終章(下)
午後。
謁見の間で、古くからの慣習通り新王が初めての御言葉を述べられることになっている。
主だった臣下諸侯、そして彼らの配偶者や嫡子も、新王即位を祝い、寿ぐ為に参列している。
低く楽が奏され、裳裾を長く引いた貴色の正装に黄金の王冠を戴いた王が、白一色の慶事の正装をした者たちの間を静かに進む。
玉座の前まで来ると彼は振り返り、澄んだ穏やかな瞳で一同を見渡し……柔らかくほほ笑んだ。
空気に溶けるように、奏されていた楽が止む。
「今日、私はラクレイドの王として正式に即位した」
宮廷楽師たちが奏でる極上の調べにも似た声が、広い謁見の間の隅々にまで響き渡る。
王は何故かそこで一度目を伏せ、再びしっかりと顔を上げるとほほ笑みを口許に湛えた。
「正直に言おう。私はそもそも、己れがこの位に相応しいとは思っていなかった」
声にならないざわめきが広がる。
「それは私のみならず、ここに居並ぶ皆も内心、そう思っていたのではないだろうか?私には正統な血筋の優秀な兄君が二人もいらっしゃったし、お二人と比べ、私が特別優秀な訳でもない。南洋出身の母を持つ私のこの髪の色も、ラクレイドの王に相応しいとは言えまい。そのことは誰よりも、私自身がわかっていた。兄君の補佐をし、ラクレイドの為に尽くすことこそが私の使命だと思ってきた」
声にならないざわめきは更に広がる。
王の口許からふと、笑みの気配が消えた。
「だが。現実は思いもかけないことばかりが起こる。私が補佐すべき方々はことごとく、あまりにも早くにレクライエーンの御許へと旅立たれてしまわれた。その悲劇の裏で糸を引く者が、果たして意地の悪い運命であったのか思いもかけぬほど遠方の敵からの差し金であったのか……、私には断言できない。いや、私だけでなく誰にも断言できないであろう。私に出来たのは悲しみと喪失の中でもがきながらも、ここに居並ぶ皆と共に国難としか言いようのない様々な苦難を乗り越え、現実を生きることであった」
王の菫色の瞳が鋭く光る。
「どうにか国難を乗り越え、落ち着きを取り戻せた頃。私は、己れの中にある虚ろに気付いた。そして私が、私の器以上の立場であることに慄きもした。恥ずかしい話だが、私ごときがこの位にいていいのかという思いはいつしか、これは悪い夢ではないかという、迷いにも似たものへと変化していたのだ……だが」
ふっと王は、かつて瘋癲閣下と誹られていた時のように片頬を歪めた。
「それの何が悪いのだ、そう諭す者のお陰で私はふっ切れた。内に抱えた虚ろごと、悪い夢だと思いたがる弱さや迷いごと、己れ自身だと。己れのすべてで迫りくる現実と対峙し、その時の最善を尽くすことで乗り越えてゆくのならば。たとえ立場が違ったとしても、やれること・出来ることをやってゆく今までと、何ら変わらないのだと気付いた。今後も私はただ、私の全力を尽くすだけだ。その場合、皆に助けてもらうことも多いだろう。これからもよろしくお願いしたい」
そして再び王は頬を引くと、鋭く前を見据えた。
「これは自戒を込めて言う。変化を恐れるな。経験から学ぶことは多いだろうが、経験に囚われ過ぎるな。今日の常識が明日には全く通用しない場合があることを、常に頭の片隅に置いておけ。そして、正しく恐れることと徒に怯えることは違う、と知れ。絶望の中でも探せば道はあるものだ。たとえ……明日。神山ラクレイが噴火するとしても」
あまりにも不吉な言葉に、居並ぶ者たちの顔が一斉に引きつり青ざめるが、王は笑みを口許に含む。
「こう思え。この世の終わりなど新しい世の始まりに過ぎぬ、と。そのくらい強かでなければ、ラクレイドがこのまま大国であり続けるなどかなわぬ。この先もラクレイドの更なる発展を望むのならば、ひとりひとりがどこの国の民よりも、強かでしなやかであれ、と」
王の菫の瞳が一瞬、再び鋭く光った。が、すぐ彼は柔らかな笑みを浮かべた。
「以上をもって第十三代ラクレイド王 アイオール・デュ・ラクレイノの即位の言葉とする」
吟遊詩人は語る。
かの方は潮騒のごとし。
潮と共に吹き抜ける 南洋の熱き風。
かの方は潮騒のごとし。
ラクレイアーンに愛されし 海の女神のいとし子なり。
かの方は潮騒のごとし。
ラクレイアーンの面影映す 南洋の熱き風。
漆黒と紫は 眠りしラクレイアーンの色彩
闇を恐れぬかの方は
レクライエーンの申し子にして ラクレイアーンの申し子なり。
万歳 比類なき王 アイオール・デュ・ラクレイノ陛下
万歳 比類なき王 アイオール・デュ・ラクレイノ陛下
……と。
【おわり】
『レクライエーンの申し子』、完結いたしました。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
『王太子スタニエールの憂い』から始まったラクレイド・クロニクルのシリーズの、本編と言える作品が『レクライエーンの申し子』です。
完結できて嬉しく思います。
完結まで二年もかかるとは思いませんでしたが、下書きの倍ほどの文字数になってしまいましたから、調整含めて時間がかかるのも、多少は仕方がなかったかもしれません。
この後のお話も断片的にはありますけれど、まだ書ける自信がありませんね。
個人的には、大人になったフィオリーナ王女と亡国の王子になってしまうデュクラのルイとの確執にも似た間柄を、きちんと清算したいとは思っております。
いつになるとは言えませんが、その節はまた、よろしくお願いいたします。
それでは、長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。
機会があれば、かわかみれいの別のお話も覗いて下さいませ。




