第九章 乱③
執務室を出て、一同は屋上へ向かう。
廊下の窓越しに砦中央部の広場を見る。篝火が灯され始め、義勇兵を含めた兵士たちが分隊毎に固まっている。
「トルニエール・クシュタンもあちらにいるのだな?」
つぶやくような公爵の言葉へ、エミルナールはうなずく。
「……馬鹿な男だ」
呆れたように愛しむように公爵は言うと、ぐっと口をつぐんだ。
後ろを歩くタイスンが、無言でかすかに苦く笑った。
屋上。
王都より暖かなフィスタとはいえ、さすがに冬、宵の鋭い風は冷たい。
物見係と弩部隊の隊員が、将軍と副官たちに敬礼をする。
「寒い中ご苦労だね。敵艦は?」
公爵の問いに、物見係が答える。
「たった今、沖合に船影らしきものは確認できましたが、あちらの数や正確な距離などはまだご報告出来るものでは。ただ……」
何故か躊躇を見せる物見係へ、公爵は促す。
「ここから確認できる限りでは、聞いていたより敵艦の数が少ないように見えます。四隻か五隻ではないかと」
公爵はにやりとする。
「油断は禁物だが。どうやら果ての島の防衛にあたった二個大隊は、敵の半数近くを航行不能もしくは足止めに成功したようだな。少数精鋭の隊とはいえ、猫と鼠の戦力差でよくやった。さすがだな、デュ・シェンタノ。我々の中で、一番真面目で真面と呼ばれている男だ」
「将軍ともう一人の副官がいい加減なんだから、真面目にならざるを得なかったんだろうよ、あの方は」
タイスンがぼそっと言ったが、公爵はからりと笑ってすぐ真顔になる。
「『鳥』を使う。用意してくれ」
中空を切り裂く鋭い風切り音。
クシュタンは思わず見上げた。
広場は、緊張の中にもうわずった、あからさまに言うなら楽しげでさえあるざわめきで満たされていた。
そんな状態なので、クシュタンの他に気付いた者はほとんどいない。
闇の深まりつつある空を、黒い煙を引いた何かが複数、飛んでいったのを。
ごく細い鎖で編んだ胴衣の上に、革の鎧。海軍に備えられている予備の防具が義勇兵たちに貸し出された。
身軽に動けるのを重視した装備。当然、クシュタンもそれを身に着けている。
だが武装したクシュタンのたたずまいには、凡百の装備であっても一線を画したものがあった。
並んでただ立っているだけでも、彼が素人ではないのを誰もが理屈でなく感じ取った。
義勇兵たちの間でなんとなく、クシュタンに従おうという空気が出来始めている。
良くも悪くも平和なラクレイドだ。
海軍の兵士であっても実戦経験のない者がほとんど、まして義勇兵の集団だ。
彼等に、フィスタを家族を守りたい真面目な気持ちはあるものの、さながら祭りの前のような浮ついた雰囲気は否めない。
この素人集団が血に狂わないよう、出来る限り導いてやらなくてはなるまい。
思いつつ、腰に帯びた愛用の剣の柄、右の太腿の剣帯にある護身用ナイフの柄を、クシュタンはさり気なく確認する。
(……『鳥』、か?)
煙の軌跡を見ながら、クシュタンは胸でつぶやく。
レライアーノ公爵や秘書官のコーリンから聞いた話を思い出す。
短い間に断片的ながら彼等は、軍事機密ぎりぎりの情報を世間話にまぎらせてさり気なく伝えてくれた。
事前にある程度は知っていた方が、義勇兵を導く際に役立つだろうと配慮してくれたのだろう。
『鳥』は『ほうせんか』に翼を付け、飛距離を伸ばしたもの。
『ほうせんか』は火薬の周りに尖った鉄片や砂利を混ぜた層をまとった、爆弾の一種だ。
導火線に火を点け、弩などで飛ばすか兵が直接投げて使う。炸裂すると焼けた鉄片や小石が四方八方に散らばり、馬や歩兵を殺傷する。
その様子を熟すと四方八方に種を飛ばすほうせんかになぞらえ、名付けられたそうだ。
殺戮よりも行動や士気の低下を狙った武器で、レライアーノ公爵自らが開発に深く関わっている。
「少ない火薬でより大きな効果を。考えたのはその一点だよ、ウチはルードラントーのように潤沢な資金のない貧乏海軍だからね」
寝台で横になりながら、笑い話のように彼は言っていた。
『ほうせんか』の元になった爆弾は、レライアーノ公爵が若い頃、修行を兼ねて陸軍の将軍代行を務めていた頃に開発に着手した、いわくつきの武器でもある。
何故いわくつきかというと、これのせいでレライアーノ公爵は陸軍の将軍代行を解任……正しくは引きずり降ろされた、からだ。
クシュタンは噂でしか知らないが、保守的な陸軍ではそもそも火薬を使うことそのものに抵抗があったようだ。
不特定多数の相手を無差別に攻撃するこの武器を、『陰湿』で『卑怯』だと彼等は断じた。
たとえ殺し合うにしても相手に敬意を払うべし、という行動規範に誇りを持ってきたラクレイド陸軍だ、爆弾そのものを受け入れる土壌がなかったのだろう。
同時にその開発をした『黒髪の将軍』に、一兵卒から将校まで強い忌避感を持ったようだ。
『黒髪の将軍』の蛮族の血が、誇り高き陸軍を汚す、と。
(馬鹿な連中だ)
王宮官吏でなくなったクシュタンは、遠慮なく容赦なく胸で断じる。
戦いは試合でも演武でもない。
殺すか殺されるか、なのだ。
火薬を使って侵略してくる敵に対し、騎士の誇りを必要以上に有り難がっている古臭い軍で、勝てる訳がなかろう。
敵は宗教も文化も違う、優れた技術を持つ者たちなのだ。
自らを守る為には綺麗事だけでは済まない、卑怯もくそもあるか。
遠くでかすかに爆発音がした。さすがに皆、口を閉じる。
「始まったぞ」
静かなクシュタンの声が、刹那の沈黙の場に響いた。




