4-19 魔王 ②
戦場にいた兵士や将兵達は混乱に陥った。
とくに【聖女】の存在がないことで不安を感じていた一般兵達は、その現実に絶望して逃げ出す者まで出始めた。
数千もの異形の悪魔達を従え、巨大な獣に乗り、黒のビロードのような髪を靡かせる黒の聖女。
生きとし生けるものの天敵。
この世界を征服するのでも奪うのでもなく、生み出すこともせず作り出すこともなくただこの世界の破壊の為だけに存在するモノ。
人々はこの世界とは根本的に相容れないものとして、生き物としての“魂”が本能的に理解してしまった。
この世界に終わりをもたらすモノ……真の【魔王】が降臨したのだと。
感情をなくした冷たい人形のような美貌の姫が緩やかに両手を天に掲げると、暗い雲が集まり、昼を夜に変えていく。
不安そうに天を見上げる人々の頬に、ポツリ…ポツリと、骨をも凍らせるような冷たい“黒い雨”が降り始めた。
「ひゃ、あ……ぐぁあ」
「ぎゃああああああああああああっ」
「ど、毒の雨だぁあああああああああああっ!」
戦場を塗りつぶすように降り始めた黒い雨。それに打たれた兵士達がガタガタと震えだし、真っ青な顔になって苦しみだした。
けして耐えられない苦痛ではない。気を失うような苦しみでもない。
だからこそ人々はそれを毒だと思い、それを明確な悪意による攻撃だと察して、理解できる苦しみに絶望していった。
「全軍、撤退っ!!!」
勇者キョージから声が上がり、混乱した各国の上層部が指示を出す前に、その声を聴いた将兵達が勝手に撤退を始め、聞こえなかった者達も他人を押しのけ争うように逃げ始めた。
統率も何も無い。およそ軍隊とは思えない我先に争うような醜い敗走であったが、逆にそれが兵達の命を救った。
その追撃の絶好の機会だというのに、悪魔達が動いていなかったからだ。
「何が起きてる……ッ!」
キョージが苛つくように悪魔の軍勢を睨み付ける。
今まで動かなかった悪魔達が道を開くように左右に分かれ、獣のような唸り声を天に向かいあげ始めた。
「早く逃げなさいっ! 急いでっ!」
どこかから、焦ったような土の勇者カンゾーの声が聞こえた。
何が起きたのかと、まだ心の折れていない英雄クラスや数名の戦士達が振り返ると、黒の聖女を乗せた山のような巨獣が口を開き、大気を振るわせるような咆吼をあげる。
『ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
その瞬間、巨大な衝撃波が大地そのものを捲りあげ、爆発するような土砂と暴風を逃げている人間達の背中に叩きつけて吹き飛ばした。
土煙の中、吹き飛ばされ土に半ば埋もれていた人達が、仲間を助けながらよろけるように立ち上がると。
「……おい、あれを見ろ」
「な、なんだありゃ……」
そこには先ほどまで自分達が戦っていた戦場が、クレーターとなって消滅した悪夢のような光景が広がっていた。
これが【魔王】なのか……。
今までも自称魔王や、残虐な行いから魔王のように言われ畏れられる者も居た。
だが、人々はこれがそれらとは根本的に次元の違う者だと理解した。
こんなモノに、人間だけで太刀打ち出来るのか……?
この世の希望は失われてしまったのか?
人類の希望であり【剣】である勇者は居る。だが、せめて……闇に堕ちてしまった、聖女様がこちらにいてくれたら………
「……あれは」
知らない誰かが呟く声が聞こえた。
人類の絶望を見せつけるような戦場の中で、それでも心折れずに事態を見極めようとしていた者達は、それに気付いた。
全てが破壊されたおぞましい光景の中で、人形のように動かなかった黒い聖女の瞳が悲しむように泣き出しそうにわずかに揺れていることを……。
戦場から全ての人間達が撤退し、それを見た者達が周りに話すと、人々は聖女様の心がまだ完全に奪われていないのだと噂し、無理矢理連れ去られ魔王の依り代とされたであろう聖女様のことを思い心を痛め、小さな一つの希望を心に宿した。
***
「お疲れさまぁ」
目に見える全軍が撤退したことを確認した私は、【失楽園】に戻ると黒髪のウィッグを脱いで一息ついた。
「ユールシア様、お疲れ様です。向こうでファニーがお茶の準備をしております」
「ありがと、ティナ」
脱いだウィッグを手渡すと、私はお茶の良い香りがしてくるテーブルのほうへ歩き出しながらティナに話しかける。
「それ、綺麗に出来ているんだけど、結構暑いねぇ」
「それは仕方ありません。わたくしの愛の熱さ故ですわ」
「あ……そう」
訳が分かりません。
あの長い黒髪は、ティナの髪から作ったウィッグを使用していたのです。手渡された時は金髪の小さな部分ウィッグだったのに、悪役っぽい演出の為に使ったら、いきなり黒髪になって吃驚したわ。
ティナがおしぼりを用意してくれていたので、土埃を拭うように目元を拭いているとそれを見たティナが話しかけてくる。
「目薬を使いますか?」
「え、あるの?」
「こんな事もあろうかと、ギアスが街で買ってきたそうです」
「……売ってるんだ、目薬」
本当に地球から来た人達は自重しないね。
でもありがたく使わせていただきます。だってギアスが地面を吹き飛ばした時、土埃が盛大に舞って、涙がちょちょ切れていたんですよ。
そのギアスは無理矢理魔獣化させた反動から、またテディベア状態になって私の後をちょこちょこ付いてきている。
あ、そうそう。私は別に本当の【魔王】になったのではありません。
そもそも悪魔と魔王って別物ですし。
悪魔だって世界の一部なんだから、世界を滅ぼしたりなんかしたら明日のご飯が無くなっちゃうじゃありませんか。
だから本当の魔王なんて世界の終末にしか現れないし、それ以外で見かけるとしたら100%“自称魔王”さんです。
今回の茶番の目的は、あるモノを見つけること。
ダラダラとした戦争の意味をなくして、この世界の裏にいる者がそれを使わなくてはいけない状況に追い込むこと。
それで色々と考えた結果、今ある問題を全部一纏めに片付けようとしたらこんな感じになっちゃいました。
その為にティナとファニーのメイドコンビを呼び寄せたり、ノアとニアに指示を出したり、ギアスに無理矢理魔力を注入して魔獣化させたり、結構疲れました。
やることが一杯ありすぎるのよね……。
本当だったら、どれもこれもじっくり進めるつもりだったんだけど、リンネのことを考えるとあまり時間を掛けたくない。
……べ、別に、早くリンネを起こしてあげたいとか、そろそろお父様とお母様が恋しくなったとかじゃないんですよ?
そうそう、この世界でも半年くらいになったし飽きてきたんですよ、きっと。
「それで状況はどうなってるの?」
「少々お待ちを……今、ニアが戻って参りますので、直に報告させましょう」
「うん、先にお茶にしますか」
「はーい、ユールシア様、魂増し増しお待ちどおさまぁ」
ファニーが牛丼屋さんのように魂たっぷりのお茶を煎れてきてくれたので、飲みながら魔力を回復させていると、闇から滲み出るように戦場で指揮をしていたニアが戻ってきた。
「ユールシア様、ただいま戻りましたぁ」
「うん、おかえり。それで被害はどうなった?」
「えっとですねぇ……今回、悪魔達の襲撃による人間の被害は無しです」
「………え?」
私は今回の計画に当たって、特定の人物――勇者達や、食べても美味しくなさそうな一般兵士の殺害を禁止した。戦争で死んだ人はご冥福をお祈りして、魂は回収させて貰うけど、出来れば生きている人が多いほうがありがたい。
美味しそうなドロドロに濁った魂があったら取ってもいいよと言っておいたけど、あれだけのことをして誰も死んでいないの?
「あ、逃げる時とか、人間同士で足の引っ張り合いをして死んじゃった人は結構いましたねぇ。勿体ないからそれも回収はしてありますけどぉ」
「うん。……まぁいいか」
そんな魂なら計画に支障はないか。それよりもせっかく無事に済んだのに、人間同士で殺し合うとか、どうしようもないな。
「ちゃんと、【スキル】が多そうな人も残しておいてね。計画で使うから」
「わっかりましたーっ」
ニアがにこやかに聖王国式の敬礼をして了承してくれる。……本当に分かっているんでしょうね? 結構重要よ。
「その他の収支は?」
「今回の悪魔達は、正社員400体。魔物を依り代にした新入社員が1200体。彼らには今回の魂を臨時ボーナスに使いましたぁ。その他には近くの魔界から急遽募集した【下級悪魔】が2700体居ますけど、日給が乾燥ワカメ2キロと最終日にユールシア様のライブをすることで契約しています」
「………ニア」
「はい?」
「勝手に私を使うなって言ったよね……?」
「え……でも、兄さんが大丈夫だって」
ノア……あの子は……。
以前も勝手に握手会をさせられたけど、また私のことを撒き餌に使ったのか。……まったくもぉ、仕方ないから、歌の練習とかもしないといけませんね。
「……新しいドレスを作りますか?」
「………」
仕方なくですよ。
「無差別に殺さないよう、悪魔達に徹底させてね。ファニーとティナはこっちで私のお手伝いをして貰うけど、ニア達には人間達の誘導や、燈火と瑞樹達の面倒も見てもらうから、ノアや恩坐くんにも伝えてね」
「「「はいっ」」」
とりあえずお膳立ては整った。
仕上げの幾つかは私が直に動くよりも上手くやってくれるでしょう。
さぁて……
「最初に“罠”に掛かるのは誰かしら……?」
次回は、振り回される人々。





