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第三章 際どい一手⑧

 宰相の表情が更に渋くなった。

「ということは、レライアーノ公爵閣下。あなたはかなり以前から、デュクラがルードラントーに屈しているらしいことをご存知だったのでしょうか?少なくとも、陛下のご危篤の知らせがあなたへ行く頃には」

 公爵は一瞬目を見張り、かぶりを振る。

「とんでもない。知ったのはごく最近、知ってすぐ報告書にまとめ、今朝一番に宰相閣下へ提出しました。危機の懸念は前から持っておりましたが、青天の霹靂でしたよ」

 しかし、と、宰相は不信感も露わに言葉を続ける。

「その報告書と前後するように、デュクラから問い合わせが来たのはどういうことでしょうか?閣下がこのことを早くからご存知で、にも拘らず宮廷側には何も知らせず、早くから独断で海軍の軍船を動かしたのでしょうか?」

 父親の老リュクサレイノに比べて押しが強くもなければ野心的でもない、良く言えば温厚、悪く言えば凡庸な人柄の現リュクサレイノ侯爵だが、さすがに今回の公爵の独断専行は腹に据えかねている様子だ。

 たたみかけるように言葉を続ける。

「そもそもデュクラ側から閣下の報告書にあった内容に関して、何の知らせもこちらへ来ていません。ラクレイドの王妃殿下は現王ピエール陛下の同腹の妹君。その妹君の嫁ぎ先である古くからの同盟国へ、こんな重大な事柄を何も知らせてこないのは、さすがに不自然ではありませんか?」


「ご質問を整理して、順々にお答えしましょう」

 落ち着き払って公爵は応じる。

「デュクラがルードラントーへ屈したという事実は、デュクラ王国の最高機密のひとつです。おそらくデュクラの貴人であっても、権力の中枢にいる者以外には伏せられているでしょう。ピエール陛下が、妹君でいらっしゃるアンジェリン王妃殿下にすら何も知らせてこないのは、陛下としても苦渋の決断をなさっているからだと私は愚考いたします。陛下はルードラントー側へ、王子のルイ殿下を奪われていらっしゃるのです」

 ざわ、と一同のざわめきが高くなった。

「諜報部隊からの報告によると、ルイ殿下は王都のご両親から離され、ラルーナにある王家の別荘でご養育されていらっしゃる、とか。王は、王子を新しい時代の王として育む為の試みだと臣下に説明なさっているようです。しかしながら海軍の諜報員が調べたところによると、ルイ殿下の周囲にいる養育係や家庭教師の半数以上が、ラルーナへ流れてきたルードラントー人か、デュクラ人であってもルードラ教に帰依した者なのだそうです。……不自然ではありませんか?デュクラの王子の養育を、何故王都から離れた地で、それも普通のデュクラ人とは言い難い、ルードラントーやルードラ教に所縁のある者によってなされているのでしょうか?」

 さすがに会議室は沈黙に閉ざされた。

 大きく息をつくと、公爵は言葉を続ける。

「つまりピエール陛下はご子息を人質に取られているのです、あちらに逆らうことも難しい状態と言えましょう。ここ二十年ばかり、デュクラは内戦や紛争が続き、疲弊しております。たとえ不平等な条件であっても、ルードラントーと和平を結ばねば国そのものが崩壊すると判断されたのだろうと、私は推察致します」


 絶句していた宰相が、額に浮いた汗をてのひらでぬぐって言葉を絞り出した。

「なるほど。これが事実なら一大事です。閣下のおっしゃる通り、急を要するでしょう。しかし……」

 宰相の目から不信感はぬぐえていない。

「今のところはあくまでも、レライアーノ公爵閣下の推察ですよね?こちらへ出してこられた報告書を確認した限りでは、証拠らしい証拠も公式に認められた事実も記載されておりません。状況証拠と言えそうなものは確認されているようですが、根拠は薄弱です。閣下、今現在ラクレイドとデュクラの同盟は維持されております。状況証拠だけでここまであからさまに同盟国を疑う行動を、それも宮廷の許可なく行うのはさすがに如何なものでしょう?この行動を理由に、デュクラ側から同盟の破棄を言い渡される可能性も出てきましょう。そうなった場合の責任を、閣下はどう取るおつもりですか?」

 正当な理屈ではあるがいかにも官僚的な宰相の言葉に、公爵は薄く笑う。

「ええ。確かに行き過ぎた面は認めます。しかし、それくらい急がなければ間に合わないという危機感を強く持っておりますので、今回に関してはお許しを願いたいと。皆様方を驚かせ、必要以上の不安を抱かせたであろうことをお詫び致します。決して宮廷をないがしろにしたのでも、伝えるべき情報をあえて伝えず勝手をしたつもりもありませんでした。報告や手続きの不備、焦るが故の拙速な行動等、改めてお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」

 殊勝そうに目を伏せたものの、公爵が大して反省していないのは誰の目にも明らかだった。

「ところで」

 そう言うと公爵は、例の人を食った笑みを浮かべた。

「宰相閣下が不思議に思われている、デュクラの問い合わせと私が提出した報告書が、何故かほぼ同時に宰相閣下の手元に行った件についてですが。この件に関しては、要するにただの偶然なのですよ。私は情報が入った段階で、軍船を動かす命令と報告書の作成を同時に行いました。ところが私の予想よりかなり早く、軍船(ふね)はあちらへ着いたのです。よほど潮や風の状態が良かったのもあるのでしょうね、実は私も驚いております」

 もっともらしくうなずきながら、公爵は続ける。

「私は今回、常に臨戦の心構えでいろと将校にも兵卒にも言い聞かせ、こちらへ戻って参りました。おそらく、私の予想以上に彼らは高い士気を保ったまま待機していて、命令を聞くや否や実行したのでしょう。そうでなくては、気象条件がいいだけでここまで素早い作戦行動がとれるとも思いません。将軍として私は、彼らを誇りに思いますね」

 やや芝居めいたくらい己れの部下たちを持ち上げつつ、公爵は、堂々とそう言い切った。

 お歴々は再び渋い顔になった。

 苦しい言い訳だったが、そんなことはなかろうとも言えない。

 宰相をはじめ、船のことを知っている者など残念ながらここにはいない。変だとは思っても、言い返すだけの根拠を示せる者は誰もいなかった。

 海や船に一番詳しい海軍将軍にそう言い切られてしまうと、もやもやしたものを抱えつつも誰も何も言えなかった。

 宰相もこの件については、渋い顔のまま黙り込むしかなかった。

 公爵はどこか冷笑めいた、ぞっとするほど美しい笑みを頬に刻んだ。

「言うまでもないことですが、海軍はもちろんラクレイド王国の軍です。ラクレイド王国の為にある組織で、その使命はラクレイドに仇なすものからラクレイドを守ることです」

 あまりにも自明のことを、公爵は意味ありげに言挙げする。

「ただ……使命を果たす為の方法は、亡きセイイール陛下より私、海軍将軍たるアイオール・デュ・ラクレイノ・レライアーノに一任されております。私は今後も、ラクレイドの防衛に必要な行動を取ります。それが私へ与えられた王命であります故、私の行動を止められるのは王命か、もしくは天命でありましょう。その辺りの事情はご了解いただきたいと念押しさせていただきます」

 公爵は静かに席を立った。

「私からは以上です。体調がすぐれませんので、中座させていただきますがお許しください。では……」

 きびすを返そうとした瞬間、気圧されたように絶句していた宰相が慌てて立ち上がる。

「お待ちください、閣下。デュクラからの問い合わせにはどう答えるおつもりですか?」

 公爵は振り向き、再び美しく笑んだ。

「そう慌てなくとも大丈夫ですよ、宰相閣下。そもそも『果ての島』はラクレイドの領土で、その近辺はラクレイドの領海です。ラクレイドの領土にラクレイドの軍が上陸しても、ラクレイドの領海をラクレイドの軍船が航行したり停泊したりしても、何も問題はありません」

 公爵は一瞬、目を伏せて何か考える仕草をした。

「そうですね、デュクラにはこう回答して下さいませ。ラクレイド海軍は元々、そちらの海域での長期の演習を計画していた。しかし王の急死という弔事とも相まって事務方が混乱し、そちらへ連絡を入れる前に演習を始めてしまった、と。ただの演習で他意はない、驚かせてしまって申し訳なかった、と。こちら側の事務手続き上の行き違いだと説明して謝罪すれば、ラクレイドの軍船(ふね)がラクレイドの領海や領土にいることそのものは、あちらも咎めることは出来ますまい。それで解決するのではないでしょうか?」


 それでは失礼致しますと言い捨て、公爵は早足で会議室を後にする。

 エミルナールとタイスンも続く。

 会議室に置き去りにされた宰相をはじめとしたお歴々が、負け犬のごとくキャンキャン吠え合っているであろうが、公爵の知ったことではない。むしろそれを望んでの行動だ。

「マーノ。コーリン」

 ささやき声で公爵はふたりに呼びかける。

「急ぐぞ。次の手だ」


 公爵家の馬車に乗り込む手前で、公爵は一度、立ち止まった。

 痩せた彼の身体は風にさらわれそうなまでに頼りないが、菫色の瞳には強い意志の輝きがあった。

「マーノ。コーリン。ふたりに至上の命令を与える。……生きよ。ふたりに代わる者などどこにもいない、いなくなられては困るのだ。くれぐれも命を大事にしろ。無駄死にを禁じる」

「御心のままに。マイノール・タイスン、最善を尽くします」

 タイスンが静かな声で応える。

「エミルナール・コーリン、右に同じであります」

 エミルナールも言葉を噛みしめるようにして応えた。

 ひとつうなずき、公爵は御者台へ目をやった。

「ユリアール・デュ・ロクサーノ。こちらへ参れ」

 御者台にうずくまっていた老執事は一瞬目を見張り、不可解そうな表情で主の許へ向かった。

「お前にもこの至上命令を与える。……生きよ」

 言いながら公爵は、左手中指から黄金の指輪を抜き取った。

「これをお前に預ける。必ず生き延び、私へ返しておくれ」

 老執事はがくがくと身を震わせて指輪を受け取り、主を見つめてこう言った。

「御心のままに。ユリアール・デュ・ロクサーノ、身命を賭してご命令を遵守致します」 

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― 新着の感想 ―
リアルでも、隣国の領海近くでの演習は、事前通告が普通のようですね。
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