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第十二章 虚ろの玉座Ⅱ⑤

 知らせに来た秋宮の侍従に導かれ、公爵は急ぐ。

 護衛官のタイスンとエミルナールがその後に従う。


 朝夕には秋の気配を感じる昨今だ、日が陰るのも早くなった。

 晩夏に鳴く蝉の声を遠くに聞きながら、一行は執政の君の許へと急ぐ。

 早足で歩けば全身に汗がにじむ程度の残暑はあるものの、吹く風は涼しく心地よい。

 心地よいこの風が、今は妙に物悲しい。

 季節は移り変わっている。



 秋宮・執政の君の寝室へ導かれる。

 去年の秋、セイイール殿下の寝室へ導かれたことを思い出すのは、エミルナールだけではあるまい。

 室内には王女と王妃の姿があった。

 二人とも、少しやつれたような印象を受ける。

 枕元に控えている医師の一人が顔を上げ、小声で呼びかけてきた。

 リュアンだ。


 執政の君の、毒の後遺症を治療する手助けにと、ラン・グダの一番弟子であるリュアン医官をフィスタから呼び寄せていた。

 『ク・ルミダ』群の知識はラクレイドの医師は持っていないので、ラン・グダの薫陶を受けた海軍の医官を呼び、手助けさせることになったという。

 実際に毒を知るラン・グダが直接治療した方が、より適切な治療が出来たのではとエミルナールとしては思わなくもなかったが、現状でそれは難しいと執政の君が判断なさり、次善の策としてリュアンが呼ばれたのだそうだ。

 ルードラントー人の医師を同じ医師として受け入れ、こだわりなく仕事が出来るような侍医は今、宮廷にいない。

 ラクレイドの限界を象徴する話だろう。


 リュアンに呼ばれるまま、公爵は無言で執政の君のそばへ寄る。

 天蓋の下に、上掛けを引きかぶった小さな人影が見える。


 苦しそうに息をついた後、かすかな声が聞こえてきた。

「レライアーノ公爵……いえ」

 軽く笑んだ気配。

「アイオール」

「何でしょうか?……義母(はは)上さま」

 緊張を抑え込んだ、公爵の優しい声が呼びかけに答える。

「昔のことを……急に思い出しました。レーンの方……あなたの母君が亡くなられた日のことです」

 息苦しそうだったが、不思議と穏やかで優しみの感じられる声だった。

「……覚えていらっしゃるかしら?母君を亡くしたばかりのあなたはあの日、感情を失くしたような顔で睡蓮宮の応接間にいましたね。悔みを言うわたくしへ、あなたは、それこそ詩の暗唱でもするように無感動に『ありがとうございます。お心遣いに感謝致します』と型通りの挨拶をして……ああいけない、このままではこの子は壊れてしまう、わたくしは心の底から恐ろしくなって、何度も何度も必死に名を呼びながら、小さかったあなたの身体を抱きしめましたね」

 公爵は湿り気のある小さな笑声を上げると、

「ええ。覚えておりますよ、義母上さま」

 と答えた。執政の君も小さく笑い、言葉を続けた。

「あの瞬間から……なさぬ仲ではありますけど、あなたはわたくしの息子になったのです。あなたの本当の母君には敵いませんが、スタニエール陛下の王子としてではなくひとりの息子、あの小さかったアイオールを気にかける、愚かなただの母になったのだと思います。……アイオール。あなたにとっては迷惑かもしれませんけど、あなたのような息子を持って、わたくしは誇りに思っていますよ」

 瞬間的に絶句した後、公爵は、泣き笑いのような感じでかすかに頬をゆがませた。

「義母上さま……光栄です、言葉になりません。私も母亡き後、義母上さまを本当の母上のように思っておりました」

 ありがとう、と言って小さく笑い、執政の君は苦しそうに息をついた。

「……フィオリーナとアンジェリンには先に話しましたが」

 『母』ではなく『執政』の口調になって、かの方は言う。

「我が亡き後は、アイオール・デュ・ラクレイノ・レライアーノ公爵に執政の職を譲ります。その旨、すでに正式な遺言書を作成し、署名をいたしました。臣下諸侯の賛同も、今回はさすがに得られるでしょう」

 絶句する公爵へ、執政の君は何とも言えない複雑な一瞥をくれた。

「あなたにとんでもない重責を背負わせてしまいますが……あなたでなければ務まらない、そう思って決断しました。どうぞラクレイドを、よりよく導いて下さいませ」

「義母上……、執政の君」

 震える声でそう呼びかけたが、思い切るように一度きつく唇をかんだ後、公爵は

「御心のままに。我が力のすべてを捧げ、ラクレイドを守ります……女王 カタリーナ・デュ・ラク・ラクレイノ陛下」

 と答え、深く腰を折った。


 その言葉を聞き終えると、執政の君は安堵したように大きく息をついてそっとまぶたを閉じた。

「……レクライエーン」

 ほほ笑むように彼女はつぶやく。

「レクライエーン。わたくしは全力を尽くして生きました」

 周りにいる者たちのことを、彼女はもはや、意識していないのかもしれない。

「わたくしの前世の罪は、これで贖えたでしょうか?もし……もしそうであるのでしたら。どうぞ来世は、普通の女として生まれ変わらせて下さいませ。下町のおかみさんでかまいません、愛する夫と優しい息子たち、元気でかわいい孫に囲まれて暮らす……ただの、ごく普通の女の一生を……送らせて下さいませ」



 その後まもなく、彼女の意識は混濁した。

 目覚めることなくそのまま眠り続け……翌日の夜、彼女は息を引き取った。


 虫の初鳴きが聴かれた、秋の初めの夜であった。

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― 新着の感想 ―
執政様、お疲れ様でした。 というか、生前に執政を譲位したほうが揉めないかも (。´・ω・)?
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