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元・悪役令嬢の婚活道中 ~ 結婚するなら「普通の人」がいいだけですのに……!  作者: 秋月アムリ


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13/13

13.わたくしの「普通じゃない」幸せの形

「お待ちになって、アーサー様!」


 わたくしの声に、応接室の扉に手をかけていたアーサー様が、驚いたように振り返りました。


 その鳶色の瞳が、先ほどまでの諦観の色をほんの少しだけ薄れさせ、戸惑いを映しながらまっすぐにわたくしを捉えました。


 客間の窓から差し込む午後の光が、彼の栗色の髪を柔らかく照らし、その輪郭を金色に縁取っているように見えます。


(ああ……そうですわ)


 この瞬間、わたくしははっきりと自分の気持ちに気づいたのです。まるで、分厚い雲間から一筋の光が差し込んだかのように、もやもやとしていた心の中が晴れ渡っていくのを感じました。


 確かに、アーサー様は「普通の人」ではございません。むしろ、とんでもなく「普通じゃない」方ですわ。

 考えてもごらんなさいまし。平民の奨学生だった方が、わたくしに会いたい一心で貴族と偽り、それが露見してからは危険な未開の地へ単身で赴き、エルフやら獣人やらといった、おとぎ話に出てくるような方々と渡り合って、わずか二年という驚くべき短期間で大商人へと成り上がる……。


 そんな破天荒な人生を歩む方が、どうして「普通」と呼べましょうか。それはもう、吟遊詩人が好んで歌い上げる英雄譚の主人公と何ら変わりありませんわ。


 アーサー様は、戸惑った表情でわたくしを見つめていらっしゃいます。


「エリザベス様……? 何か……」


 けれど、わたくしは自問自答せずにはいられませんでした。これほどまでにわたくしを想い、ご自身の人生そのものを懸けてまで、再びこうして会いに来てくださった方が、これまでの波乱万丈な婚活相手の中に、いえ、わたくしのこれまでの人生の中に、ただの一人でもいらっしゃいましたかしら、と。


 あの、眉目秀麗ではありましたが、わたくしに「踏んでください」と懇願なさった伯爵様? あの瞬間、わたくしの頭の中は真っ白になり、ただただ「なぜこの美貌でそちらの道へ?」という疑問符で埋め尽くされましたわ。


 あの、自信に満ち溢れた、鏡とお友達の公爵子息様? 彼の「俺の美しさを毎日褒め称えるのが君の仕事だ」というお言葉には、さすがのわたくしも眩暈を覚えましたもの。美しさも度を越すと凶器になるのだと、あの時ほど痛感したことはございません。


 そして、「君を愛することはないだろう」と、まるで恋愛小説の冒頭のような台詞でわたくしを口説き落とそうとなさった、あのどこか残念な貴公子様? わたくしが「まあ、それは残念ですわ」とあっさり席を立とうとした時の、彼の激しい動揺ぶりは今でも鮮明に思い出せますわ。


 その他にも、度が過ぎた倹約家でパンの耳を愛する下級貴族様、お母様のご意見が絶対の侯爵様、自らを「古の盟約に選ばれし者」と信じて疑わない方、常軌を逸した潔癖症の方、そしてわたくしを自身の芸術作品の一部にしようとなさった画家様……。


 次から次へと思い浮かぶのは、個性派揃い、いえ、はっきり申し上げて「普通じゃない」殿方ばかり。


 どの方も、「普通」という言葉からは程遠い、ある意味では非常に強烈な印象をわたくしの心に刻みつけていかれましたわ。ある意味、わたくしの「普通の人」探しの旅は、彼らのような「普通じゃない」人々との出会いの連続だったと言っても過言ではありません。


 でも、アーサー様は違いました。


 彼の身の上は確かに「普通じゃない」かもしれませんけれど、彼と初めてお会いした時の、あの自然で心地よい時間。まるで、ずっと昔からの知り合いであったかのように、言葉が途切れることなく弾んだあの瞬間。

 あの時の、心の奥底から湧き上がってきたような安らぎと高揚感。それは、他のどの殿方との顔合わせでも感じることのできなかった、特別なものでしたわ。


 わたくしは、ゆっくりと、しかし確かな足取りでアーサー様のもとへ歩み寄りました。彼の少し日に焼けた手が、緊張からか微かに震えているのが見て取れます。


「アーサー様……あなたは、本当に、とんでもなく『普通じゃない』お方ですわね!」


 わたくしの言葉に、アーサー様は戸惑ったような、それでいてどこか傷ついたような複雑な表情を浮かべていらっしゃいます。

 それはそうでしょう。先ほどまでの息詰まるような深刻な雰囲気から一転、わたくしはまるで長年の友人に再会したかのような、満面の笑みを浮かべていたのですから。

 彼の目には、わたくしが彼を嘲笑っているように見えたのかもしれません。


「ですが」とわたくしは続けました。彼の誤解を解くように、そして何よりも、この胸の内で確かな形を取り始めた想いを伝えるために。


「ですが、わたくし……そんな『普通じゃない』あなた様といる時が、一番『普通』の自分でいられるような気がするのです! あの初めてお会いした時から、ずっとそう感じておりましたわ!」


 そうですわ。わたくしが渇望していた「普通」とは、もしかしたら、世間一般で言われるような、波風の立たない、平凡で穏やかな毎日だけを指すのではなかったのかもしれません。


 もちろん、そのような平穏無事な生活も魅力的ではございます。けれど、それ以上にわたくしが求めていたのは、ありのままの自分でいられる、心からの安らぎと信頼を感じられる相手との生活だったのではないでしょうか。


 かつてのわたくしは、「王子の婚約者」という役割を演じることに必死でした。常に背筋を伸ばし、完璧な淑女として振る舞い、少しの隙も見せまいと気を張っておりました。


 けれど、アーサー様と話している時のわたくしは、そんな鎧を脱ぎ捨てて、素直に笑い、素直に驚き、そして素直に心を開くことができたのです。


 わたくしの言葉に、今度はアーサー様が絶句する番でした。彼の大きな瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちるのが見えましたわ。


「エリザベス……様……」


「わたくし、ずっと『普通の人』と結婚して、穏やかな幸せを手に入れたいと願っておりました。けれど……もしかしたら、わたくしの求める『普通』は、世間一般の『普通』とは、少しだけ違っていたのかもしれませんわね」


 そう、わたくしは、ただ退屈ではない、心から信頼できて、一緒にいて安らげる相手を求めていただけなのかもしれません。そして、そんな相手と築く家庭こそが、わたくしにとっての「普通」の幸せの形だったのかもしれないのです。


「アーサー様。もし……もし、あなた様がよろしければ……その……わたくしと、もう一度、……出会うところからやり直してはいただけませんでしょうかしら……?」


 自分でも驚くほど素直な言葉が、口から飛び出しました。顔が熱くて、きっと真っ赤になっていることでしょう。


 アーサー様は、しばらくの間、ただただわたくしを見つめていらっしゃいましたが、やがて、その表情が、ふわりと、本当に嬉しそうに綻んだのです。それは、初めてお会いした時の、あの穏やかで優しい笑顔でした。


「エリザベス様……! 本当に……本当に、よろしいのでございますか……? この、わたくしのような者と……?」


 わたくしの告白にも等しい言葉に、アーサー様の鳶色の瞳が、みるみるうちに潤んでいくのが分かりました。なぜでしょう、つられてわたくしの視界もぼやけてきましたわ。


 彼は、続けて何かを言おうとして、しかし言葉にならないといったふうに、ただわたくしを見つめています。

 滲んだ瞳の中には、信じられないという驚きと、そしてこらえきれないほどの喜びの色が浮かんでいました。


「ええ。ただし!」


 目元を拭ったわたくしは、悪戯っぽく微笑んでみせました。元悪役令嬢の片鱗、といったところかしら?


「もう二度と、わたくしに嘘をついたり、何かを隠したりはしないでくださいましね? 約束ですわよ?」


「も、もちろんです! このアーサー・アシュフォード、我が魂に誓って、エリザベス様には生涯、誠実であることを誓います!」


 彼は、今度は騎士のように、胸に手を当ててそう宣言してくださいました。その姿は、少しだけ芝居がかっているようにも見えましたけれど、とても頼もしく、そして何よりも、彼の心が躍っているのが伝わってきて、わたくしも自然と笑顔になりましたわ。



  *



 それから先のことは、まるで目まぐるしい夢のようでした。


 アーサー様とわたくしは、セバスチャンという少々心配性の監視役のもと、何度かお会いし、お互いのことを少しずつ、深く知っていく時間を持ちました。彼が語る未開の地での冒険譚や、森の民や獣人族との心温まる交流の話は、わたくしが今まで知らなかった世界への扉を開いてくれるようで、いつも胸を躍らせながら聞いておりましたわ。


 そして、わたくしもまた、かつての「悪役」令嬢としての失敗談や、今の穏やかな生活の中で感じていることなどを、彼には素直に話すことができました。彼は、どんな話も真剣に、そして楽しそうに聞いてくださるのです。


 もちろん、身分差という大きな問題がなかったわけではございません。元公爵令嬢と、成り上がったとはいえ平民の商人。眉をひそめる方々がいらっしゃったのも事実です。


 けれど、アーサー様が一代で築き上げた莫大な富と、彼が開拓した新たな交易路が王国にもたらした多大な貢献――例えば、それまで手に入らなかった貴重な薬草や鉱石の安定供給、そして、それまで敵対的とさえ思われていた異種族との間に築かれた友好関係など――は、国王陛下のお耳にも達し、陛下自らが彼の功績を称え、新たに「準男爵」の位をお授けになるという、異例の事態にまで発展したのです。


 わたくしの父も、最初は少しばかり難色を示しておりました。

 けれど、そこはわが忠実なる家令、セバスチャンが本領を発揮いたしましたの。


 彼は、まるで物語の語り部のように、アーサー様がいかに誠実で、いかに思慮深く、そしていかにわたくしのことを深く想っているのかを、根気強く両親に語り続けたのです。


 時には、アーサー様と共に父の執務室を訪れ、交易路開拓がいかに王国に利益をもたらすのかを、具体的な数字を交えながら熱弁することもあったとか。


 やがてアーサー様の誠実な人柄と、何よりもわたくしへの深い愛情を知るにつれ、最後には「エリザベスが選んだ相手だ。身分など、もはや些細なことだろう。お前の幸せが、一番だ」と、温かい言葉と共に私たちの結婚を祝福してくれましたの。


 セバスチャンも、それはもう、最初から最後までやれやれといった顔をしておりましたけれど、その目元はいつも優しく潤んでいたように思いますわ。


 そして、春の柔らかな日差しが降り注ぐ佳き日。わたくし、エリザベス・ヴァイスリングは、アーサー・アシュフォード準男爵と、ささやかながらも心温まる結婚式を挙げました。


 純白のドレスに身を包んだわたくしは、隣に立つ、少し緊張した面持ちながらも幸せそうに微笑むアーサー様の腕にそっと自分の手を重ね、心の中で呟きました。


(わたくしの求める『普通』は、世間のそれとは、本当に少しだけ違っていたのかもしれませんわね。でも……この、とびきり『普通じゃない』けれど、誰よりも誠実で、わたくしを心から愛してくださる方と歩む人生こそが、わたくしにとって最高の、そしてかけがえのない宝物ですわ!)


 披露宴の席で、セバスチャンがわたくしの傍に来て、そっと耳打ちしました。


「やれやれ、お嬢様の『普通』探しには、最後まで本当に振り回されましたが……これほどお幸せそうなお顔を拝見できるのでしたら、このセバスチャン、本望の極みでございますな」


 その言葉には、いつものような皮肉は一切なく、ただただ温かい祝福の響きだけが込められておりました。わたくしは、思わず涙ぐみそうになるのを、必死で堪えたのでございます。


 アーサー様とわたくし。元・悪役令嬢と、平民から大商人、そして準男爵へと駆け上がった、とんでもなく「普通じゃない」夫婦。


 これから先、私たちの周りでは、きっとたくさんの驚きや、もしかしたら小さな波乱もあるかもしれません。けれど、二人で手を取り合っていれば、どんなことも乗り越えていける。そして、二人にとってはそれが一番自然で、一番心地よい、「普通」の形なのだと、わたくしは確信しております。


 窓から差し込む陽光のように、温かくて、穏やかで、そして愛に満ちた日々が、これからずっと続いていく。


 そんな確かな予感を胸に、わたくしは、世界で一番「普通じゃない」けれど、世界で一番愛おしい旦那様の隣で、心からの笑顔を浮かべたのでした。


 エリザベス・アシュフォードの、本当の幸せの物語は、今、ようやく始まったばかりなのですわ!!


妙な話ですが、気づけば筆者である私自身が彼女のことを応援していました。

最終話を読み返して、「良かったねぇ」とジーンとしてしまいました。


というわけで、エリザベスの婚活はこれにて終わりです。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。

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