第七章 かの方は……⑤
痛ましそうにレライアーノ公爵は、脱力しているフィオリーナを見た。
一瞬ためらった後、思い切ったように彼は言う。
「フィオリーナ殿下。これは叔父としても海軍将軍としてもあなたへ進言致します。聞き届けていただけませんか?」
はっと我に返り、フィオリーナは居ずまいを正した。
「何ですか、叔父さま」
「申し上げた通りラクレイドはまもなく、かつて経験のない戦争をすることになります。避けられるのならば避けたい、やるべきではない戦いです。しかし状況から考えて、避けるのは不可能でしょう」
言うべき言葉も思い付かない、フィオリーナはただうなずく。
「ラクレイドに安全な場所はありません」
言い切る彼の顔を、絶望に近いような気分でフィオリーナは見返す。
「フィオリーナ殿下、貴女は今現在ただお独りのデュ・ラク・ラクレイノでいらっしゃる。つまり貴女は次世代の希望なのです。これから起きる未曾有の戦争は、我々大人たちが命にかけても戦い抜きます。ですが、次世代の希望である貴女をお守りする余裕があるとまでは、情けない話ですが言えません。ですので……国外へ、避難していただけませんか?」
「国外?」
あまりにも思いがけない提案に、フィオリーナは馬鹿のように彼の言葉を繰り返した。彼は真顔のままうなずく。
「レーンです。あちらに、私の母である『レライラ』所縁の島があるのですが、今でも母はそこの名目上の領主ということになってます。あちらの民は、母の縁者は領主の縁者として敬意を持って遇してくれます。かの地の民は穏やかで争いを好まない性格の者が多いですし、大陸から離れているのでルードラントーが戦いを仕掛けるのも後回しになるでしょう。完全とは言い切れませんが、ラクレイド国内よりよほど安全です。実は私の家族もそちらへ避難しています。ですので殿下も、母君と一緒にそちらへ避難していただきたいのです」
フィオリーナはうつむき、混乱しながらも必死で考えた。
レライアーノ公爵の言うことがわからない訳ではない。
それだけ危険なのだ、ということも。
守らなくてはならない子供が国内にうろついていると、戦いに集中出来ないかもしれない。有り体に言うのなら、自分は彼らの足手まといになってしまうということだ。
……でも。
「叔父さまのおっしゃることが、わからなくはないのですが……」
自分の胸にあるもやもやの芯を見つめるようにしながら、フィオリーナは言葉を探す。
「わたくしの身の安全を優先して下さっていることも、わたくしが戦いに巻き込まれ、辛い思いをしないように配慮して下さっていることも。わからない訳ではありません。でも。国がぼろぼろになるかもしれないという危機に、デュ・ラク・ラクレイノが自分の国から逃げているなんて、何かが違う気がするのです」
「姫、それは……」
言いかけるレライアーノ公爵を、フィオリーナは目で抑える。
「わたくしがポリアーナやシラノールの年齢なら、素直に叔父さまの指示に従ったと思います」
フィオリーナはひとつ、大きく息をついた。
「確かにわたくしは何も出来ません。デュクラに攫われ虜囚になって、それが嫌と言うほどわかりました。わたくしの身体に流れるデュ・ラク・ラクレイノの血に利用価値があるという思惑を持つ者が、少なくないということも同時にわかりました。先程のお話を聞き、より明確に危機感を持って認識出来ました」
今度はレライアーノ公爵が言葉を失くした。フィオリーナは笑みを作る。
「……それでも。国が亡びるかもしれないというのに、その国の正統なる王の血筋の娘がよその国でのうのうと生き延びてるなんて、なんだか気持ちが悪いのです。王の血筋を利用したい者に、かえって付け入る隙を与えてしまうのではありませんか?」
「フィオリーナ姫……」
「逃げません。滅びるにせよ栄えるにせよ、わたくしの祖国はラクレイド。他の何処へも行きません」
静かにそう言い切るフィオリーナの顔を、レライアーノ公爵はかなりの間、見ていた。
ふっ、と、レライアーノ公爵は笑った。
諦め笑いに近い笑顔だったが、かすかにうるんだ瞳の色は、思いがけないくらい明るかった。
「……かの方は暁のごとし」
「え?」
問い直すフィオリーナへ、彼は、何でもないと首を振る。
「大きく……いえ。大人になられましたね、フィオリーナ王女殿下。貴女はやはり末頼もしい……いえ。もうすでに頼もしい、素晴らしいデュ・ラク・ラクレイノでいらっしゃる」
褒められ、フィオリーナはやや戸惑う。
当たり前のことを言ったつもりだし、むしろ、気遣いを無にするつもりかと叱られるのではと思っていた。
いつの間にかレライアーノ公爵の顔から諦め笑いの陰りがぬぐったように無くなり、晴れやかな明るい笑顔へと変わっていた。
「わかりました。貴女を王都へお送りいたします、我らの王女殿下。叔父としてもラクレイド海軍の将軍としても、必ず貴女をお守りすることをここに誓います」
吟遊詩人は語る。
『かの方は暁のごとし
高き峰より夜をはらう 黄金の毛並みの気高き少女
かの方は暁のごとし
さやかなる風 照らす陽光 草原に輝く 恵みの朝露
日輪と月影のいとし子は
神狼の末裔なる独り子なり
王女 フィオリーナ・デュ・ラク・ラクレイノ殿下』




