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第七章 かの方は……④

 翌朝。

 朝食の後に、フィオリーナはレライアーノ公爵に呼ばれた。


 あの後レライアーノ公爵は寝室へ運ばれ、彼の正護衛官であるタイスンと医官長がその控えの間に詰めることになり、他の者は帰っていった。

 皆心配そうにしていたが、手狭な領主邸に多くの客人を置く余裕はないし、フィオリーナと母への遠慮もあるだろう。


 将軍不在の間の数多の報告を受け、それに基づいた指示やすり合わせが一通り済んだ後、レライアーノ公爵は

「あーすまない、なんだか眩暈がしてきた。ちょっと休憩させてくれ」

 と言って机に突っ伏してしまったのだそうだ。

 大急ぎでラン・グダ医官長が呼ばれ、今すぐ休むようにという指示(というより厳命)が彼から出た。

「閣下、あなたは死にたいのですか?ご自身で思っていらっしゃる以上に、あなたは衰弱なさっています。たとえあなたが国王陛下でも、私は医師としてあなたへ安静を命じます。でなければお命の保証は出来かねます!」

 普段は穏やかなラン・グダ医官長だが、今回ばかりは大きな目玉をぐりぐりさせて(とタイスンが言っていた)公爵を叱りつけたそうだ。

 さすがの公爵も小さくなり

「死にたくありませんので、先生のご指示に従います」

 と答えたそうだ。


 寝室に落ち着いた後、レライアーノ公爵はあっという間に眠りに落ち、多少の物音にも動じないくらい深く、こんこんと眠り込んだ。

 ラン・グダ医官長が処方した鎮痛剤に、神経を鎮めて眠りやすくする成分が入っているそうだが、おそらく彼は長い期間、安心して熟睡出来なかったのだろうなとフィオリーナは思った。

 静かにまぶたを閉じて眠っている彼の、目の下に深い隈があった。

 ぎりぎりまで戦い抜いた末に生き残った、あどけない少年兵を思わせるような痛ましさに、フィオリーナは胸が絞めつけられた。


 自分の父親ほどの大人の男性なのに、何故かそう思った。



 寝台に半身を起こし、軽い朝食を済ませたばかりらしいレライアーノ公爵は、フィオリーナを見るとほっとしたように目許だけで笑んだ。

「ああ……夢でなく、本当にご無事だったのですね、フィオリーナ姫……いえ。フィオリーナ王女殿下」

「救って下さったご本人なのに、そんなことをおっしゃいますの?」

 少し可笑しくなってフィオリーナが言うと、彼は苦く笑った。

「デュクラが貴女方を狙うだろう予想はしておりましたが、どういう形になるのかは確信を持って予想出来ませんでしたから。貴女方を失うかもしれない可能性に、常におびえておりました。必ず救うという決意であらゆる対策を講じておりましたが、こちらの予想外の展開になった場合を考えると、寿命の縮む思いでありました……いえ」

 ふとレライアーノ公爵は頬を引く。

「言い訳を幾つ並べていても詮無いこと。我々……いえ。私は、貴女方にとって許されてはならない人間です。デュクラが貴女方を狙うであろうことを知りながら、宮廷にそのことをきちんと伝えませんでしたから」

「え?」

 意味がよくわからない。

「私がこれまで報告してきたことを、真面目にきちんと読み解いてもらえれば。宮廷の重臣方も私と同様の懸念を持っていただけたかもしれません。でも彼らがそこまで読み取れないであろうことを、私はわかっていました。それどころか言えば言うほど、私の正気すら疑われる状態だということもわかっていました。ひとつは私の不徳ですが、彼らは……デュクラが変わってしまったこと、ルードラントーが未開の蛮族の国なのではなく優れた知識と先進の技術を持つ国だということを、決して認めないのです」

 フィオリーナは頷く。

 ルードラ教の教条的な教えは肌に合わなかったが、ルードラントーが合理的な先進技術を持つ国らしいのは、しばらくラルーナのデュクラ王家の別荘に住んでいただけでも伝わってきた。

 だけど、ラクレイドの宮殿に住んでいただけでは、決してその辺りの事情はわからなかっただろう。

 レライアーノ公爵は深い息をついた。

「それでも私は、もっと宮廷に対して国際情勢の変化を伝えて警鐘を鳴らし、貴女方の警護を厚くするようデュクラ王家を信用しないよう、伝え続ける義務がありました。たとえ……十の内十、無駄であったとしても」

 レライアーノ公爵は虚しそうな乾いた笑みを浮かべたが、すぐに真顔に返った。

「貴女方が攫われるなど、あってはならない事態です。そのあってはならない事態にすらなり得るであろうことを予想しながら、私はあえて、ラクレイドから姿を消しました。宮廷が当てに出来ない以上自ら動くしかないと思ったからですが、そんなやり方が臣として間違っていることもわかっています。たとえ……デュクラ王家が貴女方を手中に収めた後、ルードラントーが本格的にラクレイドへ攻めてくる、それもまもなくだと知っていて、奪還に時間をかけられなかったのだとしても」

 フィオリーナは目を見張った。

「叔父さま。今……なんておっしゃいましたの?」

 レライアーノ公爵は真顔のまま繰り返す。

「ルードラントーが本格的に攻めてくる、と申し上げました。そもそも、何故デュクラ王家が長年の同盟国の王女と王妃を拉致するなどという、危ない橋を渡ったと思われますか?ルードラントーの先陣である船団が、もうデュクラの東端の港に寄港しているそうです。デュクラは水や食料の提供を、むしろ積極的に行っています。フィオリーナ殿下をラルーナへ拉致したのは、王亡きラクレイドを完膚なきまでに叩き、疲弊し切った後、貴女様を傀儡の王にする為なのです」


『大人になったら結婚して……ぼくらは一緒にデュクラとラクレイドの王様になって、同じルードラの王国の一員として神様に仕えて暮らすんだんね』


 薬の抜けきらない頭にわんわんと響いた、ルイの無邪気な声が不意に鮮やかによみがえる。

 今までもやもやしていた視界が、だしぬけにはっきりした。

 軽い眩暈がして、フィオリーナは思わずそばにある椅子に座り込んでしまった。

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― 新着の感想 ―
以前の日本人も、経済的に発展した中国を認めたがらない時期がありましたよね。 なんだか、そんな懐かしいことを思い出しました。
ここまで読みました。 いよいよ動き出す情勢に、彼らはどう対応するのか。
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