第五章 それぞれのたたかい⑧
タイスンが火の番を始めてしばらく経った。
今日は風がないのでありがたい。
それでも火に当たらない背中側はぞくぞくするし、丸太の上に座っているから直に地面に座るよりは余程ましだが、足腰も冷えてくる。
時折火にかけているやかんから湯をカップに注ぎ、すする。一瞬だけ身体の内側から温まる。
「俺も歳かな」
ため息をつき、ついつぶやく。
思い過ごしかもしれないが、十代の頃ならばこの程度の寒さ、寒さですらなかったような気がするのだ。
それとなく首や肩をゆっくり回し、身体が強ばらないよう努める。
新しい小枝を火にくべようと腕を伸ばした瞬間だった。
ちり、とでもいう嫌な感じがした。
これはタイスンが生まれつき持っているらしい、周囲の気配の変化を察知する感覚だ。
小枝を火にくべると彼は、さり気なく愛用の剣を引き寄せた。
瞬間的に全身を脱力させ、いつでも動けるよう身体を整える。かつて師と仰いだ老護衛官から若い頃に叩き込まれた、相手にそれと覚られない戦闘準備だ。
「おい」
丸くなって眠り込んでいる連れに声をかける。
「おい。起きろ、アーノ」
しかし連れはピクリとも動かない。
(くそ、いい根性してやがる)
思わず舌打ちし、脚を伸ばして寝ている男の背中を軽く蹴る。
「起きろ!」
鋭い声とも相まって、さすがに『アーノ』と呼ばれた若者は飛び起きる。
「あ?何?交代の時間?」
寝ぼけた声でこちらを向く若者へ、タイスンは一言
「ナイフを持て」
とささやいた。アーノは目を見張る。眠気は完全に消し飛んだらしい。
その途端、何かが飛んできた。
飛礫、あるいは吹矢の矢だろう。鞘付きのままの剣でタイスンが、難なくそれらをはじく。
「何の用かな?ずいぶん物騒なご訪問ですが」
虚空の一点に向かってタイスンがよく通る声で呼びかける。
戸惑うような逡巡するような複数の気配がした後、くつくつと嫌な笑い声が響いてきた。
「なるほど。これは失礼した。……言ったろう?相手は『お側去らずのマーノ』だ、そこいらの有象無象とは違うって。殺すつもりの本気でかかれよ、お前たち。でなきゃ……こっちがあの世行きさ」
殺気が瞬間的に膨れ上がる。
「アーノ離れるな!」
立ち上がって鞘を払い、タイスンは吠える。
上掛けを蹴飛ばし、護身用ナイフを右腿の剣帯から抜いてアーノも素早く立ち上がる。
「行け!」
闇の虚空から鋭い声が響いた。
奇声を上げた男たちがそれぞれ、不揃いな得物を手になだれ込んできた。
(三人……五人……総勢で十人というところか)
奇声を上げてぶつかってくる男たちはしかし、皆それなりに腕に覚えはあるだろうが、素人だった。
まず動きに無駄があり過ぎる。
息が乱れるのも早い。
手にしている剣や槍も、無駄に長かったり短かったりで使い手に合っていない。
きちんと道場なりで師範の指導や訓練を受けた者はいないだろう。
(ちんぴらだな)
冷静にそう思う。連中がどこの犬か見当がついた。
暴漢たちの利き腕や軸足を中心に傷めつけ、タイスンは瞬くうちに全員を無力化した。
背中越しにアーノが荒い息をついているのがわかる。
「無事か?」
問うと、うなずく気配がした。
「なんとか。顔をかばって左手の甲をちょっと切られたけど、かすり傷だ」
「そうか。無傷とはいかなかったが、まあ上等だろう」
闇の虚空から長々と響く口笛が聞こえてきた。
「これはこれは。『お側去らずのマーノ』はともかく、細っこい身体で中々やりますな、王子様」
タイスンが鼻を鳴らす。
「何の話だ?それに、物取りにしちゃずいぶんと大掛かりじゃねえか。歩き旅の貧乏人を相手に、効率の悪い話だな」
「なに、効率はこの上なくいいんだよ。雇ったちんぴらの数がこの倍だったとしても、おつりがくるような極上の獲物が狩れたからな」
くくく、という嫌な笑い声が聞こえる。
不意にアーノの身体が揺らいでくずおれた。
思わず振り向く。
その瞬間、首筋にちかっとした痛みが走った。
(しまった!)
あわてて首を探り、針を抜いて傷口を絞り、血を捨てる。
「毒じゃないから安心しな、マーノさん。あんたもあんたのご主人様も、ちょいとだけ眠ってもらうよ。……すぐ殺すようなもったいないこと、する訳ねえだろう?」
どことなく粘りのある狂気を孕んだ声が、ぼやけ始めたタイスンの頭の中でわんわん響く。
『ちいっと狂犬病を患ってるから、噛まれるとコトだぜ』
犬養いの言葉がよみがえる。
(アレは、毒や薬の使い手でもあるってことだったのかよ)
己れの迂闊を瞬間的に呪い、しかしすぐに次を考える。
痺れ始めた身体に鞭打ち、意識を失くしているアーノを抱き起こす。
完全に脱力しているが、呼吸は安定しているようだ。
首筋を確認したが、毒針はない。旅に出て以来二人とも、街道での移動中や野宿をしている時、ほぼずっと革の手袋をはめているが、アーノの手袋は左の甲が裂けていた。しかし他に怪我はなさそうだ。
(くそ、そもそも得物の刃に薬を塗っていたのかよ!)
ぐらりと視界がゆれる。足腰に力が入らない。
「ルードラントー産の薬は、本当によく効くねえ」
そんな声を聞いた後、タイスンの意識は薄闇の中へ溶けた。




