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第三章 際どい一手④

【覚え書き】

 『緑の影の送り』が済めば宮廷は通常の業務に戻る。

 王の喪の行事で滞っていたあれこれを処理しなくてはならないので、あからさまな話、どの部門もしばらくは通常以上に忙しいはずだ。

 次期王を誰にするかはあの日以来、宙に浮いている。

 そのせいで余計、現場は混乱しているではないかと推測される。


 あの日までは暗黙のうちに、フィオリーナ王女殿下が王位を継ぐだろうと思われてきた。が、例のふたつの遺言状が公になって以来、そうとも言い切れない状況である。

 しかし、レライアーノ公爵を王にという積極的な声は上がらない。

 正しくは、上げにくい。

 彼の能力を疑うというより、彼の母がレーン人であること、『瘋癲』と呼ばれてきた彼の性格に対する不安、宮廷の保守勢力と歩み寄る余地のない確執が、法に則って彼を王にという声をどうしても抑え込む。


 第一下手にそんなことを言えば、リュクサレイノをはじめとした保守派に激しく睨まれるのは火をみるより明らかだ。


 かといって、フィオリーナ王女を王にという声もさほどは高まらない様子だ。

 血筋は正しいとはいえ王女は何と言っても幼いし、母君はデュクラ人だ。

 レライアーノ公爵のように南洋人の母ではないものの、かの方も外国人を母に持つ。

 隣国であるデュクラは、ラクレイドの貴人たちもレーンよりよほど親しみを持っているが、外国は外国である。

 ラクレイドの宮廷へ、デュクラからの干渉や依存が来やすい状況を作りたいと望む者はいない。


 いくら古くからの同盟国でも、内戦や小競り合いで疲弊気味の昨今のデュクラと、距離を置きたいと考える者も少なくない。

 それならいっそ、遠国で国情の安定しているレーンに所縁のあるレライアーノ公爵の方が、ラクレイドの今後にとって無難だと言えなくもない。


 また、リュクサレイノがいつまでも権力の近くにいて快く思う者ばかりではないのも事実。

 シラノール王の時代から勢力を強め、スタニエール王の時代にははっきりとリュクサレイノ一強となった宮廷を、疎ましく思っている者もあなどれない数で存在している。

 貴人たちは皆、互いの顔色を窺い、腹をさぐりあっている。ラクレイドの宮廷は今、かつてないほど浮足立っていると言えるだろう。



 反故紙の裏に、聞こえてきたいくつかの状況から類推されるあれこれを書き出し、エミルナールはため息をついた。

 ペンを置き、冷たい風の流れてくる窓の向こうを眺める。


 陽射しが黄色い。もう夕暮れだ。


 もう一度深いため息をつく。立って、窓をきちんと閉めにゆく。

 机の前に座り直し、乱雑に書き出したものを読み返す。

 ここに書いたことは、これまでに聞いてきた公爵の言葉やグスコの報告、『緑の影の送り』から帰ってきたタイスンのたたずまいや言葉の端々などから類推した宮廷の空気だ。

 完全ではないだろうが、かなり近いであろう自信はある。

(際どい一手……か)

 膠着した盤上に破壊的な変化をもたらす代わり、こちら側の『王』すなわちレライアーノ公爵の、地位も身分も命も失う可能性のある一手。

 場合によれば、ラクレイドの首を失うかもしれない手。


 エミルナールはみたび、深いため息をつく。

 やりたくない、やるべきではない手だ。

 エミルナール以上に公爵がそう思っているだろう。

 しかし彼は『最悪』『やるべきでない』と強く思いながらも、この際どい手を打つ可能性を以前から頭の隅に置いてきたようだ。


 デュクラがルードラントーの属国でなかったとしても、公爵はかなり前からデュクラを信用していなかった。

 それは薄々、エミルナールも知っている。

 もっと穏やかで正統な手では、不毛な膠着状態を乱す程度なのもわかる。

 国際情勢が穏やかな頃ならまだしも、今の状況でぐずぐずしていては、奸智に長けた外敵の思うがままだ。

 エミルナールはまぶたを閉じ、奥歯をきつくかみしめた。

 身内が現在、ウエンレイノ伯爵の庇護下にあるのを確認できて安堵していたが……今後事態がどう転ぶかで、伯爵では守り切れない場合も想定される。

(……ラクレイアーン。私の身内は私個人の道とは直接関係ありません。なにとぞあなたの光の恵みで、我が身内の行く末をお照らし下さいますように)

 気休めは承知の上だが、エミルナールは夕映えの中で神に祈る。



 日課になった鍛錬は続いている。

 あの日以来、エミルナールも実戦を想定した鍛錬が行われるようになった。

 鞘の付いた護身用ナイフを手に、敵の攻撃を躱す訓練だ。

「くれぐれも言っておくが、あんたは自分から相手へ攻撃したり、まして殲滅しようなどと考えるな。躱す。逃げる。それだけを考えろ。それ以上は我々武官の仕事だ。あんたを鍛えたのはあくまでもあんたの命、価千金のあんたの頭を守るのが目的なんだ。あんたの武器は攻撃の為のものじゃねえ、己れの身を守る為のものだ。忘れるな」

 くどいほどタイスンは繰り返す。


 始まりはそのつもりだったのに、血に飢えた獣みたいになっちまった奴を知ってるからな。


 ある時、苦い顔でぼそっと洩らしたタイスンの一言が、エミルナールの耳にいつまでも残った。

 『鳩便』と呼ばれている伝書鳩を使った報告が、『海蛇』やフィスタからちょくちょく来る。

 短い暗号文で書かれた報告を読む度、公爵の顔色は悪くなった。

 『際どい一手』と名付けられた作戦の、詳細が組み上がってゆく。


 宮廷の方からは幾度となく、出仕するようにと公爵は呼ばれている。

 当然であろう。

 今後どうするかの当事者の一人であり、王位に就く就かないを別にしても、彼は現在王女に次いで濃い王家の血を引くデュ・ラクレイノだ。

 しかし公爵は、体調が悪いとか何とか理由を付けて屋敷に引きこもっている。

 彼が宮廷に出ないとリュクサレイノの陣営が着々と根回しを進め、王位は王女が継ぐという空気が醸成されるだろうが、公爵はあえてそのままにしている。

「どうせ近いうち、嫌でも行かなくてはならなくなるさ。フィスタから軍船(ふね)が出ているからな」

 ここ最近、顔色の良くない公爵が微苦笑を口許に含んで言う。

 食欲が落ちていると老執事も心配しているが、今後のあれこれを思えば公爵でなくとも、心労で食欲も衰えるというものだ。


 王なき宮廷とはいえ、将軍独断での大掛かりな作戦行動は国への反逆行為と見做されるおそれを含む。

 しかし、それこそが『際どい一手』作戦の第一番目の行動なのだ。

 現在、デュクラとの際である『果ての島』へ向かってラクレイドの軍船が三隻、動いている。『果ての島』での基地設置が目的だ。


 『果ての島』はラクレイド領ではあるが、デュクラとは目と鼻の先だ。

 そんな場所で相手側へ断りも入れずに基地を設営するなど、挑発行為と取られても仕方がない。

 デュクラはまもなく気付き、ラクレイド側へ釈明を求めるだろう。宮廷は当然、海軍将軍に事情の説明を求める。

 その時に初めて、知り得た情報を宮廷にぶちまける。

 それが公爵の作戦であった。

「それまでせいぜい鍛錬でもして過ごすさ。コーリン、君もだ。ここしばらくの仕上げをする。今日から毎日小一時間ほど、私が攻撃するから君はそれを躱す訓練をしろ。私から逃げきれれば、余程の相手でもなければ君は生き延びられるだろうからな」

「……御心のままに」

 タイスンが後ろで、そっとため息をついた。


 結論から言って、エミルナールはまったく、全然、公爵の敵ではなかった。


 公爵との鍛錬を始めてもう十日ほどになるが、初日と何も変わらない。

 彼としては手加減をしているらしいのだが、対峙した次の瞬間にはエミルナールは取り押さえられ、無力化された上に首筋にナイフの鞘が押し当てられている。

「まだまだだな。こんな程度じゃどうしようもない。精進しろ」

「も、申し訳ありません……」

 繰り返されるやり取り。タイスンはため息をつく。

「あのな閣下様。要求水準が高すぎるんだよ。勘違いするな、コーリンは文官で武官じゃねえ、あんたの感覚で物を言うなよ。あんまり自覚してなかろうがな、あんたは武官、それも新人護衛官に匹敵する腕前なんだ。そこいらの殺し屋なら返り討ちに出来る、常識はずれな戦闘能力を持ってるんだぜ」

「そうかもしれないが」

 公爵は顔を曇らせる。

「無理は承知だが。コーリンを死なせる訳にはいかない」

 わかってる、とタイスンはもう一度深いため息をつく。

「わかってる。最善を尽くすよ、俺もコーリンも。だからあんたは思いつめんな」

 思いつめている訳では……と言いかけ、公爵は苦笑いする。

「……そうだな」 

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― 新着の感想 ―
時期が来るまで、忍ぶのも戦ですね (*´▽`*)
そうか。 際どい一手はそれか・・・。 もっと最悪を考えてしまった。。(^^;)
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