第八章 王都へ⑧
翌日と翌々日は、比較的平穏に過ぎていった。
王宮からの使者が二度ほど来たが、老執事かエミルナールが応対して事足りる程度の事案だった。
どうやらカタリーナ陛下がレライアーノ公爵の体調を気遣い、しばらく休養が取れるようそれとなく官吏たちに指示している様子だった。
公爵は寝室に『軟禁状態(本人談)』だ。
軽く仕事の話をしたいと呼ばれたので行ってみると、ちょうど公爵が食事を始めるところだったので驚いた。
出直そうとしたが呼び止められた。
寝台に半身を起こして食事をしながら公爵は、エミルナールへ書類の作成を指示したりして医官長から渋い顔をされている。
「あの……閣下。お食事はお食事として、ゆっくりおとりになられた方がいいのではないでしょうか」
背中に重みのある医官長の視線を感じ、エミルナールは、身じろぎをしながらそう言った。
「食事の時以外は横になってろという厳命を死守しようと思ったら、食事中にしか仕事の話が出来ないんだ。薬の効果なのか、横になったらすぐに眠くなってしまうんだよね」
公爵はぼやき、さっと火を通した薄切りの林檎を添えた、鴨肉のソテーを口に入れる。
料理人のいない今の公爵邸だから、鴨肉のソテーに凝ったソースは添えられていない。
が、脂の乗った冬の鴨は、塩と酒を軽く振って焼いただけで十分美味しいだろう。
鴨は冬のラクレイドの楽しみであり、新年の祝いにもよく食べられる。
公爵の好物のひとつでもあるので、老執事と侍女頭が病の『旦那様』の滋養の為にと用意したようだ。……当然エミルナールたちの分はない。
「薬の効果もございますが」
憮然とした顔で医官長は言葉をはさむ。
「要するに、閣下のお身体が休養を必要とされているのです。本来なら十日は休養するべき体調でいらっしゃるのですから」
公爵は首をすくめ、情けなく苦笑いした。
「……健康は何にも勝る宝だね」
仕事が一段落した午後。
エミルナールは気分転換に屋敷の庭へ出た。
黄色味を帯びた冬の午後の陽光は、すでに夕方の気配が濃かった。乾ききった枯葉を踏み、庭をそぞろ歩く。
タイスンと一緒に鍛錬に明け暮れた日々のことが、なんだかずいぶんと昔のことのような気がした。
冷たい風に息を詰め、思わず立ち止まる。
何の気なしに彼は目を上げ、白い神の峰を見上げた。
いつの間にか年を越していた。
今年は王の喪中だから、ラクレイドの慣習として新年を祝うのは避けられる。
が、新年朔日くらいは皆、ちょっと良いものを食べたり普段着の服を新調したりはしているだろう。
クリークスの家族のことを思い出す。
ウエンレイノ伯爵の客として十分な世話をしてもらっている、という便りを貰ったのは、エミルナールがまだ公爵邸で新兵訓練のような日々を送っていた頃だ。
あれ以来、連絡は取っていない。
あえて取らなかった部分もあるが、それどころではなかったと言う方が正直なところだ。
(母さん。父さん。姉さん……)
王の喪が明ける頃には、皆と会えるだろうか?
クリークスは内陸だから、ルードラントーとの戦火が押し寄せるのは先になるだろうし、運が良ければ免れる。
エミルナールは文官だから、戦闘に携わる可能性は低い。
だがそれでも、無事で済む保証などどこにもない。
カタリーナ陛下が執政の君……つまり王になられたことで、レライアーノ公爵が指している命懸けの将棋の行方は、ある意味先が読めなくなった。
宮廷内部の無意味な膠着は解消されたが、レライアーノ公爵の地位や役割が今後どうなるのか、前以上にわからない。
(第一、戦の結果次第では。それどころじゃなくなるしな……)
重いため息をつく。
あれこれ考えるとため息しか出てこない。
吐き出したため息と同じ大きさの白い靄が、風に吹かれて散り散りに消えた。
白い神の峰は、おそらく千年前と変わることなく、悠然とそびえているだけだ。
エミルナールは神山から静かに目をそらし、屋敷へと戻った。
その夜遅く、フィスタからの伝令が公爵邸へ飛び込んできた。
『船籍不明の巨艦の船団がラルーナへ寄港。その数十。補給が終わり次第、ラルーナを出立する模様』




