第五章 それぞれのたたかい⑥
その頃。
王都から南へ延びる街道を行く二人連れがあった。
しょぼくれた老いたロバの背に荷物を載せ、さほど急ぐでもない足取りで夜明けの街道を歩く旅人たちのうち、ロバの轡を取っているのは鳶色の髪を短く刈った三十がらみの男。
せっかくフード付きのマントを身に着けているのにフードを被らず、寒風の中で頭をむき出しにしている。
しかめた太い眉の下で、鳶色の瞳が時折鋭く光った。
剣呑な目付きといい、短く刈った髪といい、筋肉がみっしり巻き付いた両腕・両脚といい、腰にあるいかにも手に馴染んでそうな黒光りする柄の剣といい、どうやらこの男は武官崩れの用心棒らしい。
連れの小柄な男はまだ若者と呼べる程度の年齢だろう。
無骨な長靴を履いた少年じみた細い脚が、きっちりと首元までボタンを閉めたフード付きのマントの下から伸びている。
目深にかぶったフードの陰から、黒い前髪が少々覗いている。
「徒歩で行こうとしたら、フィスタは遠いんだな」
独り言のように言う若者へ、用心棒らしい男は鼻を鳴らす。
「しょうがねえだろうが。そもそもあんた、馬に乗るのヤなんだろ?だったら贅沢は言えねえな」
雇われている者にしてはぞんざいで素っ気ない口調だったが、若者は気にしていないらしい。軽い笑い声を上げる。
「まあね、それに歩き旅が嫌な訳じゃないし。次の宿場町で買い物するんでしょう?ちょっと楽しみだな、今まで宿場町は通り過ぎるだけだったから。あの町の屋台で売ってる串焼き、名物だから一度食べてみたかった……」
「阿呆!」
頭一つ上背のある用心棒に、雇い主であろう若者ははたかれる。
「何をお気楽なことほざいていやがる。遊びじゃねえんだぞ」
そうだけど、腹が減ってるからつい食べ物のことが……とぶつぶつ言う若者を、用心棒の男はため息まじりでじろりと見る。
「ま、そんだけ余裕があるのは悪いことじゃねえけどよ」
『余裕がある』のではなく『緊張感がない』の方が正しいのだろうが。
彼とすればそう思うが、さすがにそこまでは言わない。
奇妙な二人連れだ。
主従のはずだが、互いに気心の知れた遠慮のない友人同士のような雰囲気がある。
「余裕は……別にある訳でもないんだけど」
若者はつぶやき、唇を引いた。フードの陰で瞳が暗く陰る。
「気を引き締めるよ」
「……そうしてくれ」
昼過ぎに宿場町・ガザーンに着く。
朝から『腹が減っている』などとぼやいていた若者は相当空腹らしく、町に着く直前くらいにはものも言えなくなっていた。
鳶色の髪の男は、この町では小綺麗な料理屋のひとつへ主人を連れて行くと、店主に気前よく前金を渡して話をつけ、一番いい個室を取った。
「これからしばらく町らしい町はないし、今夜以降、基本野宿だからな。きちんと料理したものはしばらく食えねえから、この昼飯は心置きなく贅沢しな。ついでに足を延ばしてちょっと寝ておけ」
「え、でも……」
言い捨ててきびすを返す連れに、戸惑ったような心細そうな顔をする若者。鳶色の髪の男は笑ってみせる。
「俺は買い物がてら、適当になんか食うよ。串焼きが気になるんなら買ってきてやる。今日の晩飯に、炙り直して食えばいいだろうよ」
「タイスン……」
何か言いかける若者へ、タイスンと呼ばれた男は真顔になる。
「あんまり気安く名を呼ぶな。それに、あんたにじっとしてろと言うのにはメシ以外にもいくつか理由がある、察せない訳でもねえだろ?」
若者は絶句し、かすかにうなずく。タイスンは苦く笑んだ。
「緊張感は持つべきだが緊張はしなくてもいい、難しいけどな。腹が減っては戦が出来ねえ、まずはしっかり食ってしっかり休め。一時間かそこらで戻るから、今のうちに英気を養っておいて下さいな、お坊ちゃま」
お坊ちゃまなんかじゃないよ、という抗議を後ろに聞きながらタイスンは、笑みをかみ殺しつつ、足音もひそやかに部屋を出た。
市で買い物を済ませ、串焼きも買い込む。
鶏のもも肉を、塩焼きにしたものとたれをつけて焼いたものを五本ずつだ。
薄く削いだ木片で組み立てた、俗に『舟』と呼ばれている使い捨ての入れ物にそれぞれ入れられている。
「確かに旨いけどよ、なんでこんなのが食いたいのかねえ、あのお坊ちゃまは」
荷を載せたロバを曳きつつ、『舟』とは別に買った塩の串焼きを二本、一気にむしるようにして食べながらタイスンはひとりごちる。
市のはずれまで来た時、声をかける者がいた。
「兄さん。犬はいらないかい?」
タイスンはふと足を止め、肩口で口の周りに付いた鶏の脂をぬぐう。左手にある空になった二本の串を、そっと握り直しながら向き直る。
毛皮のベストに帽子、腰巻の、猟師らしい壮年の男がしゃがんでいた。男の周りにはピンと耳の立った賢そうな目をした子犬や中犬が五匹ばかり、座っている。ほう、とタイスンは小さく声を上げた。
「いい猟犬になりそうな子がそろってるな」
そう言うと膝を折り、タイスンは一番近くにいた白っぽい子犬の首筋を撫ぜる。
子犬はふんふんと鼻を鳴らしてタイスンの手を舐めた。
そちらの手で串は触っていないが、なんとなく鶏の脂のにおいがするのかもしれない。
「ウチにはいい犬がそろってるよ、兄さん。主に絶対服従の、優秀な猟犬を育てることにかけちゃ誰にも負けないぜ。祖父さんの、そのまた祖父さんの代からやってんだ。ウチの犬たちで昔、魔窟の主の子だって狩ったことがあるんだぜ……樫の葉の兄さん」
タイスンは表情一つ変えずに顔を上げ、犬養いの男と目を合わせる。
男の目はあくまでも静かだった。その目が刹那、タイスンの腰のものへとそれる。
「なかなか使い込んだいい得物が腰にあるねえ、兄さん。実用一点の無骨な造り、樫の葉が好む得物だ。あんた銀の葉だろう?俺の雇い主は今、亡くなった先代のおふくろさまでね。あんたのようなデキる樫の葉にいなくなられて、まあ色々と困ってるそうだよ」
「何の話だがよくわからんが」
タイスンは人好きのする笑顔で応える。
「この犬はいい犬だな、人懐っこくて可愛い。余裕があれば息子に買ってやりたいが、今は先を急ぐんでね」
男も人好きのするいい顔で笑う。
「そうかい、残念だな。ウチの子犬を買ってくれたら色々便利だと思うんだけどね。まあいいや、あんたの方までどうこうしろとは、俺らはあのおふくろさまに頼まれてないし。ああでも、ひとつだけ。魔窟の主さまも駄犬を飼ってらっしゃるが、そいつらが野に放たれたらしいぜ。狩ってもつまらん駄犬どもだけど、俺やあんたにはちょいと因縁のある犬どもさ。どうってことない野良犬どもだが、連中の頭はちいっと狂犬病を患っているから、噛まれるとコトだぜ。それだけは気を付けな」
タイスンは黙って立ち上がると、さっき買った串焼きの舟を二つとも、犬養いの男へ差し出した。
「そこの屋台で買った串焼きだ。この犬にも食わせてやってくれよ」
そうかい、悪いね。
犬養いはへらっと笑うと串焼きを二舟、素直に受け取った。




