第六章 誰そ誰そ 吾を呼ぶは(たそたそ あをよぶは)①
フィオリーナはうんざりしていた。
当然であろう。
どう言い繕っても不当に拉致され、こちらへ連れて来られて屋敷内に軟禁されているのだ、楽しい筈がない。
それに、フィオリーナの好きな食べ物がこちらには少ない。
来た日に供された米の粥は美味しかったが、連日のように食べ慣れない魚料理が出てくるのには、だんだん食欲が削がれてくる。
嫌いとまでは言えないし食べられなくもないが、毎日食べたいほどではないのが本音だ。
執事のアンリは『お好きなものを』などと初日に言っていたが、いちいち口に出して命じるのも煩わしいし、下手にルイと違うものを食べたりすれば、おかしな薬を仕込まれる懸念が高まる。
彼らは『命は取らない』と言っていたが、『健康で健全であることを保証する』とは一言も言っていない。
例えば、意思も何もない抜け殻のようになってしまったとしても、フィオリーナが息さえしていれば彼らの役に立つだろう。
そんなことを頭の片隅に置いて食べていては、たとえ好きなものを供されたとしても食欲が落ちるというものだ。
……ああ。
屋敷の外へ出たい。
馬に乗って思い切り駆け回りたい。
桜で燻した香り高い燻製肉や、香草や木の実を詰めて焼いた脂の乗った鴨の丸焼き、香ばしく焼き上げた林檎のパイが食べたい。
鬱々とそんなことを思っていたせいか、昨夜夢に見てしまったくらいだ。
「お食事が口に合いませんか?出来るだけおねえさまの食べたいものを用意させるから、欲しいものは遠慮なく言って下さいね」
こちらの顔色を窺うように、ルイが言う。
フィオリーナ王女は食欲が無いらしく、毎回のように半分近く食事を残す、という厨房からの報告を聞いたのだろう。
「ずうっと屋敷に閉じこもって、本を読むくらいしかする事がないのですもの。おなかが空かなくて当然でしょう?」
お茶を飲みながらむっつりとそう言うフィオリーナの顔を、ルイは泣きそうになって見つめる。
ルイと一緒に午後、小一時間ほどお茶を飲む。
こちらへ来た次の日から、なんとなくそんな習慣がついた。
ルイの顔など二度と見たくない、そう思っていたが、右も左もわからない異国の屋敷に軟禁された状態では、多少なりとも見知っている者の存在は無視できない。
文句を言うにせよ何にせよ、デュクラの王子でこの屋敷の主であるルイ以外に言っても、適当にはぐらかされるだけだろう。
……それに。
「次にラクレイドからの商人が来る時に、燻製肉や腸詰めのいいものを仕入れるようにさせるね。あちらの物は美味しいもんね」
(ラクレイドからの商人?出入りの商人に、ラクレイドの者がいるの?)
「そう。あまり期待していないけど、だったら桜で燻した燻製が食べたいわね。ラクレイドの王都では普通に出回っているみたいだけど、その商人が扱っているかどうか……」
お茶を飲みながら素っ気なくそう言い、胸で情報を吟味する。
すぐ役立つかどうかは別として、ラクレイドとつながりのある情報は大切だ。
他の者なら用心して言わないようなことも、ルイならうっかり口を滑らせる可能性が高い。
そう思うからこそ、嫌々でも時折ルイと話す機会を持つようにしている。
これは初日の宵、浴場で母と二人きりになった時に取り決めたことのひとつだ。
「大丈夫だよ」
素っ気ないなりにフィオリーナがちゃんと答えてくれたのが嬉しかったのか、ルイは勢い込んで言う。
「『海蛇屋』はラクレイドでも老舗らしいから、大抵の物は手に入れてくるよ」
(……『海蛇屋』。商人の屋号は『海蛇屋』)
胸でくり返し、違和感を持つ。
山と森の国であるラクレイドの商人がつけるにしては、ちょっと変わった屋号だ。
ひょっとすると、ラクレイドの港町で店を構えているのかもしれない。
(デュクラ王家の別荘と取引があるくらいだもの、それなりの規模の店のはず。老舗って言ってたわね、昔からある程度以上栄えた町でなければ『それなりの規模の老舗』になり得ない……フィスタ、の店かしら)
お茶を飲むふりをしてうつむき、フィオリーナは、ラクレイドの地図を思い浮かべながらあれこれ考える。
でなければ、古くから商売してはいるが伸び悩んでいて、外国との商売で活路を見出そうとしている、ラクレイドではあまり名が知られていない店だとか?
少なくとも、『海蛇屋』が王都で商売をしている大店なら、この屋号だ、噂くらいは聞こえてくる筈。
決めつけは危険だが、ある程度の予想をしておいて損はない。
「ルイ殿下。お時間でございます」
アンリが呼びに来た。
ルイは情けなさそうに眉を寄せたが、学習の時間ですので失礼致します、と挨拶をして席を立った。
「今度は夕食の時間にお会いしましょう」
寂しそうに笑ってルイは言い、頭を下げてきびすを返す。
毎回ではないが、フィオリーナと母はルイと一緒に夕食を摂ることがある。
ルイがラクレイドの客人だった時の和やかな食事と違い、食堂に冷え冷えとした空気がただよう陰鬱な食事だったが、それでも誰かと一緒に食べるのがルイは嬉しいらしい。
ふっと、なんだかすごく可哀相なことをしているような罪悪感がフィオリーナの胸に萌す。
(……可哀相なことをされているのはわたしよ!)
胸の痛みに苛立ち、残りのお茶を飲み干した。
「部屋へ戻りましょうか、フィオリーナ」
置物のように黙りこくってフィオリーナの隣にいた母が、お茶が始まって以来初めて、口を開いた。




