終章(上)
そして一年余りが過ぎた。
セイイール陛下の喪が明け、カタリーナ陛下の喪も明け……玉座に紫の練り絹が掛けられて冬を過ごし、新しい年を迎えるこの日。
新しい王の、戴冠式が行われる。
慣習通り白一色で美しく設えられた、夏宮・屋上。
古くより王の戴冠の日にだけ、この場所は使われる。
日の出前の薄闇の中、白一色の慶事の装いに身を固めた臣下諸侯が整然と並び、その時を待つ。
やはり白の、慶事の装束を纏った首座神官の手で、黄金の細工も煌びやかな儀式用の王冠が中央に設えられた台座へと運ばれる。
新年朔日、神山ラクレイの麓は必ず晴れる。
神意だとしか思えないくらい、遥かな昔から必ず晴れていると伝えられている。
新しい年に峰より初めて射す陽の光には、その年一番の聖なる力があるとされている。
その光の中で新しい王は即位を宣言し、正式にラクレイドの王となるのだ。
刺すような寒気が、むしろ心地いい。
居並ぶ臣下諸侯から少し離れた、王宮の上級官吏が控えている場所でエミルナールは、白でそろえた慶事の正装で立っていた。
準備で忙しかったここしばらくのことを思い返しながら、エミルナールはそっと首を動かす。
まもなく彼の目の前を、新しい王が通り過ぎてゆくだろう。
長い裳裾を引き、深みのある紫色で仕立てられた王の正装を身にまとった黒髪の男……第十代ラクレイド王の息子であり、第十一代ラクレイド王の異母弟である男。
エミルナールが忠誠を誓った、昨日まで『レライアーノ公爵』と呼ばれていたその人は今日、名実共にラクレイドの王となる。
フィスタ砦の将軍執務室で出会って以来、エミルナールの人生を大きく変えたその人は、おそらくラクレイドそのものも大きく変えるであろう。
(……いや)
望むと望まないとにかかわらず、もうすでに変化は起こっていたのだ。
太平の安楽の中で惰眠をむさぼっている間に、ラクレイドの周りはいつの間にか、大きくうねるように変わっていた。
その変化に取り残されつつあったラクレイドに、いち早く警鐘を鳴らし、それでも目覚めようとしない者たちに現実を思い知らせた彼。
新しい風を吹き込みつつ、ラクレイドにとって最善の舵が取れるであろう者。
ラクレイドの王族としては複雑な出自からくる苦労と、有形無形の様々な辛酸をなめさせられながらも立ち上がり、乗り越えてきた彼は今日、至尊となる。
赤く染まる神の峰を見つめ、エミルナールはしみじみと敬虔な気持ちになった。
この比類のない王を生み出し、育んだのはひょっとして、ラクレイアーンその方だったのではなかろうか?と。
荘厳な旋律がゆるやかに流れ始める。
まもなく峰から陽が射すだろう。
軽やかな足音が近付いてくる。
足音は、目を伏せているエミルナールの前を静かに通り過ぎてゆく。
視界の隅を行き過ぎたのは、深みのある紫の裳裾。
やがて、かの方の貴色である紫を纏った新王が中央へと進み出る。
白一色のこの中で、唯一色を纏った存在。
ラクレイドの新しい王だ。
新王は作法通り神の峰に一礼し、美しい所作で片膝をつくと腰を折る。
神の峰から、今年最初の陽の光が鋭く射し初めた。
「光の神にして我が祖神・ラクレイアーンよ」
澄み渡った冬の大気を響もす、新王の美しい声。
「あなたの光を国の隅々まであまねく届けるべく、私は今日この時より、ラクレイドの王となります」
面を上げた彼の頭に、神山の峰より射す光が王冠となり輝く。
「ラクレイアーンよ。あなたより預かりしこの光に恥じぬよう、国の為に生きて死ぬことを、私アイオール・デュ・ラクレイノはここに誓います」
慣習通りの誓いの言葉の後、王は立ち上がって進み出、黄金の王冠を両手で持ち上げる。
彼はそれを、豊かな漆黒の髪の上にゆっくりと乗せると、振り返った。
「万歳!アイオール・デュ・ラクレイノ!」
「万歳!アイオール・デュ・ラクレイノ!」
「万歳!アイオール・デュ・ラクレイノ!」
臣下諸侯の万歳の声が慣習通り三度響き……耳を聾するばかりの万雷の拍手が、いつまでも鳴り響いた。




