幕あいの章Ⅱ 寒風の追憶③
有り難いことにこの件は、クレイールが成人前であったこと、アイオール殿下が感情的な対応をしたこと(その侮辱は許せないと、殿下はクレイールへ略式ながら決闘を申し込み、その場で二人は打ち合ったのだそうだ。クレイールからその話は聞いていなかったので、シュクリールは絶句した。クレイールが負けを認めてその場は収まったそうだが、もし逆ならどうなっていたかと、シュクリールは背筋がぞっとした)などを王は考慮して下さった。
当然、王から冷たい皮肉をあれこれ言われはしたが、リュクサレイノとしてきつく罰せられることはなかった。
しかしクレイールは『学友』から外され、今後は王の許しがあるまで宮廷へ出仕することは認めないと言い渡された。
当然の措置だ。
己れの立場や身分をわきまえず感情だけで王子に暴言を吐く者が、宮廷で務まる訳ない。
シュクリール自身、今のクレイールでは無理だと思う。
あれのしでかす不祥事の尻拭いに追われるのが、目に見えている。
尻拭いで済めばまだいいが、今回のようにリュクサレイノ全体を危機にさらす羽目に陥りかねない。
父の言葉だけでは納得しないあれも、王命ならばあきらめるだろう。
いろんな意味で妥当なところに収まり、シュクリールはほっとした。
しかし、クレイールは違った。
『学友』を外されたことまでは、覚悟していたのか素直に受け入れた。が、今後王の許しなしには出仕できないと聞き、狂ったように荒れ始めた。
「何故ですか!」
顔色を変える馬鹿息子に、シュクリールはあきれた。
「当然だろう。お前は殿下へ何と言った?もっと下位の家の息子なら、最悪の場合、処刑されても文句が言えないような侮辱を口走ったのだぞ」
「相手が正妃の王子ならわかります!だけどアイオールは蛮族の子で……」
「クレイール!」
さすがにシュクリールは怒鳴りつけた。
「そこがそもそもの間違いだと、まだわからんのか!あの方は王子、それも先代の王が正式に認めた側室、しかも蛮族の国から来たとはいえあの国の要人ともいえる側室から生まれたお子なのだぞ!継承順位は下だが、王位継承権も持っていらっしゃる!王が一時の遊びで作った落とし子でもなければ、公に出来ない不義の子でもないのだぞ!」
「でも……」
「でももしかしもあるか!この大馬鹿者が!」
滅多に叱られたことのない父から頭ごなしに何度も怒鳴られ、クレイールは茫然とした。
その放心したような顔を見て、シュクリールは心が痛んだ。
あの日の哀れな幼児の顔が、頬にニキビを作るようになった成人前の少年の顔と二重写しになった。
「……しばらく大人しくしていろ!」
言い捨て、シュクリールは自室へ帰った。
父に怒鳴られたことが余程こたえたのか、クレイールはしばらく、本当に言いつけ通り屋敷にこもっていた。
ただ、さすがにずっと屋敷にこもっているのも鬱陶しいのか、夏頃からクレイールはちょいちょい、いかがわしい場所へ夜遊びに出るようになったらしい。
執事や侍女頭から、困った顔でそう報告されるようになった。
「あれもそろそろ大人、少しくらいなら大目に見てやれ」
報告を受ける度、シュクリールはそう言った。
クレイールは秋に満十六歳になる。
シュクリールは、あれが成人の儀を済ませたら領地のひとつであるカワティへ代官見習いの名目で送り出し、領地管理の基礎を覚えさせるつもりだ。
カワティは林業の盛んな小さな田舎町で、派手好きのクレイールにはあまり向いていない、退屈な土地だろう。
が、2~3年もして騒動のほとぼりが冷めたら、王都へ呼び戻して王に取りなしてやろうとシュクリールは思っていた。
取りなしてやるにせよ、王都の屋敷でのらくら遊ばせているだけでは外聞が悪いし説得力に欠ける。仕事以外することもない田舎の領地へ、しばらく『修業に出す』という形を取るのだ。
その話をしたらクレイールは一瞬、金色を思わせる瞳をゆらせた。が、すぐに冷たく瞳を乾かせ、わかりましたと素っ気なく答えた。
シュクリールにだけは屈託のない笑顔を見せてくれた、幼く可愛い少年はもうどこにもいなかった。
秋が深まり始めた頃。
クレイールの成人の儀の準備も進んできたある宵だ。
『犬』と呼んでいる、古くからリュクサレイノで養っている偵察や暗殺を任せている私設部隊がいるが、そちらの方からきな臭い話が流れてきた。
「クレイールが?」
『犬』の頭である中老の男がうなずく。
「いかがわしい場所で遊んでいるとは聞いておったが。あの底抜けの愚か者が!」
「チンピラどもを始末しますか?」
『犬』の言葉にうなずきかけ、シュクリールはふと言葉を止める。
「あれは……本当にそれだけで済ませるつもりなのだな?」
『犬』は一瞬、遠くを見るようにすがめた。
「それ以上の事をすれば破滅だということくらい、さすがに坊ちゃんもわきまえていらっしゃいましょう。チンピラどもに乗せられた面もあるようですが、自分が受けた辱めを返してやりたいという思いからの画策のようです。ただ穴だらけの計画ですから、王宮の方で取り押さえられ、瞬く間に坊ちゃん自身の破滅に繋がりましょう。下手をすると……」
「わかっている」
こめかみをもむようにしながら、シュクリールは『犬』の言葉をさえぎる。
まったく、次から次へと突拍子もないことばかり起こす子だ。
あの疫病神のようなあばずれの母に似たのだろうか?
しかしそこまで追い詰められているのかと改めて知り、シュクリールは、救いようのないこの馬鹿息子が哀れにもなった。
「……穴をふさいで、うまく計画が進むようにしてやれるか?」
生涯を通じて後悔する言葉を、魔が差したようにシュクリールは言った。
何故言ったのか、未だに自分でもわからない。
お勧めできませんがと、あきれをにじませながら『犬』はつぶやいたが、実行してくれた。
計画は流れるように進められ、クレイールは復讐を果たした。
ゆがんだ、手前勝手な復讐を。




