第八章 王都へ①
レライアーノ公爵がフィスタへ戻って来た。
一瞥では誰だかわからないほど痩せ、左腕を包帯で吊った痛ましい姿だったが、菫色の彼の瞳は力強く輝いていた。
「お戻りなさいませ、閣下」
エミルナールは他の者たちと出迎える。
「作戦の成功をお喜び申し上げます」
エミルナールと目が合うと、公爵は微苦笑をもらした。
「結構ぎりぎりだったがな、何とかなった。君たちの方も作戦を成功裡のうちに終えたようだな、お疲れ様。……タイスン共々、至上命令をよく遵守してくれた」
そこで公爵は、いつものくせ者将軍の顔でにやっとした。
「黒髪も悪くないね、アーノくん」
エミルナールは思わず頭を触る。
根元はさすがに元の髪色になってきたが、違和感なく元に戻るのには後半年はかかるだろう。
フィスタへの徒歩旅の直前、エミルナールは髪を短く切って黒く染めた。
レライアーノ公爵の最大の特徴をほのめかすことで、『レライアーノ公爵』が街道をこっそり旅しているらしい、という状況を演じる為だ。
元々体格も似通っていたので、髪色を変えてタイスンと行動していれば『レライアーノ公爵』として敵を引き付けるだろうと考えた。が、正直な話、ここまで上手くいくとは思わなかった。
引っかかったのが国の役人や警備隊でなく、リュクサレイノの飼い犬だったのも意外だった。
ラクレイド王国の治安や防衛に、少々不安を抱いたというのが今回の作戦行動でのエミルナールの感想だ。
「……おい」
黙りこくっていたタイスンがようやく口を開いた。
「いったいどうしたんだよ、そのひどい有り様は。鶏ガラみたいに痩せこけてる上に、結構な怪我もしているじゃねえかよ。まさかと思うが、トルーノはちゃんと護衛の仕事が出来なかったのか?」
公爵ははっきりと苦笑いをして首を振る。
「とんでもない。トルーノはよくやってくれたよ。痩せてしまったのは、例の持病が治まり切らなくてろくに食事が出来なかったせいだし、怪我ははっきり、私が悪い。つい深追いして下手を打ったんだ。左腕で庇わなければ致命傷を負いそうになったからね」
ああ、とタイスンは歯噛みする。
「だから言ったろう、相手の命を取ることに執着するなって。相手は『毒師』と呼ばれている男の部下なんだぞ、得物に毒が仕込まれてたらどうするつもりだったんだよ!」
タイスンのお小言を聞き流し、公爵は、積極的に仕事を始めた。
医師たちは当然渋い顔をしたが、段取りをつけるだけだからと言って執務室から彼らを締め出した。
最初の報告である中央における最大の変化を聞き、彼は一瞬、こぼれ落ちそうなほど目を見張った。
が、次に非常に楽しそうにニヤリとした。
「なるほど、そうきたか。さすがは義母上、見事なお手並みだ。可能性だけなら考えなくもなかったが、まずない手だと思っていたんだがな。こんな力業をごく短期間で、よくぞ成し遂げられた。しかしこれでしばらく、中央の方は治まっているだろう。いわゆる王がいる状況になるから煩わしい部分も出てくるが、かの方が執政の君ならばこちらの話も通りやすくなろうし」
「しかし、それに伴って新たな命令が来ています。海軍は可及的速やかに『果ての島』から撤退し、活動のすべてを凍結して待機するように、と。将軍が行方不明で統率に問題が生じるというのが理由です」
エミルナールが言うと、
「うーん、それはまずいな」
と彼は渋い顔をした。
「なに、いつも通りはいはい言って、素知らぬ振りをなさっていたらいいではありませんか」
副官のデュ・クラウィーノが飄々と言う。
頭髪が少々さびしい五十がらみの男で、海軍結成時からいるたたき上げの将校だ。
公爵は笑う。
「いつもならそうするところだし、将軍が帰って来たので命令を撤回してくれと簡単に言うのだが。今回に関しては一度あちらへ行って、話を通してくる必要もあろうな。殿下方についての報告も必要だし」
その後、ルードラントーがらみの最新情報や果ての島での基地設営の進捗状況など、大きなものから細かいものまでさまざまな報告がなされた。
それぞれに最低限の指示をし、必要な書類に署名をし、ようやく一段落ついた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「あー、すまない。なんだか眩暈がしてきた。ちょっと休憩させてくれ」
彼はそう言うと、糸が切れた人形のように机へ突っ伏した。
それまで、はらはらした顔で主の様子を見ていたタイスンが、大声でラン・グダ医官長の名を呼びながら執務室を飛び出していった。




