第九章 乱⑦
クシュタンたちを乗せた小舟は、昏い水面を進んで『つばす』へ横づけした。
フィスタ砦屋上。
騎馬部隊への指示を伝え、エミルナールは戻って来た。
「コーリン、ご苦労。第一の『虫』はそろそろ動き始めたか?」
「ええ。騎馬部隊が動き始めることを、サーヴァン軍曹にも伝えました」
『獅子身中の虫』作戦、略して『虫』。
第一が成功すれば、すぐさま第二、第三の『虫』を敵艦に放つ予定だ。
「クシュタンは彼等と行ったのか?」
「確認しておりませんが、サーヴァン軍曹は頼むつもりだと申しておりました」
「行くだろうよ、あいつは」
タイスンがぼそっとつぶやいた。
クシュタン殿に作戦を手伝っていただきたい、許可願いますという話は、昨日のうちにサーヴァン軍曹の上官からあった。
それに対して公爵は、『義勇兵』をどの任務に就けるかは現場の責任者に任せると答えていた。
「彼が行ってくれれば心強いのは確かだが……」
言いよどむ公爵へ、タイスンが言う。
「行かなきゃ作戦の成功は難しいだろう、あの分隊は選りすぐりをそろえてて優秀だが、実戦経験が乏しい。ま、実戦経験の不足は海軍全体に言えるけどな。その辺はあいつも察しているだろうし」
ふっとタイスンの瞳が陰った。
「……死に場所を求めてるんだぜ、あいつは。行かない訳ない」
「マーノ」
やや気色ばみ、公爵が制する。タイスンは唇をかむ。だが目の色は相変わらず暗い。
「悪い。だが……本当のことだ。それはそれで、仕方ねえのも含めてな」
『つばす』は今、ラクレイドの軍船の中では大きな『いるか』一号二号、『しゃち』一号二号の陰に隠れるように、後方へ退いている。
互いの攻撃の応酬に一段落がつき、睨み合っている状態だ。
『つばす』は、小型で機動力のある『とびうお』『かます』と同時に、敵に先制攻撃をしかけたのだそうだ。
しかし前へ出た三隻は当然敵の大砲の的になり、被弾を免れたのは結局『つばす』だけだったそうだ。
「我々は元々、一番足の速い『とびうお』に乗り込み、彼らが近海に到達したと同時に隙を突き、作戦行動を取る予定でした。でも敵艦の正確な数や能力など不明な点が多かったので、陸での待機を命じられたのです。結果的にそれで良かったのでしょう、被弾して航行不能になった『とびうお』に乗っていたら、行動の制約は陸で待機していた比でなかった可能性が否めません」
小舟の上で分隊長は言う。
彼らは作戦『獅子身中の虫』の、『第一の虫』なのだそうだ。『第二の虫』『第三の虫』は、『第一の虫』が成功したと同時に動き出す予定だ。
「第二第三の『虫』は、ラクレイドで最も大きい兄弟船『しゃち』一号二号でそれぞれ待機しています。我々は一番手薄そうな敵艦を制圧し、敵艦の同士討ちを試みます。味方の船に大砲を撃たれて混乱したところを、第二第三の虫たちが入り込む計画になっています」
「……危うい作戦だな」
クシュタンは思わず漏らした。不確定要素が多すぎる。
もっともラクレイドの今の軍事力で、ルードラントーとまともに戦っても勝ち目がないのはわかるが。
分隊長はただ、苦く笑うだけだった。
乗員たちに助けられ、クシュタンは『つばす』に乗り込む。
一番最初にたっぷりと『ほうせんか』を浴び、今は、こちらから見て向かって左側にある岩陰で待機している艦を狙うのだそうだ。
『つばす』は静かに動き始めた。
港近くの岩場に隠れるように、目標の敵艦は停泊していた。岩を回るようにして『つばす』は、敵の後ろから近づく。
甲板に人影はない。人馬を『ほうせんか』で傷めつけられ、皆退避しているのだろう。
「だが歩哨くらい置かないか?」
望遠鏡を覗き、理解に苦しむと言いたげに分隊長はつぶやく。
「よほどうろたえて慌てているか、よほど慢心しているか、あるいは罠か」
淡々とクシュタンが言うのへ、分隊長は眼光を鋭くして諾う。
「油断せずに行きましょう」
『つばす』が近付いてきたのに気付き、さすがにあちらにもざわめきの気配が生まれ始めた。
その頃合いに『つばす』の弩がうなりを上げる。『ほうせんか』に加え、通常の爆弾も三個中一個の割合で飛ばす。敵の甲板の一部が弾け飛ぶ。
あちらの大砲が咆哮する。
重い鉛の玉が、無謀にも接近してくる異教徒の国の小舟へと襲いかかる。哀れな木造船はゆれ、船体に無残な穴が開く。それでも接近を止めない。
あちらに動揺の気配が濃くなる。
果ての島近海で受けた『最初の一撃』の記憶も新しい。ラクレイドの海軍は、船そのものを武器にする傾向があるらしい、と彼らは認識している。
船首をもたげ、やや慌てたように面舵を切って逃げる彼等を『つばす』は追う。互いの船体がぶつかる。火薬の応酬。
結果的に、『つばす』は航行不能に陥りながらも、黒い獅子の身体に『虫』を仕込むことに成功した。
『虫』のひとりであるクシュタンは、ゆれる足許に舌打ちをした。
出来るだけ重心を低くするよう心掛け、船底へ向かう。
手にしているのは護身用ナイフ。得意なのは剣の方だが、こんなに狭くて天井の低い場所では使いにくくて仕方がない。
向こうからくる乱れた足音。
狭い廊下で顔を突き合わしそうになり、こぼれ落ちそうに目を見張るまだ少年のように若い兵の咽喉を、無言でクシュタンは裂く。
(悩むのは、後)
いつもの呪文を心でつぶやくと、異常に感覚が研ぎ澄まされる。
クシュタンは今、『守るべきものを守る』為に創られたからくり人形なのだ。
護衛の対象を守るのに最も効率のいい道が殺人なら、躊躇などしない。
(悩むのは、後)
ナイフの血を振り払い、クシュタンは静かに、更に底へと降りて行った。




