第十一章 断罪⑩
不意に軽い笑声が響いた。
「御心のままに、執政の君」
腰を折り、うやうやしくそう答えたのはレライアーノ公爵。苦い顔をしているアンリを一瞥した後、
「執政の君が仰せです。ここで肌をさらす無作法をお許し下さいませ、皆様方」
と言い、彼は潔く鮮やかな青の高襟の上着を脱ぎ捨てた。
躊躇なくその下の羊毛の白シャツ、綿の肌着も次々に脱ぎ捨てた。
彼の上半身が露わになる。
痩せすぎているが引き締まった筋肉。それを覆う、きめの細かそうな淡黄に近い象牙色の肌。
背中に引きつれたような古い傷跡がいくつかあるものの、刺青など左胸のみならずどこにも認められなかった。
「いかがでしょうか?」
「……刺青は認められませんね。少なくとも上半身は」
渋々という感じで宰相は認めた。
レライアーノ公爵はニヤリと、いつもの『くせ者海軍将軍』の笑みを浮かべる。
「ではアンリ・ドゥ・チュラタン。君もあきらかにしたらどうか?」
半ば無意識らしい動きで身をよじるアンリ・ドゥ・チュラタンを、近衛武官たちが押さえつける。
「正面を見据える双眸。それが『ルードラの瞳』、ルードラの戦士の証です。ルイ王子の左胸にありました」
王女の声に、観念したのかアンリの身体から力が抜ける。
彼の服の胸元がはだけられる。
さらされた生白い胸の左側、焦げ茶色の楕円の乳輪のすぐ上に、王女が証言した通りの青黒い刺青があった。
「……お前の話では」
笑みを含んだ冷ややかな声が響く。レライアーノ公爵だ。青の高襟の上着をはおりながら、彼は言葉を続ける。
「私はラルーナの王家の別荘で、お前たちと色々打ち合わせたり、ルードラの戦士としての儀式を行ったそうだね。だったら、私の胸にも同じものがあってしかるべきだろう。まさか、刺青をしない儀式があるとか何とか苦しい言い訳でもするのかい?」
無言でにらむアンリへ、レライアーノ公爵は冷たい笑みを返す。
「口が滑ったね。策士、策に溺れるというところか?」
「……なるほど。レライアーノ公爵がルードラの戦士とやらではない、ことは証明されました」
再び額に浮いた汗をぬぐって大息をついた後、宰相が言う。
「しかし、だからと言って必ずしも閣下が潔白とは言い切れますまい。こちらで集めた状況証拠や証言の数々を、ただいまより精査……」
「お待ちなさい」
広間の空気を切り裂く声が、鋭く宰相の言葉をとどめる。
「宰相フレデリール・デュ・リュクサレイノ侯爵。あなたにとっては不本意でしょうが、これは執政としてのわたくしの命令と心得てお聞きなさい」
「……承りました。何なりと」
不可解そうな顔をする異母弟を見て、彼女は、痛みを耐えるような感じにかすかに眉根を寄せた。しかし小さなため息をひとつ落とした後、頬を引く。
「先程から気になっていたのです。リュクサレイノ侯爵、あなたは今日、何故そんなに左胸を気にしているのですか?」
ハッとしたように宰相は身じろぎした。
「苦しいのですか?痛むのですか?確か、あなたに心臓の持病はなかったはずですよね?」
目を極限まで見開き、硬直している宰相へ、執政の君は優しくほほ笑みかける。
「あなたの異母姉としても気にかかります。ここはひとつ、心配症の異母姉の取り越し苦労を解消する為と割り切って、わたくしの命令に従って下さい。……セルヴィアーノ子爵」
執政の君は忠実な近衛隊長へ声をかけた。
「宰相の左胸を検めて下さい。左胸に、異常があるかもしれませんから」
思わずのように立ち上がり、席を蹴ってきびすを返す宰相を、セルヴィアーノの部下である近衛武官が取り押さえる。
その場で胸元がはだけられ……赤みを帯びて熱っぽくなっている彼の左胸には『正面を見据える双眸』、アンリの左胸にあるものと同じ青黒い刺青があった。
一瞬の静寂の後、広間は騒然とした。
誰の目にも明らかな、裏切りの印だった。
「静粛に!」
鋭く叫んで執政の君は立ち上がり、わなないている異母弟へゆっくりと近付く。
「……フレデリール」
血の気を失くし、うずくまっている異母弟へ哀しそうな一瞥をくれ、執政の君は背筋を伸ばした。
「残念です」
「近衛隊!アンリの口の中を検めろ!」
唐突にエルミナールの横にいたタイスンが叫んだ。
隊員たちはハッと、取り押さえているアンリを見た。
がっちりと引き結んだ彼の唇は青ざめ、あっという間に全身がけいれんし始めた。
「アンリ!」
すさまじい叫び声を上げ、獣じみた力で自分を押さえている近衛武官の手を振り払うと、まろぶように宰相はアンリのそばへと駆けつける。
アンリは両目を見開いたまま、すでにこと切れていた。




