48 女子高生も暑さに参る
暑い。
珍しく早起き出来たから朝から課題を片付けようと思ったのに暑過ぎて全然集中できないよ。居間で勉強しようとしてる私も大概だけど。ここにはクーラーがないから扇風機だけで頑張ってる。
自分の部屋なら冷房もつけられるけど、今年の夏は冷房を使わないというルールを決めてるから駄目。でももう折れそう。
庭の方に目を向けたらミー美は柵の内側の日陰で丸くなってる。こん子とたぬ坊の姿は見えないけど多分縁側の下で息を潜めてると思う。猫丸は部屋の中でひっくり返ってるし、瑠璃は扇風機の前で飛んで風を独占してる。通りで風が来ない訳だ。
廊下の温度計に目を向けると気温が33度を超えてる。朝でこれって昼になったらどうなるんだろう。すら吉を外に出したら溶けるレベルだと思う。
「よし決めた。こんな時こそ異世界だよ」
この前に雪蛙なる生物も出くわしたし、何より向こうはこっちよりも涼しいはず。それなら向こうで勉強した方が絶対捗る。
そうと決まったら鞄に勉強道具を全部閉まって縁側に座って靴を履いて後は祈るだけ。
……。
……。
うん。こういう時に限って中々行けないものだよね。運頼みも辛いなぁ。
廊下だから微妙にお日様も当たって普通に暑いんだけど。
「仏様お願いします」
正座して手を二回叩いてもう一度祈って見る。すると祈りが届いたのか景色が変わっていく。やった、頼むべきは仏様!
景色が変わった先は異世界の街の外。長く続く地平線を見ると妙な安堵感がある。
「んー。やっぱり来るべきは異世界だね。今日も気持ちいい風が……」
吹いていない。ていうか何か暑くない?
「君! ここにいると危ないよ!」
急に後ろから声を掛けられて振り返るとそこに全身を武装した人やローブを纏った人達が何やら上空を気にしてこっちに駆け寄って来る。
釣られて私も空を見上げると遠い彼方の方に小さな影が無数に飛んでるのが見えた。
「丁度サラマンダーの大陸横断が始まって今日は外出しない方がいいよ。今すぐ街の中へ戻って」
サラマンダーって火を吹く竜だっけ? なるほど、だからこんなにも暑いのかー。
それにあんな数のサラマンダーが居たら危ないのも納得。
「ごめんなさい。すぐに街に行きます」
「下手に刺激しなければ襲って来ないけど万が一ってあるからね。それじゃあ」
異世界の街に行くと今日は閑散としてた。さっきの人が言う通り皆外出はしてないんだね。
それでもポツポツと人通りはあるけど。
「困ったなぁ。これならこっちに来ない方がよかったかも」
今日に限って異世界も暑くて息が燃えそう。それに瑠璃も誰も来てないから心細い。
うーん、私の打算的な考えが仏様に見抜かれたのかもしれない。
「とにかくどこかで休ませてもらおう」
喉が渇いたし冷たい飲み物が欲しい。となると……。
カランカラン。
「いらっしゃいませ~! 本日は熱々記念で全品半額の大セールを……あっ、ノラ様!」
私が入るとレティちゃんがぴょんぴょんと跳ねながら可愛い耳と尻尾を揺らして出迎えてくれた。
「こんにちはー。今日は暑いねー」
「サラマンダーが横断してるそうですからね。ノラ様も暑い中ありがとうございます」
「うん。暑くて勉強が捗らないから冷たい飲み物が欲しいなぁって思って。何かないかな?」
「ではでは、こちらのスッキリフルーツジュースなんてどうです?」
「あ、いい匂い。それ買っていい?」
「勿論です! 現在半額ですから10オンスです!」
10オンス……。確か銅貨1枚だったかな。ていうか安くない?
「それ本当に半額?」
「も、もしかして高かったですか? ならば5オンスでどうか勘弁して頂けたら……」
レティちゃんがあわあわしながら更に値下げしてくる。言葉って難しい。
「逆逆。半額で10オンスって元は20オンスでしょ? 安過ぎない? 元取れてる?」
「私の懐の心配してくれるなんてノラ様は本当に偉大な方です。ですが心配なく! 自分で集めた材料ですから費用は掛かっていません!」
そういえば店の商品の材料は自分で集めてるって言ってたなぁ。それでも労力とその値段がわりにあってるか怪しい気もする。リガーは1つで140オンスだし。
「レティちゃん、気持ちは嬉しいけどもう少し欲張ってもいいと思うよ。安いのは有難いけどそれでレティちゃんがひもじい思いをしたらきっと私は悲しいから」
「うっ、うっ。ノラ様は本当に寛大です。で、では僭越ながら11オンスにさせて頂きます!」
それはスーパーで買えるうまい棒かな? 黙って銀貨1枚をレティちゃんの掌に置いて、棚にあるジュースを手に取った。
「そんなたかがジュース一杯でこんな大金受け取れませんよ!」
「私にとってレティちゃんのジュースはたかがじゃないよ? うん、口の中が綺麗になる甘い味だね。とっても美味しいよ」
暑かったから余計に美味しく感じられる。でもレティちゃんが銀貨を眺めたまま納得してない様子。
「ノラ様は優し過ぎます。私に良くしても何もお返しなんて出来ませんのに……」
レティちゃんの耳と尻尾が項垂れて言った。
「じゃあちょっとの間ここで勉強してもいいかな? そのお釣りは場所代として受け取って欲しいかな。今日お勉強しようと思ったけど暑くて捗らなかったんだよね」
レティちゃんのお店は街角の日陰にあるし、室内もハーブも多いから自然と涼しい気分になれる。何より喉が渇いても美味しいジュースを買えるのが大きい。
「それなら喜んで! ですがノラ様が望むならお金など払わずともいつでも来て勉強してくださって大丈夫ですよ。知っての通り私の店は殆ど客が来ませんから」
レティちゃんが奥から木の椅子を持って来てくれてそれをカウンターの前に置いてくれた。私が勉強しやすいようにカウンターの上の物までも横に払ってくれてる。これなら勉強に集中できそう。
課題のプリントとペンと消しゴムを出していざ課題へ。でも横でレティちゃんが不思議そうにプリントを見つめてる。
「ノラ様。この文字は……この辺りでは見ない言語ですね」
「うん。日本っていう遠い国から来たの」
「そうだったんですね。あれ? ですが課題も一緒というのはどうやって移動を?」
そういえばレティちゃんには転移云々を話してなかった気がする。
「なんかね、転移? みたいな何かで移動できるの。それで今日もこっちに来れます様にって願ったら来れたよ」
「転移……やはりノラ様は只者ではありませんね。ですがそんな遠い国から来てるというのは少し納得ですね」
「そう?」
「はい。ノラ様はすごく温かくて優しいですから、きっとその国の風土や習慣で培われたものなのだと思います」
そんなこと考えたこともなかったけど、でも日本で暮らしたから今の私があるというのは同感かもしれないなぁ。日本というよりはあの田舎で、だけど。
「実は私こっちの国の文字が読めないの。前にリリ達と勉強したんだけど色々と脱線しちゃって。よかったらレティちゃんが教えてくれない?」
「わ、わ、私がですか!?」
レティちゃんが自分を指差して大袈裟に驚いてる。
「うん。前にね、ミツェさんが魔法線で文字を書いてくれたんだけど読めなくて困ったりしたから簡単な言葉だけでも覚えておきたいなぁって思って」
「そんな! このレウィシア・ウォムシェがノラ様に教えるなど恐れ多くて誠に遺憾ながらできません!」
何故に急にフルネーム。おまけに床に膝をついて平伏しそうな勢いだよ。うん、レティちゃんは私を女王様か何かと思ってるのかな。
「そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。ノイエンさんに教えてもらった感じでいいから」
するとレティちゃんがぐはっと言って両手を床についちゃった。何事。
「滅相もありません! 素材調達の為に山篭りで三日三晩魔物の住む所で過ごさせるなど私には出来ません!」
そんな修業をしてたんだ。
「普通でいいんだよ」
「普通って何ですか!?」
そう言われると私も分からなくなってきた。普通って何だっけ?
困っていると店の扉が開く音がした。
「暑いわー。って、ノノじゃん!」
「リリー、こんー」
いいタイミングでリリが来てくれた。流石お嬢様、空気を読むのもお手の物だね。
「2人で何してるの。勉強?」
「うん。普通とは何かについて考えてたよ」
「そ、それは難問ね……」
流石のリリにも普通に対する回答はなかったみたい。リリは近くの棚にあった飲み物を手にとってレティちゃんから買ってそれを一気に飲んでる。
「というのは冗談でこっちの文字をレティちゃんに教えてもらおうとしたら断られて」
「そうなの? 教えてあげたらいいのに。確かあなたはフェルラ大先生の弟子なんでしょ? 知識量も豊富そうだし」
「ほらぁ! お師匠様がすごいだけであって私はダメダメのダメなのにそうなるじゃないですかぁ! 私はお師匠様のようにすごくないから教えるなんて出来ませんよぉ!」
レティちゃんがその場に座り込んで泣き出しちゃう。自分に自信がないのはノイエンさんの弟子だったからなのかな。
「レティちゃん。そんなに自分を責めないで。それにダメなんてないよ。この店の商品はどれも素敵だし、このジュースも美味しいよ。レティちゃんは立派だよ」
そっと頭を撫でてあげるとレティちゃんの目に溜まった涙が少しして止まった。
「ご、ごめんね。私もお嬢様って思われるの嫌いなのにあなたの気持ちも知らないで酷いこと言って」
「私の方こそ勝手に騒いですみません。私が魔術学園に行かなかった最大の理由がお師匠様だったんです」
親の七光りって言うように、すごい人の子や弟子っていうのはそれだけで比べられちゃうもんね。それは私には分からない苦しみだと思う。私に出来るのはレティちゃんをハグしてあげるだけ。
「ノラ様ぁ」
「レウィ。あなた、本当は魔術学園に通いたかったんじゃ……」
「いいんです。行く必要がないと言えば嘘になりますけど、今こうしてノラ様やリリ様と過ごす時間も私にとって大切ですから」
「そっか。でもあなたが学園に来たなら私は歓迎するわ。あなたとは良い友達になれると思うから」
リリが照れくさそうに言うとレティちゃんがはにかんだ。良かった、気持ちが落ち着いたみたい。本当はもう少しハグしていたかったけど仕方ない。
「じゃあ今から第2回異世界言語講座を始めるよ~」
「この空気でよく言えたわね!?」
「うん。リリに先生してもらって、私とレティちゃんが勉強するから」
するとレティちゃんはいつもの明るい表情に戻って耳と尻尾をピンと立てた。
「それなら喜んで!」
「レウィまで!?」
気付けば暑いというのもすっかり忘れて皆で仲良く勉強という名のお喋り会に発展したよ。




