第五章 それぞれのたたかい⑨
話は少し前にさかのぼる。
場所は、ラクレイドのフィオリーナ王女とアンジェリン王妃が拉致される、十日ばかり前のラルーナだ。
ラルーナは商港であり、軍港でもある。
人と物の行き来が盛んで外国人も多い。
その為、どこかしら異国情緒の漂う雰囲気でいかにも港町らしい。
よそ者に寛容なのも、こういう町にありがちな気風だ。
そんな開放的な気風の町へ、ちょっと変わった二人連れが迷い込んで半月ばかりになるだろうか?
二人連れのうち、赤褐色の髪を短く刈り上げた青い瞳の男が今、港の近くで荷役や船乗りの軽食や弁当を商う小店へ向かっている。
古びた看板に『カモメ亭』とある。
今の店主の父親が始めたとかいう、値段の割に量があって美味いと評判の、なかなかの繁盛店だ。
「大将、いつもの頼むよ」
ラクレイドなまりのデュクラ語で、男は言う。
大将と呼ばれている店主のアランは、毎度、と言いながら振り返り、お客を見た。
品のある端正な顔立ちの、すらりとした男前だ。
適当に日雇い仕事などをこなして暮らしているらしいが、こんな下町には似合わない男だった。
どこぞのお貴族様の落し子じゃないのかと、実は密かにアランは思っている。
「トルーノ、エミュの具合はどうだい、ちっとは良くなったか?」
男の青い瞳が曇る。
「まあ……ぼちぼちだね。あんたの所で作ってくれる米の粥は口に合うらしく、あれだけは食べられるんだ。世話をかけて悪いけど……」
「なあに気にするな、こっちだって商売さ。いただいた代金に見合う仕事をしてるだけさ」
アランは言うと、小鍋に入れた粥を渡す。
「ほれ。早く元気になって、また竪琴を聴かせてほしいとあの子に伝えてくれや」
トルーノと呼ばれた男は笑みを作る。
「ああ。そう言われるのが一番、あの子の薬になるよ。ありがとう、大将」
帰るトルーノの後姿を見送りつつ、アランは、ここしばらくのあれこれを思い出していた。
トルーノと、エミュと呼ばれている楽士の若者がこの辺りに住み始めた頃、アランは、友人や兄弟にしちゃヘンな二人だなくらいにしか思っていなかった。
いかにも堅気の務めを長くしてきた雰囲気のトルーノと、倉庫の陰の陽だまりで、人目を避けるように竪琴の練習をしている楽士の若者。
この二人にどんな接点があって一緒の暮らすようになったのか、まったくわからない。
エミュはいつもゆったりとしたケープを身に着けていて、顔の上半分を派手やかな仮面で隠している。
この辺りで商売をする、昔気質の芸人のいでたちだ。
売るのはあくまで芸であり、容色ではないという誇りを表わす姿なのだそうだ。
実際、漏れ聞こえてくる竪琴の音色は素人の耳にも凡百との違いを感じさせる、場末の芸人とは思えない腕前だった。
しかし彼には芸人らしい明るさが乏しく、なんとなく不健康なにおいがした。
その不健康さは、芸より身を売る方へ流れた自堕落な芸人のものとは違うが、どこかしら似通っていなくもなかった。
隠れるようにしてただひたすら、憑かれたように竪琴の練習をするばかりで、せっかくのその芸で商売をする気はなさそうだった。
(ま、ヒトには色々と事情もあらぁな)
そんな風に思い、この不思議な二人の詮索をアランは強引に断ち切った。
アランがこの二人に関わるようになったのは、七日ほど前からだ。
そういえば最近、竪琴の音が聞こえてこないなと、ぼんやり思ってはいた。が、別にそれ以上どうこうはない。
当然であろう。
彼の相方の男がここしばらく、ちょくちょく顔を出して何かしら買っていってくれるだけの、所詮は他人のことなのだから。
しかしある昼過ぎの客足が引けた頃、浮かない顔のトルーノが店に来た。
彼はためらうように口ごもった後、訊きたいことがあるのだが、ともぞもぞと言った。
「この店では、品書き以外の物を頼んだりは出来ないのかい?」
「出来なくもないが……物と量によるな。どういうのが入り用なんだい?」
アランが問うと、トルーノは難しい顔をした。
「その……食欲のない病人でも食べられるような、刺激の少ないもの……がいいんだが。塩味のスープ、とか」
「はあん」
竪琴の音が聞こえなかったのは、あの楽士の若者が病気だったからかとアランは合点した。
「米の粥はどうだ?ラルーナじゃ風邪や腹下しから回復し始めたら、まずは米の粥を作って食わせるぜ」
「悪くないんだけど」
困ったようにトルーノは眉を寄せた。
「俺はいいんだが。ラルーナの粥は魚のあらや海藻を出汁に使うだろう?だから美味いんだけど、あいつはそれが苦手らしくて。本格的に体調を崩す前から、魚のにおいで何度も戻しそうになっていて……」
「ああ、そういう人もいるからな」
アランには信じられないが、世間には魚嫌いも少なくない。
特に内陸部や山岳地帯で育った人間は、磯のにおいや魚独特の生臭さを嫌がる。
ラクレイド育ちらしいあの若者が、魚嫌いなのはわからなくもない。
「出汁も油も使わないで、水だけで作るやり方もあるよ」
女房のマリーが口をはさむ。
料理そのものに関しては、マリーの方がよほど上手い。
『カモメ亭』はマリーでもってるようなところがある。
「ちょっと時間はかかるけど。食欲のない病人ならそういう癖のないものの方がいいんじゃない?今からかかれば夕方には出来るよ」
それで頼む、ということになった。
以来、トルーノは昼過ぎから夕方前、『カモメ亭』が忙しくなる前に粥を取りに来るようになった。
手の空いている場合アランは、自分の分と一緒に茶を入れて勧め、それとなくトルーノの身の上を聞き出した。
やはりこの不思議な二人連れが気になるのだ。
茶を飲みながらぽつぽつ話す、トルーノの話はこうだ。
トルーノ自身は、ラクレイドにある裕福ないい家で、子供の頃から勤めていたということ。
だが仕えていた当主が亡くなり、お決まりのお家騒動が起こって嫌気が差し、辞めた。
どうせ親兄弟もない身で行く当てもない。
だが遠い祖先にデュクラ人がいたらしいという話は子供の頃に聞いていたので、一度デュクラへ行ってみたいと思っていた。
いくらか退職金ももらえたので、この機会にデュクラへ旅する気になったのだ……、と。
「で、ラルーナ行きの船に乗ろうとした時に、たまたまあの子を拾っちまってね」
お茶に口をつけ、トルーノは苦笑いをすると声をひそめる。
「……ここから先は、大将だから言うよ」
アランは思わず身を乗り出す。
「あの子は色々と、訳アリでね」
そうだろうな、とアランは深くうなずく。
「あの子はあちらで商売をしていた頃、顔を隠していなかったらしい。まあ、ラクレイドの芸人は普通、顔を隠さないしな」
「そうだろうなァ。ラルーナの芸人でも、最近は顔を隠さない奴が増えたからねえ。ソコソコ器量に自信があるなら、隠さない方が商売もしやすいだろうしよ」
やや下卑た感じでにやっとし、アランは茶を飲む。
ふっとトルーノは息をついた。
「今は隠してるからよくわからないだろうけど、あの子は綺麗な顔をしていてね、人気者だったらしい。でもそのせいで嗜虐趣味のヒヒ爺に目を付けられてしまってね……」
破格の料金で十日間、エミュを買ったその男は、竪琴も歌も一切聴かず、ひたすら彼を責め苛んだのだそうだ。
「いくらソチラ込みの仕事だと覚悟していても、ここまで傷めつけられるのは話が違う。当然あの子はそう言ったが、元々ソレ目的のヒヒ爺が聞き入れてくれる訳がない。芸人風情だ、仮に責め殺されて何処かに捨てられたとしても、警備隊だって親身になってはくれない。このままじゃ死んでしまう、怖くなったあの子は隙を突いて逃げ出してきたそうだ。実際、最初に会った頃のあの子は半分以上おかしくなっていて……」
トルーノはぶるっと身を震わせ、寒そうな顔で茶をすすった。
「あたりが暗くなってくると、がくがく震えて悲鳴を上げて……痛い、と、いっそ殺せ、ばかり言っていたな。今でも夜になるとうなされている。きつく抱きしめて、大丈夫だと何度も言って聞かせるとなんとか落ち着くんだけどな」
半ば独り言のように、ずいぶんと赤裸々なことをトルーノは言った。
いや、もしかすると性的な意味はないのかもしれないが、話の流れから考えればそう取る方が自然だろう。
「そうか……あんたも大変だな」
正直、物好きだなと言いたかったが、大きなお世話だろう。
トルーノは恥ずかしそうに笑った。
「行くところがないのは、俺も同じような身の上だからな」




