第九章 乱⑪
ひときわ明るい暗号弾が砦の上空で炸裂した。
ラクレイド海軍の者は皆、一様に硬直してそれを見上げた。
「……嘘だろ」
思わずそう漏らしたのは誰だかわからない。
が、その場の誰もが多かれ少なかれ、持った感慨だ。
綱渡りのような作戦であり、もっと言うなら優秀な若い兵がむざむざ殺されるだけの、捨て身どころか確実に死にに行くような作戦。
軍人としての経験が長いものほど切実にそう思っていた、『獅子身中の虫』作戦。
立案者が将軍レライアーノ公爵でないのなら、一笑に付されていた作戦だ。
この将軍はほぼ単身……正確には一個分隊ほどで、デュクラから王女と王妃を奪還してきた実績がある。
敵の意表をつく特殊な作戦を立案させれば、ラクレイドに彼以上の者はいないという信頼だけで実行された作戦……と言っても、正直過言ではない。
「作戦成功、次へ進め……だと?あの爆発音や喧噪は、やっぱり敵の同士討ちだったんだ!全速前進!」
艦長の命令に、おう、と吠えて応える乗組員たち。
ラクレイドのすべての軍船で同じようなやり取りが行われていた。
ラクレイドの軍船が、一斉に動き始める。
ラン・ガ・ルガージアンは青ざめた顔で茫然と、己れが命じた結果を見つめていた。
「分隊長殿。相談が」
クシュタンの声にサーヴァン軍曹は振り向く。
「この作戦はひとまずキリがつきましたね。私の、フィスタ砦への帰還の許可をいただけますか?」
サーヴァン軍曹は曖昧な顔をする。
「クシュタン殿にお願いした任務は終了しましたから、帰還そのものには問題ないでしょう。ただ、手段が……」
彼が最後まで言い切る前にクシュタンは、小さく、失礼、と言って、ラン・ガ・ルガージアン閣下のみぞおちをなぐった。
「何をする、この野蛮人!」
確かにきまった筈なのに、痛そうに顔をしかめてわめくだけの敵将の姿に軽く首をひねり、クシュタンは真顔のままナイフの柄で軽く頭をなぐり付けた。敵将はあっさり意識を失くした。
「頭を殴りたくはなかったんですけどね、少し間違えると昏倒で済まなくなりますから」
「……彼をどうするつもりですか?」
クシュタンの鮮やかすぎる手並みと冷静過ぎる態度に、少々寒気のようなものを感じながらサーヴァンは問う。
「捕虜としてフィスタ砦へ連行します。彼はルードラントー側の最高責任者なのでしょう?和平交渉の為に、るうで、でしたっけ?るうでが赴くのだと伝えれば、この艦の乗組員も言うことを聞くでしょう。小舟を出してもらいます」
そして彼はちらりと外を見た。
乱れた声と喧騒が、密閉された艦橋にもかすかに響いてくる。
「あなた方も撤収を早められた方がいい。ルードラントーの艦が皆、腑抜けとは限らないですから」
そして何を思ってか、クシュタンは小さく息をついた。
「腑抜けの方が、場合によっては怖い。戦闘訓練も軍事教育も受けていない集団が血に狂えばどうなるか、予測がつかないですよ」
サーヴァンは少し考える。
「わかりました。撤収を早めます」
隊の者へ目くばせすると、散開していた彼らは静かに寄ってきた。
「艦長」
サーヴァンは椅子に縛られたこの艦の艦長へ、ルードラントー語で話しかけた。
「あなた方の閣下は捕虜としてフィスタ砦へお連れします。あなた方はどうなさいますか?」
激しく瞳をゆらしたが、艦長は
「否」
と、短く答えた。
「そうですか?残念です」
「ま、待ってくれ。私は閣下に仕えている秘書官だ。私も行く!」
サーヴァンのたたずまいに何かを感じたのか、彼らの中で小柄な青年将校だけがそう叫んだ。
「ではあなたも。上体と手首の戒め以外は解きましょう」
椅子から立った秘書官は、サーヴァンの部下に引かれて少しよろめく。
昏倒している閣下は、隊の者が二人掛かりで肩にかつぐ。
「では失礼いたします」
サーヴァンは言うと、軽く頭を下げた。
艦橋の扉を開けると、意味のなさない声や乱れた物音がわんわんと響き、硝煙のにおいがきつくただよってきた。
彼らが艦橋の扉を閉め切る前、小さな音と共に何かが投げ込まれた。
くぐもった爆音と悲鳴が同時に響き……扉の隙間から、細く黒煙がもれた。
「な、何をした……!」
足早に艦橋を離れるラクレイドの者に、無理矢理引かれて歩く秘書官はわめいたが、
「あなたに関わりありません。彼らの選択です」
と言われ、青ざめて黙った。
「……異教徒め」
ごく小さな声で彼は、呪詛のようにそうつぶやいた。




