考えられる。治癒ではない。治療というより予防。回復薬というより栄養剤。メディカというよりアムリタ。とにかく悪い効果はない。インテリアからちょっと便利な鉢植えに格上げしておく。
新鮮なワサビをザラザラした石ですりおろし、焼き魚につけて食べる。これがまた美味しい。網漁の影響で集落の食卓に魚が増え、私も魚を食べる機会が増えたので、食のバリエーションが増えるのは嬉しい。ハチミツは縄文クッキーに練り込んだり水で薄めて飲んだりそのまま舐めたりしている内にすぐなくなってしまったので、調味料はワサビだけ。魚にワサビをつけて齧っていると今度は醤油が欲しくなるが、大豆が無い。ふぁっく。
初夏から起きた大きな変化は一つ。独楽回しの大流行だ。春からコツコツ木を削って作っていた独楽をイレニカに貸したところ、老若男女の垣根をぶっ壊して爆発的に流行。ものの一週間で物心ついてる者は全員独楽を持っているという事態になる。壺の上に毛皮を裏返しに張ったバトルフィールドで独楽をぶつけ合うベイゴマのような遊び方が主流で、どれだけ長時間回していられるか競う耐久勝負もそこそこ人気がある。
ハノイの塔もおはじきも子供の間でしか流行らなかったので、独楽も子供中心になるかなと思っていたら想像以上だった。流行の加熱具合は凄まじく、食料集めがおざなりになる始末。手先の器用な者が職人と化して一日中独楽を作り、不器用な者が採ってきた食料と交換するという一種の分業まで発生した。もうワケがわからない。現代に繋がる日本人の凝り性な血を垣間見た。
バランスをとり重心を安定させる関係上、独楽作りの難易度は土器作りよりも高い。土器なら不器用な者が作っても不恰好ながら実用に耐えるものができるが、独楽の場合最悪回らないゴミになる。だから独楽作りが巧い者は集落の尊敬を一身に集める事になった。
今まで狩人に向いていた尊敬が独楽職人に流れ、ハンガラを筆頭として狩人達はさぞ面白くない事だろう、と波乱の予感にそわそわしたのは私だけで、それも完全に杞憂だった。
ハンガラも独楽にハマって、秘蔵のカワウソの毛皮と引き換えに自分の頭ぐらいの巨大独楽を作って貰って大喜びしていた。仲がこじれる様子はない。至って平和だ。
これほど独楽が流行った背景には食料事情の改善もある。網漁で魚を安定して大量に供給できるようになったので、それまで食料採集に使っていた時間を遊びに回せるようになったのだ。
ハノイの塔ほど頭を使わず、おはじきよりも凝っていて、対戦ができ、造形や独楽回しにほどよい難易度がある。なるほど流行の原因もよく分かる……いや後付けで理屈つけてみただけだけど。理屈を捏ねて流行を操作できるなら苦労しない。
とにかくちょっと行き過ぎ感はあるものの、計画は順調に進んでいると捉える事もできる。少なくとも遊びの文化がしっかり根付いたのは間違いない。
は…流行りました……
ああ……次はサイコロだ
とトントン拍子に事が運べばよかったのにそうはいかず。
秋になっても独楽ブームは続いていて、新しい娯楽の入り込む余地は無かった。集落では猫も杓子も独楽独楽独楽独楽で、試しに普及を試みる気にすらなれない。むしろ私が影響されて独楽作りを始めてしまった。木材の選定から草木の汁を使った着色まで、凝り出すと確かになかなか楽しめる。しかし何個作っても独楽職人渾身の名品に勝てなくて、現代人のプライドが粉々だった。
意地になって石製独楽で木製独楽をフルボッコにしてやろうと十日ほどかけて石独楽を作るも、細部を整えて磨き上げ完成させた所でなんだか燃え尽きてしまい、死蔵する事になった。
もったいない気もしたが、木独楽ですら大ブームなのに、石独楽を出して更に燃料を投下したらオーバーヒートでメルトダウンだ。いざという時の交渉材料として保管しておくぐらいでちょうどいいだろう。
独楽に憑かれた縄文人達も流石に越冬前の食糧集めは真面目にやっていた。ただし短期間に総出で集中的に木の実や魚をかき集め、十分集まったらまた飽きもせず独楽遊びに戻っていた。独楽ブームは当分冷めそうにない。ブームから習慣に昇華しそうな勢いだ。
私はというと独楽熱は短期間で燃え上がって鎮火したので、秋はほとんどずっと独楽そっちのけでドングリ集めに奔走した。
いい加減「焼く、煮る、蒸す」の三種類の料理法には飽き飽きした。そこで「揚げる」を実現するためにドングリ油の採集にチャレンジする。
本当はアブラナがあれば良かったのだが、全然見当たらなかったので椿を探し、椿も無かったのでドングリで妥協。
ドングリの油の採り方は知らないが、ピーナッツ油の採り方ならTVで見た事がある。蒸して、砕いて、熱い内に布に入れて搾り取る。TVではなんだかごっつい機械で圧力をかけていたが、まあ人力でもできない事はないだろう。なあに、ピーナッツもドングリも似たようなもの。なんとかなる。
油採りの候補としては麻の実もあったが、こちらは栄養価が高いっぽいので、油のために潰すのは惜しい。
最初は麻の実なんて食べてラリったらどうすんのと敬遠していたが、勧められて食べてみたらなんともなかったので普通に食べている。現代の麻とは種類が違うのか、実にはヤバい成分が含まれていないのか。葉っぱや花を食べたり長時間においを嗅いだりしていると頭がクラクラして吐き気がするというので、単に精製法の違いかも知れない。
かき集めたドングリを麻袋に入れ、宝器と土器を使って蒸す。どれぐらい蒸せばいいのか分からなかったのでとりあえず五時間ほど蒸して、麻袋から深皿に移し、平らな石を叩き付けて砕き、圧し潰す。すると石と深皿にテカテカした油つき、そこから更に破片をすり潰していくと黄色がかった油がでてきた。どんぐり粉の油炒めといった見た目になる。
そこから軽く火で炙って油が固まらないようにしながら皿を傾け、油を貯める。するとコップ半分ほどの量がとれた。
深皿大盛りのどんぐりから採れた油がこれっぽっち……この量で揚げものは難しい。まあ材料も絞り方も道具も全部未熟だから仕方ない。何百回も石を叩き付けたりこすりつけたりして肩と腕がパンパンになってもやる価値はある。この効率だと手持ちのドングリ全てから油を搾っても茶碗一杯分にしかならないから、今年は揚げ物は諦めるしかない。もう夜遅いので残りの作業は翌日に回す事にして、とりあえず隅の方に置いておく。
絞りかすのどんぐりが勿体ないので炒めて食べ、就寝。
そして翌朝、起きて小鉢にいれておいた油を確認すると、綺麗さっぱりなくなっていた。
「ファッ!?」
アイエエエ!? ナンデ? からっぽナンデ?
周囲に零れた跡はなく、もちろん一晩で蒸発したというのもありえない。
指を突っ込むとちょっと湿っているが油は一滴も無かった。ピカピカになっている。
……ピカピカになっている? 油舐め妖怪でも出たか。
空っぽの小鉢を片手に考え込んでいると、なになにどうしたの、とタマモが寄ってきた。
ふと見るとタマモの口元が妙に艶やかでテカテカしている。
謎は解けた。犯人はお前か。
「タマモさん、ちょっとこっち来なさい」
「……う"ー」
できるだけ柔らかい声音を意識したのに、漏れ出る怒気を感じたのか、タマモはさっと距離をとり、警戒した様子で唸り始めた。
「タマモさんタマモさん、あなたはこれを舐めましたか」
「……くぁん」
「美味しかったですか」
「くぁん!」
「そうですか。有罪。今なら尻尾の毛一本ずつ千切ってデッキブラシみたいにするだけで許してあげるから、大人しくこっちに来なさい」
「ヒャウン!?」
タマモは恐怖に引き攣った悲鳴をあげ、一目散に逃げ出した。しまった、言い方がキツかったか。歯ブラシにしとけばよかった。
「待てこら、こぉの悪戯っ狐さんめ!」
タマモを追って家の外に飛び出すも、既に影も形もなく。かくれんぼして見つけられる気がしなかったので待ち伏せている内に寝てしまい。
起きた時に無防備に懐に潜り込んで寝ていたタマモに毒気を抜かれ、結局許してしまった。あざといさすがタマモあざとい。
冬になって降りはじめた雪は去年よりも激しかった。ハンガラ曰く稀に見る大雪だそうで、雪の重みに耐えきれずテキワセの家が潰れた。
不幸中の幸いで潰れたのは朝だったので、みんなすぐに気付いて掘り返し、寒さにガタガタ震えるテキワセ一家を救出。幼児が二人死んでしまったが、四人埋まって二人助かったのは僥倖と言える。潰れたのが夜だったらきっと全員死んでいた。
我が家はこまめに雪かきをしているので潰れる心配はあまりしていない。最悪凍死しても復活する。吹雪対策に雪を家の周りに盛って風よけにしてあるので、強風の日もけっこう静かだ。
今年の冬は、溜まった日記の整理のために紙作りに挑戦する事にした。木に刻み付けた凡そ五百日分の記録は暗号レベルで略して書いていてもかなりの量になり、家の空間を圧迫していた。これからも増えていくのだから、なんとかしないといけない。
紙の作り方は新聞のコラム欄で読んだ事があるのでふわっと覚えている。繊維がとれるものをアルカリ液で煮る→水洗いする→細かくすり潰す→枠に流し込む→乾かす、で完成。
繊維のとれるものといえば植物。これは秋の内に用意しておいた色々な種類の雑草や木の皮などを試していく。アルカリ溶液はもしかして水酸化ナトリウム溶液とかバリウムとかなんとかそういう特定の溶液だったかも知れないが、どれも作れないので灰を溶かした水で代用。この時点で雲行きが怪しい。
が、驚いた事にできてしまった。茶色っぽくてティッシュを濡らして固めたようなガサガサの和紙モドキだったが、確かにできた。ススキ繊維が一番出来がよかった。
さっそく砕いてすり潰した炭を溶かした水を墨代わりに、タマモの抜け毛で作った筆で書き移していく。
墨のノリも滑りも悪く、滲んでしまって、細かい炭の欠片が目立っていたが、確かに書けている。上出来だ。
雪解けまでひたすら紙作りと書き写し作業に注力する。略記を補足しながらという事もあって五百日分の日記を写すのは大変だった。
しかし補足を書き込んでいて分かったのだが、どうやらこの体、記憶力がかなり強化されているらしい。自分でもびっくりするほどよく覚えていた。
絶対記憶とまではいかないものの、転生初期の思い出もまさに昨日の事のように思い出せる。
これなら日記つける必要もないかもとちらりと思ったが、一年二年なら覚えていても百年二百年だと忘れそうなので文字にしておく。人間の記憶容量は百五十年とも三百年とも言われているが、私は多分千年以上余裕で生きる事になるのでどうなるか分からない。記憶容量の限界に達したら新しい事を覚えられなくなるかも知れないし、古い事から忘れていくかも知れない。不思議パワーが働いて無限に記憶できるのかも知れない。
とにかく悪いパターンにハマった時に備えてこれからも日記をつけておく。三百年後、千年後にあの時日記をつけておけばよかった、と後悔しないように。




