第九章 乱②
軍船は黒い船団の進路をふさぐように、あるいは肉食獣の手から我が子をかばう親鹿のように、舳先をもたげて右舷をさらした。
黒い船団は速度を変えずに直進してくる。よける気配すらない。
鉄の装甲をまとった、ラクレイドの軍船より二倍近くある巨艦だ。このまま突き進んでも哀れな木造船を木っ端微塵にするだけで、ほぼ無傷のまま航行出来る。
「放て!」
いつの間にか海上に数隻の小舟が浮かんでいて、艦長である将校を含めた乗組員たちがいた。
相手の死角になる左舷側から、彼等はすでに脱出していたらしい。
声と同時に火矢が放たれた。あらかじめ甲板に撒かれた油に、瞬く間に火は燃え移る。
黒い船団に初めてざわめきの気配が生まれたが、もはや進路を変えるのは難しい。
先頭の艦が、燃える船へ舳先を埋めた。
途端に凄まじい爆音。黒い艦もろとも揺れ動く。
粗末なまでに古いラクレイドの軍船は、どうやら多量の火薬を積んでいたらしい。
二度、三度、爆発は繰り返される。
黒い船団が初めて停止した。
敵艦は軽い恐慌状態のようだ。
慌てたように甲板を走るあちらの兵の姿が、急いで遠ざかる小舟に乗った、ラクレイドの者たちにも認められる。
「連戦連勝におごり、相手を見下している筈だ……我らの将軍閣下の見立て通りだったな」
バケツを持って右往左往する彼等を小型の望遠鏡で眺め、艦長はつぶやいた。
変わってこちらは果ての島。
すでに本土からの援軍として五艘、軍船が来ている。
元々駐在していた二艘を含め、七艘の軍船がこの海域にゆるく散開して守っている。
『最初の一撃』作戦を終えた部隊が、果ての島で最も広くて大きい砂浜、南東部にある一の浜へと戻って来た。
五基の弩が設営されているその砂浜で、弩部隊長でもある将校が彼等を迎えた。
「作戦の首尾は?」
立ち止まって敬礼する彼等へ、将校が問う。
「成功であります。当部隊に死傷者無し。当艦へぶつかってきた敵の艦は舳先と甲板の一部を損傷。以後の航行・作戦行動は難しいでしょう。乗員等の移動の必要から、敵の船団はしばらく足止め、もしくは分断されましょう」
そうか、と諾い、弩部隊長は少し笑む。
「ご苦労だった、諸君。基地で一時間休憩した後、本部隊の支援に回ってくれ」
敵の船影が、果ての島沖に目視で確認出来るようになったのは小一時間後。
混乱から立ち直った九隻の艦の甲板には、待機する騎馬の姿が認められる。
「こちらを無視して本土へ向かわず、叩いてから向かう作戦か」
物見やぐらで望遠鏡を覗き、敵艦の様子を観察したデュ・シェンタノはつぶやいた。
「無視しても追いすがってくると判断したのだろうし、まあそうするに決まっているが。だが、わざわざこの島へ乗り込んでくるのは、あまり上手くないのではないか?」
「この島の規模のラクレイド軍なら、簡単にひねりつぶせるという判断でしょう。物量や戦力から考えればそうでしょうし、こちらの士気を下げる目的もありましょうね。あちらとしては、『最初の一撃』作戦で思いがけずしてやられたので、頭に血が昇った部分もあるかもしれません」
そばに控えていた将校の一人が言う。
デュ・シェンタノは思わず苦笑いした。
「世界最強と噂される、ルードラントーの軍とも思えない愚かさだが。往々にしてあり得るな。あちらはそもそも陸軍国だ、海軍の質はどうしても落ちるだろう。おまけにあちらの海軍は、今まで本格的に戦ったことはない筈。巨艦と物量で押しつぶすような、圧倒的な戦いの経験しかないだろう」
デュ・シェンタノは苦笑を深める。
「……我々も似たようなものだが。巨艦と物量で押しつぶす真似などしたくとも出来ない貧乏海軍だ。猫の爪をかいくぐる鼠のようなもの、心構えが違う。勝機があるとすれば、そこだけだな」
宵。フィスタ砦。
陸風が吹きすさんでいる。
レライアーノ公爵は作戦本部である将軍執務室で、果ての島から送られてきた戦況の報告を部下と共に整理する。
「『最初の一撃』作戦は成功。敵は火薬弾でこちらを攻撃しつつ、果ての島への上陸を決行。弩で大矢を放って牽制の後、『ほうせんか』で人馬を傷める作戦を行った……これ以降の報告はまだ来ていないようだな」
エミルナールは諾う。
報告はのろしを使った暗号で伝えられる。
お陰でかなり早く情報が伝わるが、日が落ちると使えなくなる手段だから、これ以降のあちらの報告は明日になろう。
「今現在のあちらの状況は不明だが、ルードラントーがいつまでも小島に拘ってはいないだろう。最後の報告が今日の正午以降の状況という訳だから、そろそろ彼等はフィスタへ現れる頃合いだろう。……砦の屋上に、弩は設置されているな?」
「はい。ご命令通り三基、設えております」
副官のデュ・クラウィーノが答える。
普段は飄々としてどこかしらいい加減な雰囲気の彼も、今日ばかりはさすがに真面目だ。
少し考え、レライアーノ公爵は言った。
「『鳥』を使おう。半分、賭けだがな」
窓の外へ目をやり、かすかに彼は笑む。
「風はこちらに有利だ」




