第二章 デュ・ラク・ラクレイノの娘⑤
「それでどうなったのですか?」
夏の定例御前会議の前にご挨拶を、と遊びにみえたアイオール叔父さまが、にやにやと楽しそうに頬をゆるめておっしゃった。
おみやげに、と、南方の珍しい果物と、真円にならなかった鈍色の真珠を幾つか持ってこられた。
不規則な形を活かせれば普段使いのちょっと面白い装身具が作れますよ、と、叔父さまはおっしゃる。
「どうなるって程でもないんですけど」
ぼこぼことした面白い形の真珠をてのひらに乗せて転がしながら、フィオリーナはため息をつく。
「嫌だから王女の『学友』をやめます、なんて言えないでしょう?しぶしぶ、嫌々務めている子が半分、それならそれで割り切って務めようと思っている子が半分、ってところかしら?それでも、形ばかり取り繕った貶め合いをするみたいな嫌なおしゃべりは、減ったでしょうね。王女殿下のお相手をするには博物学に堪能でなくてはならない、なんて噂が立っているそうだけど、そういうことじゃないんだって中々わかってもらえないの」
「たしかに、博物学に堪能である方がフィオリーナ姫のお相手を務めやすいとは思いますが。今だって、どうしてこんないびつな形の真珠が出来るんだろうって思っていらっしゃるでしょう?」
図星を指され、フィオリーナは苦笑いする。
フィオリーナの宣言の後、彼女たちは軽い恐慌状態に陥ったらしい。
もしかすると我々は、王女をすごく怒らせてしまったのだろうかと怯える子も少なくなかったらしい。
次の講義がある日、彼女たちは全員、おそろおそる集まった。
ごきげんよう皆さん、と朗らかに挨拶をするフィオリーナの顔を見て、彼女たちは目に見えて安堵した。
しかし、少しでも疑問があるとしつこく教官に詰め寄ったり、わたくしがお聞きしたいのは貴女自身のご意見なのよと真っ直ぐ求めてくる王女のやり方に、彼女たちは戸惑いを隠せないようだった。
自分の意見は出来るだけおぼめかせ、波風立てずにやり過ごすのが社交界を泳ぐ第一番目の流儀と躾けられてきた彼女たちにとって、王女のやり方はあまりに乱暴、あまりに貴婦人の常識から外れていた。
理解できない戸惑いは、結果的に彼女たちへ緊張を強いる結果になっている。
フィオリーナとしては不本意だ。
フィオリーナはただ、フィオリーナの戦場で一緒に戦ってくれそうな同世代の戦友を見出したかったのだが、今のところは徒らに彼女たちをおびえさせているだけのようだ。
しかし反省点も見えてきた。
嫌われても仕方がない、フィオリーナはそう思って馬鹿正直に真正面からぶつかった訳だが、自分が王女でデュ・ラク・ラクレイノだという意味を過小評価していたらしい。
彼女たちは臣下の娘、たとえフィオリーナのことが嫌いだったとしても、逃げたり避けたりは基本出来ないのだ。
「それでも少しずつ、自分の思っていることや考えを言ってくれるようになってきているわ、あの子たちにとっては大変な面もあるでしょうけど。そりゃあなんでもかんでも自分の考えを真っ正直に言いさえすればいいってものじゃないけれど、自分の頭で考える習慣のない人と付き合っていてもつまらないのですもの。当面はこのやり方を変えないつもりよ」
アイオール叔父さまは明るく笑い、姫は末頼もしいデュ・ラク・ラクレイノでいらっしゃる、とおっしゃった。
「しかし、姫が何故そういう考え方をなさるようになったのか、学友の少女たちが何故自分の頭で考える習慣があまりないか、考えられたことがありますか?」
フィオリーナはポカンとアイオール叔父さまの顔を見つめた。いつもは柔らかなほほ笑みを含んでいらっしゃるお顔が、今はとても真面目だった。
「……いいえ。わたしの個人的な性格なのかしらって思っていましたけど」
身内の方の前ではつい、フィオリーナは『わたくし』ではなく幼い頃のように『わたし』という言い方になってしまう。
「もちろん半分はフィオリーナ姫の持ち味でいらっしゃいましょう。でもあとの半分は、陛下のご薫陶を受けられたからですよ」
「おとうさまの?」
首を傾げて問うフィオリーナへ、叔父さまはうなずく。
「子供というのはおしゃべりが出来るようになると、大人を質問ぜめにするものなのですが。大抵の大人はそれに真面目に答えないですし、子供の質問は単純なだけに、意外と答えるのが難しいものが多いのですよ。空はどうして青いのか、とか、秋になると赤くなる葉とならない葉があるのはどうしてか、とか……」
フィオリーナは思わず笑ってしまった。その質問は確かにした。
質問をすると、その度に父は色々と教えて下さった。
正直、難し過ぎてすっきりわからない時もあったが、出来るだけフィオリーナに理解できるよう説明して下さっているのは伝わってきた。
「わからないならわからないと、素直にそう言えばまだいいのですが。ごまかしたり、最悪の場合叱りつけたりしますね、大人というものは。そんな風に接する大人にばかり囲まれて育てば、子供は悲しくなって疑問を持ったり考えたりをしなくなりましょう。しかし陛下は可能な限り真面目に、それも出来るだけわかりやすく、姫に教えて差し上げていたのではありませんか?」
フィオリーナはうなずく。だが、それが特別なことだとは今の今まで思わなかった。
「そもそも陛下ほどご聡明な父君を持つ姫はフィオリーナ姫以外、このラクレイドにいらっしゃらないでしょうから、『学友』の令嬢たちと差が出るのも仕方がありませんね。陛下ご自身が元々、御幼少の頃からそういう疑問をそのままにしておきたくない方でしたから、並みの親以上に答えて差し上げようと思われたでしょうし。それに、女の子は他人に根掘り葉掘り質問をするものではないという躾をされるのが一般的ですから、なおさら彼女たちと差が開くのも仕方がないでしょうね」
フィオリーナは思わず、てのひらで転がるくさび形や軽くねじれた楕円形の、鈍色の真珠を見つめた。
「それじゃあ……わたしは女の子としては普通じゃない、特殊な育てられ方をしたのかしら?」
半ば独り言のように言うと、叔父さまはいつもの優しいほほ笑みに返って
「嫌ですか?」
と訊いてこられた。
フィオリーナはあわててかぶりを振る。
「いいえ、別に嫌だとは思いません。むしろ良かったような気がします。でも……どうして?」
「私は陛下ではありませんし、決して際立って明晰でも聡明でもありませんから、かの方の深いお考えまではわかりませんが……」
ふと考え込むような遠い目になり、叔父さまは言った。
「それでも、私がもし陛下と同じ立場であったとしたら。娘へ、一般的な令嬢教育だけを施そうとは思わないでしょうね。ラクレイド王の長子であるということは、つまりは将来の王なのです。その人が、ただ淑やかな令嬢でありさえすればいいという訳には参りません。王という存在には、ある時には苛烈なまでに果断、ある時には狡猾なまでに奸智に長ける、そういう部分がどうしても必要になってきます。常識すら疑い、必要なら捨て去る柔軟な感性も必要でしょう。その前提条件として、幅広い知識と見識は是非とも必要ですからね」
(将来の、王……)
思わぬ側面が見え、フィオリーナは絶句した。
漠然と理解はしていた、自分はおそらく王位を継ぐだろうと。
しかしそれははるか先の話で、今の自分にはほとんど関わりのない話だとも思っていた。
父をはじめとした大人たちが、自分を将来のラクレイド王として見、育てていたなんて思っていなかった。
もちろん冷静に考えれば当然のことだが、単純に自分を可愛いと思って育んできたのではないのかと、裏切られたような気がしてしまう。
(馬鹿みたい、当然のことなのに今更うろたえて)
そう、フィオリーナは王女で、しかも王の第一子だ。
正確には王太子の娘かもしれないが、王の子と王太子の子はほぼ同じと見做される慣習だし、フィオリーナはセイイールが即位した時、正式に養子縁組したとも聞いた。だから法的にも王の娘なのは確かだ。
……でも。
「わたしは……やはり、王にならなくてはならないのでしょうか?」
思わず口をついて出た問い。フィオリーナはハッとした。
それは問うてはならない、問うべきではない問いだ、たとえ相手が気心の知れた身内であったとしても。
アイオール叔父さまはやや痛ましそうにフィオリーナを見た。
「それについては、最終的にはフィオリーナ姫ご自身がお決めになることだと私は思いますよ」
だからよく考えてみて下さいませ、と、いつもの笑みを含んだまま、アイオール叔父さまは静かにおっしゃった。
何を愚かな、当然継ぐのだから自覚を持ちなさいと叱られるかと思ったが、アイオール叔父さまはフィオリーナに、フィオリーナ自身が判断する余地を残すようなお返事をして下さった。
この返事が叔父さまの気遣いなのはわかっている。だけどフィオリーナはほっとした。
状況が指し示す未来はひとつだが、もう少しだけ、この件を保留していてもいいんだと思えた。
次の日。
氷室の氷で冷やした南国の果物を食べながら、叔父さまの下さった鈍色の真珠をてのひらで弄ぶ。
今は何かの形にしてしまうより、こうして触ったり眺めていたりしていたい。
「真珠は汗やよごれに弱いのですよ、姫さま。果汁の付いた手で触ってしまうと、傷んだりくすんだりしてしまいますよ」
せっかくレライアーノ公爵が、装身具にして下さいと持ってこられたのに、と、ジャスティン夫人ははらはらしたような顔をする。
「真円にならなかった真珠はどうしても値が下がるから、決して高価なものじゃない、あまり気を遣うなって叔父さまはおっしゃっていたわよ、乳母や」
苦笑いをしながらフィオリーナがそう言うと、ジャスティン夫人はため息をついた。
「閣下はこちらが気を遣わないようにと、そうおっしゃっただけですよ、姫さま。たとえ真円じゃなくても、ここまで大ぶりで光沢に深みのあるものはそれなりに珍重されます。ただ一粒でここまで存在感のあるゆがんだ真珠なら、真円の小粒な真珠三つ分の価値は十分ありますとも」
ふと手が止まる。
(真円の、小粒な真珠三つ分の価値……)
鈍色に輝く、ややねじれた楕円の真珠。この中で一番の気に入りだ。
フィオリーナはジャスティン夫人へほほ笑みかける。
「ねえ乳母や。細工師を呼んでもらえるかしら。少なくともこれは、装身具にしてしまうわ」
ゆがんだ真珠ならゆがんだなりに、この世でただひとつの、三つ分の価値の真珠になろう。
内側にベルベットを敷いた小箱の中へそっと真珠を戻しながら、フィオリーナは思った。




