第八章 王都へ③
フィスタを発って五日目の昼。
一行はようやく、王都のレライアーノ公爵邸に着いた。
疲れた。
変に疲れた。
見慣れた家並みを馬上から見た瞬間、エミルナールは思わず大息をついていた。
ご婦人連れ、病人連れの旅だ。必然的にゆとりを持った旅程にしたのだが、そのせいで却って疲れたような気がする。
エミルナールは普段、従者用の馬車で従っているのだが、今回は諸般の事情で馬で従ってきたせいもあるのだろうが。
(海軍の人間は『身内』だったんだなあ)
しみじみ思う。
別の組織の人間と一緒に旅をするのは、たとえ相手が常識の範囲内の行動しかとらない良識ある者たちであっても、意外と気疲れするものらしい。
「この五日で馬の扱いが上達したな、コーリン」
タイスンがやや可笑しそうに口許をゆるめて話しかけてきた。
エミルナールは苦笑いで応える。
「……必要にかられましたからね。それに急ぐんじゃなきゃ、私だって馬で旅くらい出来ますよ」
駅で次々と馬を乗り換え、必死に王都へ向かったあの日のことが、ずいぶんと遠い昔の出来事みたいな気がした。
王都の公爵邸に着いた段階でフィスタの警備隊は任から外れ、王女と王妃の護衛は近衛隊の管轄になった。
彼等は王都の宿で一泊した後、フィスタへ戻る予定だ。
公爵邸まで迎えに来ている近衛武官たちは整然と並び、厳粛にしてものものしい。
「王都だな」
馬車から降りて王女と王妃を屋敷へ迎え入れた後、公爵は、エミルナールの目を見てにやっとした。
「いよいよだ。ここしばらくとは別種の、ややこしい魑魅魍魎たちとの戦いの場へ戻って来たぞ、コーリン。勘を取り戻せよ」
いかにも『海軍将軍・レライアーノ公爵』らしい、目と笑み。
懐かしさに、なんだか目頭が熱くなる。
旅の間、馬車の中でほとんど眠って過ごしていたからか、公爵はずいぶん元気になった。
頬はこけたままだが、顔色も良くなってきた。
左腕はまだ吊っているが、これは医官長が大事をとってそうしているだけらしく、日常の動作に差しさわりがなくなってきているのだそうだ。
「お茶と軽食の用意をしてくれているだろうから、皆に、一時間ほど休憩してくれと伝えてくれ。二時間後、殿下方をお送りする為我々も王宮へ向かう」
御心のままに、とエミルナールが応えた時、老執事が静かに近付いてきた。
「お戻りなさいませ、旦那様」
心なしか老いてやつれたデュ・ロクサーノ氏へ、公爵は優しい笑みを向ける。
「ああ、戻った。至上命令の遵守、ご苦労だった」
老執事は一瞬目を見張り、深く頭を下げた。
「いいえ。私はただ、日々を送っていただけでございます」
「それでもこの屋敷を、数少ない者たちで維持管理するのは大変だったろう。それでなくても主のいない閑散とした屋敷は、碌でもない者に狙われやすいものだ。マーノの部下たちを残していったから、いくらか歯止めになったろうが」
「ええ、お若い方々にはお世話になりました。後でねぎらってやって下さいませ」
言いながらそっと彼は、上着の隠しから小さな箱を取り出し、公爵へ渡した。
公爵はさり気なくそれを受け取り、左腕を吊っている包帯の陰で小箱を開けると、左手中指に素早く黄金の指輪をはめた。
名実ともにアイオール・デュ・ラクレイノ・レライアーノ公爵が、王都へ戻ってきたのだ。
使用人たちの食堂で軽食とお茶をいただき、身支度を整える。
持ってきた青軍服を着込み、中途半端に伸びた髪を椿油を少し付けて整える。書類入れと筆記具を手に、公爵の書斎へ向かう。
痩せてしまった身体に合わせ、身ごろを少し詰めた青軍服を身に着けた公爵は、いつかと同じように老執事から喪章を受け取って左胸につけていた。
形だけとはいえ左腕を吊っているので、腕の喪章はさすがに執事がつける。
「準備は完璧かい、コーリン」
うなずくエミルナールへ、いかにも『レライアーノ公爵』的な顔で彼は、ニヤリと笑う。
「それは重畳。では参ろうか、カタリーナ陛下……新たなる執政の君の御許へと」
王宮から迎えに来た馬車に着替えを済ませた王女と王妃が乗り込み、レライアーノ公爵と彼に従ってきた海軍の者たちがその後に続く形で、一行は粛々と王宮へ向かう。
冬の早い入り日が、神山と王都を不気味なまでに美しく染めていた。




