十話 異文化交流
自画自賛になるが、私はよくやっていると思う。唐突に縄文時代に放り出されても、素人なりに考え、行動し、失敗もあったが成し遂げてきた。
梅雨で動けない間も日時計作りにチャレンジしてみたり、流木を削って工芸品を作ってみたり、頑張ってきた。
そんな頑張った自分へご褒美を上げてもいいんじゃないか? と思う。タマモは癒しになってくれているが、タマモ流のご褒美といえばペロペロするぐらいで、気持ちは嬉しいが涎でべとべとになるので微妙だ。
もっとこう、即物的で、分かりやすく、肉体も精神も芯から癒してくれるモノが欲しい。いよいよ近づく縄文人達との接触の前に英気を養いたい。
では何があればいいのかと考えて、真っ先に思いついたのは調味料だった。一つまみの塩があれば半年は戦える。でも海まで行って製塩するのは手間がかかりすぎる。
漫画か小説の一冊でもあれば暗記できるぐらい読み込むが、入手は塩以上に難題。
そこで前世(?)の生活を順番に思い出していった私は、風呂を作ろう、という結論に至った。
毎日風呂に入る異常な潔癖民族、日本人。私もその血を……継いでいるかは怪しいけど、精神は継いでいる。ビバ、風呂。もしかしたら風呂で溺れた拍子に現代日本に移動できるかも知れないし。
浴槽は梅雨前に作ったまま放置していていた池を丸ごと再利用。ここに食事で火を使った時に焼けた石を落とし、水を温める。それだけでいい。
もっと早く思いついていればよかった……。風呂に入りたいとは何度か思ったのに、想像するのが現代のバスルームか五右衛門風呂で、大釜も無いし無理無理、と諦めていた。
縄文人を偵察した翌日の夜、食事の後に竈を作っていた石を崩して灰を払い、木の棒で転がして風呂に落とした。じゅあっと一瞬蒸発する音を立てて石が底に沈む。水面に落としきれなかった灰が浮かぶ。手を風呂に入れて温度を確かめながら石を追加していき、ちょうどいい温度になったのを確かめて服を脱ぐ。
つま先からゆっくりと入って湯の中に全身を横たえると、体からありとあらゆる悪いものが溶けだしていくような心地よさに包まれた。
「ほぁあああああ……ふぉおおおおお……」
極楽。水に全身が溶けてアメーバになりそう。見上げれば満天の星。最高の露天風呂だ。
機嫌よく口笛を吹きながらちらりと横を見ると、タマモは遠巻きに得体の知れないものを見る目で私を見ていた。水苦手だからね、仕方ないね。
風呂上りに宝器に入れて河の水で冷やしておいた甘酸っぱい赤い実を食べながら、よく揉んで柔らかくしておいた天狗の葉っぱで服を作る。この短期間でもう十回は変えた服。早く縄文人から麻服の作り方を聞くか麻服を貰うかしたい。葉っぱの服とかないわー。教科書の挿絵とかドキュメンタリーだと原始人ですら毛皮装備なのに。
麻だリネンだって言うけど、植物として生えている麻を見た事がないってのが一番の問題。c言語だのルーデルコピペだの調べてる暇があったらほんの一瞬でもいいから麻とか綿についてググっておけばよかった。
現代知識といっても縄文時代で生かせるのは0.1%ぐらいだ。母数が大きいから使える知識量も多いが、知識の大部分は歯抜け穴抜けでかなり怪しい。なまじいつでもどこでも知りたい事を調べられる環境にあったから、知識を蓄える、という事をあまりしてこなかった。
もっとも、もしいきなり縄文時代に投げ出されたら、とか、もしいきなり幼女(少女?)化したら、とか考えて普段から準備している人なんてそうそういないだろうし、私は知識の割に健闘していると信じたい。
スニーキングの翌々日、私は宝器一セットを手土産に縄文人達の集落に向かった。お近づきの印にはまず贈り物。私に出せるもので一番価値がある(と思われそうな)ものはこれだ。惜しいとは思うが、一方で贈り物一つで好感度が稼げるなら安いものだとも思う。初期投資を惜しんで手ぶらで行って印象が最悪だったら悔やんでも悔やみきれない。
タマモはお留守番。見た限り縄文人達はペットや家畜を飼育している様子はなかったので、タマモを連れていくと捕まえて食べられてしまうかもしれない。
河を渡って二十分ほど歩き、集落に着く。私は深呼吸を一つして、思い切って集落を縦断する小道に入った。
人の気配はあるが、外には誰もいない。どうしようか考える前に一人の男が土器を持って住居から出てきた。どきりとする。何気なく森と集落の境を見て、私を発見し、土器を取り落とす。中に入っていた木の実が地面に散らばった。口をぱっくり開けて、言葉もないほど驚いている。
えーと。何か言った方がいいんだろうか。細かい対応は想定しても無駄、と考えてきていない。今回のミッションは「贈り物をする」「無事に戻る」だけ。
私はどうしようか迷ったが、向こうもどうしようか迷っているらしい。初見の体勢のまま、お互い微動だにせず睨めっこに移行する。誰か助けて。いや、ここはこっちからグイグイ押すべきか。でも下手に刺激して悲鳴でも上げられたら困る。
こちらから行くか向こうの動きを待つか迷っていると、男が出てきた住居から女が不機嫌そうに顔をだし、割れた土器を指さしながら男に何か言った。
男はちらりと女を見ただけで答えない。不思議に思ったらしい女がこちらをみる。
男の焼き直しだった。
奇妙な沈黙の雰囲気が伝わったのか、他の住居からも人が顔を出しはじめる。全員硬直する者を見て不思議そうな顔をして、視線を辿り、私達を見て固まった。
そうしてものの数分で集落の住人全員と睨めっこの構図ができてしまった。
えええええ……
なにこの雰囲気。なんとか言って下さいよ。
異様な沈黙のまま数分が経つ。このままだと埒が明かない。
表情を見ていて分かったが、だるまさんが転んだ状態になっている縄文人の内、何人かはちらちらと他の人を気にしている。全員が全員動けない・動きたくないのではなく、周りの流れに乗せられてなんとなく止まっている人もいるのだ。
胃がキリキリと痛みはじめる。この奇妙な均衡が悪い方に傾かない内に行動しておこう。
私はちくちくする視線を浴びながら集落に十数歩踏み入り、道の真ん中に宝器セットを置いた。そしてまた元の場所に戻る。住人達は宝器と私を見てヒソヒソと言葉をかわした。
ど、どうでしょうか。
しばらくヒソヒソしていると、毛皮を腰に巻いた男がそろそろと置いた宝器に寄ってきた。私をちら見しながら、爆発するのを恐れているかのようにそーっと宝器に手を伸ばす。
住民と私達、全員の視線を独り占めした男は、宝器をまとめて同時に抱え込むやサッとタテ穴住居の陰に隠れた。
住人達からオオーッと感嘆の声が漏れ、男の近くの住人がどやどやと男が隠れた場所に集まる。集まらなかった住人は私をガン見したりそわそわと男が隠れたあたりを見たりしている。
んんんんん?
これはどうなの?
好感触?
好感触なの?
悪印象は持たれてないよね?
右手を上げてみる。住人達は一瞬ザワッとして静かになり、右手に注目する。
右手を下ろす。注目がとけた。またヒソヒソいいはじめる。
わ、わからん。
どうしよう。いや、どうもしない方がいいか。こちらからアクションをかけたのだから、一度リアクションを待った方が良い。
目線を集落に戻すと、さっきの毛皮男が住居の陰からこちらの様子を伺っていた。私と目が合うと緊張した面もちになり、住居の陰から出て若干カクカクした足取りでこちらにやってくる。そんな男を住人達は固唾を飲んで見守っていた。
男が私の二メートルほど前で立ち止まる。男は小柄だった。恐らく160cmもないだろう。現代との栄養状態の差が伺える。それでも私よりは頭二つ分ぐらい高い。
まじまじと観察していると、男はひざまずいた。手の平を上にして両手を前に投げだし、頭を深々と下げる。その体勢でなにやらモニャモニャ言った。
言葉は分からないが態度が語っている。
これは明らかに臣従とか崇拝とか、そういうポーズだ。
ふむ。異人の顔と不思議な宝器が合わさって最強に見えた、という感じか。
別に集落のボスになりたくて贈り物をしたわけではないが、これぐらいなら想定内。最悪のパターン「なんだこいつぶっ殺せ」ルートに入らなかっただけで十分だ。
単なる異民族、森の精霊、極端なところで神。具体的にどう見られたかは分からない。しかし好感度がプラスならこの先どうとでもなる。落とし神曰く好感度マイナスでもプラスに置換可能らしいが、私はそこまで極めていない。
とにかく贈り物は送った。好感度も稼いだ。後は帰るだけ。おうちに帰るまでがミッションです。
私は親愛の情を込めてちょっとだけ毛皮男をハグして、振り返らずに帰途についた。
翌日、私はタマモを連れて再び集落を訪れた。
昨日は石室に戻った後、あの時は上手く行った気がしたけど実は何か取り返しのつかない失敗をしていたのでは、と疑心暗鬼に駆られたが、何度思い返しても致命的な失敗はなかった。睨めっこぐらいならまあ問題にはなるまい。怯えるような事はしなかったし、されなかった。縄文人は贈り物を持ってきた未知の存在にいきなり襲い掛かるほど狂暴ではなかったらしい。白髪異人がOKならタマモもきっと大丈夫。ヒトかケモノかという違いはあるけど……大人しくして、私の傍から離さなければ、いきなり槍で串刺しにされてこんがり焼かれて夕食に並ぶ、なんて事にはならない、はず。
その小さな不安も風呂に入っている内にどうでもよくなり、本日タマモ同伴訪問決行とあいなった。なんくるないさー。
昨日と同じ時間帯にタマモと一緒に集落を訪れると、今度はお見合い状態にはならなかった。まだ遠巻きにヒソヒソはされているが、昨日はよりずっと雰囲気が柔らかい。警戒よりも好奇心が全面に出ている。タマモへの注目もあるにはあったが、視線の大部分は私に向いている。タマモは興味津々な様子できょろきょろしていた。
集落の小道をゆっくり歩いて間近から縄文生活を観察していると、二人の女が住居と住居の間の空き地に座り込んで土器を作っているのを見つけた。
土器づくり! 本場の製法には興味がある。
近づいていくと、女二人は物珍しげにじろじろ私を見て話しかけてきた。
「アホか葉団扇××××××××」
「××××××寒暖霊柩車?」
いかん、やっぱり分からない。空耳でしか聞こえない。その空耳も「アフォクァハウティワ」とか「カンダンルェイキュウシャン」とか訛っている。会話は無理……! 無理です……!
どう対応したものか困っていると、女の一人が遠慮がちに五百円玉ぐらいの大きさの茶色くて平たいものを渡してきた。なにこれ。
見返すともう一人の女が私がもらったのと同じものを口に入れてもごもごしている。なるほど、食べ物。縄文クッキーか。
火が通っているならお腹を壊す事はない。私は素直に縄文クッキーを口に入れた。お味の方は……
「あ、おいしい」
思ったよりは、が付くものの、縄文クッキーは美味しかった。強いて言うなら練った小麦粉の塊にさくらんぼを少しだけ混ぜて焼いたような味で、三倍に薄めた堅くてボロボロするサクランボを食べているような感じだ。味は薄すぎて物足りないし、進んで二個目を食べようという気にはならないが、劣化カロリ○メイトぐらいの無難な美味しさ……美味しさ? はある。
こちらの世界に来てから始めての他人の手料理にほっこりした気分になりながら味わって食べていると、私の反応に気を良くしたのか、女の人はにこにこ笑って私にもう一つ、タマモにも一つクッキーを寄越した。有り難く頂いておく。できれば製法の方を詳しく知りたいんだけどなー。アレンジ効きそうだし。
クッキーをもらったタマモは無表情で静かにもごもごやって、無表情で飲み込んだ。特にリアクションなし。タマモにとっては不味くも上手くもないらしい。
縄文クッキーを齧り齧り、少し離れた場所に座って土器製作を眺める。タマモがふらーっと集落の建物の間に消えていったが、この様子ならとって食われる事もなさそうだし放っておく。帰る時に声をかければいい。
女性二人は時折ちらちらとこちらを見ながら粘土をこね、器の形にしていく。
見ていて分かったのだが、彼女達は粘土に細かい砂を混ぜていた。最初は何やってんの馬鹿なのと思ったが、考えてみれば納得。
粘土は乾いたり焼いたりすると収縮する。砂は乾いても焼いても収縮しない。粘土に砂を混ぜる事でヒビや変形の原因となる収縮を抑える事ができるのだ。
その発想はなかったわ。縄文人ってすごい。改めてそう思った。
粘土をカラーコーンのような形に成形すると、ひそひそ相談しながら模様を付け始めた。爪で引っかいたり、縄を転がしたり、石を押しつけたり。なんだか楽しそうだ。模様作りをお洒落か何かと捉えて楽しんでいるように見える。あからさまに娯楽に乏しそうなこの時代での貴重な遊びなのかも知れない。
しばらくぼーっと見学していると、後ろから子供の笑い声とばたばた走る音が聞こえてきて振り返る。
がきんちょ二人が何か罵声っぽいものを浴びせながら木の棒を持って、逃げるタマモを追い回していた。
おいこらガキ共、タマモさんディスってんじゃねーぞあーん? 私の怒りは有頂天でこの憤怒は収まる所を知らない。
ぎったんぎたんに叩きのめして泣いたり笑ったりできなくしてやろうとタマモを追う子供二人を追ったが、思ったより足が速くて全然追い付けない。それによくよく見ているとむしろ子供二人がタマモに振り回されている。タマモは追い付かれそうになったら傾いた柱を駆け上って屋根の上に避難したり、一度物陰に隠れてやり過ごし、一休みしてからまた子供二人の前に躍り出たりしていた。
森の中を駆け回っていたタマモに隙は無かっタマモ。私の出る幕じゃなかった。
頭を冷やして考えてみれば、会って三日も経っていない縄文人の子供をぶちのめしたら、そりゃもう好感度は暗黒の木曜日だ。
タマモが狡猾で良かった。落ち着いて、ゆっくりと仲良くなっていこう。




