第十一章 断罪⑨
広間に来て以来、フィオリーナは、ずっと黙って大人たちのやり取りを見ていた。
アンリの証言が進むにつれ、広間が徐々に彼の醸すおかしな空気に染まってゆくのを、彼女はあきれ半分・恐ろしさ半分で見ていた。
彼の独擅場だ。
ラルーナの王家の別荘で執事として務めていたアンリに、こんなペラペラとしゃべる印象はなかった。
が、たとえ執事面ですましていた時も、アンリ・ドゥ・チュラタンにはどこか胡散臭い雰囲気があった。だから芝居の主役のように堂々と荒唐無稽な(それでいて妙に説得力のある)言葉を弄している彼に、違和感はない。
それよりも……。
(リュクサレイノ侯爵、どうしたのかしら?)
自席にうずくまるリュクサレイノ侯爵に、フィオリーナは強烈な違和感がある。
彼が、アンリ・ドゥ・チュラタンと組んでラクレイドを裏切っていると『犬』たちから聞いた。
自らの罪をレライアーノ公爵に被せ、最低で彼の完全な失脚・最高は断罪の果ての処刑を目指している、と。
しかし国を売ってでも手に入れたい、野心というかある種の志というか、そういうものが彼にあるようにフィオリーナには見えない。
それに。
「……クリスタン夫人」
すぐそばに控えている老練な護衛侍女にそっと声をかける。
「ねえ。リュクサレイノ侯爵って……心臓が悪かったの?」
違和感のうちで一番わかりやすいのが、苦しそうに左胸を押さえる宰相の姿だ。フィオリーナの知る限り、リュクサレイノ侯爵に心臓の持病はなかった。
「いえ……」
言葉を濁しながらも、クリスタンは首を振る。
「そんな情報はまったく。ただ、急に症状が出る場合もありますから、何とも言えません」
広間の空気はレライアーノ公爵にとって不利に傾いていた。
フィオリーナの胸にも徐々に焦りがわいてくる。
レライアーノ公爵が潔白だと知っているが、今までの彼の行動は疑いを持たれても仕方がない部分があるし、わざと誤解されるようふるまっていた節もあったそうだ。
どうやらセイイール陛下から密かに命じられ、『宮廷の台風の目』としての役割を担っていたらしいと、執政の君から聞いたこともある。
しかし、このままではアンリの共犯はレライアーノ公爵だと宮廷から断じられてしまうのではないだろうか?
これまでの彼の言動が、どうしても悪く影響している。
おばあさま……執政の君は何故か何も言わず、冷たい目でアンリとレライアーノ公爵のやり取りを見ていた。
うずくまっていた宰相が、左胸を押さえながらそろそろと身を起こす。
「アンリ……」
大きく息をつくと、宰相は隠しからハンカチを取り出し、震える手で額をぬぐった。
「君が……君がそんな大それたことをしていたなんて。ラクレイドへ流れて来たのは、祖国で無実の罪に陥れられて、命の危険が迫っていたからだって言っていたじゃないか」
幽鬼のような顔でそう言う宰相へ、アンリは眉を寄せてすまなさそうに肩をすぼめる。
「命の危機そのものは嘘じゃないよ、リール。この使命を達成しなければ、僕には帰る場所どころか命も無いんだからね。でも、嘘は言わなかったけど、わざとあなたに言わなかったこともたくさんあったよね、ごめんなさい」
ハンカチで何度も額をぬぐった後、宰相は姿勢を正した。
「まさかアンリ……アンリ・ドゥ・チュラタンが、ここまでこの件に深く関わっていたとまでは、こちらも把握していませんでしたが。お陰でレライアーノ公爵の罪が白日の下にさらされたと言えましょう」
宰相はわざとらしいまでに大きなため息をつき、一瞬、目を閉じた。
「しかし残念です、レライアーノ公爵。さすがにここまでとは思っていませんでした。まさか……『デュ・ラクレイノ』たるあなたが、ルードラントーの手先であるルードラの戦士にまでなっていたとは」
「馬鹿馬鹿しいですね、そんな訳ないと申し上げました」
苛立ちを含んだレライアーノ公爵の言葉は、しかしその場にいる宮廷人の誰にも響かない様子だった。
「何故あなた方は、暗殺の下手人であるアンリ・ドゥ・チュラタンの言葉だけを信じ、つい先日まで国の為に戦っていたこの国の海軍将軍の言葉を信じないのですか」
奥歯を噛みしめ、レライアーノ公爵は宰相をはじめとした宮廷人をにらんだ。
「……情けない!」
万感のこもったつぶやきが、さほど静かでもない広間に奇妙に響いた。
「ひとつ、訊きたいことがあります!」
フィオリーナは思わず声を上げる。
宰相は驚いたように彼女を見た。
初めてそこにフィオリーナ王女がいたことに気付いた、そんな顔をしていた。
「アンリ・ドゥ・チュラタン。お前は『ルードラの戦士』なのですか?」
アンリはパチパチと目をしばたたく。
王女からそんなことを訊かれるとは、さすがに思っていなかったのだろう。
「聡明なる王女殿下、さようでございます」
ややあやふやな顔で答えるアンリへ、フィオリーナは言う。
「では……左胸に『ルードラの瞳』という刺青をしているのですか?」
アンリの表情が一瞬ゆがんだ。が、すぐに先程のような人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ええ。よくご存知でいらっしゃいますね。……それが何か?」
「見せて下さい」
フィオリーナの言葉へ、アンリは困ったように頭を振る。
「申し訳ございません、それは出来かねます。これはヒトと神との神聖なる契約、みだりに人目にさらすものではないのです」
「でもルイは見せてくれました」
フィオリーナは食い下がる。
「従姉弟同士とはいえ、異教徒の小娘にさえルイは見せてくれました。だから、決して人目に触れさせてはならない訳でもないのでしょう?」
アンリの顔から表情が消えた。
「……見せていただきましょう、アンリ・ドゥ・チュラタン」
執政の君の声が不意に響く。
「そして、あなたの言う通りレライアーノ公爵も『ルードラの戦士』としてあなた方の神と契約したのなら。彼の左胸にも、その印が刻まれていることになりますね?」
執政の君は口許だけで冷ややかに笑んだ。
「口だけでは何とでも言えましょう。誰の目にも明らかな、確かな証拠になり得るものがあるのならば。提示して下さい」
すっ、と、彼女は背を伸ばした。不思議な覇気が発せられる。
「これは依頼ではありません。……命令です」




