2-03 モブ子になりました ①
鎌倉にある静かな土地に、一人の老人が家族から離れて暮らしている。
その家は周囲の家ほど大きくもなく、されど一人で住むには広く、屋敷と呼んでも申し分のない佇まいがあった。
元々、この家は会社を息子に譲った後で、妻と一緒に二人で余生を過ごす為に用意した物である。
だが、その妻は数年前に彼を残して天へと昇ってしまった。
その家の表札に書かれていたのは『塔垣』の文字。
若い頃に妻と二人で商売を始め、運良く大企業の跡取りと知り合いになり、一代で会社を大きくした。だがそれも妻が側に居て支えてくれたからだ。
初めて妻と会ったのは二十歳を超えた頃だった。初めて見た瞬間に自分が求めていたのは“彼女”だと分かった。
当時、婚約者を亡くしたばかりの彼女を慰め、三年掛けて心の傷を癒し、彼女を妻とすることが出来た。
会社を作り、子供が出来て、順調だが忙しすぎる生活だったので、妻といつも、歳をとったら静かな場所で二人で暮らそうと語り合っていた。
だが会社を譲り、二人の生活を始めるその矢先、妻を病気で失った。
彼はその喪失感を埋めることが出来ず、子供達や孫達とも会わずにそれからずっと、妻と暮らすはずだったこの家で、一人で暮らしている。
「…………」
彼はぼんやりと庭を見つめる。
毎日、家政婦が食事を作りに来てくれるが、すっかり人と関わるのが嫌になった彼はほとんど会話をしたことすらない。
(……最後に会話をしたのは誰だったかな)
だがそれは彼にとって大きな問題ではない。今は妻との思い出を心に浮かべ、幸せだった頃を懐かしむことを邪魔されたくない。
だが最近、思い出の中で不思議なことを思い出すことがあった。
妻と出会ったのは大人になってからだ。だが、思い出を探っていると、学生の頃や、もっと幼い子供の頃の妻の姿が思い浮かぶのだ。
その幼い妻の瞳が、ジッと彼を見つめて……
「……っ!」
気がつくと、庭先で妻と同じ“瞳”がジッと彼を見つめていた。
妻と良く似た瞳……だが、妻の子供の頃の幻影ではない。そして彼は記憶の中から、妻と目元が似ていた末の孫娘を思い出した。
「……柚子……なのか?」
「そうだよ。お祖父ちゃん……」
柚子はそう言って、ふわりと微笑む。
孫娘と何年会っていなかったのか、以前の記憶より彼女は随分と大きくなっていた。その柚子がどうしてここにいるのか?
柚子は微笑んだまま、そっと片手を彼に差し伸べる。
その手に黒々と輝く細い鎖を握り、その鎖は彼の胸元へと繋がっていた。
「……ああ……」
その瞬間、彼は思い出した。
妻と出会う前……その前世のこと。さらにその前の人生のことも。
そして柚子の瞳の中の光を見て、それと同じ光を宿した、美しい【金色の悪魔】の姿が思い浮かんだ。
「全てを覚えている……?」
「……いいや、自分が此処にいる理由を思い出しただけだよ」
彼は優しい笑みを浮かべて、孫娘に深々と頭を下げた。
「ありがとう……柚子。お祖父ちゃんは幸せだったよ」
そして静かに顔を上げると、孫娘の姿はもうどこにも見えなかった。
***
まさか、もう一本の鎖が私のお祖父ちゃんに繋がっていたとは……。
記憶がおかしくなる前の“私”が何かしたのかしら……? でもずいぶんの年季が入った契約みたいだし……う~ん。
ま、いいか。それよりも最近気付いたことがあったんですよっ。
なんですか、あの算数、六年生の授業じゃないですか。
おかしいと思ったんですよ、普通のクラスは普通の三年生の算数を習っていたのに、公貴くんや華子がいる、このクラスだけカリキュラムが違うんですよ。
どうやら学年で一クラスだけある、特別な子だけを集めたクラスでは、中等部になってから増える特別進学クラスと同じになるように調整されているみたいです。
そして今度は中学一年の授業になるので、家庭教師を付けられそうになっている私はこのたび無事に小学四年生になりました。
もうすっかり女の子です。少女です。幼女なんて言わせませんよ。少し膨らんできましたしっ。
「柚子ちゃん、だったら僕と一緒にお勉強する?」
そう言ってくれたのは王子くんでした。
もうすっかりスリムになって、何処から見ても心に病を持っているお姉様方が群がってきそうな可愛らしい美少年に育っています。
凄いよっ。もうこれで王子様的な公貴くんから『王子』と呼ばれる王子くんを見ても胃を痛くしなくて済むのですねっ。私、悪魔なのにっ。
「ホント? 王子くんが教えてくれるなら嬉しいけど、でもどこで……」
「うちに来る? 平日なら両親も居ないよ」
「……え」
それはもちろん、ご両親が居ないから緊張しなくても良いよ。と言ってくれていると思うんだけど、中高生の恋人同士のような誘い文句に、思わず声が漏れた。
「ち、違うよっ? 妹の美茄子ちゃんも柚子ちゃんに会いたがっていたから、その…」
王子くんも言葉の意味に気がついたのか、顔を真っ赤にして慌てて首を振る。
美茄子ちゃんって、あの元ビーナスちゃんか。王子くんの携帯で見せて貰ったことのある、ギリギリで素敵ネームから助かった、玉のように可愛い子ね。
まぁ、今年から高峯初等部の一年生だから、いつでも会えるようにはなるんだけど。
「王子と柚子ちゃんって許嫁なんだろ。別に、部屋で二人でもいいんじゃない?」
横からそう言ってきたのは公貴くんだ。
「公貴くん、私達はまだ正式の婚約じゃないんだよ?」
正式でも二人きりはどうかと思うけど……。小学生だから良いのかな? 美茄子ちゃんも居るし。
「あれ、そうだったっけ? でも、そんなの気にすること無いよ。僕の部屋にも良く華子も来て一緒に勉強しているからね」
「……はい」
公貴くんの隣で華子が頬を赤く染めて、もじもじと自分の指を弄っている。……君達は普通のお勉強をしているんだよね?
今、私達は、学校の食堂にあるカフェでお茶をしている。始業式は明日だから、まだ生徒は見かけないのでのんびりとしています。
なんでそんな日に私達四人が学校にいるのかというと、華子が動物達に餌をあげるのを私が手伝いに来て、私達二人に王子くんと公貴くんがボディーガードに来てくれた訳なんです。
小学生男子二人で護衛になるの? 問題ない。この三人が居るだけで、何名かの私設護衛達が校内まで来てくれていますから。
「そうですわ、柚子様っ。放課後に会議室の一つを借りて、一緒にお勉強しましょう」
「えっと、……私達で借りられるの?」
この学校には教授などが個人的に使用したり、外部の業者と打ち合わせをする為の会議室があるけど、生徒が借りられるのか聞いたことがない。
「ああ、だったら久遠家と四集院家で年間契約している会議室がある。狭いけど四人なら充分だと思うけど、王子もそれで良いか?」
「うん。僕は柚子ちゃんと一緒ならどこでもいいよ」
いつの間にか四人で勉強することになりました。……いや、違うか。成績から言って私が三人に教わる立場になる。でも……なんで学校の施設を借りられるの? 上流社会のご子息ご令嬢は半端ないな。
……中1の勉強ってどんなだっけ? 前にやったのは病気が出てきた頃だっけか。
それにしても……。
「どうしたの? 柚子ちゃん」
「ううん」
王子くんは普通に婚約を受け入れちゃってるのかな? 今もニコニコして私を見ているし、幼稚園から全然態度が変わらないから、逆に今の気持ちが分かりにくい。
ずいぶんと女の子からモテてるのに、なんでまだ私なんだろ? 自分で言うのも何だけど、私って同学年ウケする容姿じゃないんだけどなぁ。
「あ、そう言えば知ってます? 今期私達の学年に転入生が来るらしいですわ」
華子が可愛らしい手つきで手を叩いて話題を振ってきた。
大人っぽい美人の彼女が可愛い仕草をすると、ギャップ萌えを感じます。是非とも中学くらいになったら眼鏡とスーツを着て、同じ事をやって貰いましょう。
「転入生? 高峯の初等部に? 珍しいねぇ」
「そうだね。中等部の特進クラスに入るより面倒だと思うよ」
私の言葉に王子くんが補足してくれる。
進学校として選ぶなら中等部からの特別進学コースで充分だし、【高峯】と言うブランドが欲しいのなら、最初から六年間通わないとあまり意味がない。
だから途中転入の場合は、おかしな目的を持った者が入らないように、かなり学力が高いか、よっぽどのコネと寄付金が必要になるのです。
その時の私はそれを気にしていなかった。だってまさか、あの変な……もとい愉快な人が転入出来るとは思わなかったから。
***
「ああ、居たっ、ちょっとあんた、こっち来なさいっ」
「………、」
放課後にノートを職員室に持っていった帰り、一人で近道をして校舎脇を通っていると、声を掛けてきたツインテールに吹き出しそうになった。
違った。声を掛けてきたのは“髪型”ではなくて、“本体”のほうです。
あのうちわに使えそうな大きなリボンは、ウケを取るのに必死な新人芸人を彷彿とさせます。あ、もしかして……。
「ツッコミ待ち……?」
「はぁ? 何言ってんのよ、あんた。さっさとこっち来なさいよ」
そう言って彼女は私の返事も聞かずに、ズカズカと歩き出す。
いやはや、小学四年生のでっかいリボンで結ったツインテールとか、実際に見られるとは思わなかったわ。君は何処の少女マンガの主人公かね?
そして私は彼女を見送り、教室から鞄を取って、王子くん達とお勉強をしてそのまま帰宅いたしました。
それが彼女――自称この世界のヒロイン、桜咲マツリとの二度目の邂逅でした。
「ちょっとあんたっ、何でどっかに行っちゃうのよっ!」
「………」
そして次の日、私はまたマツリに捕まった。
恩坐くんが中等部に上がったから、私の放課後の行動範囲が少し狭くなっているんですよ。中等部と高等部は隣同士だけど、初等部からは少し離れているのよね。
あ、そうだ。
「私が話しているのに、なんでいきなり携帯弄ってんのよっ」
「友達にメール」
「はぁ? モブにも友達なんているのね。そんなのどうでもいいから、ちょっと来なさいっ。聞きたいことがあるのよ」
マツリはそう言ってまた私の返事を聞かずに歩き出した。
あ、恩坐くんからメール返ってきた。……学食に刺身定食がない? んなもの学食にあるかい。ん? 普通はないよね?
男子中学生らしく揚げ物食ってなさい。と返信して、私も普通に家に帰りました。
あ、父ちゃんのところにラーメンを食べに行こう。恩坐くんも来るかな?
どちらも人の話を聞いちゃいません。
次回、世界に潜む邪悪に知らずに触れてしまった、彼女はどうなるのか?





