第五章 それぞれのたたかい②
事件から二日後。
今後の対処・対応等を話し合う為、夏宮の円卓の間に貴人たちは集められた。
当然、場は荒れた。
宰相から今現在の状況を説明されるが、話の半ばから怒号が飛び交う始末だ。
デュクラと全面戦争だと息巻く者。
いや、今デュクラを挑発してもいいことは何もない、となだめる者。
正当な王の血筋が絶えた、ラクレイドは終わりだと嘆く者。
愚かな、王女殿下が亡くなったと決まった訳ではないと声を荒げる者。
レライアーノ公爵の手引きではないか、と言う者。
そんな憶測を言い合っても意味がない、問題は王の血筋が絶えてしまうこと、いざとなったら公爵のお子様に王位を継いでもらうことも考えなければならない、などと、どんな皮算用があるのか言い出す者。
国を裏切った者の子を王として戴くのか、と気色ばむ者。
「静粛に!」
宰相が何度か声を張る。が、静かになるのは一瞬だった。
カタリーナは宰相のそばの席に着き、喧噪以外の何物でもない会議を見ていた。
それぞれがそれぞれの思惑や不安から、勝手なことを言い合っている文字通りの烏合の衆。
我が宮廷が、ここまで愚かな者たちの集まりだったのかと情けなくなる半面、彼らが愚かというより、拠り所を失くして果てしなく混乱しているだけなのだとも理解している。
彼らは皆、臣として素晴らしく優秀とまでは言えなくとも、問題なく仕事をこなしてきた者たちだ。
しかし『臣』は、『王』を戴いていなければ存在しえない。
『王』が、自身を王と戴く『臣』及び民無しには存在しえないのと同じ理屈だ。
カタリーナはそっと、斜め後ろにある玉座へ目をやった。そこに夫が、息子がいた頃のことを思う。
黄金の冠を戴いた者が玉座にいないだけで、宮廷とはこんなに乱れるものなのかと改めて思い知り、カタリーナは重く深いため息をついた。
(玉座が虚なのは……良くないわ)
要を失くした扇以上に始末が悪い。
(あなた……スターニョ。ライオナール。セイイール……)
ライオナールが眠りの国の彼方へ連れ去られて以来、ラクレイドは何かが狂い、歪んでしまったらしい。
狂い、歪ませようと画策する者の暗い意志を感じる。
ライオナールが健在ならば、スタニエールが早死にすることもセイイールが王の激務にすりつぶされるかのように疲弊し、持病が悪化して死に至ることもなかっただろう。
カタリーナはまた、森の湖畔や国境で絶命していた武官や兵たちを思う。
医師の所見によると、彼らはどうやら、ライオナールの命を奪った毒と同じ種類の毒によって命を奪われたのだろう……と。
(アイオール。あなたは何を知っているのですか?何をどこまで知っていて、あなたは今この時、姿を消したのですか?)
カタリーナは胸でひとりごちる。正直、彼が今現在ここにいないのが恨めしい。
スタニエールの王子としても海軍将軍としても、彼がラクレイドの為に尽力するであろうことをカタリーナは信じている。
彼の人格の大元が、優しく誠実であることも。
思い出す。
彼が子供の頃、病で寝込んでいるセイイールを気遣い、頻繁に見舞ってくれたことを。
カタリーナが何気なく言ったことを覚えていて、自分が住む離宮の池に咲いた睡蓮の花を摘み、わざわざ自分の足で届けてくれたことを。
少年時代の彼の、屈託ない明るい笑顔が美しい夢のように脳裏をよぎる。
しかし成人して務めに就くようになって以来、アイオールから徐々に笑顔が消えていった。
漏れ聞く噂から、彼が務めを果たそうとする度に理不尽な苦労をさせられてきたことは知っている。
少なくとも海軍将軍に着任するまで、彼は何処へ行っても『レーンの女の息子』であるというだけで偏見にさらされ、不必要な苦労をしてきただろう。
彼が、味方だと確信出来る者以外に本音を見せなくなっていったのも、わからなくない。
(そしてわたくしも……あなたにとっては信じるに足る者ではなかった、のですね、アイオール)
なさぬ仲とはいえ、アイオールから母と慕われていると思ってきたカタリーナにとって、彼から信じられていないという事実には脱力する。
が、その事実から目を背けたり、虚しさにひしがれていても何も始まらない。
(あなたにわたくしが信じられていなかったことを含め、あなたの思惑がどの辺りにあるにせよ。わたくしは、わたくしに出来る精一杯で、この事態に対峙致しましょう)
「宰相閣下。発言の許可を求めます」
もういい加減倦んだ表情で『静粛に』を言おうとしていた宰相へ、カタリーナは礼儀正しく発言を求める。
大きくはないがよく通る声だ。
不毛な論争、いや論争ですらない愚痴の応酬をしていた貴人たちも、何となく気圧され、口をつぐんだ。
「問題を整理致しましょう」
許可をもらって立ち上がったカタリーナを、数多の目が射抜く。
「事実を確認致します。まずセイイール陛下がお亡くなりになりました。陛下は王位を継ぐ者の名を書いた遺言状を残されましたが、その遺言状は何故か二つ存在しました。王女フィオリーナ殿下と王弟であるレライアーノ公爵の名が、それぞれの遺言状にありました」
カタリーナは息を継ぐ。
居並ぶ者たちがやや不可解そうな顔になった。
王太后が今、何故わざわざそんなことを言い出すのかの真意が読めなかった。
「しかし、王位継承の候補者の一人であるレライアーノ公爵は『ラクレイドの防衛に必要な行動を取る』と言い残し、消息を絶ちました。フィスタに戻ったのかとあちらへ問い合わせましたが、戻っていないという回答でした。公爵夫人と公女・公子も、はっきりとした回答はありませんでしたが、どうやらフィスタにはいない様子です」
ざわめきが高まった。
公爵だけでなく公爵の家族までフィスタにいないなど、噂だけだと思っていた者も多かったようだ。
「そして」
カタリーナの声がざわめきを切り裂くように響く。
「先日、デュクラの王子が訪問されましたが。三日前に王家の森にある湖畔へ遊びに行かれたまま、消息を絶たれました。王子のみならず王子に従ってきたあちらの臣下と従者も。王子と一緒に森へ出かけた我が国の王女フィオリーナ殿下と王妃アンジェリン殿下も、時を同じくして消息を絶たれたのです」
淡々とした王太后の声が響く。居並ぶ者から一切の声が消えた。
「これがどういうことかわかりますか?」
カタリーナは言葉を切り、大きく息をついて一同を見渡した。
「わたくしの夫スタニエール陛下に、同腹異腹共に兄弟姉妹はいらっしゃいませんでした。つまりかの方以外に、王家の血を濃く引いた方はこの世代にいらっしゃいません。かの方には正妃……つまりわたくしとの間に王子が二人、レーンから来られた側室・レーンの方との間に王子が一人、いらっしゃいます。しかし内二人はすでに故人、残り一人はご存知の通り消息不明。そして……」
カタリーナはもう一度、大きく息をついた。
「現在唯一のデュ・ラク・ラクレイノでいらっしゃる、フィオリーナ王女殿下も消息不明でいらっしゃいます。つまり今現在この国は、レライアーノ公爵のお子方を含めたとしても、スタニエール陛下の血を引く正しく『王族』と呼べる方々の消息が不明で、生死すら定かではないのです」
円卓の広間は凍りつく。
事態の異常さが改めて白日の下にさらされた。
カタリーナは静かに、もう一度一同を見渡した。
「皆様。このような異常な事態・危機的な状況は、おそらく国始まって以来でしょう。誰が王位を継ぐ以前、本来なら王位を継ぐべき筋の方が一人もいらっしゃらないのですから」




