4-22 悪魔公女
“夜の女王”――シルベルタルは私をそう呼んだ。
そう……私は闇の精霊王に取り込まれることなく、精霊王と融合するのでもなく、私は“闇の精霊王”を喰らうことでその“力”を自分のものとした。
私はまともな“悪魔”ではない。
神の悪戯ともいうべき様々な偶然を経て“人間”の属性を持つ悪魔となった私は、最高位悪魔の一つである【魔神】となった。
魔界から追ってきたリンネと戦い、悪魔公の一柱を倒し、地球で大神の一種である真神さえも退け、ついには【世界】が世界を滅ぼしてやり直すための“リセット機構”である【真の魔王】に浸食された。
そして私はシルベルタルに敗れ、落とされた奈落で最高位精霊である闇の精霊王と出会い、それを喰らうことで【私】になった。
……本当にもう、賭けとは言えない分の悪い賭けだった。
百万回やったとしてももう一度成功する確率はほぼゼロだと思う。それほどまでに悪魔と精霊は対極の存在なのだ。
成功できたのは私が『私』だったからだと思う。悪魔でありながら人を想う。人の心を持ちながら人を喰らう。その為なら躊躇いなく狂気に心を染める。そんな私だからこそ精霊王は本能で恐怖し、そのすべてを明け渡す結果となった。
精霊と悪魔は世界に生まれた赤血球と白血球のようなもの。その両方の力を得る存在など、世界に発生した癌細胞のようなものだろう。
本来ならそれは【真の魔王】が滅ぼさなければいけない“病魔”なのだけど、それ故に……そのせいで【私】は“世界の理”から外れ、その意味を失った【真の魔王】の因子は私の中から消滅した。
ううん……今の私は意志を持った【真の魔王】そのものかもしれない……。
悪魔、人、精霊の融合体。
世界の理から外れながら世界の半分である“夜”を支配する“夜の女王”……。
それでも【私】は――――
キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィンッ!!!!
シルベルタルの背後にいた八百万灯火――光の精霊王が、私の本性に気づいて憤怒するように音叉を鳴らすような音を響かせた。
光と闇の精霊は表裏一体、双子であり同一の存在でもある。
それ故に闇を封じられてシルベルタルに従っていたのだが、その半身ともいうべき闇を喰われたと気づいた八百万灯火は、その名を与えて支配するシルベルタルの呪縛を振り切るように私に攻撃を仕掛けてきた。
「無駄よ」
八百万灯火が発する膨大な光と熱を、私の【闇】の力が中和する。
以前の私ならそれだけであっさりと滅びた。それほどまでに八百万灯火は激怒している。それでも万全の状態なら【私】と戦うこともできたでしょうが、永い年月半身を封じられ呪縛されてきた八百万灯火では、同質の闇を持つ私を倒すことはできない。
あなたの相手は後でしてあげる。……今は大人しくしてなさい。
「――“暗き夜の光在れ”――」
私の“言葉”に“闇”が輝き、空間に数万本の闇の柱が現れ、八百万灯火を闇の檻で封じこめた。
今の【私】と八百万灯火は同質の力を持っている。同じ力でも他の精霊王を縛ることはできないけど、同質の力を持った檻なら八百万灯火は簡単には出られない。
ガンッ!!!
振り下ろされた腕の一振りを私も腕で受け止め、受け止められたシルベルタルがニヤリと嗤う。
不意を突くような一撃だったけど、それを卑怯とはいわない。
攻撃をしない理由がどこにある? 決着を待つ必要がどこにある? 彼女が他人をはばかる必要がどこにある? シルベルタルはある意味、あらゆる事柄で自由に振る舞うことが許されるただ一人の悪魔だった。
「愉しいのぅ、ユールシアっ!」
「そうね」
私たちは殺しあいながら笑いあう。
呪詛では決め手にならないと即座に切り捨て、シルベルタルはたっぷりと魔力を乗せた物理攻撃を仕掛けてきた。
シルベルタルの漆黒の髪が広がり翼の如くはためき、その優雅とも見えるその一撃は異様に重く、防御しても一撃一撃が私の身体を抉る。
私の闇の爪もシルベルタルを抉り、シルベルタルの存在を削り取る。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
そんな状況でもシルベルタルは高らかに嗤う。
振るわれた腕がぶつかり合い、その衝撃が世界さえ揺らす。彼女の哄笑は世界中に響き渡り、この世を滅ぼしうる邪悪なる“悪魔”の存在を世に知らしめた。
視える……世界中で……聖王国でも家族や友人たちが世界の滅びを肌で感じて、神に祈りを捧げていた。
けれど、その祈りは届かない。この世界に都合の良い“神さま”なんていない。
でも【私】が救ってあげる。その祈りは【私】が受けてあげる。
私は“神さま”ではないけれど……
ドンッ!!!
数十万年……人類発祥以前から存在する経験の差か、私の両腕が弾かれるとシルベルタルの左腕が深々と私の胸元に突き刺さった。
「どうしたユールシアっ! ただの悪魔でなくなって腑抜けたかっ!」
私は悪魔でありながら人の想いを知り、闇の精霊王の力さえ得て夜を支配し、真の魔王の力さえ退けた。
ただの“悪魔”じゃなくなった。だから“心”が弱くなったのか、とシルベルタルが私を嗤う。
それでも【私】は――――
轟ッ!!!
私の喉の奥から“獣”の咆吼が迸る。
その純粋な破壊の意志が一瞬シルベルタルさえ揺らし、私は“不用意”に接近してくれたシルベルタルの咽に闇の牙で喰らいついた。
「ぐおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
バキバキと肉を骨ごと噛み砕くようにしてシルベルタルの首を大きく食い千切ると、シルベルタルも苦悶の声をあげて仰け反った。
私の胸から手刀が抜けて、わずかに距離を取ったシルベルタルが血塗れの口で骨を噛み砕く私に目を見開いたまま、抉れた咽で唇が言葉を紡ぐ。
「――悪魔公女――」
そう――【私】は私だ。どんな存在になろうと私は【悪魔公女】ユールシアだ。
刹那の間だけ時が止まり、私が“ただの悪魔”だと再認識したシルベルタルの口元に微かに笑みが浮かぶ。
私は彼女が数十万年の時を待った初めての同じ位置に立つ“敵”だ。シルベルタルなら己の愉悦を満たすために数万年でもこのまま戦い続けるだろう。
でも、私はそんなことに付き合う気はない。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
その時、突然闇色の影が飛び込み、咆吼をあげながらその牙をシルベルタルの延髄に突き立てた。
「――貴様…」
シルベルタルが掠れた声で呟き、わずかに振り返った黒憧に漆黒の獣が映る。
暗い獣【魔獣】凜涅。その背後では彼を解放した恩坐くんやギアス……そしてローズと、彼らを私たちの戦いの余波から守っていた四人の従者たちの姿が見えた。
すべてはこの一瞬のため。シルベルタルの意識をすべて私に向けさせるためにあえて近接戦を受けた。
『ゴォオオオオオオオオッ!!!』
リンネの巨大な顎がシルベルタルの延髄を大きく食い千切り、拮抗していた私たちの均衡が崩れて、私の“闇”が彼女を浸食しはじめた。
数十万年存在した太古の蛇、数多の世界を創造し、数多の世界を滅ぼしてきた最古の悪魔公であるシルベルタルに、ついに滅びの時がきた。
「……フハハハハハハッ、ようやったユールシア。褒めてつかわす。
これで終わらすにはほんに惜しいのぅ……されど妾はまた戻ってくるぞ。数千年…数万年ほど待たせるとは思うが、なぁに、我らにとっては昼寝ほどの時間じゃ。それまで妾が創った数多の世界は、おぬしの好きに弄ぶがよい。
ではさらばじゃ。また遊んでおくれ、愛しき子…ユールシアよ――」
最後は穏やかな、まるで幼子のような笑みを浮かべながら、闇の中で消滅した。
「……さよなら、シルベルタル」
……マジかよ。
まぁ数千年もあれば私ももう少し強くなれるか……。
『……ユールシア…』
「リンネ……」
ある程度魔力は戻ってもまだ瀕死状態だったリンネが、黒猫状態に縮んで私の胸元に収まる。
「また無茶をしたのね……」
『……お前のことだけだ』
「……うん」
リンネに頬をすり寄せると彼の舌が小さく私の頬を舐めた。
「主様っ!」
「ユールシア様っ!」
見るからにボロボロになった身体でも私の意図を汲んでリンネを解放してくれた従者たちみんなが私たちのところへ飛んでくる。
「あるじしゃ――」
「あ、ごめん」
血走った目付きで抱きつこうとしてくるティナを思わず顔を押さえて阻止すると、その隙に背後に回り込んだファニーが私の首に抱きついた。
この子たちも最高位悪魔になったはずなのに、大きくなっても何も変わらなくて何となく安心した。
「……ユールシア様」
「うん」
ノアが私に声をかけ、私が頷くと同時にニアが盾を構えて前に出る。
シルベルタルが滅びて大団円――なんてことはない。
ある意味これが“始まり”であり、“気配”を察したリンネが牙を剥き、私はギアスと恩坐くんとローズを背後に庇うようにして一歩前に出た。
空気が変わる。
風の薫りに腐臭が混じる。
闇の檻に囚えられていた八百万灯火の姿が消えると、世界が変わり、目の前には懐かしき故郷――【魔界】の光景が広がっていた。
そこにいたのは二柱の【悪魔公】。
一柱は、山脈よりも大きく端が霞むほどの巨体で、鎧を着込んだ猿面の悪魔。
一柱は、柔らかそうなふわりとした金髪で、十歳ほどの姿をした少年の悪魔。
その少年のほうがふわりと私に微笑むと、その唇が鈴音のような声を零した。
『やあ、はじめまして【悪魔公女】。お久しぶり【伝説の魔獣】。そして新たな最高位悪魔となった者たちよ。ボクが【魔界大帝】だ。そして彼が――』
――“【悪魔大公】”――
巨大な悪魔から大気を震わせるような声が響く。
【魔界大帝】
【悪魔大公】
【狂乱公女】を含めた魔界を統べる最古の悪魔公三柱。
とんでもない奴らが顕れた。私たちの緊張を感じ取ったのか白金髪の美少年――【魔界大帝】が朗らかに笑う。
『そんな怖い顔をしないで。今回は【悪魔大公】が君の顔を見たいと言うから、ただ会いにきただけなんだ。それと“宣戦布告”かな』
【魔界大帝】はその背から十二枚の光の翼を広げて私たちを指さす。
『君は【狂乱公女】を倒し、その配下にも複数の最高位悪魔がいる。その勢力は最古の三柱の一角であった【狂乱公女】の枠に収まることなく、ボクたちも看過することはできなくなった。
だからボクらは残った悪魔公とその配下の悪魔たちを集めて、君の勢力と対抗することにしたんだ。
戦争だよ。魔界を二つに分けた。舞台は魔界と物質界にあるすべての世界だ。
誇りに思うといい。“最古”であるボクたちが手を組むなんて、この数十万年で初めてのことだからね』
【魔界大帝】は言いたいことだけを言うと、可愛らしく手を振ってあっさりと背を向ける。
『それじゃ、しばしのお別れだよ。準備ができたらはじめよう。【悪魔大公】はすぐにでも始めたいらしいけど、せっかくの遊技だ。愉しまないとね』
――“次は戦場で相まみえよう”――
最後に【悪魔大公】の嗤うような声が響き、二柱の姿は気配と共に消え去ると、あっさりと元の世界に戻った。
「「「…………」」」
本当にとんでもない連中だ。たぶん映像だけを送ってきたのだと思うけど、そこから感じられるだけでもシルベルタルと同等の圧力が感じられた。
「……まぁいいか」
ジタバタしても仕方ない。シルベルタルと戦うと決めた時点であいつらと戦うことになるとは思っていた。
それに、どうせ数万年を昼寝程度の時間感覚しかない連中だから、準備でも数百年単位はかかるでしょ?
それまでに私たちもできるだけ強くなって戦力の増強をしないとね。
「さあ、みんな。後始末が残ってるわよっ」
とりあえずこの世界から滅びの危機は去り、束の間かもしれないけれど、私たちはようやく平穏な時間を手に入れた。
ようやく決着がつきました。
シルベルタルの咽を食い千切るシーンは、第一部で美人さんを殺すときに使うはずだったシーンだったのですが、その当時はさすがにマズいかなと自重したシーンであります。
そのせいで第一部一章のラストが随分とマイルドになりましたね。初期プロットでは全員ユルが食い殺していました。
次回は本編の最終回になります。続き物の物語としてはラストです。
最終回は第三部を始める時点で決めていたラストなので、書くのが楽しみです。
ではまた来週。





