第八章 王都へ②
仕事に一段落がついてほっとしたのか、公爵は倒れた。
本人は、倒れたんじゃない、ちょっと休憩すれば大丈夫だとか何とかもぞもぞ言っていたが、誰の目にも彼の体力が限界なのはあきらかだった。
医者の目には、『体力が限界』どころではなかったらしい。
タイスンに呼ばれて執務室へ飛んできたラン・グダ医官長は、机に突っ伏している公爵を一瞥して顔色を変えた。
医官長の一番弟子とも言えるリュアンと一緒に、執務室にある長椅子を並べて公爵を横たえ、彼がルードラントーからもたらした最新医療技術である『注射器』で治療を始めた。
静脈へ針を刺し、ゆっくり薬液を入れながらラン・グダ医官長は深いため息をついた。
「閣下。ひょっとしてあなたは死にたいのですか?」
いやに静かな声でその一言を発した途端、彼の全身から殺気に似た怒りがほとばしる。
公爵はもちろん、エミルナールを含めて周りにいる者は皆、その気配の恐ろしさに思わず首をすくめた。
「どうしても死にたいとおっしゃるのなら、あえて止めませんが。しかしあなたが私の患者である以上、今後は私の指示に従っていただきます。たとえあなたが国王陛下であらせられても、私の患者でいらっしゃる限り治療に関しては私の指示に従っていただきます。でなければお命の保証は出来かねますので」
今まで倒れなかった方が不思議なくらい、衰弱なさっています。
大きな黒い目をぎろぎろさせながら彼は、恐ろしく淡々とそう言った。
さすがに公爵も気圧されたか、ややあって情けなさそうに笑ってみせた。
「いえ。死にたくありませんので、今後は先生のご指示に従います」
治療が済むと担がれるようにして公爵は、私邸へ帰っていった。
エミルナールはその後、新しい書類を作成したり情報をまとめたり、王都へ知らせを送る手配をしたりと遅くまで仕事をしていたので、私室へ戻った時には夜半を過ぎていた。
翌朝。
エミルナールが早めに出勤してみると、私服のタイスンが執務室で待っていた。
「公爵の使いだ。閣下様は医官長の命令で寝室に閉じ込められることになった。仕事の指示なんかは、殴り書きになるが一応書面にしたものを託ってきたから、関係者各位で見てくれ」
渡された書類の束を受け取る。
「それから……」
タイスンは顔を曇らせた。
「ルードラントーがここ二、三週間で果ての島へ迫るであろうこんな時期だが。王女殿下と王妃殿下を送りがてら公爵も、釈明と報告に王都へ出向かなけりゃならねえ、それも可能な限り早く。アチラへ殿下方奪還の知らせは?」
「それは朝一番に。詳細は早馬で送るにしても、簡単な第一報は鳩で」
エミルナールが言うと、タイスンはうなずく。
「早馬のついでに馬車の手配も頼む。殿下方と公爵の分を。なんといってもあいつは身体が弱っているから、一台は横になった状態で旅が出来るように工夫してくれないか?医官長殿の命令なんだ。でなきゃ動くのは厳禁らしい」
短時間でそれは難しい注文だなと思ったが、エミルナールは諾った。
昼過ぎ。
エミルナールは、決裁や指示のいる書類を持って公爵の私邸へ向かう。
薪を割っているらしい音がするので、なんとなくそちらへ向かう。
公爵の私邸はこじんまりしているのもあって、使用人も最低限しかいない。常は公爵一人で住んでいるから当然だ。
そんな屋敷に、急に王妃だの王女だのという気の張る客を迎え、彼らも大変だろう。
だからこういう下働きは、気を遣ってタイスンが買って出ているのではと思い、挨拶くらいするかと立ち寄る気になったのだ。
薪を割っているのは、しかしタイスンではなかった。
「やあ。お久しぶり」
手を止めて笑うのはクシュタンだった。
「俺は今のところ、殿下方の用心棒兼フィスタ領主邸の居候だからね。これくらいしないと罰が当たるじゃないか」
驚いて目をむいているエミルナールへ、クシュタンは言う。
「あなたは客分でしょう?」
エミルナールの言葉に、クシュタンはひらひらと手を振る。
「いやあ、そんな大層な立場じゃないし、じっとしてるのも退屈だからね」
何だか印象が変わるなあ、とエミルナールは思ったが、クシュタン自身は当たり前のような顔をしていた。
手斧を片手に彼は、慣れた感じで薪を割っているのだ。
(そう言えばタイスンも、あちらの屋敷でよく薪割りをしていたな)
護衛官という務めをする者は、こういうことも出来るように躾けられるのだろうか、とちょっと思った。
「王都へ向かう手配はどうなっているんだい?」
問われ、エミルナールは我に返る。
「ああ、馬車の目途は。ただ、道中の宿の手配なんかがまだかかりますね」
やんごとないご婦人方と病人連れの旅になる。
安全の上にも安全を期し、なおかつ可能な限りあちらへ早く着く旅程を組まなくてはならない。
フィスタの警備隊も護衛に着くことになるので、いつもより大人数かつ指揮系統の違う隊での移動になる。
その辺の絡みもあって、手配がいつもより手間取っている。
「そうだろうな」
クシュタンは手を止め、苦笑いをする。
「色々大変そうだな、わからなくもないよ。俺はフィスタで留守番だから気楽だが」
「え、王都へお戻りにならないのですか?」
エミルナールが驚いて訊くと、クシュタンは苦笑い含みに首を振った。
「王都へ戻ってどうするのさ?俺の居場所はないよ。恩給として貰った荘園はあるけど近々手放そうかと思っているし、勝手を言って暇をいただいた身だから準爵の身分は辞退したし」
護衛官として五年以上務めた平民出身者は、一代限りながら爵位に準ずる身分を与えられるのがラクレイドの慣習だ。
ここを足掛かりに下級貴族の婿になったり貴族の娘を娶ったりする道があるが、クシュタンはその道を取るつもりがないようだ。
「唯一の身内である母は十年前に再婚して幸せにやってるし、俺は今、実に身軽な身の上なんだよ。出来ればそのうち家庭を持ちたいとは思っているけど、しばらくはのらくら暮らそうと思っているんだ。なにせ王宮しか知らない世間知らずだからね、市井で気楽に暮らしてみたい」
ラルーナので暮らしも悪くなかったしね、と笑った後、ふと彼は頬を引いた。
「のらくら暮らす為にも俺は、フィスタに残って、義勇兵の一人としてラクレイドの防衛に尽くしたいと思っているんだよ。武人として仕込まれた技術の、最後の生かしどころになるだろうからね。……どうかフィオリーナ王女殿下を、無事に王都へお送りしてくれ」
頼む。
小さくそうつぶやき、クシュタンは寂しそうに目を伏せた。




