第五章 それぞれのたたかい③
凍りついた数多の瞳へ、カタリーナはかすかに苦笑してみせた。
「皆様。ここで少し、思い出していただきたいのですが。ラクレイドの『王位継承法』についてです」
場がかすかにざわめく。
王太后が何故、唐突に『王位継承法』の話を持ち出したのかわからなかったのだろう。
「この法律で定められた王位を継承すべき人物として、1から6までで定められた正しく『王族』と呼ぶべき方々が今現在、ラクレイドにいらっしゃらない……そのことは皆様、嫌でも認識なさっていますね」
カタリーナは息を継ぐ。
ここから先はあまり続けたくはないが、カタリーナの立場上逃げる訳にもいかない。
「シラノール陛下は、ひょっとするとこういう事態をある程度想定なさっていたのでしょうか?この法律にはいくつか細則が設けられ、不測の事態に対応する指針が定められています、後でご確認いただければお判りいただけるでしょうが。そのうち、細則の1として定められているのが以下の条文です。
『王の叔父や叔母など、一世代以上前の世代の者は、特別な事情を除き王位を継承する権利は消滅すると定める』
本来的には古い世代からの横槍を禁じた法律ですが、『特別な事情』があれば王位を継承する権利が戻るという解釈も成り立ちます。そして今、国始まって以来の『特別な事情』があると言えましょう」
場がざわめく。
セイイール陛下に叔父君や叔母君がいらっしゃったか?
いやまさか、スタニエール陛下はシラノール陛下の一粒種だ。
ささやきがあちこちでもれる。
カタリーナは一同を見渡し、続ける。
「王の叔父や叔母で王家の血を引く者はいませんが、もう一世代上であるシラノール陛下の腹違いの妹君 ライオラーナ・デュ・ラクレイノ王女の血筋の者ならいます。わたくし……カタリーナ・デュ・ラク・リュクサレイノ・ラクレイノです」
あ、とか、おお、とでもいう声が、ざわめきの中から上がる。
「シラノール陛下の弟妹に当たられる方はどういう訳か短命な方が多く、ご長男である陛下の後にお生まれになった、側室腹の三人の弟君や妹君は成人前に亡くなっていらっしゃいます」
一同が不意に水を打ったように静かになる。この辺りの話はラクレイドの闇、皆が知っていて知らないふりをする部分である。
「かの方の末の妹であるわたくしの母だけが成人し、リュクサレイノへ降嫁してわたくしをもうけました。が、ご存知の通りやはり母も短命でした。私が十歳の頃、これという理由もなく病みつき、儚くなってしまわれたのです。つまり……今現在。スタニエール陛下の従妹でもあるわたくしが、最もラクレイド王家に血の近い者なのです」
カタリーナは再び、大きく息をついた。
「当然わたくしは若くありませんし、スタニエール陛下の従妹という王家の血が濃いとも言い切れない立場であります。しかし、見渡してみてもわたくし以上に、色々な意味で王家に近しい者はいないのが現実です。わたくしとしても不本意です、不本意ですがこの危急存亡の秋、玉座が虚であるのは望ましくありません」
す……、と、王太后の背筋が伸びる。
「正しく王族と呼べる方々がお戻りになり、そして、その中で最も相応しい方が王として御位に就かれるその時まで。わたくしカタリーナ・デュ・ラク・リュクサレイノ・ラクレイノが、ラクレイドの玉座をお預かりいたします」
「お、王太后陛下」
気圧されたように硬直し、言葉すら失くしていた宰相が慌てたように立ち上がる。
が、カタリーナは宰相へ軽くうなずき、続ける。
「異議のある方は挙手を願います。異議無き場合は……慣習に従い、起立の上に万歳と言祝ぎを願います」
永遠にも似た沈黙が破れたのは、何がきっかけだったのだろうか。
どこかでかすかに、椅子を引く音がした。
途端に、何人かが慌てたように席から立ち上がる。
「カタリーナ・デュ・ラク・リュクサレイノ・ラクレイノ陛下。陛下の御代が慶びと幸多い御代であれかしと祈念し、万歳を申し上げます」
広間を切り裂くように響く、慣習通りの言祝ぎ。
一同の視線の先にいたのは、会議室の末席に控えるように座っていた、近衛隊の分隊長である青年だった。
保守派ともレライアーノ公爵とも距離を置いている、無名といえる子爵だ。
彼は興奮からか頬が紅潮し、身体もこわばっていたが、真っ直ぐの熱い目でカタリーナを見ていた。
「万歳!カタリーナ・デュ・ラク・リュクサレイノ・ラクレイノ陛下!」
叫ぶように青年は、再び言祝ぐ。
空気が一気に変わった。
「万歳!万歳!」
「万歳!国母カタリーナ陛下!」
堰が切れたように万歳の声が上がった。
うねるような声の中で、カタリーナの即位は成立した。
「貴女が何故男でいらっしゃらないのかと、貴女が幼い頃からよく思っておりましたが。今日という日にはまた再び、その詮無い繰り言が出てきますよ、執政の君・カタリーナ陛下」
その宵。
ようやく一段落がついて秋宮に戻ったカタリーナを待っていたのは、父である老リュクサレイノだった。
顔を見た途端、ため息まじりで彼はそう言う。
「わたくしが男なら宰相以上は望めませんでしたよ、父上」
諧謔をにじませながら答えるカタリーナへ、老リュクサレイノは首を振る。
「宰相以上など望みません。貴女のように賢明で度胸のある、器の大きい者がリュクサレイノの跡取りであったのなら。私は未だに生き恥をさらしてなどおりませんよ。心の底から安堵して、とっくに何の憂いもなく眠りの国へ旅立っておりましょう」
気弱そうな疲れた笑みを浮かべると、老リュクサレイノは続ける。
「貴女の母君が一人でいい、貴女以外に男の子を生んで下さっていたら、と……いやいや。これこそ詮無い繰り言。申し訳ありませんでした」
カタリーナは複雑な苦笑を口許に含む。
夫婦のことは、たとえ子供であってもはっきりとはわからないものだ。
だけど両親は男と女としてはあまりにも相性が悪かったと、カタリーナは思っている。
理詰めで相手を追い込む癖のある母と、感情が激しやすい父。
せめて男女の性格が逆だったのならまだ少しはましだったかもしれない、と、カタリーナは幼い頃から思っていた。
(わたくし以外に子をもうけたかったのなら。理詰めで絡むしか夫と話せない、不器用な妻を柔らかく包み込んで差し上げれば良かったのに)
もっともそれは母にも言えることだが。
(すぐに頭へ血が昇る夫を、理詰めで責めても意味がないのですよ、母上……)
この二人は、関係が破綻しているのにもかかわらず互いに恋慕の名残りを胸に抱えて執着し合っているという、最悪なまでに不毛な夫婦だった。
(母上が早死にした理由の半分はあなたのせいだと、やはりわたくしは思っていますよ、父上……シュクリール・デュ・ラク・リュクサレイノ卿)
しかしいずれにせよ。
詮無い繰り言、でしかないのだ、今となっては。




