第八章 王都へ⑥
「私からは以上です」
公爵はそう言うと席に着いた。
どことなく虚ろな目で、顔に浮いた汗を隠しから出したハンカチでぬぐい、再び大息をつく。
「閣下」
エミルナールがささやき声で呼びかけた。
彼はこちらをちらっと見て、大丈夫だと言うように小さく首を振った。
「レライアーノ公爵」
カタリーナ陛下が呼びかける。
「お身体の具合がお悪いのでしょう?退席なさって、別室で休憩をなさいますか?」
公爵ははっとしたように居住まいを正す。
「あ、いえ、大丈夫です。お心遣いに感謝致します。ラルーナで受けた傷のせいで、少し貧血気味なだけです。ご心配には及びません」
カタリーナ陛下は息子を気遣う母の顔になっていたが、すぐ真顔に戻り、言葉を続けた。
「わかりました。ですが、長くこの場に拘束していてはあなたのお身体に障りましょうから、以後は手短に済ませましょう」
陛下は手元の書類を取り上げる。
「あなたがこちらへ報告して下さった内容は、まだ精査し切れておりませんが、急を要する大変な内容であることは把握しております。あなたがこの後、取って返すようにフィスタへ戻り、海軍の指揮を取らねばならない事態であることも」
円卓の間の空気が一気に緊迫する。
カタリーナ陛下の蒼い瞳は、真っ直ぐ公爵をとらえている。
「わたくしは……セイイール陛下が在位なさっている間。あえて、政務に携わらないよう心掛けていた部分があります」
ふっと息をつき、彼女は目を伏せた。
突然思いがけないことを言い出した執政の君に戸惑い、張りつめていた場の空気が少しゆらぐ。
「それが言い訳になるとは思っていませんが。あなたがここ数年、折に触れて東方の危機を警告なさっていたことを知ったのは、実はつい最近です。我々はいつの間にか、ラクレイドが大陸最強の大国であるという誇りを、傲慢や怠慢へ変えてしまっていたようですね。王都で安穏と暮らしているだけでは遠い国から迫りくる危機を警告されても、危機を危機として切実に感じ取れなくなっていました……わたくしを含め」
彼女の蒼い瞳は変わらず真っ直ぐ、公爵をとらえている。
「あなたにも間違いや行き過ぎはありました。が、あなたをそこまで追い詰め、間違いと知りつつもそうせざるを得ない状況へと追い詰めたのは。わたくしを含めたこれまでのラクレイドの宮廷でありましょう。宮廷を代表する者としてわたくしは、あなたにお詫びを申し上げます」
不意に彼女は静かに立ち上がり、美しい所作で頭を下げた。
「へ、陛下っ!」
公爵は慌てて立ち上がると、カタリーナ陛下へ呼びかけた。
「畏れ多い事です、陛下。なにとぞ頭を上げて下さいませ」
カタリーナ陛下は頭を上げ、公爵へ軽く笑む。
「わたくしが頭を下げた程度では、あなたの中の宮廷への不信感はぬぐえないでしょう。そしてまた、宮廷側もあなたへ対し、もやもやしたものを抱えていないと言い切るのも嘘になりましょう。ですが、お互いがお互いに不信感を抱き、冷たく対峙している場合ではありません。それは……レライアーノ公爵、あなたの方が切実に感じていらっしゃいましょう」
「……はい」
レライアーノ公爵は軽く眉をひそめる。
答える声には苦さが混じっていた。
「今日明日すぐには無理でしょう。が、あなたに宮廷を信じる努力をしていただくようお願い致します。もちろん我々もあなたのもたらす情報へ、真摯に耳を傾けます。ですから、謎かけのような報告だけを置いて独断で行動を起こすことは、今後おひかえ下さい。書類だけでなく口頭でも、あなたは詳しくセイイール陛下へ報告を上げていらっしゃったのでしょう?そういう風に包み隠さず、知り得る情報をこちらへ伝えて下さい。これは……執政カタリーナとしての、命令と心得て下さい」
公爵は刹那、大きく目を見開いて硬直した。
一瞬後、なんとなく諦めの混じった笑みを浮かべ、彼はこう答えた。
「承りました。何事も執政の君の御心のままに」
その後いくつかの議題が手短に消化され、会議は終わった。
フィオリーナ王女とアンジェリン王妃からの証言もなされ、デュクラ王家の内部にかなり深くルードラントーの影響があることが、改めて明らかにされた。
あちらの王子がルードラ教に帰依し、己れが『ルードラの戦士』であることに強い誇りを抱いているという証言は、ラクレイドの宮廷に集う者たちの心肝を寒からしめた。
海軍の指揮は改めてレライアーノ公爵に任されることになり、『果ての島』での作戦行動も正式に国から認められた。
「……まったく」
屋敷に帰り、居間の長椅子にくずおれるように座って公爵は、ため息まじりにぼやいた。
「さすがはカタリーナ陛下、と言うべきか。飴と鞭の使い分けがお上手だ。頭を下げられた後にああ言われれば……命令に従うしか、ないではないか」
つけ毛をむしり取り、苦笑いする。
「宮廷に巣くう狸親父どもを怖いと思ったことはないが、あの方は……怖いな。父上よりも兄上よりも、もちろん私なんかより、あの方はずっと王の器でいらっしゃる。リュクサレイノの家に生まれていなければ、おそらく稀代の女王になられただろうな」




